12. 繋がる縁
「ファリャ」
「……ア、マデウス」
妙に照れる。
校舎を出たところにマルグレットが立っていた。こちらを振り向き、嬉しそうに微笑む。高いとも低いとも言い切れない不思議な声色で、彼女が名付けた名を呼んだ。
甘い砂糖菓子を大切に愛でるような柔らかな響に頭が痺れる。
「ファリャはいつも顔色が悪いの。怪我のせいで夜眠れないのか?」
「君から貰った痛み止めのおかげで眠れてるよ」
「それなら良いが。……ほれ、今日の分の栄養剤じゃ。飲めばいくらか気分も晴れよう」
「ありがと」
マルグレットは会うたびに甘い薬をくれる。実際、効果の程はよくわからない。お菓子感覚で服用しているだけ。
獣の皮で作った水袋を受け取り、一気に飲み込む。
彼女の本業は薬師らしい。体調が悪かったり、怪我をしたりするとすぐに角型のカバンから薬を処方される。
調剤の材料を求めて郊外に出かけるのが、主なデートコースだ。
──血飛沫が飛ぶ。
マルグレットが薬草を採取している背後で、アルミラージが襲い掛かった。それに気付いたサーシャが一線だけで魔物の首を刎ねる。
満月の空の下、僅かな光源を頼りに二人は視線を交える。マルグレットの籠には薬草の山が、サーシャとマルグレットの周りには魔物の死体が転がる。
彼女は感嘆の息を漏らす。
「大した腕じゃの。ファリャがおると採取が捗る」
「役に立てて良かった。でもなんでいつも夜に来るの? 昼の方が魔物が寝ている分安全なのに」
「夜露に魔力が宿るでな。……ん?」
サーシャの耳をコウモリが引き裂いた。食い千切られ、落ちる破片。破片が落ちるより早く魔法陣を展開して火球を放つ。
コウモリの進路方向にはマルグレットがいた。指が空中を凪いだのと蝙蝠型の炭が出来たのはほぼ同時。炭が空中に溶けたところで、サーシャの耳の一部が草むらに落ちた。
瞬き一つの間の一連の流れ。マルグレットは心配するではなく、平然と落ちた人肉を拾う。
「……腕は立つが、そなたは無駄が多いの」
「あ、汚いから触らないで」
「……しかもマヌケときた。ファリャのような人間は初めて故、対処方法が分からん」
「返して」
彼女の手から耳を奪い返し、代わりにハンカチを渡す。少量ではあるが血が付いてしまう。
呆れた笑みを浮かべ、マルグレットは首を振りハンカチの受け取りを拒んだ。
「妾への気遣いは不要じゃ。そんなことよりもっと優先順位を考えるべき。怪我をしているのはそなた。痛覚がないわけじゃなかろう」
「でも」
「手当てをしようぞ。ほら、こちらへ来い」
仕事鞄から軟膏を取り出し、彼女は手に馴染ませる。欠損箇所に指を当て息を吹きかけられたので、羞恥のあまり次なる反応に遅れた。
「え、……うっ?!」
暖かく柔らかな感触が耳の筋をなぞる。何をされているのか、理解すると共に頭が爆発した。
「ちょ、ちょっと待って! 待ってってば!」
「動くでない。手元が狂う」
「な、何して?! ……うわー」
ゾクゾク。
ワームじゃない。イグニスでもない。けれどもアレに非常に酷似した感触が耳を通過し、背中に鳥肌が走る。
恥ずかしいのと気持ち悪いのと、いろんな感情が混ざり合いぐちゃぐちゃだ。
「泣きたいー」
「大げさな。消毒を兼ねて舐めてるだけじゃろ。すぐに縫合すれば大事もなかろう」
マルグレットは薬師というより医師に近いのか。
いや、そんなことよりも耳から蔓延る悪寒のせいで心臓が熱いのやら凍えるやら。
現実逃避を兼ね彼女の髪をやんわり掴む。傷口を直に舌先が通過し、肩が跳ねるし涙が浮かぶ。
「…………ッ」
何度目かの通過を味わったところで強く髪を引っ張りすぎた。彼女の耳を覆う耳飾りが外れ、先の尖った耳が露わになる。
その一瞬、ピクリとマルグレットは指先を強張らせるが、サーシャの顔色を見た途端また顔を埋めてしまった。
マルグレット。
尖った耳はミーティの国民である証。
(……今気づいた。マルグレットって、エルーシュカのお姉さんと同じ名前だ)
何の因果か知らないが、彼女は今こうしてハルハドにいる。エルーシュカはまだ生まれていないため、マルグレットと自分を繋ぐ糸は何もない。
全てがただの偶然で、サーシャとマルグレットの間に運命は存在しないも同義である。リスタートを繰り返す身として、一から作られる関係が嬉しく、新鮮。
サーシャの頭にあったのはせいぜいそれくらいで、他国民を侮蔑する意思は皆無。マルグレットは分厚い前髪の下でまつ毛を揺らし、しかしそれ以上何も語ることはなかった。




