帝国編 第8話 ラキネと帝国騎士。
「ただ今戻りました、ヲル様。」
それは帝国に到着してすぐに指示された奴隷の位置や詳しい内容の収集を終了させたラキネが、宿に戻ってヲルに報告している場面の事である。
「ラキネ、奴隷の情報は聞き出せたか?」
「はい。どうやらこの国の奴隷は、全て亜人種で構成されているようです。」
それを聞かれたヲル様は、無表情だが「ご苦労」とお言葉を下さる。
その言葉に対して私は喜びを噛み締めながら、その奴隷をどうするのかという疑問を不敬ながらも口にした。
「ヲル様、その奴隷をどうなさるのですか?」
その質問に対して、ヲル様は無言で【闇】を展開する。何をしておられるのか最初は理解できない私であったが、次の瞬間、その闇が近くにあったテーブルを吸収するのを見て理解する。
「闇で奴隷を回収するのですね。」
その能力は、【闇】に触れた物体の回収と保管するというもの。これはモノにのみ発動可能で、基本的な生き物には使えない仕様になっていた。
しかし冒険者組合の帰りに試してみたところ、自身の所有物は生き物だろうと回収する事が可能だったのである。
「あぁ。それでラキネには、帝国の人間を殺している間にやってもらう事がある。」
そうおっしゃって、ヲル様は作戦の全容を語った。
それはいつ頃になるかは不明としてだったが、皇帝がクレセリアに向かい戦力が手薄になった時にという条件の上での作戦だった。
その作戦の内容は、皇帝や主力が不在になった際に森にいた魔獣共を使って帝国に攻め入る。
混乱している間に私がヲル様より受け取った【闇】を使って奴隷を回収すると同時に、帝国内の資材を盗み、帝国を去るというものだ。
元々ヲル様曰く、帝国に来た理由は人間としての身分の確立と奴隷達のような戦力や知識などの調達だったようなので、この作戦が最良という事がラキネには理解できた。
「この命に代えましても。」
再び忠誠を示す私に対して、ヲル様は無表情で、しかしどこか面倒そうな雰囲気で言った。
「あぁ」
◾️◾️◾️
それから数日後、作戦が決行された。
人間の皇帝がこの国を抜けて数時間経った今、ヲル様によって使役されている殆どの森の魔物が帝国を襲っている。周りから聞こえてくる悲鳴が絶える事はなく、そこに私は幸福感を抱いていた。
センツの容姿になっている私の顔に、自然と小さな笑みが浮かぶ。
「ゴミも、死ぬと少しはマシになる。」
私が右手で短い髪をかきあげると、【闇】で隠していない紅色の魔眼が輝く。その様子は、一言で表現するならば狂人だ。
汚く、醜く、ヲル様を愚弄した、愚かな下等生物の喚き声にはどこか爽快感があった。だが、そんな事より大切な事のある私はすぐさま切り替える。
もしそれを見ている者がいたのなら、不気味さと気味の悪さを抱く事だろう。
「さて行きますか。御身をお待たせするわけには行きませんし。」
そう言って、奴隷商の中へと入っていく。
そこはうっすらとした光しかない牢獄。しかし私の魔眼は、しっかりと内部の景色を写していた。
この奴隷を守っている騎士のほとんどは魔物の対処に当てられたのか、そこにいたのは戦闘のできない人間のみ。
もちろん私は、その人間を次々に無表情で殺していく。
この牢屋とは別に、中心部にある帝城の下にも罪人の牢屋があるのだからこの国の闇はかなり深いのだろう。
そんなことを考えているうちに、一瞬で奴隷が大量に管理されている場所へと到着する。
そこには、檻に囲われた多くの亜人種がいた。
生きることを諦め、無機質になっている者。
檻を破ろうとしたのか、血塗れになっている者。
多くの傷跡を持ち、世界に絶望した者。
数多くの絶望が、そこにはあった。
しかしラキネはそれに対して興味を示さず、何の感情も抱かなかった。故に私は淡々と、迫力ある声で言う。
「聞け、亜人の奴隷。」
彼女は、ヲル様から貸して頂いた【闇】を体から外し【人化】した状態のラキネの姿を見せる。
