第六十二話 嘘つきな夜に良い夢を
本編の続きをどうしても書く気にならない。そんなわけで久々更新。
よって、番外編。『嘘つきな夜に良い夢を』
時間軸は、本編より三ヶ月くらい前の真冬。
では、できることならお楽しみください。
こんばんは、奈央です。こたつが恋人のこの季節、私はなかなかこのぬくもりから逃れられずにいます。
……いえ、私はまた嘘を吐きました。逃れられないのは、ぬくもりなんかじゃないのです。
「ねむい」
「そら、夜だもの。寝ろ」
冷たいくせに、どこかあたたかい。意味も矛盾も通り越したその境地に、あなたの存在はあった。
氷名御遥人。あなたはいったい、私の何だ。その言葉は、どうしてそうもあたたかい?
「……うー」
「うーでなくて、寝ろ。こたつから離れろ」
それはもう、私だって寝たいとも。だけど、ちょっとまだ。
夜の闇に溶けるには、眠りの世界に落ちるには、不安が残った。
「まだ不安なんだ」
「……!」
「嘘、ついたもんね」
事実はいつだって冷たくて、容赦がなかった。背負うには随分、重い。
「ついたんだよね。嘘」
「……ん」
「眠れないよね。重いもん」
「……眠れますよ。重くたって」
強がってみせたのに、私は彼の指先を触る。繋がっている気がするだけで、だいぶ楽だから。
「眠れますよ。嘘くらい、私は慣れてるから」
「嘘。それさえもね」
繋がっていた指先をほどくように離した彼は、私に現実を突き付けた。
「嘘は怖いよ。特に、大切な人に吐く嘘は」
真央さんが猫を拾ったらしかった。
それから、来る日も来る日も餌をあげた。早朝5時半、約束の場所はアパートの前。
古いお皿に煮干しを積んで、しゃがみこんで待っていた。
猫は毎朝やってきて、煮干しを見つめて嬉しそうに鳴いた。
真央さんは愛しげに猫を撫でて、餌を食べる猫をただ眺めていた。
それがただ、幸せだったのだろう。
ある夜、真央さんは風邪で寝込んだ。度重なる慣れない早起きは、彼女の気持ちとは裏腹に体を弱らせていたらしい。
夜、眠りに落ちる間際に真央さんは言った。『奈央ちゃん、猫』と。
奈央さんは言った。優しく頭を撫でながら。『大丈夫、私に任せて』と。
『5時半だよ。忘れないであげてね』
『うん。約束ね』
そうして、夜は過ぎた。
朝、いつも通りに7時に起きた奈央さんは、あわてて外へ飛び出した。
同時だった。餌を諦めてとぼとぼと帰路につこうとした猫は、彼女の目の前で車に轢かれてしまった。
『5時半だよ。忘れないであげてね』
忘れないであげてね。猫があなたを待ってる。
忘れないでいてね。これは、約束。
その日の夜だった。真央さんの具合は随分と良くなったようだ。
『奈央ちゃん、猫』
『……煮干し、美味しそうに食べたよ』
胸が
『ありがとう。明日は、会えるよね』
どうしようもなく、苦しかった。
『会えるよ“アエルヨ”約束だもの“ヤクソクダモノ”』
彼女は、嘘を吐いた。誰のため?何のため?
