13杯目☆彡 王国の儀式 デビルの安否
「みるくお姉様、寒かったです?」
エメラルドが申し訳なさそうに謝ってくる。みるくは慌てて手を振った。
「大丈夫、ちょっとだけだし。ゲイシャに貰ったストールで丁度いいよ」
ありがとうゲイシャ、と右隣に座った男に言った。黒い山羊の隊長殿は笑顔で会釈する。
「ここは冬でも気温が高めの国だから、雪もふらない。コーヒーの木が育ちやすい場所でなければ、コーヒー王国は成立しないからな」
「そうです。でも姫より薄着のお姉様に気を配るべきでした。申し訳ないです。……あと、ちゃっかり貴公が席に着いているのは何故なのです?」
エメラルドは、勝手に侍女が持ってきた温かいコーヒーでお仕事中断しているゲイシャを睨む。
「まあ、いいじゃないですか。たまには俺も、お付き合いしましょう」
「良くありません。結構です。まったく……これでは女子会にはなりません」
「まあまあ、二人とも。そういえば、ゲイシャは今までお仕事だったんですよね?」
みるくは慌ただしく護衛を離れた、今朝のゲイシャの様子を思い出す。
「ああ……。そう、それね」
そういうと、ゲイシャはみるくとエメラルドの顔を見てふーっと溜息をつく。思わず怪訝な顔をしたみるくに、長い脚をだらしなく投げ出しながら男はカップの中身を啜る。
「それは終わりました。いや、終わってました。あと俺は、みるく……君に謝らなくては」
ゲイシャは苦く笑った。そして姿勢を正し、みるくを見る。
「牢獄から緊急の報せがありました。行ってみれば看守は殺されていて独房はもぬけの殻。どうやら囚人が看守を殺して脱走したようです」
「こっ、殺されっ、そんな……、謝るって!? デビルは? デビルは無事なんですか??」
「午前の内に囚人の半数以上を再逮捕した。だが、君が言う幼い囚人に該当する奴は逮捕者の中にはいなかった。引き続き部下を街に放ってはいるが、すまない――もっと早くに動くべきだった」
「そう、ですか。きっとデビルは要領のいい子だから逃げてるはず……。ただ怪我とかしてないと、いいんだけど」
ゲイシャのせいではない。みるくは取り繕うように笑顔を浮かべた。
「そう願おう。囚人のうち誰が看守を殺したのかは不明だが、殺人犯も収容されていたからな。おそらく囚人を全員解き放ったのは逃亡率をあげるためだろう」
「嘆かわしいことです。一番安全であるべき王都でこのようなことが起きるなどとは。本来、王を守るべき民がこれでは……」
エメラルドは顔を顰め不快そうに言う。
「……王国の治安は悪化している。貧富の差も大きくなるばかりだ。スラムにもなかなか手を付けられないでいる。軍も親衛隊も手が足りていない」
ゲイシャは憂うように王国の現状を嘆いている。
その様子を見て、みるくは正直驚いていた。日本から来たみるくは牢獄に入れられても理解していなかった。護衛をつけてもらっているのも不思議だった。
スラムや人殺し……そんなものが起きる、平然と起きる。身近で起きることなどとは想像だにできなかった。しかし、この世界はそういう世界であるのだと知った。元の世界よりは安全ではないのだと。
「そう嘆くこともありません。貴公も、諸侯も日夜動いているではありませんか。そして何より、お兄様が指揮を執っているのです。じき、王国は良くなっていきます」
エメラルドは朗らかに笑っていた。しかし、みるくには黙ったままのゲイシャの硬い表情が引っかかる。
みるくはその空気を変えようとして明るく言った。
「それにしても、エメラルド姫とコーヒー王子は凄く仲がいいですよね。やっぱり昔から仲が良かったのですか? みるくは一人っ子ですけど、兄弟が欲しかったので二人を見ていると羨ましいなって」
「まあ、そう言っていただけると嬉しいです。昔は、そうですね……ふふ、なんと言いましても、お兄様は姫の命の恩人ですから」
「えっ!? それってどういう……」
「実は姫とお兄様は本当の兄妹ではありません。姫の両親が事故で亡くなった時、王子であったお兄様が姫を引き取って下さったのです。それで縁あって義理の兄妹になりました」
エメラルドは笑顔で兄との思い出を語る。しかし、みるくは思っていもいない話に慌てる。
しまった。また悲しい顔をさせてしまう……。
「ごめんなさい。そんなことがあったなんて!」
しかしエメラルドには先程の話のような深刻さは無く、笑って言う。
「いえ、両親のことはもう心の整理もついております。お気になさる必要はありません」
「そうなの? それにしても、姫を引き取るなんて王子も結構優しいところあるんだ……」
「ふふ、お兄様は本当は誰よりもお優しく美しい方です。あまり昔のようにそれを表に出さないだけで。ずっと、お変わりありません」
「なるほどね。も~、姫は王子が大好きなんだねえ……」
みるくはしみじみと呟く。するとエメラルドは屈託なく頷いた。そして、堂々と言い放つ。
「ええ、もちろん! 世界で一番大好きです。でも姫はみるくお姉様のことも好きになりました。出来れば、みるくお姉様にはずっとこの真世界にいて頂きたいです」
「エメラルド姫……!!」
じ~~ん。
みるくへの好意を隠さないエメラルドに感動する。感動のあまり泣いてしまいそうだ。不細工な泣き顔を晒す前に、みるくは慌てて話を変える。
