6. 叙勲式
並々ならぬ功績を残したものに与えられる栄誉。誰しも、人生のうち一度は夢見る誉の場。
それが王族による叙勲式だ。
艶やかな翡翠色の絨毯。晴れ渡った空を思わせるハルハド国旗。布の中央には国の象徴である国鳥が描かれている。
四角く切り取られた大きな窓の連結部に、等間隔に旗が飾られている。風が吹けば涼しげに揺れ、図面上の鳥が三角旗の中で舞い踊る。
天井には所狭しと絵画が埋め尽くす。全て王族をモデルにした人物画で、ある種の装飾でもって美化されている。……煤けた一枚を除いて。
青で基調された廊下を通り抜けて、ルートヴィヒは巨大な広間へ向かう。賑わう人々は皆、騎士団の学徒である天才を振り返り甘いため息をついた。
彼らに微笑みを返しながら、ルートヴィヒは広間の中央、既に到着していた騎士団の仲間と合流する。
「騎士団長殿。ただ今到着いたしました」
「うむ、リリエンタールの次男だな。此度はよくやった。騎士団を統括する者として、貴殿を誇りに思うぞ」
「恐縮でございます」
王立騎士団団長、エヴァリストは綺麗に切り揃えた顎髭を撫でる。
男が言っているのは先日のコング討伐の件である。数十体のコングを、生徒一人犠牲を出さずに無傷で討伐してみせた。
何かと不安の種である兄。危機管理の為に行った実戦が、思わぬところで花が咲いた。
光栄であるのは間違いないが、正直早く帰りたい。兄は現在寮で休んでいる。目を離すと何をしでかすかわからない。
精霊神は一緒であろうが、彼らは結局サーシャの言いなり。防波堤にはなり得ない。
ルートヴィヒに代わって騎士団長が授与を受ける。大の男の目が少年を見た後、あちこちに泳いだ。
「当然兄の方、……アレックスは連れてこなかっただろうな。アレがいると我々の品位が落ちる」
「…………」
「大体どうして兄弟のくせにこうも違うのか。アレはどうも貴族の品格というものが皆無だ」
「ご安心を。サ……、アレックスは公務の場に相応しくありませんゆえ」
「なら良い」
サーシャには二つ名があり、周囲にはアレックスと呼ばれている。単純に読み方の違いだ。サーシャは気づいていないようだが。
兄の生い立ちは非常に特異であり、貴族社会においてかなり浮いた存在である。
黙っていれば麗しい見目も、粗暴な性分ゆえ全て台無し。大幅に減点対象、更に言えば爪弾き者と言っていい。
サーシャにとって味方はリリエンタールの家族くらいなもので、弟ながらに同情する。
嫌がらせも多々あり、靴紐に針が仕込んであった時は心が凍えた。自分がサーシャの私物に触るようになってからその類の嫌がらせは減ったが。しかし自分の見ていないところではいつも傷だらけだ。
「…………」
知らずに重いため息が漏れていた。
エヴァリストは少年を見下ろし苦笑する。
「心中察する。あのような者が身内だなどおぞましいな。もう、数年で成人だろう。それを機にさっさと戦場へ放ってしまえ」
「…………」
「いや。成人を待たずとも、時期は早いやもしれん。コング討伐の誉を上手く使えば……」
男の口は滑らかに「秘密裏に殺せ」と言い放つ。言葉を言葉で重ねる度気持ちは萎えていく。
何故、どうして、皆彼を嫌悪の対象と見るのか。
サーシャが最もハルハドに貢献していると、エヴァリストの世代であれば当然知っているはず。彼が赤子の際、その身を国に捧げたのを忘れたのか。
母の腹から取り出され、そのまま他国へ譲渡された。生死を問わない雑な扱いで保護なく放り出され、その後の消息はずっと知れなかった。
しかし一方で、この件について箝口令が敷かれていることを知っている。
当時の重鎮は口を割らず、記録も消され、必死に調べて掴んだリリエンタールの歴史であった。
そもそもの話で言えば兄に向く嫌悪の根本は、リリエンタールの咎にある。元は同じ王族であったのに、過去の過ちが原因で名ばかり貴族に位を落とされた。
王宮回廊にある煤けた絵画もその証。五代前までは同じ円卓を囲んでいた親族だったが、事件をきっかけに城から追放された。発言権も参政権もない。完全なる国家の犬となり、時期と共に禊を果たす。そういう約束であった。
解放はもう目前。両親の代でようやく綺麗な体となる。
だからこそ母親は、命じられるままに胎内の子を王に捧げた。次に生まれる弟には兄の分も幸せがやってくると信じて。
両親ともに貼り付けたような笑顔で自分を育て、血の涙を飲み続けた。しかし、ある日突然サーシャが帰宅し、彼らの感情の蓋が開いた。仮面を被った美しい笑顔ではなく、全てが本気の感情。その波は弟の自分にも直撃した。
何をしても、どんな粗相を犯しても、破天荒な決断をしても全て肯定されてしまう甘やかしっぷり。今までと正反対の子育て方針に、一番ルートヴィヒが戸惑った。
(……早く帰りたい)
サーシャのことを考えていたら、また不安が押し寄せてきた。神だけでなく両親もバカがつくイエスマンなのだ。サーシャが決断したことは、危険の有無など関係なく尊重されてしまう。
以前、サーシャがミーティへと徴兵された際も鉄壁なまでに肯定者であった。自分がいくら説得しても、彼の名前に頬を緩めて頷くだけ。
(…………?)
ヘラヘラとした笑顔の兄。
手を降って薄情に去っていく後ろ姿。あまりにも鮮やかに思い起こされる光景にルートヴィヒは眉を寄せる。
(……これはいつの記憶だ?)
記憶のサーシャは今より大きいし、何より自分たちに召集命令などない。兵隊としてミーティに行ったことも一度もない。
首を振って、得体の知れない違和感と眉間の皺を親指で伸ばす。突然拍手が上がった。
ぼんやりしている間に、団長が名誉勲章を授与している。倣って手を叩くと、日の光が男の頭上に降り注ぐ。天までも祝福している光景に、目の中が熱くなってきた。
形ばかりとは言え、自分にも愛国心なるものが存在するらしい。
急に湧いてきた感動に胸の高まりは止まらない。
ルートヴィヒの両手は無意識に音を鳴らし続けた。