「もう、取り返しがつかないかな」
その嘘は、つい先程のこと。猫の骸は、その後すぐに旧邸の桜の木の下に埋めた。
「吐いたよ、嘘。一番大切な人に吐いた。自分のためだけに」
いい加減、堪えた涙が止まらなくなってしまった。
この人の前で、泣きたくなんかないのに。
怖い。朝が来るのが怖い。嘘が本当に嘘になってしまうから。
真実をしれば、真央ちゃんは私を責めるだろうか。私を軽蔑するだろうか。私を信じなくなるだろうか。
怖い。怖いよ……助けてよ。
「遥人さん……真央ちゃんは、悲しむよね。……私を、嫌いになっちゃうよね……」
涙が止まらない。こたつのぬくもりを忘れてしまった。一人になってしまったような気がした。
寒い。どうしようもなく。独りは嫌だ。
「真央さんのことは、わからない。けど、奈央さんのことは奈央さん自身が決めるんだよ」
「……わたしが?」
情けない声だっただろう。さんざん強がっておいてなんとまぁ、弱々しい本音だろう。
こんな姿を、私は。
「だから、決めな。真央さんがどうするかじゃなくて、君がどうするのか。自分自身にまで、嘘を吐かないように」
そう言われた瞬間、私の体にぬくもりが戻って来たのだ。
知らなかった。この人の胸の中は、こんなにあたたかいのだと。
抱き締められて、初めて気づいた。独りじゃないのだと。
ようやく、そこから離れる決心がついた。
「そうですね。自分には嘘を吐かない」
「うん。そうだよ」
「そして、遥人さん。あなたにも」
意地は張るかもしれない。強がるかもしれない。ただ一つだけ、もう一度嘘もつくだろう。
でも今は、私のホントウを聞いて欲しかった。
「私は約束を破った。しかも嘘もついた。自分のためだけに」
嘘を認めるだけの強さを、持っていなかったのだ。
「正直、朝が来るのが怖い。真央ちゃんに嫌われるのが怖い」
深呼吸をした。優しく微笑む彼を見つめた。
「でも、ホントウノコトを打ち明ける。真央ちゃんが自然に悟るより先に、ちゃんと自分の口で」
「うん、それがいい」
初めて彼が口を出した。その言葉を聞いて、ようやく自分を信じられた。
「それで……全力で謝ります。嫌われても、信じてもらえなくなっても。嘘を重ねたくはないから」
指先を、もう一度繋いだ。多分これが、私たちの距離で。それが結構心地よいのだと、今気づいた。
「それでもし、独りになってしまったら……また抱き締めてくださいね」
言い終わると、すぐに立ち上がる。彼の反応を見ている余裕はない。
何しろ、私の顔は真っ赤なのだ。こんなに血迷ってしまうとは、予想外。
「え?や、その、奈央さん」
「わ、私もう寝ますからっ!」
「ちょ、そんな中途半端な!」
引き留めるように捕まれた手を、恥ずかしさに任せて振りほどく。
「私は寝るんですっ!」
「いや、今の言葉は何さ?なんかめちゃめちゃ嬉しいこと言われた気がするんだけど!」
「気のせいですよーっ!」
「聞いた!しかも奈央さん顔真っ赤!」
「あーもう!だからそれはー……」
一瞬の沈黙。私は振り返り、無理やり笑ってみせた。彼は、怪訝な顔。
「だからあれは、嘘です」
「は?」
直後、唖然。あんぐりと口を開けた彼。間抜けな顔が、ちょっと可愛い。
「騙されたー♪」
「は、反則だろそれ!てかいきなり嘘ついてんじゃねえか!」
「だーまーさーれーたー♪」
「話を聞けーーっ!」
納得できないて、私を追い回す彼。きっとこれが、私とあなたの最良の未来。
こんな関係が、心地良いから。
もう嘘はつかない。自分の選んだ最良の道に全てを委ねよう。
だから、自分にだけは最後まで正直でいたい。こんな風に、顔を真っ赤に染められるままで。
私は彼が嫌い。理由はやっぱり、秘密のままでいさせてほしい。
でも、抱き締められるあたたかさは知ってしまったから。願わくは、その胸は開けておいてほしい。
言わないけどね。それが私とあなたの距離だから。
私は変わる。こんな情けないままでは駄目だから。
でも。例え何が変わったとしても。
この日々だけは、最後までかわらずに。こんなあたたかいままで、終わってくれれば。
「では、おやすみなさい。遥人さん」
「こらっ、部屋に逃げるなってか鍵を閉めるな!卑怯者!」
「おやすみなさーい♪」
「おいいいいいい!」
やっぱり、ドアが開くことはなかった。もう一度、あの言葉を聞きたかったのになぁ。
ドアに背を向けて座りこむ。変わってきた彼女と、それでも変わることのない日々に想いを馳せる。
いつだって、抱き締めてやるさ。君が望むなら。
そんな、絵空事のような言葉。でも、忘れないと心に誓う。
ため息を、吐く。珍しく、自然に零れた笑顔のままで。優しく、慌ただしい夜を閉ざした。
嘘で始まった夜の物語を、嘘も本音も越えた一言で。ただのありふれた言の葉で。
「おやすみ。良い夢を」
それは、誰かへの言葉。
こんな一日
そんな日常
あくまで番外編。言いたいことはそれくらいな。
あ。あと、嘘と寝坊にはお気をつけください。