2.ある世界で
闇夜の中、どこかの騎兵七千が城壁へ近づこうと駆ける。その時、神鳴りが落ちたかのような轟音とともに、地が割れ、足場が崩れ、岩石が宙を舞う。馬は倒れ嘶き、騎乗する兵もろ共、地割れに飲み込まれ、あるいは、岩盤の下敷きとなった。
一瞬にして、七千の軍は半壊した。後方に位置していた残りの兵達は、何が起きたのかわからず、ただ混乱し、逃げようとしたが、騎馬は激しく暴れ、御すことができない。
そして、次の瞬間、兵達は見たのだ。雲間から差す月光に照らされたものを。
彼らは、なぜ目の前に山があるのかわからなかった。そして、それが、生物だと気付いた時には、もはや手遅れであった。人も、馬も、例外なく次々に宙高く刎ね飛ばされた。
山と見まがう巨大な生き物は、背に黒鋼の鬣、尾は鯨、頭に四本の角をもつ熊のような姿をしていた。
「これが、鋼月なのか…」
騎馬隊の将は、茫然と心の中つぶやく。
その間にも、巨大な魔獣は、雄叫びを上げ、牙と爪で、手当たりしだい兵の命を刈りつづける。
撤退の号令は叫び続けられているが、いまだ馬の自由がきかず、多くは落馬し、馬と人に踏み殺された。
さらに、城壁の鉄門が上がり、敵の騎兵が突撃しようと迫ってくる。
もはや手近の者のみ連れ、自陣に向け必死に馬を巡らせる。このあり様では、敵兵の攻撃で、自軍が壊滅するのは確実であった。鋼月をおびき出す算段だったが、完全に失敗したのだ。その力、恐ろしさを完全に見誤った。
城門より出でた、白金の甲冑を身に纏った少女が、突撃の号令をかける。鋼月が暴れ捲ったおかげで、敵の残兵は一千もいないだろう。その兵も負傷、混乱しており、潰滅させるのは時間の問題だ。
「綱鶴様、敵大将は、少数の手勢を連れ、逃げた模様です。」
「放っておけ。ここを掃討する。」
側近らしき女に綱鶴と呼ばれた少女は答えながら、逃げようとする敵に回りこみ、白刃一閃、手に持つ偃月刀で斬り倒した。
突然、鼓膜が破れるかと思うほどの轟音があたり一帯に響き渡り、時が止まったように、その場にいた者達を竦みあがらせた。
鋼月の咆哮である。
大地を四肢で踏みしめた、その腹のあたりに、真下から何かが喰らいついていた。後肢で立ち上がり、前肢をそれに叩きつけ、引き剥がそうとするが、その牙は離れない。
長い髭のような触覚、ひし形の黄金色の頭が、沼のような影からのびている。
鋼月は跳びはね、暴れた。影から黄金の頭とともに、体があらわれる。
巨大な蛇か龍のような、太く長い體がひきずりだされると、鋼月に巻き付こうと蠢く。地響きとともに、鋼月は回転し、その長い胴に喰らいつき、また回転する。
形成は、鋼月が圧倒していた。
そのまま続ければ、大蛇は堪えきれず牙を解き、頭を噛み砕かれただろう。
だが、鋼月の視線がとまり、牙を弛めた。
綱鶴達の姿がどこにもなくなっていた。
その瞬間、大蛇は尾を鋼月の首に絡ませると死にもの狂いでひき倒し、影へ潜ろうとする。鋼月も踏ん張ろうとするが、足元いったいが影の沼と化しどんどんと沈んでいく。
やがて、山のような鋼月の体躯が、底なしの沼に完全に消えた。
後には、一切の人影も何もなく、静寂だけが残った。




