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魔術師たちの匣庭  作者: こたちょ
4章 騎士団学校編
116/153

10. 初デート

 

 退勤時間を迎え、業務日誌に本日のことを記し、学校を後にする。

 特に代わり映えなく、街は平和であった。何も問題はない。


 校門を出て、守衛官の脇を通り過ぎる。鉄柵で編まれた門扉のところでマルグレットは静かに立っていた。

 こちらを見て、やはりゆるく微笑む。


「…………」


 何度見ても彼女の笑顔は心臓に悪い。マルグレットの瞳を覗いてみたいが、もし直視してしまったら心臓は一体どうなるのだろう。とても無事とは思えず、服の上から胸をぎゅっと握った。

 魚のヒレのようにスカートの裾を翻して少女はこちらへ近寄る。


「終わったか?」

「うん」

「疲れたろう。……そうじゃ、薬を持っておるのじゃ。疲労によく効く。寝不足にもな」

「ありがと」


 半紙に梱包された粉薬と水袋を差し出され、礼を述べて受け取る。口に含むと意外にも甘味を感じた。飲みやすく調合された薬はハルハドでは珍しい。

 そういえばマルグレットは他国からの訪問者だと自身で言っていた。彼女の国ではこの手の調合が主流なのかもしれない。これは子供でも嫌がらず飲める。


 マルグレットは笑顔のまま首を傾げた。前髪が片方に集まり笠を増す。手を差し出され、その意味を考えてしばし彼女の手を見つめた。


 マルグレットは一般的な女性と比べて背が高い。サーシャも長身だが、彼女の方が目線が上だ。学校支給の厚底靴を履いているにもかかわらず。

 いや、十歳の時期は男女の成長が逆転している。もう少し歳をとれば彼女の身長を追い越すはずだ。二年後には、きっと。


「…………」


 自分は一体何を考えているのだ。

 マルグレットを前に、子供じみた言い訳と葛藤が駆け巡り、数秒呆然としてしまう。あまりにも稚拙。恋というのは人を退行させてしまうのか。


 黙り込むサーシャの頬を滑らかな指が撫でる。その感触が脳髄を直撃し再び硬直してしまう。


「うむ。薬のせいか、肌の血色が良くなったのう。では行こうか。いつまでもここにいては逢引にならんじゃろう」

「…………」

「今日はだんまりか? 前のように積極的に口説いてはくれんのかのう」

「…………ッ」

「まあ良い。妾もそなたもまだ子供。年相応の清らかなお付き合いとしようかの」


 楽しそうな笑い声と共に右手を握られる。好きな子と手を繋ぐことがこれほど恥ずかしいことだったのか。

 急に手汗が滲み、それもあいまり非常に気まずい。いっそ離してしまいたいが、もう少し繋いでいたいという妙な葛藤もある。


 どうしたものか悩んでいると、やはり頭上で声が上がる。

 二人の世界かと思いきや、やはり傍観者や過保護者が付いて回る。なぜだ……。


「『合挽き』じゃねーじゃん。逢引じゃん。デートじゃん」

(イグニス)が勝手に勘違いをしただけでしょう。それより、気になるのはサーシャ様です」

「確かにー。クソガキの恋愛対象ってアレなんか?」

「……奇しくも同意見です。確実に範疇外のはず……」


 どういう意味だろう。

 改めてマルグレット見るが、何がおかしいのかわからない。

 二回前の世界でイグニスは「ウェントスを良い対象」という趣旨のことを言っていたが、そういう意味だろうか? 


 下世話であるが、言う通りマルグレットはウェントスのような華やかさはない。露骨な性的アピールはなく、むしろ身持ちが固い印象だ。

 誘いはあるが言葉の上だけ。こちらが本気で迫れば、容易く腕の中から逃げられてしまいそう。


 それとも、彼女の独特な雰囲気のせいか。

 人間離れした不思議な空気感に、一瞬人間ではないのかと頭をよぎる。握った手のひらから気配を誘ってみるも、その可能性も潰えた。精霊と接するような、魔力が溶け合う感じがしない。互いに人間なのだと、きちんと肉体としての境界線が引かれている。


 けれども、ただの人間というのも言い切るのが難しい。ルートヴィヒとはまた違う、普通ではない感じ。


「……そなたは」


 歩いているとマルグレットが不意に口を開いた。


「そういえばそなたの名を聞いてなかったの。騎士の格好をしているということは、身分が高いのか?」

「俺自身は一般市民だよ。名前はアレックス。前はサーシャだったけど改名したんだ」

「アレックス、……サーシャ。……ほほほ。そなた、実は相当頭が弱いとみた」

「なんで?」


 言っている意味がわからず尋ねると、少女は苦笑する。


「改名ではないぞ。どちらも同じ名の愛称じゃ。アレックスはアレクサンダーの愛称、そしてハルハドでアレクサンダーと綴られる文字は外国ではイスカンダルと発音される。イスカンダルの愛称がサーシャ。……つまりそなたは少し複雑な生い立ちなのじゃな」

「…………」


 そうだったのか。

 上を見上げるとアクラと目があった。だからアクラはサーシャの改名について深く言及しなかったのか。思えば諦めが早すぎた。同じ名前であると彼も知っていたのか。


 それにしても同じ綴りでここまで発音が違うものなのか。サーシャの名前探しがますます困難になった気がする。

 となるとアクラの言った冗談、「一文字ずつ探していく」案がいきなり現実味を帯だしてきた。


 優しく宥めるような声色が耳に届く。


「まあ、気にすることではないぞ。現世(うつしよ)の名など所詮記号じゃ。自分と他者を区別する以上に意味などない」

「……え?」

「妾もずっと真の名を思い出せないでおる。そなたと立場は一緒じゃ」

「……? どう言う意味?」

「ほほほ。そなたは本当に鈍い」


 笑った瞬間、急にサーシャとマルグレットだけが世界から切り離された気がした。

 それほど、彼女の紡ぐ言葉がサーシャに衝撃を与える。


「妾も精霊王のための器じゃ。そなたと同じ」


 本当に? と言う言葉を飲み込む。

 けれども否定するほどの材料は見つからず、間抜け全開に彼女の次の言葉を待つ。

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