第2話
西暦二千年代と違って、今の地球人は二十年でその生涯を終える。地球で生まれた人間は、どうあがいてもそれ以上は生きられない。二十歳を超えた人間は、月の神さまにその肉体をお返ししなくてはいけないのだ。いわばこれは等価交換。二十年間不自由なく生きられる代わりに、それ以降は月の神さまの好きにされるのだ。
地球人はみんな、それでいいと考えていた。昔よりも寿命は短くなったが、しかし濃密な時間を過ごせるのだから。神さまが私たちに求めるのは、健康な肉体と健全な精神である。そのため私たちには、十分な食事、適度な運動、適切な教育、過不足ないストレスが月から与えられる。そうして二十歳まで育てられた私たちに、月の神さまたちは自身の記憶を移すのだ。
私たちには理解できないことだが、神さまは不老不死を求めているらしい。永遠に、万全の肉体のまま生きながらえたいと考えているらしい。私たち地球人は、そのための器なのだ。神さまが永久を生きるために乗り継ぐ、使い捨ての一つに過ぎないのだ。しかし、私たちはそれでいいと思っている。神さまが生きたいと思ったからこそ、私たちは生み出されたのだ。もし神さまが死を受け入れる存在だったのなら、私たち地球人は生まれてすらこない。だから私たちは、神さまの営みの中の一部となれることを喜び、誇りに思うべきなのだ。
しかしそれでも、兄さんは譲らない。
☆
「思ってたより警備ザルっスよ。これなら脱出も、案外簡単かもしれません」
簡単な机と椅子、ベッドしかない独房のような居室。そのベッド下からひょっこりと顔を出したユダは、偵察の結果をそう報告した。まだ福音丸が出航してから一日も経っていないのに、この広大な船内をあらかた把握したようだ。忍者のような奴である。その優秀さをかって、まだ二十歳にもなっていないこいつをこの船に密航させたのだが。
「ただまあそれはあくまで、脱出するのがボクとセンパイだけならの話っス。妹さんを説得して連れていくというなら状況は変わってくるっス。月に突入する際に通信が遮断される時間は、大体三十分程度でしょう。そんな短い時間で、センパイが妹さんのいる船内居室女子区まで行くのは、あまり現実的とは言えないっスね。自由に動けるボクだけならともかくですが、ボクじゃあの人はたぶん説得できません」
「三十分か……確かにそれだと難しいかもしれない。ザルと言っていた船内の警備は、具体的にはどんな感じなんだ?」
「侵入する前は、もっと警備ロボットがうようよしてると思ってたんスけどね。操縦室前くらいにしかいませんでしたよ。カメラさえ何とかすれば、自由に行動できます」
さすがにいつまでもベッドの下に隠れているのも窮屈だと感じたのかユダは、するりと抜け出し椅子に座る。そしてベッドに腰を掛けている俺と、目線を合わせた。居室の監視カメラには、ダミーの映像を挟み込んであるので安心だ。
ユダは長い髪についたほこりを払いながら言う。
「そもそも月の神たちは、地球人が脱走したり反乱を起こしたりすることを、はなから考えていないように感じましたね」
考えてみれば、それもむべなるかなというものだろう。地球の人類は全て、二十歳で神に命と体を捧げることを使命として生きている。地球の人類は贄になるために、もっと言えば死ぬために生きている。そんな神に心酔しきった地球人が逆らうなんて低い確率に、力を割くのは合理的ではないのだろう。そしてそれは俺たちにとっては、チャンスだ。
「それなら、念のためと持ち込んだジャミング装置があったろう。あれを福音丸の通信拠点に設置しよう。守りが薄いなら簡単だろう。通信を妨害して、自由に動ける時間を三十分から一時間にまで伸ばすんだ。そのくらいあれば、説得もできる」
俺の言葉に、ユダは大きな目をさらに丸くし口をぽかんと開けた。
「正気っスか。持ってきたジャミングは、あくまで小型の携帯端末とか監視カメラにしか使えないやつっスよ。到底こんな大型宇宙艦船のぶっとい通信を遮るなんて……」