それを見ていた奴隷からは、その異様な光景に驚愕を露わにし、同時に恐怖する様子が見えた。
「今から貴様らは、魔王であらせられるヲル様の配下となる。」
心の闇は、より強大な闇に魅せられ吸収される。
奴隷たちは何かに魅せられたように、私を、私の周囲にある【闇】を見る。
それから私は檻をまとめて壊し、自身をセンツに見せる為に使っていたものとは別の【闇】に帝国全ての奴隷を回収した。回収する際に誰一人として反抗をする事もなかったので、この作業を数十分程度で終わらす事に成功した。
順調に見えた奴隷の回収。しかし奴隷商の入り口から丁度出た瞬間、私は大きなミスをする。
第三騎士団と言っていた人間二人が、上から降りてきたのである。感覚を研ぎ澄ましさえすれば回避できたはずなのに、逆に順調すぎた計画が仇となってしまった。
センツの姿をしたラキネを見た二人は目を大きく見開くが、一秒足らずで状況を理解したヒレルが口を開く。
「…センツではないな。貴様、誰だ。」
マッシュヘアーをしているヒレルがそう言うと、二人は戦闘態勢をとってバチエトがラキネに聞こえないような声で言った。
「殺す気で行く。」
「当たり前だ、援護する」
瞬間、私の方へとバチエトが走ってくる。
そして二人が射程距離内へと入ると、私とバチエトは拳を振り上げながら吐き捨てるように言った。
「下等生物が」
「テメェ、センツをどこにやったッ!」
瞬間、バチエトが素早い速度で拳を放ち続ける。
しかしその攻撃が来る前に、私は自身を覆っていた【闇】を解除してそのラッシュを両手を使って受け流す。これは【闇】を纏うことによって、ヲル様以外は著しく身体能力が下がってしまうかりという所からだった。
バチエトのラッシュが始まって数秒。私はバチエトの拳を回避し、伸ばした状態になっている腕に攻撃を放つ。
──グキッ
バチエトの左腕の骨が折れる。
「死ね」
そう言って私は脳目掛けて拳を振りかぶっていると、バチエトは私の予想に反して怯む事なく私の頭蓋骨に向けて右の拳を繰り出してくる。
一瞬の隙を突かれた私は、なんとか持ってきた両手を使ってバチエトの攻撃を軽減させる。しかし拳の勢いで後ろに吹き飛ばされ、背後に立っていた建物の壁へと激突する。
私の頭からは少しだけだが赤い血が流れ、体には大量の瓦礫の破片が乗っている。
…御身に仕える私に!私に傷をつけやがってッ──!!!
「調子にのるなよ下等生──!?」
瓦礫の破片を意にもせず怒りを口にして起き上がるラキネに、死角からヒレルが丸い物体を放る。
その物体がラキネの視界に入ると同時に、ラキネは言葉を止めて横に避けようと動く。しかしそれとほぼ同時に爆発が起こり、周囲ではその衝撃で砂埃が舞っている。
その様子を見ながら、ヒレルは余裕そうな表情で誰に向けてかわからない説明を始めた。
「グンドラの鉱石は、空気に触れると同時に爆発を起こす。」
砂埃の中から、ラキネの体が吹き飛ばされたように出てくる。それを遠くから見据えながら、ヒレルは言葉を続けた。
「その威力は、竜の鱗をも破壊すると言われている。さぁバチエト、トドメをさせ。」
「わかってラァ」
その言葉を聞く前から、バチエトはラキネが吹き飛んだ方向に向けて走っていた。
砂埃が止んで、見えたラキネの体には大きな怪我はしていないものの少量の血が複数箇所から吹き出している。
そんな絶体絶命にも思える状況に、地面に吹き飛ばされたラキネはゆっくりと体を上げて怒りの表情を見せた。
調子に乗るなよ、ゴミ虫が。
私は先程までとは桁違いの殺意を込めた瞳を、ヒレルとバチエトへ向ける。
ラキネの近くまで迫りつつあったバチエトは、その殺気を受けて反射的に後ろへと飛んだ。
ヒレルもまた、グンドラの爆発に対して傷程度の損害しか受けていない事実に対し驚愕の表情を浮かべている。
「まさか、そんな軽傷なはずが──」
