第八十八話 今の僕らの話をしよう
そうなんです。ノってる時は二日連続更新とかやんですよ。
まだまだ捨てた物ではない。なんて、思っていただけるといいのですが。
出逢った頃の話。これから先の話。どれも大切なことのようで、反面一種の逃避でもあった。
理解るでしょう?
今の貴方が話さなくちゃならないこと。
それは。
『今の僕らの話をしよう』
夏期休暇を間近に控えた七月下旬。冷夏の予感に安堵する学生の波。
その先の一室、図書館と呼ばれるインドア派の聖地にたむろう少年少女。
総計5名のインドアの化身たちは、長期休暇に備えた複数冊貸出しの活用に向けて書籍の選定に励んでいた。
「ふむ……これでラノベの本棚は一通り制覇だな」
悩ましげに、それでいて誇らしげに頬を掻く少年。桐原疾風という名の原作再現型うさぎ。
親友の読書狂をして『俺が一冊読む間に三冊を要約する化け物』と評されるハイスペックだけに、ライトノベルに絞って読んだ結果図書館の蔵書量が悲鳴を挙げ始めていた。
「おいおい、まだ2年の夏だぞ、アホか」
「アホじゃねえ、司書が悪い」
件の読書狂の親友、諦観悲観型の亀こと少年、氷名御遥人が呆れ気味に溜め息を吐く。
自分がどんなに幼い頃から読書に親しんで来たか。読書速度だなんて、どうでも良いものかもしれないけど。
「別に、他の本に手を出せばいいだろ。なにもラノベだけに絞らんでも」
「うるせーやい。そういうおまえは何借りたんだよ」
何を借りたのかと言われればその辺の恋愛小説としか説明のしようがないのだが、微妙なロマンチストぶりを晒すの恥ずかしい遥人には答えることができなかった。
「そういや遥人、あの久遠とやらはどうなった?」
答えにくいって、そういう感情の機微を当然のように察知して質問を切り替える。疾風の有能性には頭が下がる思いだった。
「話はつけたよ。むしろ今は、物凄く退屈そうなのが気掛かりなくらいで」
本宮に編入工作を依頼したものの、それが叶うのは夏休み明けというところ。現状の久遠は暇で暇で仕方がないようた。
「へえ、学校に来る以前の奈央ちゃんや真央ちゃんの状況だな」
「いや、むしろあいつらは暇を堪能してたぞ。基本的に何もしてなくても平気な体質だな」
おまえには及ばないけどな、とこっそり付け加えておく。おまえらは泳いでないと死んじゃうサメさんに謝れと。
「いや、寂しいと死んじゃう小動物に言われたかないけどな」
「てめえ横っ面ひっぱたくぞ。つーか然り気無く読心術か、本宮気取りかこの野郎」
化け物が化け物の真似したらいかんでしょうと。いや、可能なら本宮には疾風を見習って無気力になって欲しいものだが。
活動的な化け物とか性質が悪いってレベルじゃねーもの。あいつ裏でいろいろやりすぎだもの。
「呼びました?」
「いやっ!呼んでないですマジで!呼んでないですから!」
「なんで敬語だてめーしばくぞ」
「口悪っ!?」
おい、どんな時でも丁寧語なのが唯一の救いだった本宮さんはどこに消えた!
もちろん優しい口調で背後に嫌なオーラ立ち込めてるのも怖いけど、最低限女の子としての可愛げってもんがあるわけで。
「氷名御さんっ、陰口言う男の子なんか最低ですよ!恋愛小説なんか読む資格ありませんっ!」
「図書館で騒ぐな。そしてでかい声で恋愛小説とか言わないでくださいお願いします」
相変わらず低姿勢の極まった俺でした。この女には一生頭が上がらないのかもしれない。
「頭が上がらないと言えば氷名御さん。例の弟さんの編入の件、夏休み明けで行けそうですよ」
「仕事早いな、助かるよ」
普通に心を読まれたことや然り気無く頭下げろやと言われた気がするのは聞かなかったことにしたい。
「これで、許してもらえるんですよね?」
ニコリと太陽よろしく微笑んで、本宮は悪戯っぽく上目遣いに俺を見つめた。
ちょっとドキッとしたのは秘密。普段高慢な奴が低姿勢になるとギャップが生じますね、はい。
「なんだ、根に持ってるのか?俺があんたを許さないわけないだろ」
そんな当たり前みたいな言葉。誰かにとっては当たり前じゃない、温かくて柔らかい言葉。
おまえを一生許さねーから、って。言われた瞬間の絶望は、他人に理解できるものなんかじゃなくて。
それでも取り繕った。悲しいのとか辛いのとか、そういう気持ちは纏めて包んで隠し通した。
でも、今こうやって許してもらえて。許さないわけないだなんて平然と言われて。
この嬉しさを隠し通すのは、どうにも不可能なように思えた。
「……本当に、ですか?」
なんだろう。普通のことを言ったまでなんだけど、妙に驚かれてしまったような気が。
いや、その、本宮さん?
