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レゾンデートル・オン・ザ・ムーン  作者: 伊豆泥男
第1章 神にとっては小さな一歩、人にとっては大きな一歩
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第5話

 月面直撃の直前、すんでのところで機器は直った。


 落下の衝撃は八割ほど軽減された。何本か骨は折れているだろうが、俺も妹も死んではいなかった。妹はまだ目覚めないが、そのうちに起きるだろう。ホッとため息をつく。よかった。諦めなくて本当に良かった。


 軋む体に鞭を打ち、起き上がって周りを見渡す。地面との激突で巻き上がった土煙で鮮明には見えないが、どうやら荒野のような場所に落ちたらしい。幸い、神からの監視は薄そうである。遠くに見える山の端には、地球が沈もうとしていた。


 そして、土煙がおさまった中にあったのは――ユダの姿であった。


「あれ、二人とも生き残っちゃったんスね。これは予定外」


 ぬけぬけと言うユダ。飄々とした態度は、まぎれもなくユダのものだった。いつの間にかすり替わっていた偽物、とかではない。


「ユダ……お前、どうしてカグヤを撃った」


「そんなの決まってるじゃないっスか。妹さんを殺すためっスよ」


「だから、どうして殺そうと――」


「ボクらの月に、その女みたいなのは要らないんスよ」


 悪びれもせず、表情も変えず、ユダは言い放った。


「待てユダ。お前今、『ボクらの』って」


「順序を追って説明するスね。お察しの通りボクは、もともと月の存在っス。ある目的のため月から地球に降りてきたんス」


 雷に打たれたような衝撃が、脳天からつま先に突き抜ける。


 ユダが、月の存在? そんな馬鹿な。こいつとは二年前に、地球の学園施設で出会っている。経歴も聞いた。それは間違いなく地球人としてのものだったはずだ。その時から今まで、俺は騙されていたということか。


「ショックっスよねぇ。騙してたことについては、申し訳ないと思ってます。実は身分を偽って、地球人として潜入してたんすよ。元々、センパイが月に無事つけばばらすつもりだったんスよ。こんな形になってしまい、ボクも残念に思ってます」


 脳内が疑問符で溢れかえる。もともと月の存在だったユダが、わざわざ地球まで降りてきてまでしたかったこととは何なのか。それが、妹を殺そうとしたことと何の関係があるのか。


「本来の計画なら、センパイが無事に月に着地して成功だったんス。センパイみたいな地球人を、月の神の座に祀り上げる。それがボクのやりたいことでした。それなのに、余計にカグヤとかいう妹がついてきた。だから殺そうとしたんス」


「そん、な」


「二十八世紀に、人類が月に移住し始めたことは知ってますよね。地球に住む人間、通称『地球人』と、月に住む人間、通称『月の神』とで二つに分かれた。その時、どういう基準で分けたか知ってますか?」


 俺は小さく首を横に振る。俺も人類の歴史を知る中で、気にはなっていたところだった。人類の転換期。そのまま地球に住み続ける地球人と、月に移住する神の二つの派閥に、人々が分かれた時だ。しかしその基準は、文献やデータには残っていなかった。国籍にも人種にも民族にも宗教にも、共通点は見られなかった。


「それはですね、『自分で道を選べる人間か否か』なんスよ」


 ユダは静かに言った。


「自分としての哲学があって、自己としての意識がある。そういう、アイデンティティが確立した人間が、生きるべき、人類の未来を担うべき存在として、フロンティアたる月に住むことを許されたんス。そして、目的も意味もなく、ただただ無為に生きているだけと判断された人間は、月に選ばれた人間を、『贄』という形で援助するんス。引き換えに、幸福で安心で安全な、二十歳までの人生が約束される、っていう寸法ス」


 俺の信じていた世界が、音を立てて崩れた。地球にいる人間が、不自然なほど生に執着しなかったのはそういうことだったのか。船内にいた、アルバートをはじめとするみんなが、死をすんなり受け入れていたのには、そういうからくりがあったのか。行きたいという意思を持たない人間だけが残され培養されたのが、地球という星だったのだ。


