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日常賛歌  作者: しろくろ
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第八十五話 その日々がくれたもの

 時間軸は二年目の七月。連載当初を思い出しつつ書かせて頂いたので、どうぞご鑑賞ください。

 無限の有限を知れ

 起源と根源を知れ

 世界の広きことを知れ

 視界の狭きことを知れ

 後悔の深きことを知れ

 理解の浅きことを知れ

 近しきことの遠かりしを

 親しきことの遠かりしを


 知れ。




「夏に着る服がない」


 少年がそんな風に呟いたのは、夏本番も間近の七月初頭のことだった。


 クローゼットを開け放して溜め息を吐いた彼は、それからゆっくりと振り返って問いかけた。


「つーか夏って何着ればいいと思う?」


「服」


 いや、それはわかるけどさ。ちょっとおまえ、人の話を聞くときはヘッドホン取りなさい。


 そう言ったところで応答がないことは分かっていたから、とりあえず彼こと俺は彼女へと歩み寄る。


 こんにちは、遥人です。夏服がありません、というか何を着たら良いのかわかりません。


 こういうときは女の子だろう。と最寄りのアホ女にアドバイスを求めてみたのですが、案の定の案の定で答えがぞんざい過ぎます。


「よーし、三秒以内にヘッドホン取りやがれこのやろう。さもないと酷いぞ」


「やださっき食べたじゃないですか」


「いやメシの話じゃねえよっ、俺はじいさんか!」


「あーはいはい聴こえてますよ」


「聴こえてるって完全に音楽の話だろ!聞けよっ、俺の話を!」


 これはもう制裁を加えるしかないらしい。俺はそっと彼女のウォークマンを手に取り、音量を最大にしてやる。


「ッ!?」


 最寄りのアホ女こと奈央さんは2センチほど身体を跳ねさせ、それから急いでヘッドホンを抜きとる。


「ばっっっかじゃないですかっ!?やっていいことと悪いことがあるでしょうって!」


「うるさい俺は傷ついたんだよこのやろう」


「なんかもうあなたのデリケートさは病気です!」


 そこまで言うことないじゃないか。俺は単に少し寂しがりやなだけだというのに。


「そもそも、珍しく俺の部屋に来たと思ったら無言でヘッドホン着けて本を読み漁ってるってどうよ。コミュニケーションって知ってるか?」


「なんですか?私とコミュニケーションしたいんですか?仕方ありませんね、そこまで言うなら私が相手をしてあげないこともあるようなないような」


「いやなんか、もうええわ面倒くさい」


「あれっ!?」


「真央さんに頼んで一緒に服買いに行ってもらおうっと」


「いや、あの話を……」


 俺はやんわりと無視してドアを開くと、自室に奈央さんを放置する形で真央さんの部屋へと向かった。


 ちょっと冷たい?でも面倒くさいし、相手も奈央さんなら問題ないだろ。


 なんて、近しきことの遠かりしを知らない、憐れな男の勘違いなのだけど。


 気づきもせず、振り返りもせず、彼は足早に彼女の元を去るのであった。




 静寂の部屋。取り残された少女は、ふらふらと立ち上がると側のベッドに身を投げる。


 大きな枕をぎゅっとを抱き締めて、下唇を緩く噛んだ。こんなことで目が潤むなんて、最近の私はどうかしてる。


「……けど、最近ちょっと冷たすぎやしません?」


 誰にともなく問いかけて、誰かに『そうだね』って答えて欲しかった。


『そうかな?』


 疑問を抱いたのは自分自身だった。構ってもらえない原因も、きっと自分にあった。


 だけど、それでも。今日は部屋まで出向いたじゃない。……無視してるふりしちゃったけど。


 だけど、気づいて欲しいな。そういうの。なんて、身勝手だって分かってるけど。


 溜め息を一つ吐いて、それから大きく息を吸って。彼の臭いで身体を満たして、彼の枕を抱き締めて。


 冷めた温もりに抱かれながら、そっと眠りについてみるのだった。




「お洋服を買いに行く、ですか?」


 一方、純潔の少女。訪れた少年を真心と笑顔で迎えると、ぴったりと横に座り身を擦り寄せた。


「そう。できれば真央さんにアドバイスして欲しいなって」


「―――私に?」


 元からにこにこしていたところに、輪をかけてパッと明るく微笑んでみせる。


 自分にとっての太陽になりえる少女の髪を優しく撫でながら、遥人は続けた。


「だからさ、良ければついてきてくれない?」


「行きますっ!行かせてください!」


「それなら決まりだね」


 喜びを隠せない真央は、すくっと立ち上がり身支度を始めた。こんなチャンスはそうはないから。


 それが、誰かの憂いの上に成り立っているものだとしても。


(でも……)