「本当に、許してくれるんですねっ?」
「ああうん。いやほら、普通にね?俺本宮のこと嫌いでもなんでもないし、むしろ好きだし、普通にね?」
「好っ!?」
なんでこんなに驚くんだよ。俺がおまえを許さないような外道畜生だとでも思ったのかよ。
なんでそんなに喜ぶんだよ。俺があんたのこと嫌ってるとでも思ったのかよ。
わかんないよ、本当に。女って奴は。
「私もっ、私も大好きですよぅっ!」
「ちょっ、待て!こんなとこで抱きつくなって!」
おおおい!みんな見てるから!図書館の民たちが淀んだ瞳で凝視してるから!
「疾風、助けろ!」
「いや、お前が悪いよ今のは。相変わらず息をするように口説くんだな」
「何こいつ!何言っちゃってんの!?通訳、通訳を呼べええええ!」
うおい、マジでそろそろ離れようよ本宮!恋愛小説借りるのとか比じゃないくらい恥ずかしいよこれ!
「はーい、通訳の月島姉妹でーす」
「はーい、要するに『このクソ女ったらしが、さっさと生まれ変わりやがれ』って意味でーす」
「てめーら今回初登場の役割が通訳かよ!もっと欲張って主人公のピンチを救う女神とかになろうよ!いいよ遠慮すんなよ!」
真央さんが可愛らしく通訳してくれるならまだしも、くそ可愛げのないアホ姉の毒舌通訳なんてなんの需要もないからな。
いや、真央さんにやらせたらやらせたで耳を塞ぎたくなるような黒々しい通訳になるんだろうけど。
「氷名御さん……あったかい」
「いい加減にしろ本宮。キャラ変わってんぞ」
お前は抱きつく素振りをしながら盗聴機仕掛ける女だろーが。何普通に人肌堪能してんだ。
「……遥人さん、私が女神さんになっても良いですよね?」
「真央さん?なにそれ、助けてくれるって意味で受け取っていいの?」
でもこれ、明らかに人を助けようって人間の目じゃないよね。なんか視界に入った物を石にしそうな目だものね。
「真央ちゃん、ちょっと落ち着こう!お姉ちゃんの目を見て落ち着こう!」
「……なにそれ。錆びたパチンコ玉みたい」
「せめてビー玉にして!」
真央さんから発される狂気に危機感を覚えた奈央さん。しかし、止めに入れば親の仇のように罵られる始末。
「止めないで奈央ちゃん。今のままじゃ遥人さんと本宮さんの関係が周りのみんなに誤解されちゃうよ。私が止めなきゃ。私が取って変わらなきゃ」
「最後本音出てるよっ!?てか本宮さん逃げてっ!」
「あったかいれふぅ」
「聞いちゃいねえ!」
やっぱりさっぱり、こういう土壇場で頼りになるのは奈央さんくらいのものだった。
真央さんのただならぬ様子に本宮の危険を察した奈央さんは、ついにはその本宮を俺から引き離して図書館の奥へと引き摺って行った。
「助かった、かな」
ようやく開放された俺はふぅっと息を吐き、二人が消えて行った図書館の奥を見詰めた。
さすが奈央さんだ。自己犠牲から最高の働きをしてくれた。彼女は本宮の生け贄になったのだ。
「遥人さんっ!」
「おっと。真央さんか」
とことこーっと小走りに走り寄って来た真央さん。俺を横倒しにするくらいの勢いで抱きついてきなすった。
柔らかくて、温かくて。そういうの感じるのは、俺も同じで。
「うーっ、遥人さぁん」
「ははっ、可愛い奴め」
最早自宅だとか校内だとか微塵も関係なかった。スキンシップが行きすぎているとさえ感じないらしい。
(この二人の関係こそ、周りのみんなに誤解されてないといいがな……)
つーかそんなことやってても敵を作らないって才能だよなあ。なんて、疾風がしみじみ感じていたことなど露知らず。
ま、こいつにそれを才能だと認める余裕があったなら。こんなに苦しみはしなかったんだろうなって。
何でもできるくせに何もしない男は。何もしないことで彼を支える男は。不変という名の武器を携えて。
隣で頬を緩める親友を思い遣り、慈しみ、ちょっとだけ嫉妬して。変わらずそこに在ることだけを、己に誓ったのだった。
「……ここまで来れば、多分大丈夫です」
「ぅうー、奈央さんも意外にあったかいのですねー」
こちらは、戦略的撤退部隊。完全におのろけモードの日和を引き摺って逃げてきた奈央は、ほっと一息を吐いて『忠告』をした。
「あのですね、本宮さん。遥人さんが絡んだ時の真央ちゃんははっきり言ってひじょーにキケンなのです」
ですからあのような軽率な行為は―――などと説教モードの奈央。その追随を塞き止めたのは、奈央に抱きついて離れない日和の一言だった。
「奈央さん、なかなかイイ体してますねー。胸はちっさいですけど」
「いらんこと言わないでくださいっ!」
人が折角助けてあげたと言うのに、この態度はなんだと言うのでしょう。そしてボディタッチが妙にいやらしいんですけど。
だいたい胸なら本宮さんだって……本宮さんだって……ふんっ、そんな話をしてるんじゃないってんですよ!
