24杯目☆彡 お伽話
長い道を歩み、辿り着いたのは白い扉。みるくは王子の執務室の前に立っていた。
人払いがなされているのか、辺りはひっそり静まり返っている。
みるくはその静けさを壊さぬよう、そっと白い扉をたたいた。入れという短い言葉に従い、王国の主の領域へと足を踏み入れる。
白いシャツに黒いパンツ。いつもの黒い外套は纏っていない。
飾り気のない姿だった。そうしていると異界のトップモデルのようだ。
そういう人種がよく着るだろう素材勝負の服、シンプル・イズ・ザ・ベストをお手本のように着こなし、日本人にはなかなか真似できない、ズルいと感じるほどのスタイルを最大限に際立たせている。
白い肌と手触りのよさそうな黒髪、そして額縁に入れ飾りたいほどの蒼く輝く瞳。もしかして年中無休? なんて馬鹿な考えがよぎるほど、早朝五時でも完全無欠の王子さまがそこにはいた。
「おはよう、みるく。――意外と来るのが遅かったな。途中なにかあったか?」
王子はいつものように挨拶をし、それからみるくに質問をしてきた。
「おはようございます、王子。特に何も。少し考え事をしていたら遅くなっちゃった」
みるくは何でもないことのように笑顔で答えるが、少しだけ頬が引きつったかもしれない。
嘘はつかず正直に答える。
例えば、迷ったと答えてもここは昨日訪れたモカの執務室のすぐ隣だ。迷うはずがないし、なんとなく王子には理由を気にして欲しいというような気持ちもわずかにある。自身でも持て余すような複雑な心境になっていた。
案の定、王子はいぶかしげな顔でみるくに訊ねる。
「ほう、なにを考えていた」
――先ほどの妖精さんと密会していたのかなと考えていたの。
そう、思っていたとは言えずに、みるくはとっさに、
「お城を見てたの。ロミオとジュリエットの舞台のようなお城だと思って。ちょうどバルコニーがいい感じにあるし」
きっとコーヒー王子はイングランドの劇作家、「ウィリアム・シェイクスピア」が十六世紀に綴った傑作のことなど知りはしないだろう、そう思っての発言だった。
しかし王子は存外嫌そうに顔を顰め、この部屋から中庭までは遠すぎると言う。意外なことだ。「親指姫」は知らないが、かの有名な戯曲「ロミオとジュリエット」は知っているらしい。
目を丸くしたみるくを見て王子はさっと顔色を変える。
目の下に位置する黒い影が、みるくの体調を克明に王子に告げる。
「眠れなかったのか? ……心配せずとも今日の儀式は私が傍につこう。初めての儀式だからといって、そう緊張することもない」
王子がこちらに手を伸ばしてきた。みるくの頬にかかっていた髪を一束そっと優しく触れ、耳にかけてくれる。
朝の柔らかい陽が部屋に入り込む。穏やかな空気のせいか、それとも目の前の優しい笑顔のせいか、みるくはドキっとするよりもほっと安堵する。みるくも自然、柔らかい笑みを浮かべていた。
そうだ、いまなら言えるかもしれない、と胸中で呟く。
みるくは王子のサファイアのような瞳を見る。
「王子、ありがとうございます」
王子の瞳が瞬いた。美しくカットされた宝石のような王子の瞳は、さまざまな光を反射して常とは異なる角度からの輝きをあらわにする。ぐっと深みを増したかのような濃い蒼色。
「――何のことを言っている?」
みるくはその色合いに魅了されるかのように、ひらすらに見つめていた。
「森まで迎えに来てくれたこと、私の提案を聞いてくれたこと、お城に置いてくれたこと、帰る方法を探してくれたこと、私を信頼して儀式を任せてくれたこと、――その全てに感謝してます」
「――……」
みるくはゆっくり頭を下げた。
なんとなく素直になれるのは今だけのような気がしたので、精一杯の気持ちを込める。だが、再び姿勢を正したとき王子とみるくの視線は交わらなかった。
困惑したみるくを避けるかのように視線を外し、王子はどこか戸惑った様子だった。王子自身がなぜこれほど動揺しているのか理由が分かっていないようで、さ迷い揺れる瞳はどこか不安定に光っていた。
「――礼は不要だ。私はあくまで、この王国の王子として、王国のため貴様に便宜を図ったに過ぎない。私には私の思惑があってのことだ。貴様など目的のために利用しているに過ぎない」
王子はそう素っ気なく返す。みるくに言い聞かせるような言葉だ。だが、言動とは裏腹にこちらを案じるかのような視線を受けると、みるくは意図を測りかね、ますます困惑する。
なんだろうか、忘れていたはずの先ほどの女性の姿が頭に浮かんでくる。
みるくは先ほどの女性の件も併せて、何故かもやもやする胸の内を不可解に思いながら、王子の真意が見えないことを悲しく思った。
また、感謝の気持ちを集めるならばこの国を深く理解する必要があると告げられ、『賢者の学校』への転入を決定される。王子らしからぬ性急で乱暴な決定だった。勝手に決められた転入日は明日の日付。
みるくは、明日から城を出て学園の寮で暮らせと命令された。