「しかしそれでもたまに、地球にも生きる意味を見つける人間が現れる。センパイのような、っスね。そういう人間を拾い上げて月に連れてくるのが、ボクの使命というわけっス。だから、妹さんは要らなかった」


 それならば、脱走作戦が不自然なほどうまくいったのにも合点がいく。月の側の存在であるユダが、様々な調整を施したのだろう。


「もちろん、全部手助けしたら意味ないんスよ。自分で道を選ぶ覚悟と、あとそれに見合う度胸も持っているか確かめたかったんス。もちろん、先輩は合格、そして妹さんは――不合格ス」


 ユダは再び、懐から小型銃を取り出した。


「じゃあ改めて、妹さんには死んでもらうっス」


 へらへらとしながらも、その声の芯はぞっとするほど冷たかった。


 妹を、カグヤを、殺させるわけにはいかない。ユダの言い分は分からないでもない。月と地球のシステムがユダの言う通りなら、確かに生きたいという意思を持たないカグヤは月にいていい存在ではない。ユダが殺そうとするのも理解はできる。


 しかし、俺はカグヤを死なせたくはない。こいつは俺の、たった一人の家族だ。


「そんなことは、させない。カグヤの生きる理由は、これから俺と一緒に探すんだ。だから、見逃してくれ。こいつもいずれ、生きる意味を見つけられるから――」


 撃たれた直後のカグヤの目を、俺ははっきりと覚えている。死が眼前に迫ったことにより、彼女は明らかに「生きたい」という意思をあらわにした。それは地球にいたころの、無気力な彼女とは明らかに違うものだ。それはすなわち、カグヤにも生きる意志が芽生えたということだ。


 しかし、ユダは聞く耳を持たない。


「んんー、ダメっス。月が選ぶのは、二十歳までに自我を確立した人間のみっス。この、月に出荷されるまでの二十年間は、育成期間であるのと同時に、モラトリアムでもあるんス。執行猶予は、もう過ぎたんそれスよ」


 それでも俺は、妹をかばいユダに立ちふさがる。重力反転機器を破壊された時の妹の目は、確かに生きたいと訴えていた。誰であろうと、それを踏みにじることは許さない。


「カグヤを殺すというなら、俺を殺してからにしろ。お前が引き金を引いたなら、俺も重力反転機器を最大まで作動させ、空に身を投げ自殺する」


 月にとって、きっと俺は失いたくない存在であるはずだ。地球にいたころ、自分とユダ以外に贄を拒む人間には会ったことがない。つまり俺のような意志持つ地球人は、相当レアなケースなのだろう。そんな俺が死ぬことは、月にとっても避けたいことのはずだ。俺の命を人質にすれば、ユダも焦らざるを得ないはずだ。そこから、交渉の糸口を――――



「そうすか残念ス。じゃあ殺しますね」



「え――――?」


 俺の思惑を見透かしたかのように、事もなげにユダは俺に銃口を向け、弾丸を放った。銃弾はごく自然に俺の胸に吸い込まれ、心臓を貫いた。真っ赤な鮮血が飛び散る。口内に鉄の味が広がる。


 俺は膝から崩れ落ちた。分からない。いったいどうして、ユダは俺を撃てたんだ。俺を月に連れてくることが、奴の目的じゃなかったのか。俺を殺してしまえば、元も子もなくなってしまう。そこまでして、妹のような生きる意志を持たない者を排除したいのだろうか。


 意識が薄れ、視界がぼやける。ユダは倒れ伏す俺を段差か何かのようにまたぎ、カグヤに手を伸ばす。


俺は、自分の死については後悔していなかった。ただ一つ、妹を守れなかったことが、悔やまれてならない。妹も守れないなんて、兄貴失格だ。



 せめて死ぬ前にもう一度、カグヤの「生きたい」と訴える目を、生きる意味に気づきかけた彼女の姿を、もう一度見てみたかった――――――――

第6話の投稿は、2/19を予定しています。次話で第1章は完結する予定です。

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