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日常賛歌  作者: しろくろ
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第九十一話 盾を貫くその日の前に

 本来は八十話の続編になる筈だったものを、導入だけ書いてずっと放置していました。


 それを改編しながら完成させ、ある種の在庫処分めいた投稿をしたのが今回ということになります。

「ストライキを、起こそうと思います」


「……はい?」


 ある早朝のことだった。満たされた少女は悠然と佇み、満たされぬ少女は憮然と口を尖らせる。


「ですので、しばらくお世話になります」


「……お世話になるって、うちに宿泊でもするつもりですか?」


「それ以外に何がありますか」


 とりあえず、これから人様の家に宿泊させてもらおうという人間の態度ではないことはわかった。


 満たされた少女こと織崎紫音がため息混じりに見詰めた先には、満たされぬ少女こと月島奈央の姿。


 いつもと何ら変わりのない、退屈な日々での僅かな歪み。そんなものが存在したのかもしれない。


 紫音が見た少女の姿は、何処か暗闇に浸るかつての自分のようであった。


「……それはストライキではなくプチ家出とかそんなんでは?」


「ストなんです!それもプチじゃありません!」


 あんまり面倒くさいのでプチ鬱になりそうな気持ちを抑え込んで、とりあえず紫音は状況を整理することにした。


「……つまりは、遥人さんの態度が気に入らないので共同生活という『常務』を放棄します、というストライキなんですね?」


「そうです!さすが紫音さんは話が分かりますね!」


「……早朝6時から延々と愚痴を聞かされてもう二時間ですから」


 嫌でも話が分かるようになるわ、と半ば投げやりに答えた紫音。


 朝から憮然としていた奈央がようやく頬を緩めたことに関してだけは、収穫だったとは思えるのだが。


 ただ、今はなにより、月島奈央ともあろう者がそんなことを説明するのに二時間もかけるということが異常に感じられた。


 彼女の思考は、多少無理矢理な部分はあるものの、基本的にも応用的にも理路整然としているのが常であった。


 それが、愚痴やらなんやらばかりの無駄口を叩くこと早二時間。その意図がようやく伝わったのはまさに今。


 ……おかしい。


 素直にそう感じずにはいられなかった。彼女らしくないことの積み重ねが意味するのは、論理の破綻に他ならない。



「……そうです、破綻しています。貴女が本来掲げて来た理念と要求に対して、それは真逆で対極の欲求に他なりません」


 ずばりと、脆い部分に刃を突き刺すように。今の彼女の論理と心は、私でも簡単に気づけるくらい大きな破綻を孕んでいた。


「そっ、そんなことありません!私は真央ちゃんを盗られたことに怒っているのであって、これは今も昔も変わらない理念です!」


「……そういうのは、今も昔も変わらない『私怨』と言うんですよ」


「うっ」


 何も言い返せまい。今のこの娘は弱いから。私に現実と真実を突きつけてくれたあの聖夜とは比べ物にならないくらい、弱いから。


「……脆いものですね。ただ一つだけを愛し、それ以外の全てを捨てることで得た絶対的な意志の強さ。差し迫ってくる好意と込み上げてくる愛しさを前にして、その強さを持ち続けることはできないでしょう」


