第1話
「あーやっと着いたー。ったく、何で九月も半ばに入ってるって言うのにこんなに暑いのよ。このままずーっと、ずーーーっと暑い日が終わらなかったりして」
夏の暑さが街中に残る中、新米主婦の甲斐瑞は羽を伸ばしに街へ来ていた。
「そっれにしても夏休みはもう終わってるっていうのに、何でこんな真昼間から制服姿の子たちがいるのかねぇ……。お前ら学校行けー! ……って言えたらどんなにスッキリするか。あーダメダメ。 何だか最近ちょっとしたことでイライラしちゃうな。 私も高校卒業して九年経つのか。早いなぁ。……まあいいや、早くデパート入って涼も」
瑞穂はデパートへ入ると、真っ先に一番上の階を目指した。別に用事があるという訳ではないのだが、デパートへ来ると必ず最上階から見て周るのだ。
最上階の九階では音楽関係の商品を扱っている。DVDやCDを始め、今ではめっきり見なくなったカセットテープまで販売してある。瑞穂は、先程買ったアセロラジュースを飲みながら、品定めを始めた。
「あ、新曲出てるじゃん。ラッキー。あ、こっちも。たまにしか来ないからいつもまとめ買いになっちゃうけど、家事頑張ってるからいいよね」
CDショップで買い物を済ませると、次は八階へ下りる。
八階では電化製品が売られている。テレビ、コンポ、DVDプレイヤー等、様々な商品が棚に陳列されている。瑞穂はその中でもパソコンを見るのが好きで、買いもしないのに必ず立ち止まってしまう。
「はぁ、いいなぁ。欲しいなぁ。でも高いなぁ。……ってそう言えば最近、店員さん全然寄ってきてくれないなぁ。いい加減私が買わない事を悟ったのか? それともこの前、パソコンの画面に『私を買って!』って打ちこんだのがまずかったのかな?」
その後、散々パソコンを見あさったが、結局購入する素振りすら見せず七階へと下りた。
七階では主にゲームを売っている。瑞穂はゲームとは疎遠の生活を送ってきたが、この階へ来ると子供たちの楽しそうな顔が見られるので、備え付けのベンチで休憩しながらその光景を眺めるのが好きなのだ。
しばらく子供たちのはしゃぐ姿を眺めると、次に六階へ向かう。
六階はメガネやコンタクト店のテナントが多く入っている。瑞穂は幼少の頃から目が悪かった為、コンタクトを使うようになった今でもメガネ屋を覗くのが癖になっている。
六階へ下りる途中の踊り場のベンチでは、子供たちがポータブルタイプのゲームをしていた。
「お、楽しそう。……今ではもう家でゲームをする時代じゃなくなってきてるのかなぁ」
その子供たちを見ながら階段を下りていると、瞬間、足の接地感が無くなった。
「あ、やば! うわぁ!」
踏み外したのに気づいた時は既に遅く、そのまま瑞穂の体は踊り場まで転げ落ちた。
「痛ったー。お腹打っちゃったみたい。……って、あれ!」
瑞穂は目を開けると、そこには奇妙な光景が広がっていた。先ほどまで明るく賑わっていた店内は、一瞬にして真っ暗で誰も居なくなってしまっていた。
「……うそ、何で? 閉店時間? 誰か、いませんかー?」
瑞穂の声が不気味に反響すると、そのまま暗闇に呑みこまれていった。誰もいそうにないので、そのまま階段を下り五階を目指す事にした。
「まったく、私が倒れてる事に誰も気付かなかったのかな? て、あ、あれ!? 扉閉まってるじゃん。うそー!」
五階への階段を下りる途中、踊り場からフロアの方を見下ろすと、防火扉が閉じていているのが見えた。
「ってことはエスカレーターからじゃないと無理じゃん。めんどくさいなー」
防火扉を恨むように睨みつけ、階段を上り六階へと戻った。エスカレーターを目指し歩いていると、どこからか声が聞こえた。
--先生、どうかお願いします。
「え、誰? 誰かいるんですかー?」
瑞穂はその声の方へ行き色んな場所を捜してみたが、人がいるどころか気配すらしなかった。
「まさか幻聴? あまりの静けさに耳がおかしくなっちゃったのかな。早くここから出なきゃ……」
人捜しを諦めて、エスカレーターを目指す。歩き始めてすぐ、また人の気配を感じた。そちらに目をやると、そこには小学一、二年生くらいの女の子が立ちすくんでいた。
「あ、あなた何してるの? お母さんは? お父さんと来たのかな?」
瑞穂が何を聞いても、女の子は口を開かない。それどころか、どこか遠くを見つめたまま全く反応しない。
「……この子、どこかで見た事ある。近所の子だったかなあ? 思い出せないけど、絶対に見た事ある。
それにしても困ったな。ここに置いて行くわけにもいかないし。うーん……ねえちょっと」
瑞穂が女の子の体に触れると、体をビクッと縮こませその場に崩れる様に倒れ込んでしまった。そして尻もちをついたまま、またどこか一点を見つめるだけで動かなくなってしまった。
「おーい。お姉ちゃん行くけど、一緒に行く? ……何とか言ってよー」
それから何度か女の子をつついたり喋りかけたりしたが、結局何の反応も無かった。
このまま放っておくわけにもいかないので、瑞穂は女の子を立たせようとした。が、女の子は全身の力が抜けきっており、立たせようとしてもすぐに膝から崩れてしまう。腕にも力が入っておらず、まるで人形を扱っている様な錯覚に陥ってしまう。
「この子、もしかして全身麻痺してるんじゃ? 一体何があったのかしら。まあ、何があったかは分からないけど、仕方がない」
瑞穂は持っていたバッグを肩にかけると、女の子をおんぶした。女の子は想像していたよりも遥かに軽く、まるで赤ちゃんをおんぶしているのではないか? と思うほどに軽かった。
エスカレーターまで来ると、瑞穂は目を丸くした。エスカレーターの下方に、見た事のない妙な扉が腰を据えていたのだ。
「ちょっと、何よこれ」
その扉はとても大きく、横幅はそうでもないのだが、高さは天井についてしまうのではないだろうか、と思える程に高い。そしてその扉には、布で目隠しをしている美しい女性の彫刻が施されてあった。
「何だろうこれ。何かのイベントのモニュメントかな?」
その扉は、瑞穂が軽く触れるだけで開き始めた。と、途端にその隙間からものすごい量の光が溢れてきた。
「う、うわぁ! あ……ああ、閉じちゃった」
扉は音も無く閉じてしまった。突然の出来事に、触れていた手をとっさに離してしまったのだ。瑞穂は一度エレベーターを上がり、女の子をエレベーターの手前に寝かせた。
「何だかこうして見てみると、本当に人形みたい。……生きてるのかな?」
女の子はまばたきはするものの、胸に耳を当てても心音が聞こえなかった。
「……。き、きっと、心音が弱いだけよね。子供の心音って聞こえ辛いって言うし」
女の子の頬をそっと撫でると、再び扉の前へ立った。そして扉に触れると、扉はゆっくりと眩い光を溢れさせながら開いた。
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