 真央にも一つだけ、憂いがあった。自分にこんなチャンスがなかなかやってこないことも、当然と思える事柄が。


「こういうの、奈央ちゃんや織崎さんの方が適任なんじゃありませんか……?」


 真央の純粋さ故の発言だった。純白と暗黒を併せ持つと言われる彼女の、根っこの部分が白であることの証明だった。


 そんなこと、黙っておけばいいものを。


 遥人は彼女の頭に手をおいて、陰りなく微笑んで答えた。純白への応えでもあった。


「真央さんに選んで欲しいから」


「あっ……」


 そんな彼を見つめていた真央は、思わず頬を赤らめて。それから絶対に期待に応えようと決意して、大きく頷いた。


「じゃ、俺は居間で待ってるから」


「すぐに行きますね!」


 ゆっくりでいいよ、と答えて、遥人は部屋を後にした。真央の、精一杯の準備が始まった。




 一時間の後、二人は街中の洋服屋へと足を運んでいた。安さと豊富さが売り。そんな店だった。


 薄手のジャケットにジーンズというありきたりな服装の遥人は、店内を心許なさげに見渡している。


 ……本当に、服というやつはわからない。


 気にしなければいいとは思うのだけど、あまりに野暮ったいとむしろまわりから浮いてしまうのが不味いわけで。


 最低限、気にしておかなくてはならない。そんなことくらいはちゃんとわかっていた。


 それに。と、遥人が自分の横を歩く少女に目をやった。可愛らしい、女の子らしい女の子だった。


 こんな娘の横を歩く者として、情けない格好はできないよな。そんな義務感が彼にはあったのだ。


「遥人さん、どんな服が着たいですか?」


 真央さんは上目遣いにこちらを見て、にこりと微笑んでみせた。余裕で天使だったが故に、俺はなんとなく緊張してしまう。


「とりあえず、ポロシャツでも集めとこうかなって。無難にさ」


「心持ちが果てしなく後ろ向きなのは駄目ですが、無難に纏めようというのは間違ってませんね」


 心持ちが後ろ向きなのは性根というか本能なので触れないでほしい。とりあえず、自分でいくつか候補を絞ってみようか。


「二着くらい欲しいな」


「それなら、しましまのと一色のとでそれぞれ選んでみます?」


「なるほど。そうするか」


 しましまのと一色の、とかこの年代の女の子の表現としては知識が足りなすぎるのだけど。


 それでも、遥人一人で選ぶよりは真央がいた方がいいのは間違いない。


「ふと思ったんですけど、今まではどうやって買ってたんですか?」


 真央が思うのに無理はない。去年は普通にちゃんとした服装をしていたし、見ていて違和感もなかった。


 つまり、去年の服装と同じ要領で買えば良いだけとも言えるはずなのだ。


「あー、それはね」


 遥人が振り返って答えようとした、その時だった。最高で最悪な展開が、二人の前に繰り広げられた。


「ひーなーみーさん!」


 後ろだった。その可愛らしくも鳥肌の立つ呼び声に、遥人は首をギギギと鳴らしてゆっくり振り返った。


「……う……わあ……」


「うわあとはなんですか。ものすごく失礼だと思います!」


 ふわりと伸びたクリーム色の髪に、今日はリボンでおさげが編まれていた。


 何処か幼げで、それでいて鋭い眼差しが、遥人を射抜いて離さない。


「こんにちは、遥人さんに真央さん。偶然ですね」


「本当に偶然かよ、本宮」


 本宮日和。正しく今時の女子高生に近い服装で表れた彼女だが、そこには気品が感じられる。


 真央から見て、つまりそれは紛れもなく『お洒落な女の子』の図だった。


