第六十話 ぐるぐるサプライズ
誰かの世界はいつも、俺なんかの知らないところでまわり続ける。そしていつか、知らないうちに変わっていってしまう。
それはすごく悲しいことだけど、どうしようもなく仕方のないことでもあって。だってそう、俺もその誰かも、所詮は他人どうしだから。
でも、ひとつくらい。ただひとつ、自分の大切な人の世界くらい、ずっと俺の中でまわっていてほしくて。
そんな身勝手な独占欲で閉じ込めてしまった君の世界も、やはり俺の知らないうちに、俺の世界の外でまわり始めていて。
結局、誰かの世界をまるごと自分の中に閉じ込めるなんて不可能で。願うことはひとつしかなくて。
ならばそう、俺の隣でまわり続けていて。君が描いた世界くらい、護ってみせるから。
春の夜の夢は永くもあれば短くもあり、ただ自分の中に不思議な気持ちを残して去っていった。
この気持ちはそう、なかなか久々に味わうもの。不安、そういう名の重い鎖。眠っていたはずの意識の中に、確かに絡みついて離れない。
なんだか、嫌な感じ。今日から久々に学校だというのに、幸先の悪い夢など見たくもない。こんな不愉快な目覚めってのも気に入らない。
なんなら、もう少し目を閉じていてみようか。できれば誰か、姉妹が俺を起こしに来てくれるまで。
「……これで、どうでしょう?」
不意に、小さな声が聞こえた。自分に向けられた言葉じゃないのを知りながらも、その声に反応して再び目を開けた。
ええと、この聞き慣れた声は誰だったか。未だに寝惚けているのか、頭がまともに回転しない。
「変なところ、ありませんか?ちゃんと似合ってますか?」
「大丈夫、すごく似合ってるよ。真央ちゃん」
真央ちゃん?ああそうだ、この声は真央さんだったな。そもそも、こんな朝早くから俺の部屋に侵入できる人間なんて限られている。
「奈央様も、よく似合っていますよ。これなら充分、遥人くんも気に入ってくれる」
そう、真央さんとくれば奈央さんだ。最強の粘着力を持つ妹狂いだけに、今日も朝から一緒らしい。
そしてもう一人。秋隆さんだな。ようやく、頭が正常な回転をしてくれるようになった。俺が気に入るとは何の話なのか。
気に入るかどうか以前に、ものすごく気になる。このタイミングで、目を開けるべきかどうか。
しかし、こうやって相手に合わせて後手にまわるのはよろしくない。というより、既に行動するには遅すぎたようで。
悩みつつ眠るフリをしていた俺の両耳に、いきなり生暖かい吐息がかかる。それからスゥッと、息を吸う音がして。
「「はーるーとーさぁぁぁぁんっ!!」」
「ぃいっ!?」
声という名の振動。朝のまどろみに浸っていた俺の体は、弾かれたように布団の外に飛び出した。
そうして俺が朝イチで見たのは、笑顔でこちらを見つめる二人の少女と、それをさらに一歩引いた所から微笑まし気に見る男の顔だった。
「……おいコラ、それが人を起こしに来た人間のやることか?二人揃って耳元で叫びやがって」
「お言葉ですが、目的の遂行のために手段を選ぶ必要はないかと」
「あのね真央さん。手段は選ばなくても相手は選ぼうよ。君の相方は奈央さんだろう」
まるで主人の迷走を咎める女執事、または社長の横で目を光らせる優秀な秘書か。
そんな様子で口答えした真央さんの言葉をさらりとかわし、いつも通りに標的役を奈央さんに押し付けることにした。
「いやですね遥人さん。たかが奴隷の分際で、真央ちゃんに指図しないでくださいよ」
「奴隷と書いて非常食と読んだっ!?悪意を隠す気がさらさらねぇ!」
おまえ、悪意はチラつかせる程度が一番効果的だと教わらなかったのか?いやそれとも、俺が純然たる悪意に弱いことを知っての蛮行か?