 珍しくも長い台詞。演劇でもあるまいに、私は噛まないようにと馬鹿げた注意を払っていた。


「……真央さんを奪った彼を憎む気持ちと、そんな彼に惹かれている事実。自分の中の矛盾を認めなきゃ、貴女はいつまでも苦しみ続けることになりますよ」


「そんなの、知りません。例え私の中にそのような気持ちが混濁していたとしても、その矛は盾に対してあまりにも脆い筈です」


 強情も甚だしい。その矛は今、貴女の盾を傷つけて揺らす。破られるのは、最早時間の問題。


「―――怖いのね。ほんとのほんとに、彼のことが好きだと認めてしまうのが」


 怖いのね。二つを愛して護りきる自信がないから。妹だけを愛して、他の物は心に入らせない。そうすることで、なんとかただ一人を護ってこれた今までだから。


「怖くなんかありません!そもそも、どうして私のストライキに彼を好きだの嫌いだのが関わってくるんですかっ!甚だ疑問です!」


「……臆病な子供は皆そう言います。そして、年頃の女の子の情緒不安定の原因など、大差はありません」


 私が、突き詰めていけばそうだったように。消えていこうとした私を引き留めて苦しめたのは、他ならぬ彼の存在だった。


「……構って欲しいなら、そう言えばいいんです。貴女の愛して止まない妹さんのように、正面からぶつかって甘えればいいんです」


「だから私は……って、もういいです。紫音さんを頼った私が馬鹿でした。まったく、愛だの恋だのなんて本当にくだらない話です」


 根は女の子らしい女の子である彼女の台詞とは思えない言葉。素直じゃないのも可愛いけど、ここまで来ると病的だ。


「……それならいったい、貴女は彼にどうして欲しいんです?」


 半ば嘲るようにして、私は彼女に挑戦状を叩きつけた。今の奈央さんなら、どんな言い訳をしても看破できる自信がある。


 だいたい、彼女は今日ここに来た時点で、既に敗北を決定付ける説明をしていたのだ。


「……彼の態度が気に入らない、と。貴女はそう説明しましたよね?」


「あっ……」


 今更遅い。何もかもが手遅れ。圧倒的な正論を前にして、小癪な言い訳など無意味に等しいのだ。


「それはほらっ、あんちくしょうの差別行為が気に入らないのであって!真央ちゃんには下心丸見えにベタベタくっつくのに、私にはまるで腫れ物を触るような態度なんですよ!」


 それはほら、実際に腫れ物以外の何者でもないから。なんて、この場で言ったらきっと癇癪を起こすのでしょうね。


 そういうの、可愛いから私は好きだけど。彼もきっと、ほとんどは同じ気持ちの筈で。


「……でも、貴女は言ってましたよね。『私に構う暇があるなら、もっと真央ちゃんを大切にしろ』って」


「いっ、言いましたよ!?言いましたとも!それが何かっ!?」


 開き直ってしまえば、敵なんかいない。それはきっと、愚かで身勝手な妄想です。正論は、どんな盾をも貫く鋭利な矛となるのだから。


「……それは、矛盾ですよね?それなら貴女は、選ばなくちゃいけません。彼にどうして欲しいのか」


「ど、どうって」


「真央さんといちゃいちゃしていて欲しいのか、自分を構って欲しいのか。その二者択一です」


 これは少し……いや物凄く、卑怯で残酷な選択肢だろう。どちらを選んでも、彼女は苦しまなくてはならないのですから。


 でも、絶対に言えないでしょう?


