第五十八話 お届け物と先人達の会合
それは今朝のこと。意味もなく早起きしてしまった私は、窓際の小さなサボテンを眺め物思いに更けていた。
あ、忘れてた。おはようございます、奈央です。定番化したようなしないような冒頭の挨拶、私も随分慣れて参りました。
とりあえず、話を戻そうかなと思います。ええ、はい。私はサボテンを見つめて物思いに更けていたんです。
早起きはなんちゃらで得らしいのですが、実際にはそんなことありません。余計に時間があると、無駄にいろいろ考えてしまうから厄介なのです。
例えば、今の私なんかがそう。どうしてこんなに早く起きた?楽しみなことでもあったの?などと、自分自身に問いかけている。
はい、今ちょっと頭の可哀想な娘なんだなって思った人はデコピンです。私がこうやって自問しているのには、ちゃんとしたわけがあるのです。
誤解されたままだと嫌なので、説明しますと……。
「おはよう、奈央ちゃん」
「はうっ!?」
ごめんなさい。来客がありましたので、説明はなしの方向でお願いします。何よりも優先すべきは、彼女ですから。
「あ、おはよう真央ちゃん。今日は早起きだね」
私の、私だけの可愛い可愛い妹。起きたばかりなのか、眠そうに目をこすりながら私の背後に立っていた。
「奈央ちゃんも、いくらなんでも早起き過ぎるよ」
普段誰よりも遅くまで寝ている真央ちゃんでも、今日の私が早起き過ぎたのはわかるらしい。
それは多分。きっと、認めたくないけど。真央ちゃんが早起きしたのと同じ理由。や、真央ちゃんと同じっていうのは嬉しいけど。
「……今日だもんね。あれが届くの」
「うん。今日、なんだよね」
納得いかない。私があんなもののために、あんなものが届くのが楽しみなばっかりに早起きしてしまっただなんて。
そんな風に意地を張ってみるけど、自分の本能に嘘を吐くのは面倒なもので。そんなのはいつものことだけど、今回は嘘が吐けそうにない。
「遥人さんは?あれが届いたの、バレたらまずいでしょう?」
「桐原さんに頼んでどこかに連れ出してもらう。あれが届くのは夕方だから、それまでには」
自分で言って、さらに恥ずかしくなった。届くの夕方なのに、こんなに早く起きちゃって。
それは私に居場所を作ってしまうもので、ここに太く長い根をはってしまうものだから。
でも、大丈夫。それはただ、ひとときの夢だから。夢のような時間に根をはって決意を鈍らせることは、ない。
「奈央ちゃん」
こんなに近くにいるのに、まるで遠くから呼び戻すような。そんな声だった。
その声が堪らなくいとおしくて、それだけで私の気持ちは揺らぐけど。その声以外では絶対に揺るがないと決めている。
「奈央ちゃんも、いっしょに行くんだからね。私を、一人にしないでよね」
なんだか、遠い昔に聞いたような台詞だった。おかしな話。今のあなたには、私以外にもたくさんの人たちがついてるのに。
「もちろんだよ。あれが届いたら、いっしょに着てみようね」
「……うん。そしたら、まずは秋隆に見せようね。遥人さんに見せるのは、もう少し先だし」
どんな顔をするのかな、秋隆は。喜んでくれるかな?笑ってくれるかな?あの仏頂面を、笑顔に染めてやるんだ。
もし、そんな風に笑ってくれたなら。本当に嬉しいのは多分私たちで、笑顔に染まるのも私たちで。
「そういえば、その秋隆は?さっき、どこかに出掛けるのを見たんだけど」
私が心の友であるサボテンを眺めていたとき、窓から見えた朝日。その光に慣れきっているであろう秋隆が出掛けるのが見えた。
元々の仕事柄、お子様の私としてはちょっと信じられないくらい毎日早くから起きている秋隆。
そんな彼からすれば、この時間から出掛けることも特に希ではないのか。サボテンに水をやりながら、そんなことを考えていた。
「秋隆なら、恩師に会いに行くって。昨日そんなこと言ってたよ」
「恩師、ねぇ」
あの融通のきかない実直堅物人間の恩師。いったいどんな人なのか。とりあえず、秋隆に柔軟な思考というものを教えてやってほしいところだ。
「夕方か」
「夕方だねー」
ふとそんなことを呟きあって、少しばかりの沈黙。お互い、打ち合わせたかのように顔を見合わせた。
『んー、暇だ』
そんな、姉妹の朝。珍しく、二人だけの空間。いつまでも続く、二人きりの世界。
一方こちら、相変わらずの仏頂面をひっさげてある一軒家を訪ねた秋隆。途中、手土産にせんべいなんかを買ってみたり。