 奈央ちゃんや織崎さんの方が適任だ、なんて言ったけど、もっとずっと的確な選択肢があることを、素で忘れていたのだ。


「こんにちは、本宮さん。なんだか本当に珍しいですね」


「はい。学校の外で二人が一緒にいるところに出くわすなんて、ひょっとすると初めてのことかもしれませんね」


「初めてだろ。俺がこんなに残念な気持ちになったのが初めてだし」


「それは私と学校外で会うのが残念なイベントだと言いたいんですか?……あのこと真央さんにバラしちゃいますよ?」


「いやその、調子に乗ってすみませんした、ほんと」


 主従関係に近いものが出来上がっているらしかった。これが隷属というやつだろうか。


 とにかく、この偶然の出会いに真央が心を曇らせたのは言うまでもない。


 せっかくの二人の時間……というよりむしろ、彼女がいたら私はいらないじゃないか、という不信。


 そんなわけない。ないけど。


 けれど、真央には苦い経験があった。以前、プチ家出みたいなのをやらかしたときと、正に同じ状況なのだ。


 あのときは、遥人さんがアパートの外の女性と仲良く話すのを初めて見て。それでいろいろ考えちゃって、勝手に空回りしてた。


 今はもう違う。本宮さんは顔見知りで、むしろいろいろ良くしてくれた恩人だし。


 それに、今の私には確かな気持ちがある。だから大丈夫。それよりも、大切な友人である彼女を邪険に思ってしまうことの方が問題だ。


「へえ、服を買いに来たんですか」


「はい。遥人さんが、何を着ていいのかわからないというので」


「ははあ」


 本宮さんはとっても気さくで、感情表現豊かで、それでいて根回し完璧なすごい人。


 はっきり言って、素敵な人だと思う。だから私も、変なことは考えずに接していたい。


「氷名御さん、去年あれほど言ったじゃないですか。来年は自分で何とかしてくださいって」


「仕方ないだろ。わかんないもんはわかんないんだから」


「……え?」


 そういうことか。って、ピンときても、それを何処かで拒絶する私。何だか、自分が醜いモノに見えてきてしまう。


「去年は本宮に頼んだんだよ。苦渋の選択だったけどね」


「苦渋の選択とはなんですか!あれほど誠心誠意に選んであげたのに!」


「そのあときっちり昼飯夕飯奢ったろ!それでチャラだチャラ!」


 二人の会話はいつだってノーガードのぶつかり合いみたいで、そういうのが極端に少ない遥人さんにとって、本宮さんがどんな存在なのか窺い知れる。


 それが余計に、私を不安にさせる。自分の立ち位置の親しさに甘えた結果が、ありありと目に映る。


「お礼に御飯奢るくらい当然です!それを嫌がって今年は真央さんに負担かけるんですか?タダ働きさせるんですか?最低です!」


「違うわ!俺の夏服が全部あんた好みのあんたチョイスじゃ不味いから真央さんに頭下げたんだよ!」


 ああ、そういうこと。それって多分、誰でも良かったんじゃないかな。


 私じゃなくても。奈央ちゃんや織崎さんでも。そもそも変なこと考えなきゃ、今年も日和さんがいたら充分なんじゃ。


 考えたらそうだよね。遥人さんは一年前まで、ずっとアパートとは無縁の生活をしてたんだから。


 だからきっと、私は必用ないのかもしれない。余計なものだったのかもしれない。


 今、遥人さんにとって本当に邪魔なのは……。


「考えてもみろよ、本宮」


「何をですか。私を邪険にした罪は重いですからね」


「だからそうじゃなくて。今年おまえに頼まなかったのには、俺なりの理由があんだよ」


 理…由……?


 私に任せてくれたのは、気まぐれじゃない?そう思ってもいいの?


