第六十四話 だから、あんたは
本編。久々な上になかなか進まないのはご愛嬌。
そんな、本編
俺には夢がある。
それがたとえ幻想の域を出ないものでも、俺にとっては確かに『起きて見るべき夢』だったから。
だから。
俺には意地がある。
幻想を理想に、理想を現実に変える為の意地。夢を誇りを護る為の意地。
どちらも、捨てたくない。失いたくはない。自分がどんな風に変わっていっても、時がどんな風に流れていっても。
意地を張ろう。今は捨てたつもりの、弱さを繕う為の幼い意地。
あんたは確かに俺の起源で、今の自分のスタートラインだから、消せはしない。それでも。
あんたは俺の根幹ではない。起源であっても根幹ではない。
俺の根幹に座るのは、記憶の中の一人の女の子。理想具現と釘打たれた、ただ一人の存在。
これは、くだらない意地だ。わかってる。いつか捨てなきゃならないことも。
わかっちゃいるけどね。それでも納得できないのは多分、そりゃあんたのせいだよ。
そうだろ?
『だから、あんたは』
ああ、もう。何と言いますかこう、不測の事態が二三回連続するだけで参ってしまうってのは、どうなんでしょう?
相も変わらず脆弱な自分の精神に文句のひとつでも言ってやりたいものだ。
他人事の様に自分自身に憤り歩くのは、今日から絶賛二年生、氷名御遥人その人である。
新学期早々に彼を襲った不測の事態は、大きく分けて三つ。
ひとつ、姉妹の高校への入学。ひとつ、その姉妹が同じクラスに編入。ひとつ、アノヤローが担任に就任!
どれかひとつにしろよ!分けろ、せめて数回に分けろ!いっぺんに来んな!
俺の処理能力を見くびるなよ!ファミコン並みだからな!スーパーですらない普通のファミコン並みだからな!
「……ったく、なんだってんだよ」
ついに、不満が言葉として出てしまった。いかんいかん、不満を吐くのは、アノヤローの前でだ。
それまでは、とっておこう。だから早く、目指すは数学研究室。アノヤローのところ。
「失礼、します」
入室する前には、必ず一言。そんな礼儀はしっかりと果たしてしまうあたり、もしかすると思うほど混乱しちゃいないのかもしれないな、俺は。
「おう、入れー」
欠伸のついでに放ったような、間延びした入室許可の一言。それだけで、目当ての人物であると確信できる。
「二年C組氷名御遥人、座右の銘は『数学教師は願い下げ』。草壁先生に用があって来ました」
「喧嘩か?喧嘩を売りに来たのか?つーか礼儀の中に溢れんばかりの無礼を詰め込むな」
「……うわ、呆れるほど相変わらずだなぁ」
「おまえもな、遥人」
良く言えば、七年ぶりの再会。悪く言うなら、汚点との遭遇。個人的には、後者を推したい。
口元を僅かにひきつらせた俺の前に立つのは、数学専門の我らが新担任、草壁冬介。
遥人の起源にして、曰く汚点。今年より高校教師へと転身した花の三十二歳。彼に否定され続けた唯一。
そんな男は今、だらしなく椅子にもたれかかりながら、見くびるように彼を見据えていた。
「……まぁ、なんだ?久しぶり、大きくなったな、ってとこだな」
「んな取って着けたような言葉は燃えないゴミの日に捨ててください。……お久しぶりです、先生」
俺はしかめっ面を崩さぬまま、見限るように担任教師を見据えた。何だろね、見るだけで腹立たしい。
「小学校で担任だった時から七年。どういうわけか、今度は高校で再会ですか」
「奇遇だよな。世の中せめえでやんの」
「やんなっちゃいますね」
「ああ、やんなっちゃうな、ほんと」
「………」
そうして、しばらく俺たちの間には沈黙が流れた。俺は突き詰めるべきあることを思い出し、その沈黙を破る。
「俺は、あのこと忘れてねえぞ」
「はぁ?あのことって何だよ。……いやぁ、三十過ぎると昔のことが曖昧になりやがって、参るわ」
おどけたように、というか、より近い表現をするならば『舐め腐った様に』そう答えた教師。
うわぁ、殴りてえ。
「しらばっくれんな!あの後、俺がフォローすんのにどれだけ苦労したか!」
「うるせえな!七年も前のことをグチグチと、姑かテメェは!」
「開き直った!?開き直りやがったよこの男!反省とか謝罪とか無いのかよ、人として!」
この教員失格の分際で良くもまぁ。今度は人間失格の境地まで足を踏み入れようとでもいうのか?