チャイムを鳴らす。年季の入った住宅らしく、渋く趣のある音。どちらかと言えば、アパートよりこちらの音の方が好みだ。
「入れ」
懐かしい声だった。目当ての人物は、ドアを隔てたすぐ向こう側にいるらしい。無意識に一礼してから、扉を開く。
「よう、久しぶりだな」
現れたのは、この住宅と同じく年季の入った老人。しかしそこに弱々しさや疎さはない。
昔、自分の担任教師として道を説いてくれたときと同じ。強く、剛く、大きな背中。導かれた先は、どうやら客室らしい。
「悪いな。今日は他にも客人がいるんだ」
「昼間から飲み会ですか?」
それはもう、明らかに酒の臭いがした。ただ、それも昔から変わらぬことで。しかし、事前に訪問の意思を伝えてあるにも関わらずこの扱いとは。
もう二十年ほど前になる学生時代。無条件で憧れてしまったその遠い背中も、少しだけ近くに来たように感じる。
「いや、しょっちゅう連絡もなくやって来る阿呆がいてな。そいつも、おまえと同じ俺の教え子なんだが」
教え子といっても、私とは十近くも離れた年齢の中年オヤジだと、笑いながら説明した。私以外にも、再びこの男のもとを訪れる者がいるとは。
「まァ、今となっちゃただの酒友だがな」
どこかで聞いたようなフレーズだった。しかし、恩師の元に酒を飲みに来る中年とはいったい?しかもしょっちゅう来ると。
「まぁ、なんだ。狭いものだな、世の中とは」
半ば、予想がついていたとも言える。通された客間で胡座をかき、一升瓶を煽っていた男。その顔は、懐かしくもない。
「ん……酒友じゃねぇか。おでん屋の」
「何やってんだ、あんた……」
そこにいたのは、以前おでんの屋台で知り合い酒を飲み交わした相手。同時に、私にあのアパートを紹介してくれた恩人でもある。
確か、甲斐と言ったか。その後も時々あのおでん屋に顔を出すと、必ず酒を喰らっている中年男性。
これが恩人……か。それで良いのだろうか、私の人生は。しかしながら、受けた恩が大きいのも確か。義は通さねばならない。
「アパートの件はどうも。随分心地よい所だし、良い生活を送れていますよ」
「そうか。そりゃあ良かったじゃねえか。よし、座れ飲むぞ」
どうでも良さそうだな……。そしていきなり酒である。酒に飲まれるとはまさにこの男のようなことを言うのだろう。
「なんだァ、知り合いかよ二人とも。俺の教え子の間でOB会でもあんのか?」
「バカ言うな。あんたの元に集まるなんざ、葬式のときくらいのもんだ」
あんた酒飲みに来てんじゃないか、と突っ込みたくなる。しかもこの態度。相当場数を踏んでるというか、かなりの頻度でここに通ってると見て間違いない。
「久々に会ってみたい同級生もいてな。そろそろ逝ってくれや。葬式は俺が取り持つからよ」
「馬鹿言うんじゃねぇ。テメエより先には死なねえよ」
先生あんたいつまで生きるつもりなんだ。この酒狂い多分なかなか死なないぞ?少なくともあと四十年は往生しないと。
そんなことを思っていると、不意に二人の顔に影が差した。僅かだが、確かにだ。
「氷名御の野郎の分くらいは、俺が往生してやらァ」
そう言ったのを合図に、二人はそろって一升瓶を傾ける。氷名御とはおそらく、遥人くんの親父さんのことであろう。
姉妹の前に現れ、道を照らした男。彼の描いたであろう未来とは裏腹に、その後すぐにこの世を去ることになった男。
「氷名御さんも、先生の教え子で?」
「ああ、このアル中と同級生で、面白い奴だったよ」
その豪快さとは一線をかくす姿がそこにあった。今まで大きく見えていた背中が、このときばかりは小さく哀しげに見えた。
「悪いな、先生。そのうちあいつも連れてくるって約束してたのによ」
「なに、仕方ないことさ。人の何倍も全力で走ってきた男だ。人の倍早く死ぬのも運命さ」
一度だけ、その男の顔を見たことがある。姉妹と話しているのを、遠くから見たのだ。
何故だろう。彼と話しているときの姉妹は、見たことのないくらい楽しそうに笑っていた。今は、頻繁に見られる笑顔だけど。
去り際の彼の背中を見たとき、他でもなく先生のことを思い出したのだ。彼が私と同じく先生の教え子だったのなら、納得がいく。
しかしながら、同じ教え子として恥ずかしさすら感じる。先生の背中を追ってまっすぐに生きてきた自分だが、あの男と比べてその背中は小さなものだろう。