「この一年で、俺の生活は一変した。父さんと母さんがいなくなって、一度全部放り投げた」


 それは私も同じ。放り投げていた人生が、この人と出会うことで一変した。


「何もなくなった俺のところに、何の因果か姉妹が現れて。程無くして紫音さんまでやって来た」


 今でも忘れない。あの夏、私は無限大に広がる夢を見た。思いも負けそうになる日々に、光を貰った。


「あのアパートでの毎日のお陰で、俺はいろんなものを取り戻せて。だから、本宮や疾風のところへも戻っていけたんだ」


「……そうでしたね」


 考えれば、あの時の遥人さんは何かを抱えていた。夏休みの間中、友達に会いに行くことなど一度もなかった。


「この一年は真央さんたちがくれた日々だ。だから今年は、本宮が選んでくれた服と、真央さんが選んでくれた服で過ごしたい。わかるだろ?」


「もちろんです!……氷名御さんがそこまで考えてるとは知りませんでした」


 本宮さんは幸せそうに微笑んだ。遥人さんの変化を思い遣り、それが嬉しかったのだろう。


 こんな話を聞けて、良かったんだと思う。思うけど、はっきりさせておきたいことがある。


「遥人さん。一つ、聞いてもいいですか?」


「……なに?」


 彼が優しく問いを待ってくれるから、ちゃんと言える。臆すことなく、真実に向かえる。


「私に頼んだのは、気まぐれですか?」


 こんなこと、聞くのは迷惑かもしれない。気分を悪くするかもしれない。それでも。


「違うよ。気まぐれなんかじゃない」


「じゃあ……」


「最初はとりあえず奈央さんに意見を仰いで、それから真央さんに頼もうって算段だった。奈央さんには無視されたけど」


 それなら、どうして敢えて私に着いて来させたのだろうか。それが知りたくて仕方なかった。


「覚えてる?去年の夏、初めて三人でデパートに行ってさ。そこで服を買ったんだよ、二人は」


「覚えてます。遥人さんが食品コーナーを回ってる間、私はずっと奈央ちゃんに着せ替え人形にされてました」


 遥人さんが来てくれて、私は呆れながら『どの服がいいですか?』と聞いた筈だ。


 ……そういえば、もしかして。


「その時だよ。真央さんは奈央さんの出した候補の中から俺に最終選考を要求したわけだ」


 わかったよ。遥人さんが私に頼んでくれた理由。最初に奈央ちゃんが大まかに決めて、あとは私が。それはあのときとそっくり。


「はい。……それで、ですよね?」


「うん、それで。あの時真央さんは、自分で選ばなくていいの?って聞いた俺に言ったから」


『遥人さんが似合うって言ってくれたものなら、私は満足ですから』って、確かにそう言ったから。


「だから俺も同じように、奈央さんの候補の中から真央さんに選んでもらおうって思ったんだ」


 ただの形式の話。だけど俺は、そんなものを大切にしたいって思えた。その気持ちこそを、大切にしたいから。


「でも、それなら奈央さんに無視されたままじゃ駄目なんじゃ」


 蚊帳の外気味だった本宮が、痛いところを口にしてくれた。その通りだよ、まったく。


「俺も期するものがあったからさ。真剣に聞いたのに無視されて、ちょっとカッとなっちゃって」


「大切な話だったわけですから、そういう気持ちになることも当然ですよ。奈央さんに落ち度はありませんけど」


 珍しく本宮が同調してくれるのが、なんとなく嬉しい。奈央さんに冷たくしたままで来たこと、ずっと重かったから。


「でもそれなら、奈央ちゃんの性格を考えるに……」


 真央さんが鋭く洞察し、俺のポケットを見つめた。それは、いつも姉の近くにいた、世界でたった一人の妹だからこそ気づけたことかもしれない。


「そっか、携帯……メールならおそらく」


『新着Ⅰ』

『月島奈央』

『ポロシャツとかが似合う筈です。けど、真央ちゃんの意見を何よりも優先してください



さっきはごめんなさい』


 流石は月島奈央である。画面を見つめた三人が、同じタイミングで溜め息を漏らした。


 本当にこの娘は、意地を張らないと生きていけない構造にでもなっているんだろうか。


「しかし、最後の一文は予想外だ。俺も、帰ったらちゃんと謝らなくちゃな」