「つーかよ、あのことそんなに怒ってたんだな、おまえ」
あのこと普通に覚えてんじゃねえかこらァ!虚栄とはったりで生きるのも大概にしやがれ!
「怒るわ、普通。あんたはあいつを泣かせたんだからな」
「あ、そう。……やっぱ泣いてたの」
「ったりめーだ。だから、許さない」
「当然だな」
そう、当然。こんなにあっさりと納得されては、正直釈然としない思いはあるけど。とりあえず反省しやがれ。
「……でさ、遥人よ」
「はい?」
お、おう。まさか、この男も謝罪という行動ができるのか?反省と謝罪っていったら、鍛えられた猿じゃないとできない高等技術だぞ?
「それでさ、遥人。……この机、立て付け悪いんだけど」
「っって反省無しかい!てか話題変わり過ぎっ!女心か!秋の空かコノヤロー!」
「だってこれ、この引き出し開かないんだもんよ。これ、おかしくね?」
「知るかっ、俺が引き出しのことなんざ知るか!用務員でも呼べ!」
そうでした。この男は疲れる奴でした。とってもめんどくさい奴でした。嗚呼、懐かしき日の思い出が蘇る。
「……用務員か。これ、絶対おかしいもんな。呼ぼうかな、用務員」
「はいはい、どうぞ勝手に呼べってんですよ。もう帰りますわ俺」
「あ、ついでに呼んで来いよ。用務員」
「っ………」
本当に。重ね重ね面倒な奴でした。生徒を雑用扱いでございます。教育委員会に訴えたろか?この男。
「わかりましたよ。用務員ですね」
ったく。手間かけさせてくれるよ。さっさと呼んできて早く帰ろっと。
用務員だし、用務員室とかにいるのかな。てか……ん?用務員?
「そうだわ。いるじゃん用務員」
「は?何で携帯?」
思い出した様に携帯を取り出した俺に、教師は訝しげにそう聞いた。俺は答えないまま、電話の先の人物に要件を伝える。
「もしもし、秋隆さん?……はい、あの、用務員の仕事を……はい、数学研究室……じゃ、お願いします」
携帯を閉じた後、ようやく教師に向き直る。何をしたのか、まだわかっていないらしかった。
「今、用務員さんに電話したんで。だから、すぐここに来ます」
「あー、そう。なんか……知り合いなんだな。その、秋隆さん?」
「ええ、まぁ」
「へぇ。秋隆さんねぇ」
どこか釈然としない様子の教師は、やがて考えるのをやめたのか立て付けの悪い机に突っ伏した。
俺も秋隆さんの到着を待ちながら、辺りの数学の教材に目をやったりして時間を潰す。
やがて、部屋にノックの音が響いた。そして、鋭い声と同時にドアが開かれる。
「失礼します。ご用件を承った用務員の者ですが」
流石は元執事。礼の心得はプロと呼ぶに相応しく、ただの一言にも熟練の技術が伺える。
そんな風に感心していると、俺を間に挟んで二人が対面。一瞬、妙な間が空いた様に見えたが、その後は滞りなく挨拶を済ませる。
「俺があなたを呼んだ、新任の草壁なんだけどね。ちょっとこの机の立て付けが悪いんですよ」
「あ、そうですか。ではちょっと見せていただいて……」
そう言って机の様子を調べ始めた秋隆さん。すると、その目を盗む様にそっと先生が寄って来る。
「なぁ、遥人」
耳元でささやくように、俺に話しかける。何か、聞かれたくないことなのだろうか?
「あの用務員の名前、なんつったっけ?」
「ん?秋隆さん。藤森秋隆さんですけど」
「……あぁ、そう。あっはっはっは、そうかぁ」
何故か、棒読みにも程がある返答だった。良く見ると、目が虚ろである。どうしたのか。
「これ、一度引き出しを外して直さないと駄目ですね。中の物出しちゃっていただけますか?」
「ハイハイ、リョウカイシマシタ」
「?」
何で棒読み?とでも思ったのか、訝しげな表情の秋隆さん。やはりこちらも、入れ替わる様に俺の元に寄って来る。
「遥人くん。彼、草壁と言いましたよね?下の名前はわかりますか?」
「……冬介、ですけど」
しかも、こちらもささやくような小声。何?流行ってんの?それ。
「草壁冬介、ですか。……あっはっはっは、そうですか、草壁冬介ですか」
秋隆さんまで棒読み!?はっ、しかも虚ろな瞳!やっぱり流行ってんのか?