「えっと、じゃあ王子の正体は『エメマン』じゃないの?」
「はい、お兄様と姫の品種は違います。そうは言いましても、まったく違うわけでもありませんが。――我々は皆、根っこの部分では繋がっていますから」
横からゲイシャが頷き、口を挟む。
「姫様も王子も同じアラビカ種、んでもって同じティピカ系が入ってるからな。顔も似てるし。なんつーの、ホラ、あーゆー顔は」
「正統派?」
みるくは姫の顔を見ながら答える。左右対称に綺麗に整っている。黄金比というのだろうか? 収まるべく場所にズレなくきちんと収まっている。全体を見ても嫌味な部分がまったく無い。癖のない万人受けする顔立ちだ。
それに比べてゲイシャの美しさは少し違う。パーツ自体に大振りな部分があり、パースも甘い。とても癖のある顔立ちだ。しかしそれが、逆に艶っぽさや独特の個性を生んでいる。
「だろ? 俺はアラビカ種だがエアルーム系だから派手派手しい顔なんだよ。個体差があるが、だいたいティピカ系は正統派優等生なツラしてるし、ロブスタなら厳めしく地味な顔立ちが多い」
「ううーん。難しい、品種とか難しいよ。家系図みたいなものだろうけど……」
品種の違いは、元の世界ふうに言えば人種の違いみたいなものだろう。
「そこらへんは、今後コーヒー淹れる時に嫌でも詳しくなってくさ」
ゲイシャはみるくの頭を軽くポンっと叩く。
「コーヒーを淹れる? まあ、みるくお姉様。もしかして、朝の儀式の役目をなさるのです?」
エメラルドは口に手を当てて、大きな目を見開いている。困惑したみるくの代わりにゲイシャが答える。
「王子のご判断だ。まだ確定ではないが、恐らく近いうちには」
衝撃を受けているエメラルドの様子に、慌ててみるくはゲイシャに尋ねる。
「何の話ですか? 朝の儀式って……」
「ん? 王子から聞いてないのかよ。――ったく、あれほど自分で運んでおきながら」
苦笑するゲイシャは、みるくに向き合う。
「いいか、朝の儀式つーのは『目覚めの儀式』ってのが正式名称だ。要するに、皆が飲む朝のコーヒーを淹れるってことだ。みるくも今まで朝、必ず一杯のコーヒーを飲んできただろう。コーヒー種族にとってはコーヒーは食事とはまったく別の活力の源だ。国民は大抵、コーヒーを一日の中で何度か飲むが、中には貧しくて良いコーヒーが飲めない奴もいる。だから王国は朝の一杯を無償で全国民に提供しているんだ」
「えっ、そうなの? あの朝のコーヒーって、全国民が同じもの飲んでるの!?」
「ああ。今は基本的に王子が豆選びからコーヒーを淹れる所まで、儀式のすべてを執り行っている。なんせ全国民の活力の源だからな。下手な奴に淹れさせたりしたら、最悪王国が傾く」
「ヘぁっ!? そんなの、みるくには無理、絶対絶対無理――!! 第一、全国民とかに渡す大量のコーヒーなんてどうやって淹れるのよっ!? 冷めないの?」
「ああ、そりゃ『儀式の間』に施された術式がする。『儀式の間』にある台座に、一杯分のコーヒーをカップに注ぎ捧げるだけでいい。そうすりゃ自動的に、国民の持つコーヒーカップに中身が注がれるんだ」
中身のコピー? そんな便利な機能があるなんて、まるで魔法のような話だ。いや、きっと魔法なのだろう。
だがそんな重要な儀式なんて、ますます無理だ。荷が重すぎる。みるくの淹れるコーヒーが原因で、全国民が腹痛でもおこしたら大変だ。
確かにみるくは美味しいコーヒーを皆に振舞うと王子に約束したが、練習してからじゃないと無理だ。
「そんなお話、とても急過ぎではありません? みるくお姉様もお困りになると思います!」
代弁するようにエメラルドが若干厳しい口調で言う。
「まーだ決まっていないことだ。だが、これはみるく側にもメリットがある。上手くすればみるくは向こうに帰ることが出来るかもしれない」
「――!!!」
「ゲイシャ。――それはどうことです!?」
エメラルドが立ち上がりゲイシャを見下ろす。
「機密だ。いくら王国の姫とはいえ、ここから先は話せない。どうしてもと言うのなら王子に直接聞け」
「――……」
真っ向からその赤い視線を受け止める獰猛な水色の瞳。
見つめ合い――やがて皮肉気にゲイシャが笑い自らの手を翳し自らの瞳を覆った。
まるで見ていられない、というようなその仕草にエメラルドは眼を見開く。そして、唇を噛みしめ逃げるようにしてゲイシャに背を向ける。
「――みるくは王子と話をしたい。ゲイシャ、今日このあと王子と話す時間は取れますか?」
みるくは二人を見ずに言った。彼らの確執については今この場で言っても詮無いことだ。
それに発端は自分の処遇の件である。
「それは確認を――」
「お兄様は朝から大事な賓客を迎えに国境まで行ってます」
エメラルドがこちらに背を向けたまま冷たい声で遮る。
「えっ……」
「王子が国境へ? そんなこと俺は聞いていない。それは本当ですか、エメラルド姫」
すぐにゲイシャが怪訝そうな声を上げる。
「本当です。もう、城に着いている頃かもしれません。しかし王子の親衛隊長が知らないなどとは驚きです」
「客とは誰ですか?」
「さあ? それはご自分の主人に直接確認されて下さい。姫は午後より会談が入ってます。これで失礼します」
エメラルドは振り返り、ニコリとみるくに微笑む。
「みるくお姉様、またお会いしましょう。今度は邪魔の入らぬ場所で」