「さあ奈央ちゃん。お風呂にする?夕飯にする?それとも……」
まさか俺かっ!?どの辺が非常食だよ、なんも非常事態じゃないだろうが!どっちかってと俺の方が非常事態だ!
「それとも、お姉ちゃんにしよっか?」
「うん、お姉ちゃんにしねよっかな」
今死ねって言った!予想のナナメ上をゆく奈央さんの欲望まるだし発言に乗るフリをして死ねよって言ったよこの娘!
「じゃあ遥人さん。この薄汚い下郎でハンバーグをお願い」
「今何て書いてお姉ちゃんと読んだの!?」
なんかこう、純然たる悪意どころか悪の根源でも掘り起こして来たような。てか奈央さんでハンバーグが作れるかっ!
「どっちも変わらないじゃないですか。お姉ちゃんでも下郎でも」
「変わるよ!俺がこの先真央さんの発音を信じられるかどうかの分岐点だよこれは!」
「いや、普通に私が姉として扱われるか痴れ者として扱われるかの分岐点なんですけど!」
そんなことはもうとっくに答えが出ている。奈央さんは明らかにこの先おもちゃとして扱われるのが運命である。
そんなことを考えて、やがて虚無感。どうして登校日の朝からこんな不毛なやり取りを繰り返してるんだ俺は。
てかこの姉妹、俺が何らかのリアクションをとるのを待っているのか?残念ながら、俺の脳内はサプライズっててそれどころじゃないのだ。
「あの、本題を忘れてませんか?遥人くんは爽やかに見てみぬフリですし」
一歩引いた所から第三者オーラを出してこちらを観察していた秋隆さん。微妙な空気を察してか、話題を正しい方向に軌道修正してくれた。
「……いや、私たちの口から言うのもなんか虚しいですし」
「できればこう、驚きに満ちた顔で向こうから質問してきて欲しいというか」
嫌だ、恥ずかしい。俺は余程そう言って二人を諦めさせようとしたが、その二人がキラキラと目を輝かせながらこちらを見ているのでどうもやりにくい。
「あー、おはよう二人とも。今日も空がきれいだね!」
どんな誤魔化し方だよ俺!第一に空が見えねえよカーテン閉まってるもん!サプライズな服装をした姉妹しか見えねえよチクショウ!
「あれっ、真央ちゃんなんだか……髪切った?」
「奈央ちゃんこそ髪切ったー?なんだか雰囲気違うよね」
アピールしてるっ!普段とは明らかに違う服装をさりげなくアピールしている!よく見たら本当に髪も少し切ってあるけども!
「ねぇ遥人さん。私たち、何か今日は変ですか?」
リアクションをとらせようとしてる!そしてあわよくば感想も聞いてしまおうとしている!最早逃げ場はないのか?
しかし、リアクションといってもな。俺は今、確かに驚いている。これが二人のサプライズなのかと、予想外の展開に完全にやられている。
ただそれが何故か表情に現れないだけで、二人の期待を裏切っているようだ。普通なら起きた瞬間に驚いてやるところだろう。
でもほら、一度タイミングを逃すとなかなかね。下手に驚いてみせてもわざとらしくなってしまうではないか。
ならばもう、あとは期待を裏切るしかない。驚いてはやれないけど、二人が満足するリアクションはしてあげないと。
俺はおもむろに立ち上がり、二人を交互に見つめた。恥ずかしそうにモジモジしながら、チラチラとこちらの様子を伺う二人。
いいや、もうこの際だから言いたいように言おう。そう開き直り、俺はニコリと微笑んでみせた。
「なんだか二人とも、きれいになったね」
きれいになった。いやもっと近い言葉として、可愛くなったの方が正しいかもしれない。
「いや、そうじゃなくてっ!」
「わぁ……きれい、ですか?」
それぞれの反応を見せる姉妹。同じなのは服装くらいのもの。いつもならあり得ない、お揃いである。
や、良く見ると頬を染めて恥ずかしがる仕草とかも同じかな。どっちも、俺の好きな仕草だ。