「あ、用務員さん。中の物片付きました」
「そ、そうですか。では、少し時間をいただいて。……その」
「……えっと」
「草壁冬介さん?」
「ええ。そちらこそ、その、藤森秋隆さん?」
「ええ」
「へぇ……」
「ふぅん……」
「「ぁぁぁぁぁぁぁああああああああ!!」」
「「何でおまえがいるんだ、ここに!!」」
な、何だ?何で二人して急に断末魔の叫びのような奇声を上げたんだ?ちょっと怖いよこれ。
てか、え?これまさか、そういうパターン?実は二人は知り合いでしたって、そういう物語にはありがちなパターンなのか?
だとしたら、お互いこの反応である。よっぽど、よっぽどなんだろう。また厄介なことこの上ない。
はぁ。
ため息を吐く。おそらく、この先もしばらくはたくさんのため息を吐くから。そのぶん、今から吐いておかねば。
本当に、何か動きはじめてるのかねぇ。誰かのための歯車が。
俺は、頭を真っ白にして外を眺めた。茜色に染まりつつある、放課後の空。
もう一度、ゆっくりと、ため息を吐いた。まったくもう。だから、あんたは。
「可愛いって言われちゃいました。男の子に」
「さっそく口説きにかかってるアホがいるのか」
「みたいですね」
こちらは、教室に残っていた疾ひよ奈央真央の四人。転入生の宿命というべきなのか、執拗な質問攻めにあい姉妹はくたくたである。
遥人に姉妹の護衛を頼まれていた疾風と日和は、質問に来る生徒たちをコントロールしつつ姉妹を気遣った。
もしも何か不備があった場合、遥人の信頼を失う上に滅多に見られない彼の激怒を見れてしまうかもしれないから。
せとものを扱うように丁寧に。そんな気を使っていたため、二人もまたくたくたである。
そしてどうやら、いきなり姉妹を口説きにかかる不届き者もいたらしい。
「男は狼ですからね。二人とも、気をつけてくださいよ?」
「「はーい」」
「………」
日和のある意味的確過ぎるアドバイスに、男性陣として煮えきらない思いを抱く疾風。
まぁ、反論できないんだけどね。二人とも思い切り頷いちゃってるし。と、割りきるしかない状態。
そんな風にしながら、四人が向かっているのは数学研究室。あまりにも遥人の帰りが遅いため、こちらから向かおうと言うわけだ。
「こんにちは」
「あ、こんにちはー」
不意に、廊下で一人の男性とすれ違った時である。爽やかな挨拶をする教員らしき男性に、真央は反射的に挨拶を返した。
「……あの人、誰ですか?」
「え?っと、あの人は……新任の高嶺先生ですね。何か気になりました?」
真央が何気なく問うと、流石は情報通らしく日和が答える。どうやら、この時点で新任の教師も全員網羅してあるらしい。
「いえ、別に。ただ、なんとなく」
自分でも、どうしてかわからなかった。ただ、真央はさっき彼の姿を見た瞬間に何かを感じたのだ。
それが何なのかは。もちろん誰にもわからない。ただ一人を除いて。
「……ただの歯車の一つですよ、彼は」
「はい?本宮さん、今何か言いました?」
「いえ、何も。ふふっ」
比較的敏感な奈央が偶然聞き取れたほどの、小さな声での呟きだった。
それを軽くいなした日和は、いつもの様に悪戯っぽく微笑んだ。
それは、全てを知るもの余裕か。はたまた……。
「……ま、正しく並ぶなら歯車だって運命を動かしますけどね」
今度こそ、誰にも聞こえない呟きだった。
うん、明日も、楽しい日々は続きそうだ。
大きく伸びをして、日和は空を見た。
きっと彼も、今同じ物を見ているのだろう。真っ赤な真っ赤な、茜色の夕焼け空だった。
こんな一日
そんな日常
やぁ、なかなか進まないなぁほんと。
とりあえず、作者のやる気は読者様の感想、また最近ではお気に入り登録が増えることなどで大きく上下します。
どうか私めに慈愛の心を。