表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
魔術師たちの匣庭  作者: こたちょ
4章 騎士団学校編
117/153

11. 名を授ける

 

「さて、次に会う時までの宿題じゃ」

「?」


 紅梅色が風に靡き、束の間彼女のまつ毛が垣間見えた。悪戯っぽく微笑みを浮かべた瞳が、妙に艶やかで頭が沸騰する。


「器同士、名を交換せぬか? 妾に名を授けて欲しい」


 今日な申し入れに動揺してしまう。


「マルグレットって名前があるじゃん。なんでわざわざ……」

「その名は好かん。仮初の名は、呼ばれる度どうもむず痒い。それにそなたも『サーシャ』などと、似合うてないぞ」

「そうなの?」


 今まで気にしたことがなかった。名前が自分にあっているかどうかなんて。

 確かにハルハドでは『サーシャ』は主に女児の名前として用いられる。むしろ『アレックス』になって良かったのかも。


 いや、それよりも好きな子と名前の交換をするなんて、なんだか擽ったい。

 徐に店先の本棚に目が行き、数ある本の一冊が目に飛び込んだ。名前としてどうかと思うが、響は結構いい。それにかっこいい。


「じゃあ、『アマデウス』で」

「……もう決めたのか。宿題と言ったのに、存外に適当じゃのう」


 呆れたマルグレットはサーシャの視線を追い、同じ本棚へと行き着く。彼女もまた、蔵書の中から適当に選んだ。


「ならばそなたは『ファリャ』じゃ。……ふむ、なかなかいい名前ではないか?」

「言い難くて噛みそうなんだけど。いや、でも……」

「不思議としっくりこぬか? 妾も親より与えられた名よりずっと馴染むぞ。器同士、繋がるところがあるのじゃろうな」

「…………」


 彼女の言うとおり、不思議な感覚だ。

 初めて聞いた名前。馴染みも愛着も何もないはずなのに、彼女がその名を紡いだ途端目眩が我が身を襲う。

 しかし、暴力とは程遠い目眩はきっとある種の感情だ。勿論サーシャにその類の経験はない。


「さあ、『ファリャ』。妾の名前を」

「『アマデウス』」

「……ふふ」


 二人だけの秘密の名前。目眩に侵されながら、名前を呼び合う奇妙な掛け合い。

 恍惚と頬を染めたマルグレットに見惚れ、脳内が痺れる。


 苦しいのかもっと感じたいのか、逆行する感情の波に翻弄されながら、いつしかサーシャの目は閉じていた。






「サーシャ」


 突然、マルグレットではない声で名を呼ばれ目を覚ます。


 気づくと教室で、隣に座るルートヴィヒが怪訝そうな顔で自分を小突いた。

 急に時間と場所が移り変わった。目を閉じて開いた瞬間別世界に放り込まれたような奇妙な感覚。


 夢だろうか?

 目を揺らしながら周囲を観察すると、いつもの教壇にいつもの教師、幾人かの級友が目に入る。ゆるく握られた手には羽ペンが握られており、ノートには黒板の内容が模写されている。


 軽く目眩を感じながら頭を下げると、右手に弟の手が優しく重なった。労るように手の甲を撫でる。その感触が徐々に現実感を運んでくれた。

 これは夢ではない。今は三コマ目、社会学の時間だ。認識すると共に時間が巻き戻るように意識がしっかりしてくる。


「大丈夫か? 随分ぼんやりしているが」

「平気。ちょっと考え事してただけだから」

「そうか」


 伝えると弟はほっと息を吐く。けれど右手は重なったままで離す気はないようだ。

 声を沈ませてサーシャに囁く。僅かに開いた窓から涼やかに風が吹き込み、耳元を撫でた。そんな細やかな囁きは教室に全く響かない。


「考え事とは?」

「うーん」

「……サーシャ?」

「ちょっと待って。整理するから」

「わかった」



 ようやく整理がついたのは、その日の夕方だ。マルグレットが迎えに来る数十分前。

 自室のクローゼット前にて身支度を整えながら、やっと口を開くことができた。


 サーシャのベッドに腰掛けた弟は、手の中のグラスを揺らす。一口口に含むと、眉間の皺を深くする。

 サーシャが放った一言に機嫌を落下させたのだ。


「……『彼女が出来た』だと?」

「うん、そう。彼女のこと考えてた」

「一体いつ。連日、夜出歩いてるのはそのせいか」

「うん」

「バカ言うな。君にはまだ早い。色恋など……」


 マルグレットと再会して実は数日経っていた。あれから毎日デートという名の散歩をしている。

 手を繋ぎ、出かけ、名前を呼び合うだけ。それ以上のことは何もない。


 急に不潔な者のように見られる。ルートヴィヒの方がよほど大人めいたことをしているだろうに。

 ……女性を部屋に連れ込むことを、さも当然に述べていたのは記憶に新しい。自分は良くて、兄はダメなどと、倫理観が欠落している。


「その人はどんな人なのだ」


 ルートヴィヒが上を見上げたので、問われた人物は頭をかいた。サーシャでは埒が開かず、非難の的が何故かイグニスに移る。


「オレに聞くかー? まあ、ぶっちゃけ生物学的本能に反するっつーか」

「どういう意味だ」

「普通の人間じゃない、とだけ。位置づけとしちゃクソガキと同じだな」


 彼女も『精霊王の器』なので、精霊にとって特別な存在であろう。静かに視線を交差させ、イグニスは自分に意識をよこす。


「でもオレも理解不能ー。何がそんなに好きなん?」

「イグニスにわからないのは当然でしょ。君らに恋愛感情なんてないんだから」

「はー? お前、マジでそれ言ってんの?」

「?」


 説明を求めて会話を繋ぎかけたが、不意にマルグレットの気配がした。話をなあなあに、サーシャは出かける旨、彼らに伝える。


「待て、話はまだ……」

「お説教は帰ってからゆっくり聞く。ルートヴィヒも出かけたら? 君も彼女いるんでしょ」


 花祭りは恋人たちの一大イベントでもある。彼には常々女性からの誘いが殺到している。

 ヘラヘラ笑って提案すると、荒っぽく睨まれ終了。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