とにかく俺は、二人の服装に対し驚くでもなく、混乱するでもなかった。自分でも不思議なくらい冷静に、ことのいきさつを問いかける。
「いやしかし、それは一種のコスプレのつもりか?どうしておまえらが……」
露出など大してないのに、何故かみとれてしまいそうになる上着にはリボン。対して、露出された太ももが妄想を駆り立てるスカートがヒラヒラと。
誰かが言った。それはロマンなのだと。誰かが語った。それは一つの夢の具現なのだと。
誰かが叫んだ。これこそが、我が人生なのだと。
「制服。それも、うちの高校のやつか」
それは開け放たれたカーテンから差した朝日にも劣らない、清廉にして神秘的な輝きであった。そんな、ある朝の光景。
「きょ、今日からいっしょに学校に通うぅ!?」
朝食のフレンチトーストをむさぼりながら姉妹の話を聞いていた俺に、衝撃の計画が告げられた。
「そのための制服ですからね。コスプレだとでも思ったんですか?」
「あぁ思ったとも!まさかいきなりそんなこと言い出すたぁ思わないもの!」
馬鹿にしたように鼻で笑いながら言った奈央さんに対し、俺はかなり焦りながら反撃した。
「制服を買ってあるのは準備の良いことで感心するがな、他はどうする?本当に俺に秘密のまま全部うまくやれると思ったのかよ」
例え秋隆さんがこの計画を知っていたとしても、何ができる?俺に協力させずに、こいつらにいったい何ができたってんだよ。
「できましたよ、全部。入学の手続きも、物品の調達も」
「桐原さんや、本宮さんに手伝ってもらいましたからねー」
「……あいつらに?」
俺には知らせずに、どうしてあいつらに知らせたんだ?そりゃあ、学校のこととなればあいつらは頼りになるけど。
俺は?俺に教えてくれていたなら、あいつらにはできない面でも全面的に協力してやれた。なのに、どうして?
「遥人くん。今回二人は、君の手を借りなくともなんとかできることを示そうとしたんだよ。君が全部背負ってくれなくても大丈夫だから、と」
秋隆さんが優しい口調で諭してくれる。俺にはそれが理解できたけど、納得はできなかった。
「俺は、別におまえらの面倒をみることを苦労だなんて思ってないよ。だから、全部俺に頼ってくれればいいんだよ」
頼って欲しかった。だってこれじゃあ、二人が俺から離れて行ってしまう。二人の世界は俺の中でまわっていて欲しいのに。
そんな、醜い独占欲に今さら気づく。姉妹と本宮たちが仲良くなるのはいいことだ。だけど、だからって俺から離れてしまうのが良いはずない。
俺が背負うから。背負わせてくれよ、俺に。他の誰かになんか寄りかからなくていいから。俺が、幸せにしてやるから。
「そうやって、あなたは潰れるんです」
「……え?」
真央さんが俺の手を握った。何か明確な強い意思を持って、俺の瞳を見つめている。
「あなたは、自分が大切にすると決めた何かをまるごと背負おうとする。いつか潰れてしまうってわかってるのに」
慈しむような、そんな声だった。その言葉を聞いて、あの虹の日を思い出す。あの、きれいな虹が出た雨上がりの日。
「もうあなた一人に背負われているわけにはいきません。あなたを潰したくありません」
横を見るとやはり、奈央さんは目を逸らして俯いていた。それは多分、俺だけに向けられた言葉じゃないから。
「私たちにはもう、秋隆がいて。遥人さんのおかげで、桐原さんや本宮さんも助けてくれるようになった」
それが遥人という人間の力。彼が大切にすればするほど、まわりの人間はそれを同じくらい大切にしてくれる。
自分そのものを偽ってまで笑顔でい続けた少年の、偽ってまで涙を堪えた少年の、間違った道の末にたどり着いた境地。
「なら、俺はもう必要ないのかな?」
