16杯目☆彡 とある日のお仕事 ゲイシャver
今朝のことだった。
まだ太陽が昇りきる前、城内を見張る部下が緊急の用を報せに来た。場所は地下牢獄。ゲイシャは上着と山羊の紋章が刻まれた軍帽をひっつかみ廊下を行く。
本日の予定は牛飼みるく――異人の観察だった。ゲイシャは舌打ちしながら先を急ぐ。地下牢獄と繋がっている一階の廊下に出た途端、隣の部下が顔を顰める。
「隊長……これは」
「ああ、血の臭いだ。随分、大量に殺ったな」
地下からの生温かい鉄の風。ゲイシャは懐から短銃を取り出し、もう一方で佩刀していた軍刀を引き抜く。
スラリ、月のような煌めきが一閃する。部下もサーベルを構える。
「どうせなら、中身も全部コーヒーだったら良かったのに……。行くぞ」
「はい!」
零れたワインのような雫を辿って地下に下りる。薄暗い牢獄。陽の射さない黒い箱。
ここは、政治犯やどうしようもなくイカれた貴族の子息などを放り込んでおくための檻。元々はそう、王族を秘密裏に捕らえておくためだったか。
広大なコフィア城の外れに位置するとはいえ、わざわざ城の中に造られたのはそんな理由だ。
「これは……!!」
部下が隣で呻くのを聞く。
「屑ではあったが、死に際までほんと最悪だな」
ゲイシャの目に、いつも透けて見えてた醜い感情はない。だがそこには、四肢をバラバラに刻まれた看守が転がっていた。見開いた目はまだ、濁ってはいない。
「隊長、独房の鍵が全部空いてます」
「ああ、逃げたな。まだそう時間が経ってない。お前は城門、他の部下はすぐに外を探せ」
「隊長は?」
「俺は、王子と異人の無事を確保してからだ」
「了解です」
急ぎ、王子の部屋に向かう。
もし城内に逃げ込めば、至る所にゲイシャが潜ませている城内の部下がすぐ気付くはずだ。
だがあの看守……。あいつは元は、軍部所属の大剣の使い手だった。大将閣下に鍛えられた達人ともいえる人物だ。性格はアレだが、そう簡単に貴族の子息なんぞに殺られるはずがない。油断したか、相手が相当に使える奴なのか。
「クソっ」
城内の貴族共を殺してくれるなら、むしろ歓迎する。だが、森の中、あの不気味な気配が気に掛かる。
まさか、あのお方が間違ってたのか? ゲイシャは別の能力者の、その老いて枯れ枝のようになった細い腕を思い出す。とにかくゲイシャは蒼い絨毯を急ぐ。
あの後、結局王子も無事、みるくも無事。城内に入り込んだ間抜けは部下が処分しており被害なし。
外では城下大マラソンが開催されたのち、多くの参加者は無事ゴールして地下でゆるりと休憩中だ。
ゲイシャは首を傾げて煙草を吸う。
囚人リストを頭の中に広げ、吟味しながら名前に赤線を入れていく。どう考えても、これだけのことを仕出かすような上物が見当たらない。
まだ逃亡中の者の中にいるのか? 一応、殺人犯もいることはいるがどうにも小粒過ぎる。
しいて言うならば一人。気になる素性の人物がいた。
「デビルこいつか、何者だ?」
みるくが恩赦を願い出た囚人。ゲイシャがやろうと思えばすぐにでも、自由の身にしてやることも可能だった男。だが一週間放置したのには理由がある。
コーヒー泥棒とみるくは言っていたが、その話はあっていた。しかし、問題なのはむしろ入った店にある。白昼堂々、押し入ったのは城下で一番の高級店。王家御用達の店だ。そこで、とある品種を盗み捕まった。
ここまで見ると相当な馬鹿としか言いようがないが、気になるのは一点。この馬鹿を捕らえたのは、その日たまたま休日に家族と買い物に来ていた軍部の大物。ロブスタ大将閣下だということだ。そこまでならまあ、閣下お疲れ様である。休暇中のアンラッキーと同情するだけだ。
だが報告書の中にはその際、閣下が都内で怪我の治療をしたと記載されている。馬鹿な、と目を疑った。ロブスタ閣下――そいつは王国内で二人しかいない、俺が勝てないかもしれない相手だ。まあ、負けもしないが。
怪我の経緯の記載がないため、詳しくは不明だ。家族を庇ったり、単にガラスの破片で切っただけという事もあり得る。だがしかし妙に気に掛かる。そんな偶然が……? デビル、こいつの狙いは初めから別のモノだったのではないか。
幸い、あと3日で国境沿いで睨みを利かせている閣下が城に戻る予定だった。だから詳しい事情を直接閣下に確認し、俺の目で危険がないか見てから放り出す予定だったのだが、完全に裏目に出たようだ。
横目で見る、美しいと、そういえる少女。
神秘の森からのさ迷い人。よりにもよって、あのエメラルドを、いや俺達をキラキラしているなどと抜かす愚か者。
――俺とは見ている世界が全く異なる女。
今のところ、厄介事しかないように思える。さっさと殺してしまった方が、平穏になること間違いなしと分かっている。王子もモカも俺の判断に任せるだろう。
――そう、今ならばまだ……