 大切な妹を、どうぞ貰ってくださいだなんて。


「……ああそうです。加えて言うなら、その選択は私への宣戦布告にも成り得ますので注意してください」


「どっ、どうしろって言うんですかっ!」


「……さぁ?私は、貴女が幸せになれる道を選んでくれるなら、それで」


 ただし、全力で敵対はさせてもらいますが。などと結んで、私は速やかに携帯電話を手に取った。


「―――はい、私です――ええ、引き取りに来てもらいたくて――それでは――はい、また――ええ、大好きです」


 ぷつりと途切れた電波の向こう。彼は存外に退屈そうな様子で、この娘の引き取りを快諾してくれた。


「……すぐに迎えに来てくれるそうですよ」


「何やっちゃってくれてんですかっ!?そして新婚夫婦みたいなやり取りしてましたよね今!」


 大好きですって!大好きですって堂々と言ってましたよね今!なんて叫んでいるけど。


 そんな暇があるなら、もっと考えた方がいいんじゃないでしょうか。時間は、あと僅かですよ。


「……彼が来たら、ちゃんと答えを見せてもらいますから」


「答えって……入ってきた瞬間にビンタとかすればいいんですか?」


 それも面白そうですね、なんて曖昧な切り返しをしていると、チャイムが鳴って扉が開く音が聞こえた。


 流石に一つ屋根の下に住んでいるだけはあり、登場も早いこと早いこと。考えれば、いつでも逢いに行ける距離なのだ。


 そして、この女の子に至っては、いつでも抱きつける距離にいるというのに。


 彼を手に入れるつもりがないのなら―――いっそ代わってください。その場所を、退いてください。


「おい、迎えに来たぞ」


 ついに顔を出した彼が、憮然とした様子で奈央さんを見詰める。目が合った二人は、そのまま五秒ほど無言で停止していた。


「―――ばか」


 不意に、溶けて消えてしまいそうな声で、奈央さんが呟いた。


 確かにそれを耳にした彼はふっと歩み寄り、迷いも躊躇いもなく彼女を抱き締めてみせた。


「よしよし、そんなに寂しかったか。可愛い奴め」


「……寂しくなんか、ありませんよ」


 力無く彼の胸にもたれ掛かった奈央さんは、しかし至福の時を過ごすように瞳を潤ませていた。


「……ばか。今度私を無視したら酷いですからね」


「悪かったよ。ほら、部屋に帰ろうよ、なっ?」


 なんだろう、これ。何処か……遠い昔に見たことがあるような。そんな光景に思えてならない。


「ほら、紫音さんにお礼言って」


「……迷惑かけてごめんなさい。また今度、遊びに来てもいいですか?」


 彼に抱かれた瞬間からの奈央さんの様子。これはまるで……ああ、ようやく合点がいきました。


「……ええ、また遊びに来てください。今度はお菓子でも出しますよ」


「ありがとうございます。それじゃあ」


 まるでそう。これは家出を企てた幼稚園児と、それを迎えに来た保護者の図だった。


 さしずめ私は、近所の親切なおば……お姉さんと言ったところだろうか。


「よくできたね、奈央さん。さすがお姉ちゃんってとこか」


「もう、ばかにしてるんですか。そんな風に言われる年じゃありません」


「どうだか」


 いいえ。これは完全に、新しく産まれた妹にご執心な両親に対し、拗ねて家出してきた女児の図です。


 幼児退行、という奴でしょうか。他人に甘える手段なんて人それぞれですが、これは少し毛色が違うように思います。


 好きになって欲しいとか、お付き合いがしたいだなんて、そんな世界の話じゃなくて。


 言うなればそれは、家族の世界。愛してもらえてるのは当たり前で、何より深い関係が最初からあって。


「―――確かに、愛だの恋だのを語るには早すぎましたね」


「えっ、なに?」


「……いいえ、こちらの話です。ね、奈央さん」


「余計なこと言わないでください。私にはこうするしかないんですから」


 困惑気味な彼を他所に、目と目で繋がる私と奈央さんの気持ち。


(これが、望んだ物ですか)


(私には、精一杯です)


 幸せそうに、彼女は目尻を下げた。それはそうだ。奈央さんが望んでいるのはきっと、家族としての形なのだから。


「それじゃあ紫音さん。ご迷惑をおかけしました」


「はい。遥人さんも、また来てくださいね」


「うん、ありがとう」


 会話を紡ぎながら、今度は自分の気持ちを確認していた。私は彼と、どうなりたい?


 支え合って、繋がって、愛し合って、求め合って、重なり合って。


 ―――大丈夫。私はちゃんと、この人に恋してる。


 でもそれは、奈央さんだって同じで。本当はもっと深い関係を望んでいる筈で。だったら私は、彼女に勝てるのだろうか。


 わからないな。わからないけど、もっとちゃんと頑張ろう。そんな決意だけが、胸の中に残留した。


 とにかく何かしなくちゃいけない気がして、二人が出ていった扉に向かって一つの誓いを立ててみた。


「……負けませんよ。この屋根の下にいる限り、絶対に」


 私はここにいたいから、なんて。自分の心に誓いを立てた、そんな八月初旬のたおやかな朝。


 自分の気持ちに区別をつけた、夏の日の午前。


 愛だの恋だのくだらない、そんな少女たちの会合。



 こんな一日

 そんな日常




 これほど無意味な話も珍しいというくらい無意味な今回の話。冗談抜きで読み飛ばしても驚く程に無問題でしょう。


 普通は作品全体に与える影響が少しはあるもんだけど、今回は本当にそういうのありません。


 なんとかして、この話がやがて意味を享受できますように。などと願っていますが、考えてみればそれは自分の腕次第ということになりますね。



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