19. 闇中の告白
次に目を開けると全方位暗闇だった。
上下左右方向感覚がわからない。試しに何度か飛んでみたが、落ちる方向がその都度違う。
ここはどこだ。今はいつだ。俺は何をしていたんだっけ。
記憶の混濁に重くなってくる頭。重力を振り払うように左右に首を振って、ふとサーシャは腕の中の存在に気づく。
(……白い卵)
ダチョウの卵ほどはある大きな物体。
昔の記憶を思い起こした瞬間、暗闇が鈍く唸った。認知できる景色は何もないのに、波打つように暗闇が揺れる。くぐもった悲鳴が響き、遅れて悲鳴は自分の口から溢れているのだと気づいた。
わけがわからない。状況が把握できない。
見えない歪みは天井を、床下を、蔦が蔓延るように周囲に根付き、次第にサーシャの周りは歪な歪みによって囲まれてしまう。続いて耳を塞ぎたくなる強烈な軋み。
この音が何か、認知した途端気分が悪くなった。たまらず耳を塞ぎ蹲ると、腕の中の卵が床に落ちる。
ぐしゃっとはならずそのまま地面に溶けるようにして消えてしまった。
「遅れてごめんねーん!」
「!!」
場違いに明るい声が耳をつんざく。瞬間、不快音が拡散した。その代わりに響くのは爆発音。
自分しかいないと思っていた。
暗闇の中で一点だけが光を灯し、浮かび上がるあの姿。
光の背後で打ち上がる花火。腹に直接響く振動と火花のオンパレードにしばし茫然としてしまう。
この光景、見たことがある。
「夢魔……」
「え、なんで? 私のこと知ってるのん? 知ってて今生きてるって不思議〜」
「…………」
フランクな口調。ヤギの角を生やした頭部、見るものを誘惑する淫美な肢体、臀部から生える細い尻尾。
ルーナや他の精霊神たちと共に、一度訪れたことがある。
ここは精神世界だ。先ほど落とした卵はサーシャの深層心理の象徴。
通常夢魔は人々を夢へ閉じ込め、精神を弱らせて殺す。大人には淫夢を、子供には悪夢を。
解決方法は簡単だ。夢魔を斃してこの精神世界を脱出すればいい。
しかしサーシャに戦闘の意思はない。精神世界の外側で起きている事件が、脱出の阻みとなっている。
精神世界の中で目覚めた驚きと、時間感覚の鈍りに混乱したが、徐々に頭が働き始めてきた。脱出は無意味だ。
黙ってこれからのことを考えていると、「あら?」と首をかしげた夢魔がサーシャの元に降りてくる。そのまま抱き上げ、顔に豊満な胸を押し当ててきた。
背中をトントンと叩いてあやされてしまう。
魔物にまで子供扱いか。この子供姿、いい加減なんとかならないものか。
「ファリャちゃん〜? 怯えないの? 突然、訳も分からない暗闇に怖くないの? 泣いていいのよん。お姉さんが慰めてあ・げ・る♡」
「大丈夫だから降ろして。それよりもアマデウスが気になる」
「ええ〜」
口を尖らせた夢魔は渋々サーシャを下に下ろす。
『ファリャ』と呼ばれたことで彼の関与が確実になった。
鈍い頭でもここまでヒントを出されたら流石に気づく。
「事情が複雑すぎて説明が面倒なのよねー。それにファリャちゃんを怖がらせないよう、きつく言い含められてるしー」
「細かいところは自分で補完する。結論だけでいいよ。……──アマデウスは俺が嫌いなのかな?」
「ンンンン〜?」
「殺したいほど憎いのかな。俺がハルハド側だから?」
彼女の目が大きく見開かれる。意外そうにサーシャの顔を見つめ、興味深く思ったのか尻尾が勢いよく振れる。
「あらん? もしかして気づいちゃってる? 『外』で何が起こっているのか」
「ハルハド流の処刑だよね。これ、すっごいしんどかったから覚えてる」
「教科書か何かで知ったのかしら? ファリャちゃんは鈍いから大丈夫って、あの子が言ってたのに。困ったわねん。怖いのならギュってする?」
ハルハドの処刑方法はいくつかあるが、その多くは人道的だ。
しかし一つだけ、謀反刑が常識を逸する。見せしめを兼ねるためあらゆる意味でインパクトが大きい。
精神世界であるのに手足の連結部が軋む。手首と足首にベルトが巻いてあるような。時間をかけ、ゆっくりと180度の方向に引っ張られていく。
息を一つ吐いて想像を振り払う。幸いここは精神世界。耳を塞ぎ目を閉じれば何も痛くない。
そもそも花火の爆裂音がうるさい。いつまで打ち上げているつもりだ。いや、もしかしてこの轟音で『外』の音を消している?
夢魔を見上げると、彼女は口角を上げた。妖艶に微笑むその様は見るもの全てを虜にする。
「誤解してるから訂正するわねん。あの子はファリャちゃんが大好きよ。だからこうして守ってるんじゃない」
「でも結局殺してるじゃん」
「ファリャちゃんの死は手段であって、目的じゃないの。あの子は実験中なのよん」
「……実験」
呟くと夢魔は楽しげに笑う。
「無能無知かと思ってたけど、もしかして結論出ちゃった感じ? どうしてファリャちゃんが処刑されているのか」
「…………」
「どうして魔物の私とあの子が手を組んでいるのか」
「…………」
「当然浮かぶはずの質問なのに。それより先に出たのがさっきの質問だなんて笑えるわねん」
ここ最近の違和感がパズルとなって頭の中で組み立てられていく。
形になりつつあるアマデウスの思惑。ルートヴィヒ、花祭り、魔物退治、叙勲式。いたってシンプルな構図なのに、自分の位置付けだけが異質に思う。
だからこそ出た疑問だったのだが、夢魔があまりにも妖しく、嬉しそうに微笑むので言葉を忘れる。
「心配しなくてもあなたは特別。次の世でもあの子と仲良くしてね」