そんな驚愕を露わにするヒレルの言葉を、ラキネが上から龍のような威圧のある声を発する。
「【却下する】」
瞬間、バチエトの体がピタリと止まる。
「…なッ!?」
体を動かす事ができないバチエトは、瞬時にそれが固有能力だという事を理解する。しかし理解したところで体は思うように動くことはなく、ラキネは一言呟くと、先よりも早い速度でバチエトに向けて魔法を放つ。
「白炎の道」
「…!?」
それを見たヒレルは爆発の規模を予測して、バチエトをラキネの魔法からグンドラの爆発の威力で回避させる。
しかしラキネは魔法の直後には距離を詰めていたようで、爆発によってバチエトが飛んで行った先にはすでにラキネが拳を振りかぶる形で構えていた。
それを見たバチエトは、唯一動かせる口を使って言葉を吐き捨てる。
「この野郎が…ッ!」
それをラキネは冷たい瞳で見下ろしながら、攻撃を繰り出──
『ドンッ』
──せなかった。
ラキネは上から迫る気配を察知し、攻撃を繰り出す寸前で後ろへと回避する。
瞬間、バチエトのいた場所に何かが落ちてくる。その場所には衝撃によって生まれた砂埃が舞っていて、そこからは先まで戦っていた二人とは別の声がした。
「情けないわね」
その声を聞いた瞬間、バチエトの強張っていた表情がほんの少し柔らかいものに変わる。
「…うっせ、スレーラル」
「ヒレル、状況は?」
「人間ではない、何かと交戦中。それと、奴は『行動を制限させる』固有能力を持っていると思われます。」
それを聞いた何かが「わかった」と言ったのがラキネの耳の中へと入る。
そうして砂埃は段々と薄くなっていき、ラキネの瞳が先にはいなかった二人の人間の姿を視界に収める。
そこに立っていたのは、第三騎士団のドルスとスレーラル。
それを認識したラキネは、生まれて初めて顔をしかめた。
◾️◾️◾️
それから、数分が経った。
周囲の建物は壊れ、全壊している建物も少なくない。地面にも大量の穴が空いており、激しい戦闘があったという事は一目瞭然である。
そしてそこには、傷まみれになっている四人の人間とボロボロとなっている白髪の女がいた。
その女は意識はあるが立ち上がる事が叶わない様子で地面に伸びていたが、その他の四人は傷を追ってはいるものの全員地面に足をつき立っている。
そんな中、ドルスは倒れている女に近いて彼女の顔面手前に剣を突きつける。
「貴様は何者だ?何故、奴隷商から出てきた。」
しかし、ドルスの言葉を聞いた白髪の女は俺の言葉を聞きもせず、まるで神に向けるような口調で何かへ向けて語り出す。
「……闇は、お返しする事ができました。あなた様に、貢献する事が叶わず、本当に、申し訳、ありませんでした……」
それを聞いたドルスは、考える素ぶりをとる。
あなた様とは何か。闇とは何か。浮かんでくる疑問は後を絶たない。
ドルスが白髪の女に対して問い詰めようと彼女に目を向けると、その彼女は表情を崩し、美しい紅の瞳から涙を流していた。
「もう少しでもいいので、あなた様と、生きたかった…ッ」
それを見たドルスは、これ以上情報は望めないと諦めの表情を浮かべながら剣を振り上げる。
「死──ッ」
ドルスがその女の首を切ろうとした瞬間、攻撃の気配を察知したドルスは地面を蹴って回避しようとする。しかしそれよりも早く来た黒い攻撃に、ドルスの剣を握っていた右腕が吹き飛んだ。
驚きと痛みの表情を浮かべながらも、冷静に後ろに引くドルス。
それに対して、殺されかけていた白髪の少女は上から来た白と黒の髪をした男を見て、無邪気でどこか清々しい歓喜の表情を浮かべていた。
「あぁ、あぁあああ」
そしてドルスは攻撃をしてきた何かに目を向けた瞬間、先まであった余裕を一気に失う。
その無機質な表情を見て、その魔力を感じて。
浮かんでいた疑問が一瞬にして確信へと変わっていくと同時に、ドルスは理解する。
「……魔王ッ」
ドルスの頬に、一粒の汗が伝った。