短編 フラスコの夢03「遠い鏡像」
けれど、人通りの多い場所から外れて、静かな路地をどんどん進んで行くと、唐突に血の匂いが鼻についた。
「え?」
驚きつつも、角を曲がる。
不穏の気配に、思わず護身用に持っている剣に手が伸びるが……。
角を曲がった先にあったのは、怪我をしたステラちゃんの姿だった。
「ふぇ、す、ステラちゃん!」
傷口を抑えてその場に膝をついているのは、見間違い様がない私の友達であるステラちゃんだ。
彼女は何者かに害されたのか、わき腹から血を流していた。
「ええっ、ステラちゃんが!? ど、どうしよう」
あまりの予想外の事態に、私はちょっと慌てそうになる。
狂剣士と揶揄されるくらい強い彼女が怪我をするなんて信じらない事だったし、こんな白昼に友達が怪我をして平気でいられるほど、私は精神がタフネスしてないのだ。
ステラちゃんはこちらを見て、首を傾げるのみだ。
特に辛そうには見えない。
私はその事に少し安堵する。
「ニオ? どうしてここに?」
「どうしてここに? じゃないよ、もうっ。ステラちゃんったらもうっ、ニオにこんなに心配させちゃって、悪い子なんだからもうっ。早く手当しなくちゃ! 見せて!」
きょとんとした顔のままでこちらを見つめるステラちゃんにかけよって、気付く。
手負いの彼女の手に握られている剣には、赤い血がべっとりとついていた。
彼女が自分で自分の体を傷つけたはずはない。
ならば、その剣の血は誰の物なのか。
私は、周囲を見回して気が付いた。
「え、誰この人」
分かりにくい場所、建物の壁の近くに一人の男が血を流して倒れていた。
正当防衛?
だろうか……。
ステラが物盗りか不埒な犯罪者に襲われて、うっかり過剰に撃退してしまったのかもしれない。
だが、狂剣士などと言われている友人だが、その心はひどく繊細で、とても優しい。
彼女が進んで人を害するなどとは、思いもしなかった。
「うっ……」
倒れていた男が、うめき声をあげる。
先程までピクリとも動かなかったのだが、かろうじて息はあったらしい。
あるいは本当に少しの間だけ心臓が止まっていた事もあったかもしれないが、ニオには分からない事だ。
あんまり味方したくはなかったが、息があるのなら助けないわけにはいかない。
病院に運び込んで、悪い事をしてたというのなら、一発ビンタでもかましてあげればいい。
けれど、それを見たステラは意外そうな顔で呟く。
「あら、生きてたのね」
彼女はそして、不思議そうな様子で、剣を持ってそして立ち上がった。
倒れている男めがけて、剣を構えて……。
「ステラちゃん?」
さらに、切りつけようとしていた。
このままでは、正当防衛の域を越してしまう。
いくら何でも、ステラはそこまで情け容赦のない性格ではないはずだ。
というよりむしろ、甘い方だと言っても良い。
そのはずなのに。
そこで慌てて私は言葉をかけた。
「え、ステラちゃん? 何するの? 冗談だよね?」
私はそう問いかけるが、ステラちゃんは逆にどうしてそんな問いかけをしてくるのか分から無いと言った風だった。
「どうして止めるの? これが私のお仕事なんだから、この人をちゃんと殺しとかなきゃ駄目じゃない」
「……」
言葉がなくなったニオの様子を見て、首を傾げる彼女は、私が言った疑問の解決を先送りするようだった。
再び男の方を向く。
しかし、友人をまさかの人殺しにするわけにもいかずに、私は慌ててその腕を掴んだ。
唐突におかしな状況になってしまった。
いったいこれは何なんだろう。
どうしてこんな事になっているのか、分からない・
何か根本的なところでボタンを掛け違えているような、そんな気持ちの悪い違和感を抱えながらも、このまま見過ごすわけにはいかないので、私はステラちゃんに声を駆け続けるしかない。
「だ、駄目! ステラちゃん、それは駄目だよ! その人が何をしたか知らないけど、殺しちゃったら駄目だってば」
けれど、ステラちゃんには自分が何をしようとしているのかその実感がないらしい。
実感がない、のだろうか。
本当に?
それそらも判断がつかないが、ニオはとにかく友人にやろうとしている行為をやめさせようと、言葉を尽くすしかない。
「ちょ、ちょっとニオ。どうしちゃったの? 貴方変よ。大丈夫?」
「変なのはステラちゃんの方だよ! ニオ、普通だもん!」
私は腕を掴んでステラちゃんから剣を取り上げようとするんだけど、ステラちゃんは頑なに手放そうとしなかった。
一何があったのか分からないけど、ステラちゃんは今おかしくなっている。
私が知っているステラちゃんは平然とこんな事をする人ではないはずだった。
だから、その原因が分かるまで剣を取り上げようと思ったのだが、彼女はこちらが本気だと分かるやいなや、必死に抵抗してきた。
「駄目よ、やめて。ニオ、離して。どうして私の邪魔をするの!? ニオは、私の友達なんじゃなかったの? 私のすること手伝ってくれるって言ったじゃない!?」
「友達だったら、こんな事手伝わないもん、ステラちゃん、お願い。目を覚まして」
「ニオ!」
「やだ!」
これではどちらが我が儘を知っているのか分からない。
「この人は……こいつは私の大切な彼の邪魔をしてきた。だからここで息の根を止めておかないと! どうしても、復讐しないといけないのよ、私の大事なものの為に!」
「え……?」
聞こえて来た言葉に、腕を掴んていた力が緩んでしまう。
拮抗した状態の中で、そんな事をしてしまったのだから、その後は分かり切った事だ。
体勢を崩して、私はその場に尻もちをついてしまう。
「わっ、いたた……」
「どうして……、今更私の邪魔をするの、ニオ!」
「す、ステラちゃん……」
こちらを見下ろしているステラちゃんを見上げると、見た事がない顔をしていた。
顔をしかめて、悲しそうにしながらも何かに激しく憤っている可能な。
そんな顔だ。
剣を手放したステラちゃんは何かに驚いているようだった。
目を見開いて、体を震わせている。
彼女の視線を追っていくと、そこにはツヴァイ先生がいた。
「ツヴァイ先生?」