「そうですねー」


 と言いつつ、真央はわかっていた。おそらく、今の奈央は携帯をぎゅっと握って返信を待っている。


 返ってこなければ、許してもらえていないと思うに違いない。だから今は、すぐに返信してあげるべきなのだ。


「どうしてそれを言わないんです?」


 本宮が真央に耳打ちする。いや、ちょっと待て。


「勝手に私の心を読まないでください!ぷらいばしーの心外です」


「いいじゃないですか、そんなことくらい。それで、どうしてなんです?」


 そんなことくらいって次元の話じゃないように思うのは私だけだろうか。絶対におかしいのはこの人だ。


「奈央ちゃんに反省させるためです。毎度毎度同じ失敗を繰り返してますから」


 一度痛い目に遭った方が良い。この返信を待つ時間は生き地獄だと思うけど、だからこそ多大に反省を促すことになる。


「きっと遥人さんの性格的に、プレゼントでも買って行って大々的に謝るでしょうから」


「なるほど。それでチャラですね」


 苦しんだ時間が長い程、それは本当に嬉しいプレゼントになる筈だから。


「さっきから何を話してんだ?二人とも」


「何も」

「何も」


「……ちぇっ、いつの間にか俺を差し置いて仲良くなりやがって」


 いじけた遥人さんが、ポロシャツコーナーを足早に見渡していく。私と本宮さんは、顔を見合わせて笑っていた。


「それにしても、やっぱり似てますよね。氷名御さんと奈央さんって」


「は?」


 今度は聞こえる声で、本宮さんが呟いた。私も、今のでそれを痛感したところだ。


「ええ。ポロシャツですからね。遥人さんが無意識で選んだのと同じです」


「そんなん偶然だろ」


「さあ、どうでしょうね」「どうでしょうねー」


「おまえら打ち合わせでもしたんか……」


 もう一度、本宮さんと顔を見合わせて笑う。なんだかそれが妙に楽しくて、それから私は嬉々として遥人さんの服を選んで回るのであった。


「さて、ではこの二着ということで」


「いいですね、真央さん。私的にもグッドです!」


「うん、俺としても好みの範囲だ。ありがとう、真央さん」


 こんなに自分を必要としてくれる場所がある。こんなに優しくいてくれる人がいる。


 この一年、私が掴んだのは紛れもなく幸福だったのだと、確信できる。


「さて、それじゃあな、本宮」


「今度は二人で来ましょうね、本宮さん」


「はい、もちろんです!……それではまた」


 手を振って別れて、踵を返した私たち。ようやく長い買い物が終わり、私の役目も済んだと言えそう。


 あとは、遥人さんがもうひと頑張りするだけ。


「遥人さん。ちゃんと奈央ちゃんを慰めてあげてくださいね」


「……一年前にも聞いた台詞だな。大丈夫だよ、プレゼントも買ったし」


 小袋をかざした遥人さんが、快心の笑みを浮かべている。プレゼントは即決だったし、前々から考えていたものなのかな。


「一年前といえば、私も一年前にはしたくてもできなかったことがあるんです」


「へえ?それじゃ今は」


 今はできる。あの日、プチ家出をやらかした日の帰り道。したくてもできなかったことも、今なら。


「はい、ですから……手を、繋いでください」


「お安い御用で」


 そうして繋いだ手を、私はいつまでも離さないでいたい。そして来年は。


 来年には、どんなことができるようになってるのかな。今よりもっと、幸せでいられるのかな。


 ―――大丈夫だよね。確かめるように彼の手をぎゅっと握って、私たちはあのアパートへと帰路につくのだった。




 静寂の部屋。泣きはらした少女。


 疲れ果てて再び眠りかけたその瞬間に、扉が開かれた。


 メールが返ってこないまま、本人襲来である。おそらく、相当冷たい扱いを受けるものと思っていたに違いない。


 けれど、現実は時として何よりも温かかった。彼女の涙で冷えた体を、氷ついた心を、一瞬で沸騰させてしまうくらいに。


「ただいま、奈央さん」


「お、お帰りなさい。……あの、メール」


 ベッドに正座し俯く彼女に、無言の遥人が歩み寄っていく。この時、奈央がどんな覚悟をしていたか。それは杞憂に終わったけど。