普段とは違い、弱い気持ちを吐露する遥人。それだけ、姉妹が離れてゆくことが悲しい。いや、怖いのだ。
「違う……そんなわけありません」
呟くように否定の言葉を口にしたのは奈央だった。その表情は少し怒っているようでもあり、遥人の発言に心を痛めたようでもあった。
「違いますよ。だって遥人さんは、ずっと側にいてくれるじゃないですか」
「……ずっと、側に?ただそれだけのことだよ」
だってそうだろ?今まで俺は、当たり前みたいに側にいて、当たり前みたいに姉妹の全てだった。そういう自負さえある。
「それも、違うな。ただそれだけのことを、本気で渇望している人がいる」
ただそれだけのことで、どんなときよりもきれいな笑顔を見せられる。それが姉妹だった。
当然だけど、今だって姉妹の世界には遥人は大きすぎるくらいの存在で。それはさしずめ、全ての大前提。
遥人を失った姉妹など、全てを繋ぐ大樹を失った枝のようなものだから。大前提が崩れ落ちた方程式みたいなものだから。
「あなたが必要ないなんて、そんなわけがないでしょう。ばかですか?」
俺がこんな落ち込んだときさえも、奈央さんはいつもみたいに軽口を叩く。そんなことができる関係。その意味。
「私や君の友達が、君の穴を埋められるとでも?無理な話さ。だって……」
秋隆さんが、少しだけ悔しそうに。姉妹にとって無二の存在でいられないことを悔いた。それもそれで、勘違いではあるけど。
最後に、俺の手を握っていた真央さんが優しく微笑んで。俺を彼女の世界に引き込むが如く、はっきりと言った。
「だって私たちは、遥人さんのことが大好きなんですから」
「すっかり機嫌が直りましたね、遥人さん」
「まぁ、な」
仲良く並び通学路を歩みゆく三人。一人車で早めに出ていった秋隆を除く遥人、奈央、真央のトリオはご機嫌な様子だ。
特に、なんとまぁ珍しくこの男。遥人の機嫌は真央の言葉を聞いてから、ずっと高い水準をキープしている。
「急ぐぞ、二人とも。楽しい楽しい高校生活は目の前だ!」
最早スキップせんばかりの勢いで、二人の手を握り歩き出す遥人。手を繋いで歩くなど、奈央としては恥ずかしくて仕方ない。
「遥人さん落ち着きましょうよ……いつもはこんな積極的じょないでしょうが」
「大丈夫。愛と勇気だけが友達だから俺」
「余計に不安な人生じゃないですかそれっ!」
ため息を吐きながら説得を試みるも、まるで効果なし。まったく、今日のこの人はいつもと違う。
私たちが計画を隠していたことに、本気で不安になっていたり。真央ちゃんの大好きって言葉に、本気で喜んでいたり。
なんだかまぁ。いつの間にか私たちは、この人にとって大きな存在になりすぎていたらしい。
そんな事実が妙にくすぐったい気持ちで、握られた手を見て少し照れてしまったりして。まったく、結構可愛い人だじゃないか。
「一言でここまで元気になるなんて、男って単純ですねー」
「いや真央ちゃん。多分私も元気になるよ。大好きとか言われたら」
それはもう、ある種のドーピングであるとさえ言えるような。さぁ真央ちゃん、私にも愛の言葉を!
「……言わないよ?奈央ちゃんには」
「はぅっ!真央ちゃんそんなぁ……」
「学校で新しいお姉ちゃんみつけようかな」
「真央ちゃんっ!?」
こんな、初めての登校の朝。こんな、何一つ変わらないやり取り。ただそう、そんなやり取りをする場所が変わる、それだけの話。
君の世界は僕の中で。僕の世界は君の中で。だってそう、同じ世界を共有する僕らだから。
どんな出逢い、どんな別れで変わってしまったとしても。離れることだけは、ないのかなって。そう思うから。
まだまだ続く、こんな一日。それも日常。
六十話到達ながら、中途半端な一話。妙に長引く、嫌な傾向です。