目指すものに近づけぬもどかしさ。届かぬ悔しさ。あの男の言葉によって姉妹が家を出たとき、自分の情けなさに唇を噛んだ。
「惜しい男を亡くしたよ。あれほどの『夢売り』はなかなかいない」
その夢売りとやらの親友として、今もなお彼の息子を支えている男。その背中さえ、ひどくわかり難いが、大きかったのだ。
「そうだ。あいつを連れてこれなかった分、また今度その息子を連れて来い。あいつがよく手紙で息子を自慢していたよ」
子煩悩な両親だったと、遥人くんは話していた。親父の性格はどうかと思うが、その息子であることは誇るとも言っていた。
「それなら、こっちの酒友に頼みな。今やその息子のアパートの住民だからな」
「はァ、例のアパートに住んでるのか、おまえ」
夢売りが夢を託して残していったアパート。今ならわかるが、そのアパートに人を住ませるということは甲斐さんにとって慎重に吟味すべき事柄なのだ。
彼の遺した者だから。彼が大切にした息子がいるから。そこに住むってことは、甲斐さんに認めてもらったということか。
「言っておきますよ。父の師が会いたがっていると」
彼は、遥人くんは何と言うだろう?多分、めんどくさがりながらもいずれ会いに来るとは思うが。
「で、おまえは飲まないのか酒友。いや、後輩」
そうか。私はこの男の後輩にあたるのか。……後輩、か。この男の、このアル中の後輩……か。
「いえ、私は結構」
「そうか。……何か微妙に間があったのは気にしないでおこう」
とりあえず一升瓶を離せ。昼間からどれだけ飲む気なんだあんたは。だから遥人くんに馬鹿にされる。
「それより、だ。秋隆おまえ、結婚とかはしないのか?」
いきなりだった。元々、こちらの現実や昔話に花を咲かせに来たわけだから、話題がこちらに向くのは当然なのかもしれないが。
「いえ……。なかなか、そういったものとは縁がなくてですね」
「「情けねえなぁオイ」」
独身貴族が声を揃えて言うことじゃないだろうが!酒か?おまえたちの嫁はその酒なのか?
そんなふざけた態度ながら、表情は至って真面目。酒を一口飲むと、一息ついて話し始めた。
「おまえ、もうその年だろうが。嫁とは言わんが、何か背負い抱え護るものがあって然るべきだろう」
それが、先生にとっては受け持つ生徒だったように。甲斐さんにとっては、親友の片身であるように。
年を取れば取るだけ、然るべき荷を背負うべきなのはわかる。例え若かろうと、遥人くんのように何かを背負って生きる覚悟を決めた者もいる。
そして、それは私もだ。
「ご安心を。私にも、背負い護り道を照らそうと決めた娘らがいます」
強い決意と、明確な意志を孕んだ言葉だった。自分という人間に通した一本の芯。護るべき彼女らに通したひとつの信。
「あの姉妹、か」
呟くように言った甲斐さんに対し、深く頷いてみせる。すると、二人は顔を見合せニヤリと笑った。
「それならいいんだよ。背負うものがあれば、人は曲がらねぇ」
「例えロリコンでもな」
ちょっと待て。この酔っぱらいは今何と?大人の男性には絶対に言ってはならない片仮名四文字を口走ったよな?
「甲斐てめェ、他人の趣味に口をだすんじゃねえ!」
迫力満点の表情で戒めてくれているのは有難いが、それ以前に先生までそんな認識でいてもらっては困る。
「違いますよ!私が言ったのは保護心的な意味で」
「「無理すんな」」
「声を揃えんでいい!」
まったくもって失礼極まりない発言である。確かに姉妹は可愛いが、それはもう可愛いが。愛情と言っても、恋ではない。
そんな私の様子を楽しむように見た二人。やがて先生が一つ咳払いをして、仕切り直す。
「おまえはなァ、ちょっと直線的過ぎる節があるから心配だよ」
心配なのは一升瓶の酒を飲み干したあなたの余命と、そっちの男の老後である。確実に生活習慣病的なものにかかる。
「直線的過ぎ、ですか?」
「あァ、昔と比べたらいくらかマシになったがな。その妥協を知らない性格故、厄介なめにあってきたんだろ?」
否定できない。いやそれどころか、全面的に肯定せざるをえない。それはおそらく、私の決定的な欠陥なのだろう。
妥協、融通、曲がり道。先生の背中に憧れ、先生のまっすぐに生きろという教えを自分なりにまっとうして生きてきた自分。
その前に立ちはだかったのは、いくつもの障害。それを避けることさえせずに正面からぶつかり続けた私は、一度死にかけもした。
