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魔術師たちの匣庭  作者: こたちょ
4章 騎士団学校編
122/153

16. 失恋

 

 それは瞬き一つのうちに現れた。


 現れたと言ってもあまりに高速すぎて実際の造形はわからない。細長い残像だけが目の中に残った。


「アマデウス!」

「構うな。ファリャは自分の身を守れ」


 自分とは真逆に彼女の声は落ち着いている。むしろ歓喜を含んでいると言ってもいい。


 弓矢のようにしなった放射が視界の端を横切る。ほとんど勘に近い。両手剣を咄嗟にふるい弓の先を叩き落とす。落としたと同時に穂先が叫んだので飛来物の正体は弓矢ではない。


 足元を確かめようにも次から次へと襲いかかる攻撃に手を休める暇がない。


 アマデウスは?!


 自分がこうであるから、彼女のことが心配だ。一撃くらうつもりで彼女の方へ目を走らせた。


「…………」

「ふふふ、楽しいな。これは」


 想定外。

 水中であるのに動きが非常に滑らかだ。ゆったりと水を掻くように片手を持ち上げ、ステップを踏む。軽やかな足取りで間合いを詰め、放射の交差点を見極め、瞬時に腕が振り下ろされた。


 攻撃とは思えない優雅さに、放射物がまとめて散り散りに弾け飛んだ。

 ついでにサーシャの頬も弾けた。彼女の姿に見惚れ、やはり攻撃を受けてしまう。頬を貫通し歯を削る深い一撃に堪らず目を瞑った。


「ファリャ」


 やや心配そうな声が耳に届く。

 再び目を開けようとしたが、うまく開かない。顔の筋が引き攣り視界が戻らない。アクラが息を飲む気配がした。


「ごめん。でも大丈夫」

「……鈍すぎる。一旦立て直そうぞ」

「いや、ちゃんと戦うから。こんなの軽症だよ」


 視界は悪いが、水の唸りは先ほどよりわかりやすい。目に頼らない分感覚で何とかなる。

 迫り来る水の勢いを肌で感じ、皮膚が揺れ動く瞬間に剣を振り下ろした。目の前で生暖かい飛沫が上がり、きちんと獲物として捉えている。

 彼女の足を引っ張らない。自分も自分のペースで戦える。


 緩く生臭い匂いは生き物の腹わただ。絶え間なく降り続く攻撃を受けながら、サーシャは徐に数を数えることにした。

 なんというか、息苦しい。戦いに集中するのは勿論だが、何か他のことを考えていないと倒れてしまいそう。


 頬の傷は多分弧を描いて目を抉り、頭に到達しているのだろう。そこを自覚すると痛いし、泣きたくなる。

 だから必死に気づきたくない事実から目を背け、現実逃避に徹した。


 だってこの魔物の難易度が以前より格段に高い。外装がやたら硬い。剣がまともに通らず、鈍器がわりに一体一体潰していくしかない。


(324、325、326、327…)


 五分を過ぎたのち、放射よりも太い水流が迫ってくる。


 群れの主だろうか?

 剣を構えるも、思わぬ方向から平手を打たれ叩き落とされた。


「これで終いじゃ、ファリャ」

「…………」



 少女が静かにことの終焉を告げ、途端周囲に穏やかさが訪れる。


 しかし自分の呼吸音がやけに耳障りだ。濁音が混じる空気の入れ替えに心臓が爆発する。

 返事を試みるも発声が難しい。口から溢れたのが声ではなく液体だったのがなんとも間抜けだ。


「もう良い。此度の落ち度は妾にあった。そなたを頼りなくは思ってはおらぬ」

「…………」

「先ほどの『鈍い』発言は、ファリャの弱さを揶揄したわけではない。ちと事情があるのじゃ。理解願いたい」


 意外と近くにいるらしい。マルグレットの吐息さえ感じる暖かさに見えない目がピクリと揺れる。

 戦闘前とは異なる、熱のこもった声色は何とも耳に優しい。


「一時離脱するとしよう。そなたの治療を急がねばならぬ。ほら、意地を張るでない」

「…………」


 意地を張っているわけでなく、普通に体が動かない。歩こうと手足に力を込めるも、沼にはまっていくように体がどんどん重くなる。

 眠い。


「……ファリャ」


 一歩がもつれ、目の前の少女に抱き止められた。意外にもがっしりとした腕と、引き締まった体。女の子とは程遠い感覚に、どこかの誰が言った言葉が脳内に降りる。


『クソガキの恋愛対象ってアレなんか?』

『……奇しくも同意見です』


『黙っておったが、いい加減煩わしいのう』


 あれは一体どう言う意味?

 全てマルグレットを女性として尊重した時にぶつけられた言葉。


「…………」


 降りてきた結論が怪我以上の衝撃となって頭を襲う。


 サーシャの恋愛観は結局のところ生物本能がベースとなる。種の存続と繁栄に帰結する本能は、どんなに否定しようと抗えるものでない。


 それ故、明らかになった結論を前にして、急に恋愛感情が溶けて消えてしまった。

 加えてやはりマルグレットも自分を恋愛対象として見ていなかった事実。……全部茶番だった。


「そなたは幼子のようじゃ。自分の感情すら、理解できんとは」


 穏やかに、けれども呆れた口調のマルグレット。節のある指に筋張った二の腕。

 子供を抱くようにサーシャを抱え、くるりと踵を返す。自分の重さなど感じさせず軽々と出口へと歩を進めていく。


「アマ……ス、……君は、男、の子?」


 血液と共に己の恥を吐き出すと、耳のすぐ近くで吐息がかかる。


「勘違いしたのはそなたじゃ」

「…………」

「まあ、妾も悪ノリが過ぎたが……。『デート』などと言って連れ回し、存分に利用させてもらった」

「…………」


 血が足りず、頭が働かない。

 聞くべきことは山ほどあるが、猛烈な痛みと眠気に襲われままならない。いつしかサーシャの頭は少女の……いや、少年の胸へと落ちていた。

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