「ただでさえ今の真央ちゃんは危険なんですからね」
「えー」
「えーじゃありませんよ!織崎さんの件で騒がしくて満足に遥人さんに甘えられなかったから、ちょっとイライラしてたみたいで」
なんだろ。これじゃまるで、私の大好きな真央ちゃんが遥人さん中毒みたいじゃないか。
ほんっっとに憎たらしい男です。紫音さんにも本宮さんにも甘い言葉ばかりかけて。
「でも、良かったですね。織崎さんが残ってくれて」
本宮が頬を緩めたままにこりとして、誘うような視線を奈央へと投げ掛けた。掌に転がすは、魔女の証。
「そりゃ、良かったに決まってますよ」
「そうですね、奈央さん。『貴女にとって』彼女が残ったことは朗報に他なりません」
何か引っ掛かる言い方。まるで、遥人の恐れる本宮日和の牙が視界を掠めたみたいに。
「大切なアパートの仲間ですからね。それに、あの人がいなくなったら遥人さんが落ち込むでしょう」
理由を探してるみたいで、なんだか変な感じ。言葉になんかするまでもなく、紫音さんが残ってくれたことは嬉しい筈なのに。
「……でも『それだけ』じゃありませんものね?」
「何が、言いたいんです?」
魔女。そう称されたことも、そう評されたことも、伊達や酔狂の沙汰ではない。
口元を微かに吊り上げ、小首を傾げる彼女。本宮日和の引いた糸。少しでも触れれば、気付かれてしまうのは必然。
「織崎さんとの繋がりを、『糸』を護ったのは、それだけの理由じゃありませんね?」
貴女が本当に護りたかったものは、そんな小綺麗なものではなかったのでしょう?つまり、それは。
「貴女が護りたかったのは、貴女の『意図』に他なりません」
意図。計画。それを切りたくなかった。だから護った。月島奈央の持つ理由など、そこから派生したものに過ぎなかった。
「そんなこと、ありませんよ。私は」
「貴女は、叶えたかったのですものね」
私は、貴女は、いったい何者だというの?
「私は私。貴女の意図を切るために、織崎久遠を招いた女です」
布告。隠すでもなく、誤魔化すでもなく。逃がしはしないと、宣言するかのように。
「でも、失敗でしたね」
「ええ、失敗です。けど、私は諦めてませんよ?」
次の手など、とうの昔に打ってある。私が張り巡らせたこの糸、切れるものなら切ってみせて。
「本宮さん……貴女いったい何も」
「ああっ、ちょっと奈央さん見てください!」
「……へ?いやちょっと、今シリアスなシーンじゃ」
話の腰を折る、そういう手段。これ以上話すことなんか、一言もありはしないということか。
「遥人さんと真央さん、みんなの前なのにあんなにべたべたしてます!由々しき事態です!不健全です!」
「いや、あれはさっきの本宮さんの行為そのものでしょうが」
突っ込んで、何か大切なことを失念した気がして、まあいいかと流してしまった。きっとそれは、正しい選択で。
「学校だけは私のテリトリーですよ!真央さんは帰ったらいくらでも甘えられるんですから!」
「テリトリーってなんですか。遥人さんはこれ、もうなんか殆ど植民地みたいな扱いですよね」
「引き剥がして来ます!」
「あっ、だからちょっと待ってくださいよ!落ち着いて、ほら、つーかもう真央ちゃん逃げてえええ!」
騒動は一端に形がつき、得たものは多く失ったものは少ない。最良の結果。その中に秘められた多くの意図。
その細い糸を平気なふりして渡っていく、そんな日々。綱渡りな毎日が、いつか一様に収束する日まで。
この糸。今はどうか、切れないでいて。
第八十八話『今の僕らの話をしよう』END
こんな一日
そんな日常
ようやく後片つけは区切りを向かえ、以降は緩やかに日常を取り戻していくことでしょう。
それも、願う程に長くはなくて。