そのとき運良く姉妹に拾われて、それから最近まではわりかし良い生活を遅れている。私が少しばかり妥協や融通を覚えたからだ。
だが私は、まっすぐであり続けたい。先生や他の者たちのような、まっすぐ一本芯の通った男でいたい。
しかしそれには、この世界は住みにく過ぎて。本当は、どうしていいのかずっとわからずにいた。だから、ここを訪ねた。
「俺は確かに、まっすぐに生きろと言い続けた。でもな、それはおまえの認識とは少し違うんだよ」
「……認識が、違う?どういうことですか?」
確かに、いつからかずっと違和感があった。こんな風に生きても、こんな風に自分を押し殺して生きても駄目なんじゃないかと。
しかし、その違和感の正体が掴めない。自分の信じた道が徐々に歪んで来て、前に進めなくなってしまった。
「それは口で言ってどうこうより、テメエで答えを見つけるべきだ。俺が言えるのは、もっと柔軟に生きてみろってことさ。『あいつ』みたいにな」
すぐに、懐かしい顔が浮かぶ。やる気のない瞳。ボサボサの頭に覇気のない口調。それは、自分の目指すものとは真逆の姿。
「あいつの、“草壁”のようにですか?それはできません」
中学に入ってから高校を出るまでの六年間。奴が果たしたのは反面教師としての役割しかない。
それを学べとは、人に堕落を促すのと同意であるとさえ思う。とても受け入れられない。
「もう一度、奴に会ってみろ。機会があったらな。じっくりじっくり観察すれば、見えてくるもんもあるさ」
「奴を見ているとイライラするんですがね……。あれで結局、目標通り小学校教諭をやっているのが奇跡だと思いますよ」
小学校の先生だぞ?場合によっては人一人の人生を左右するその仕事、何故あんな男がやる。先生の真似事とは笑わせてくれる。
「なに、俺だってこれで長年教師やったんだからな。それに、風の噂ではあの野郎、今年から高校教諭に転身したらしいぞ」
どうでもよかった。果てしなくどうでもよかった。ただ、今年から高校で用務員をやる身としては、職場にあんな奴がいて欲しくないと思う。
「まァとにかく、おまえは道を間違えるんじゃねぇぞ。それだけさ」
本当に、ただそれだけの話。ただそれだけのことを生徒に伝えるのに、教師ってのはどうしてこんなに苦しまなくちゃならないのか。
「よし、飲むか」
「話が終わるの待ち構えてたんですか……」
あまりの早業に、突っ込む気さえ起きない。もう、好きにしてくれ。
結局最後は、そんな風に終わっていく先人達の会合であったとさ。
そして夕暮れ時。行きも帰りも変わらぬ足取りでアパートに帰宅した秋隆が目にしたのは、なんとも綺麗な光景だった。
「ねぇ、秋隆……どう?」
「似合う?」
例のお届け物。遥人くんにのみ秘密にされる、ある計画を実行するための服を、姉妹は纏っていた。
夕焼けに照らされたその姿は、恥ずかしそうに赤く染めた頬をさらに赤く彩っていた。
「綺麗……ですよ。二人とも」
多くの言葉は出なかった。ただ、その姿に魅了された私は胸がいっぱいになっていた。
姉妹が、この服に袖を通す日が来たこと。その事実だけで、いろんなことがどうでもよくなった。
様々な人々の手を借りた。桐原疾風、本宮日和、織崎紫音。たくさんの好意により、この計画は実行手前までたどり着いたのだ。
敢えて、氷名御遥人の手は借りずに。彼にはただ、驚いてもらえれば良い。
「二日後の朝、遥人さんに披露だよね」
「うん、待ち遠しいね」
確かに、待ち遠しい。こんな二人の姿を見た瞬間の彼の顔は、どんなものだろうか。
おそらくは、ちょうど今の私のように。唖然としてみとれているに違いない。だって、この光景は……。
「本当に、綺麗だ」
無意識のうちに出た言葉だった。これは最早、一種の幻想であるとさえ思える。そんな姿。
「うん。ありがとう!」
「ねえねえ秋隆、惚れちゃった?」
うっかり思い切り頷きそうになる。多分遥人くんあたりは頷くんじゃないだろうか。
そうしたなら、笑ってやろう。そんな風に幸せを感じ続けられるなら、迷わず進み続けてみせよう。
夕焼け空。綺麗で悲しげなその情景さえも色褪せる二つの光の傍らで。
彼女らがずっと欲しがっていたもの。渇望し続けたもの。
当たり前の幸せを掴むその日を、この目でみるのだ。それが、私の道だろう。
こんな一日
そんな日常
もはやおっさん賛歌。そんな、次回の次回への伏線だらけの第五十八話でした。




