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魔術師たちの匣庭  作者: こたちょ
4章 騎士団学校編
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13. 目眩

 

 マルグレットに睡眠薬を処方され、昼過ぎまで熟睡してしまった。

 昨晩別れる際、サーシャの顔色を心配し、ゆっくり休むよう労ってくれた。



 存分に体を休めたので、身体中疲労も痛みも抜けている。縫った耳に触れると、傷跡が分からない。最低限抜糸は必要だと思っていたのに。

 マルグレットは想像以上に優秀なようだ。


 簡単に昼食を取り、遅れて午後の授業に参加する。いつも通り演習場へ向かうと、いつもではない光景に首を傾げる。

 生徒の数が極端に少ない。弟の姿はなく、教師含め四人だけで実技を行なっていた。混ぜてもらおうと声をかけたが無視された。酷い。


 穏やかな演習場を一周し、校舎を繋ぐ渡り廊下へ向かった。廊下への出入り口には大きな黒板があり、一週間の日程が記されている。


「……んー?」


 特に代わり映えしない。

 いや、そんなことよりも、黒板の右上に書かれた数字が不可解だ。


 見上げた額に影が落ちる。シャラリと音がしたのはきっと幻聴。白縹色の髪がサーシャの頭に落ち、水面を滑るように着物の袖が半円を描いて自分を後ろから抱きこむ。

 確認しなくても誰だかわかる。


「おはよう、アクラ」

「おはようございます。サーシャ様」


 肩に懐くように頭を落として、まだ眠気の残った声を漏らす。緩く柔らかい声色は自分まで眠りに誘う。

 ……意図して、首を振り睡眠欲求を拡散させた。


「俺、結構寝てた? 最後の記憶と日付が違うんだけど」

「そうですね。人の時間で言えば五日ほど、お眠りになってましたよ」

「……五日」


 よく寝た、どころの話じゃない。


 言葉を失うほどの自堕落な生活。そういえば世界樹に囲われた時も一ヶ月以上寝続けた。

 断りもなく授業を休み、マルグレットとのデートをすっぽかし、この五日間が無駄に黒く塗りつぶされたかのよう。先の教師が自分を無視したのも頷ける。皆、お怒りなのだ。


「イグニスとルートヴィヒは?」

「さあ、存じ上げません」

「…………」


 若干食い気味に思考を拒絶された。返答を嫌がるほどあの二人も怒ってるのか? 無駄に惰眠を貪ったから?


 抱きこむ腕が腰まで下りてきて、軽々と宙に浮かぶ。水中にいるかのように一瞬落下が滞り、空中でキャッチされた。

 アクラの首を持つようサーシャの腕に鼻を押し当て甘えてくる。

 子煩悩全開のお子様抱っこに鼻白まざる得ない。こういうのは二人だけの時にしてほしい。確かに今周囲に人はいないが、アクラは普段から姿を消さない。誰かにこんな現場を見られたら噴飯ものだ。


 やんわり腰の手を外すと、逆に離すまいと力が加わった。覆い被さるように顔を低くし、近距離で視線が交わる。

 アクラの翡翠色の瞳が不安定に揺れ、ぐらりと地面が傾いた。彼の腕の角度を変えたのだ。

 互いの呼吸すら混ざり合う、奇妙な時間。数分サーシャを探り続けた神はゆっくりと口を開いた。


「サーシャ様」

「なに?」

「……この前話していたことですが、やはり受けてもよろしいですか?」


 なんだっけ?

 会話の主題を求めて頭を働かせるが、思い浮かばない。彼は何を言っている?


「肝心なことを思い出せないままでは、ご都合がお悪いでしょう。サーシャ様の繰り返す世界において、記録も伝聞も残りませんし」

「あー」


 アクラと自分のことを言っているのだと合点がいった。

 大昔、彼と何らかの問題を解決したらしく、それがきっかけで自分が死んでも記憶を共有できる。その問題とやらが思い出せない。

 以前聞いた時は何故か断られたが、今度は教えてくれるらしい。

 一体どういう心境の変化なんだろう。


「教えてくれるの? やった、お願い」

「……随分簡単に仰られる」


 呪詛のような独り言が続いたが、喉の奥でくぐもり正確に理解ができない。

 意味がわからず翡翠色を覗き込むと、彼の瞳に複雑そうな色が混ざった。

 重なる胸の接触部で、向こうの心臓が変に早い。伝達に苦痛が伴うのだ。理由はわからないが、おそらく、サーシャがその件を思い出そうとすると頭が裂かれそうになるのと同様に。


「ちょっと待って。やっぱりいい。話さなくても」

「……サーシャ様」


 アクラが苦しむのを見ていられない。

 静止を求めると彼は眉を寄せつつ、それでも尚苦しそう。安堵と後悔が絶妙に混ぜあった表情で、相当な時間をかけて首肯するのであった。




「ところで、みんなどこに行ったんだろ」


 気を取り直して、世間話がてら話しかける。

 演習場を後にし、なんとなく校舎と回り歩く。特別皆の行動に興味があるわけではないが、無関心に徹するほどの気力もない。それほど校舎の中が静かすぎる。


 千人を超える関係者を抱える騎士団養成学校のはずが、どこに行っても人の姿がまばらなのだ。

 一番初めに弟の部屋に向かったが、常に人で賑わう彼の部屋は無人であった。


 隣に並ぶアクラは長い髪を虚空に揺蕩わせて、口を開いた。

 しかしサーシャの耳に届いたのは彼の声ではない、もっと耳に届きにくい複雑な声色だ。


「今日は花祭り最終日じゃからの。皆そちらに参加しておるのではないか?」


 アクラと同時に声の方向に振り向く。今まで人の気配などしなかった。驚いたのはサーシャだけでなくアクラも同様らしい。紅梅色の髪色を瞳に認めた途端眉間のシワが深くなった。


 この古風な話し方、奇妙な声色、つかみどころのない隠された表情、該当の人物は一人しかいない。

 そもそもなぜ彼女がここに? 今まで学校の中に入ってきたことなどないのに。


「マルグレット」

「おや? 妾の名を忘れたのか? それは仮の名じゃ」

「……えーと、アマデウス?」

「うむ」


 楽しそうに唇に弧を描くと、腰掛けていた窓枠からふわりと廊下に降り立つ。足音も布ズレの音も殆どしない。

 無音劇を見ているかのような感覚に目眩を催しそう。不可思議な浮遊感と同時に彼女が目の前に迫る。気づけば唇に指を当てられ何かが入ってきた。


 口内が蕩ける甘さはいつもの栄養剤だ。


「これで少しは楽になるじゃろうて」


 微笑む少女に急に心臓が絞られる。現実へ向かわせる動悸は回数を重ねるごとに浮遊感を払拭していく。無意識にため息が漏れた頃にはしっかり足が地に着いた。

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