「応用すればできないことはない。メインの電波ではなく、細いが重要な通信を妨害する。船自体の機能に介入して、侵食して妨害するんだ」
「その応用が大変だって言ってるんスよ。手持ちのを魔改造するにしたって、必要な部品が多すぎるっス。いくら手先の器用なセンパイだって、モノがなければ何もできない……ハッ、もしかして」
ユダは何かに感づいたようで、勘弁してくれとでも言いたげなな表情になる。
「そのもしかして、だ。お前には福音丸を駆け回って、その必要な部品を集めてきてもらいたい。疑似重力場発生装置をはじめ、この船には高度な技術が至る所に使われている。そこからいろいろ、くすねてきてほしい」
「無茶を言いますね先輩。そもそもボクは、本来この船にいないはずの人間なんスよ? そんなに大々的に動けないことは分かってますよね? しかも三日しかないんですよ? 優秀なボクでも、出来ることとできないことがあるっス」
大きなため息をついたユダは、俺の目をじっと見つめて、言う。
「そこまでして、妹さんを逃がしたいんスか?」
突然投げかけられた根本的な問いかけに、一瞬言葉に詰まる。その隙をつき、ユダは重ねて畳みかける。
「だって妹さんは、逃げたいと思ってないんでしょう? ボクやセンパイと違って、神に肉体を捧げることに疑問を感じていないんでしょう? だったら、助けなくてよくないですか。そのまま神のものになった方が、妹さんには幸せだとボクは思うんですが――」
一瞬何も言えなくなってしまった俺だったが、しかし、その言葉だけは聞き捨てならなかった。
「そんなことはない。神のものになった方が幸せだなんて、そんなことは絶対にない。例え神に心酔している者だろうとも、自分の意志でなく死んでいくなんて、そんなことは絶対に許されない」
二十年連れ添った俺にはわかる。妹は、自ら好き好んで死にに行くのではない。ただただ、それが決まりだから、周りがそうするから、神に自分を捧げようとしている。そこに妹の自由意志は、ほとんど存在しない。
「だから俺は、妹も助ける。できるなら、他の意思なく死んでいく奴らも助けてやりたいが、脱出できるのは全部で三人が限界だろう。だから、協力者であるお前と、俺の最も大切な人間である妹と一緒に、神の手から逃れたいんだ」
俺の弁に、ユダは根負けしたようで。
「あーわかりましたよ! センパイが一度決めたら曲げない人だってことは、二年前に知り合った時から知ってます。だからこそ、センパイと一緒に逃げたいから、一年前倒ししてこの船に乗ったんですから。乗りかかった船、ってやつです!」
面と向かって言われると、さすがに俺も赤面してしまう。こいつを協力者として選んだのは、間違いではなかったのだと感じた。
「じゃあ、とりあえず月到着までの三日間、ボクはジャミング魔改造のための部品を集めるっス。先輩は脱出のための算段を立てるのと、装置の組み立てをするって感じでいいんすね」
「ああ。よろしく」
「まったく! こんな無茶につきあう後輩は、地球にも月にもボク以外いませんからね! そこしっかり覚えておくように!」
そう言い切るとユダは、俺の股下をするりと通り、ベッドの下に潜り込んだ。おそらくどこかの小さな通路や通気口に繋がっているのだろう。本当に忍者かスパイのような奴である。
ユダは作戦を考えることと、装置の組み立てることが俺の仕事だと言ったが、もう一つしなくてはいけないことがある。それは、妹の説得について考えることである。
あの、自分の命について、なんの執着もない愚かな妹を、俺はどう説得すればよいのだろうか。どうすれば彼女に、自分の意思を持たせることができるのだろうか。彼女は自分の口から、「生きたい」と言ってくれるのだろうか。
すぐに答えが出る問いでもない。今日は情報収集で疲れた。宇宙船には昼も夜もないが、しかし窓の外は真っ暗だ。作戦前に睡眠をとることも悪くないだろう。俺はそのままベッドに倒れこみ、間もなく寝息を立てた。