「……遥人さん、その、さっきは本当に、ごめんなむうっ!?」


 謝罪を言おうとしたその口は体ごと封鎖されてしまった。力無くへたりこむ奈央を、遥人の体が包み込んでいた。


 抱き締めて、離さないように、ぎゅっと腕に力を込めていた。


「奈央さん。俺の方こそ、ごめん。」


「あっ……」


 そのまま優しく頭を撫でられて、背中をぽんぽんと叩いてくれる。いつもの真央みたい。けど、奈央にとっては新鮮で鮮烈で。


 青ざめていた顔が、体が一気に熱を帯びる。温かくて、安心できて、幸せで、恥ずかしくて。


 不意に、抱き締めていた体が離された。もう終わりなのかと、残念に思う自分がいた。


「見てくれ。ポロシャツ買って来たんだ」


 これを披露するためだったらしい。なかなか似合うじゃないか。さすが真央ちゃんが選んだ服だ。


 それで、ポロシャツなんだね。私の意見、ちゃんと取り入れてくれたんだ。


 まだ、嫌われてないのかな?もう一度、抱き締めて貰えるのかな?そんなことばかりが、頭の中を巡っていた。


「ま、これも今はおまけみたいなもんだ。本題はコレな」


「……なんです?その小袋は」


 遥人さんがにやりと笑って、秘密兵器よろしく取り出した小袋。結び目には、リボンが巻かれていた。


「これ、もしかして」


「プレゼントだよ。もしかしなくてもね」


 聞いた瞬間、胸に込み上げてくるものがあった。この人はこんなに優しいのに、どうして私は。


 本当に、駄目な女だ。駄目駄目過ぎて、このプレゼントを貰っていいのかさえ迷うほど。


「受けってくれ。ぜったい似合うから」


 似合う?私なんかに?いったい中身は……仕方ないな。受け取ろうか。こんな私だけど、あなたが想ってくれるなら。


 小袋のリボンを解くと、そっと中のソレを取り出してみる。これは……。


「カチューシャ?」


「そうカチューシャ。ずっと『似合うだろうな』って思ってたから」


 ずっと思ってた。この娘のアホな桃色頭に黒のカチューシャは映えるだろうなって。


「本当に、似合いますかね?」


「俺が思い続けてきたんだから、間違いないだろ。さあ」


 促されて、カチューシャを見つめる。美しい黒が輝いていて、どうも私には分不相応なものに見えた。


 これなら真央ちゃんや紫音さんの方が、なんて。私なんかにはもったいないって。


 私は、それを着けずに遥人さんに手渡した。けどそれは、諦めたからじゃなかった。


「遥人さんが、着けさせてください」


 目を丸くして驚く彼の顔など、最早直視することができなかった。こんなに真っ赤な顔じゃ、余計似合わなくならないだろうか。


「任せろ」


 彼がカチューシャを受けとって、私の頭を引き寄せる。私は彼の胸に顔を埋めるようにして、静かにそのときを待った。


「うりゃ」


 すぽっと音がしたわけではないが、なんともあっさりとそれは私の頭にはめられた。


 あっさりし過ぎているくらい、馴染んでいたとも言える。まるで十年来の付き合いでもあるかのように、それは私の頭にはまったのだ。


「うん、やっぱり似合うや」


 彼が私を見つめて笑っている。なんだかそれが、何よりも嬉しいことに思えた。


 だから私も、彼を見つめて笑った。それから再び彼の胸に顔を埋めて、ただ一言だけを伝えた。


「……ありがとう」


「どういたしまして」


 それから、暫くこのままでいてもいいですか?なんて聞かなくても、既に答えは出ていた。


 この場所は、ずっと開かれていたんだ。私が勝手に躊躇していただけだなんて、本当に馬鹿みたいな話。


 けど、ようやく気づけたから、もう大丈夫。


 そして私は、大きく息を吸い込んで。


 彼の臭いで体中を満たして、彼の温もりに心を預けて。


 そしてゆっくりと、夢から夢へと落ちていくのだった。



 こんな一日

 そんな日常

 だんだんオチがワンパターンになってきた。

 しかし、思えばあと二ヶ月であれから三年です。

 少しは書かないとな!

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