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魔術師たちの匣庭  作者: こたちょ
4章 騎士団学校編
115/153

9. サーシャの初恋

 

 少女の口調は独特で、年齢の割に年老いた話し方をする。


 ゆったりと波のような静けさとスローテンポ。けれども音域は不安定で、耳に届いた途端飛散した。彼女の発する言葉の意味はわかるが、声としての認識が難しい。


「すまぬな。景色に見惚れ、うっかり足を滑らせてしもうた」

「間に合ってよかった。怪我はない?」

(わらわ)は平気じゃ。そなたこそ手当が必要では? 腕がおかしなことになっておるぞ」

「……あ」


 肘から骨が突き出ている。どうりで痛いはずだ。自覚すると猛烈に苦痛が増し、額に脂汗が滲む。骨を伝って、石畳に血が滴り落ちた。

 彼女からの服を汚すまいと、慌てて腕から下ろす。


 出血箇所を握り、痛みと戦いながらも少女から目が離せない。

 彼女の髪は綺麗な紅梅色で、降りしきる花雨の中でよく映えた。顔の輪郭に沿って髪を集め、首から腰は扇を下に広げたように優雅に流す。どこぞの姫君といわれても信じる。

 しかし逆に着衣は質素で、白いワンピースに腰巻を飾るのみ。足首まで伸びるスカートは人魚のヒレのようだ。


「サーシャ」


 呼ばれて振り返ると、怪訝な顔の男が映る。そうだ、イグニスも一緒だった。勝手に自分だけの世界に浸っていた。


「どうした? 怪我痛えの? 辛いなら抱くか?」

「いや、そこまででは」


 首を振って答えると、目の前の少女が口を開いたのでまたそちらに意識が集中する。彼女を見ていると痛みが麻痺する。


「兎に角も今宵は早く帰った方がよい。礼なら後日致す」

「お礼はいいよ。それよりも、君の名前を教えて欲しい。また会いたい。君が好きだ」

「…………」


 恋愛の駆け引きなど知らないサーシャは直球だ。言葉を飾らず、相手の出方も見ず、自分の好意を伝えた。イグニスは息を呑み、少女はやや驚いた後ゆったりと微笑む。


「……ふむ。ならば折を見て会おうぞ。しばらくはこの街に滞在するでな」

「えっと、名前は」

「マルグレットと申す。ではな」


 それだけ言うと少女はスカートを翻し夜の街へ溶けていく。あっという間の出来事と、瞬く間に消えてしまった彼女の姿を探して、サーシャはしばらくその場に立ち尽くした。





 翌日、授業が終わるやいなやサーシャはまた夜の街に繰り出した。

 人を人で洗う人波の中、愛しの彼女を探す。会う約束はしたが、いつ、どこで、と明確な申し合わせはしていない。しかも相手はサーシャの名前も知らないのだ。よって自分から探すしか手はない。

 祭りの屋台や舞台、二時間ほど同じところを歩き回ったが会うことは叶わなかった。念のため、道ゆく人へ彼女の特徴を聞いてみるも誰一人心当たりはないようだった。


 時計台へ登り、華やかな夜景を見てため息をひとつ。同行していたイグニスも静かに息を漏らす。何か言いたげだったが、結局何も言わずに口を結んだ。


 そんなあてのない日々を過ごすこと数日、探し人は向こうからやって来た。


 ぶらりと街を周回する昼下がり。

 サーシャは任務中であった。二人一組で編成を組み、街の保安を見て回る。課外授業の一環として行われる巡回だが、一定の公的権限が認められている。

 もし不適切な事象が有れば即時処罰や拘束が可能。警察と同程度の巡回なので生徒らは背筋を伸ばして当任務を行なっている。


 因みにサーシャは眠い。連日の夜間徘徊で体力が削られている。

 パートナーの生徒とは一切口を聞かず、目も合わさず、ダラダラと街を練り歩く。そんな折ふと、あの鮮やかな髪色が目に入った。

 少女が街の往来に立ち、サーシャに向かって口だけで微笑んだ。無論顔半分は前髪で隠され見えない。


「マルグレッ……」

「うむ。約束通り会いに参ったが、仕事中か?」

「えっと」


 あれ?


 振り返り、気づくと隣にいるはずのパートナーがいない。

 逸れたか? とあたりを見回すもそれらしい人物が見つからない。人の波が自分とマルグレットを絶妙に避けて行き交っている。人通りは多いのに誰一人自分たちにぶつからない。まるで中洲にでもなった気分。

 不思議に思いつつもマルグレットに向き直る。


「市街パトロール中だよ。もうちょっとで交代の時間だけど」

「そうか。ならば妾も同行しよう。待ち合わせも面倒なのでな。終わったらそのまま逢引を行うか」

「…………」


 何もないところで躓いた。

 不思議そうな気配で笑う彼女を前に、どんどん熱が上がる。顔の赤さを自覚しながらサーシャは僅かに首肯する。恋って怖い。思うように自分の体を操縦できない。


「合挽きってなんだ?」

「牛肉と豚肉をミンチにして合わせたものですよ」


 頭上で誰かが何かを話しているがとりあえず無視をした。

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