第五十七話 パンドラの箱、運送中
こんにちは、遥人です。春休みのある日、俺は朝から肉体労働に勤しんでいたりします。
得体の知れない段ボールをアパート二階の一室に運ぶ仕事。つまり、引っ越し作業ってやつです。
どうしてそんなことをしているのかと言えば、だいたいお察しのことでしょうが、今日はある女の子の引っ越し当日なのです。
既にタオル配りを通して我がアパートの住民に挨拶を済ませてある彼女。春の長期休暇も終盤に差し掛かったところで、ようやく引っ越し実行にこぎつけたらしい。
空栄小夜。数週間前に疾風と茜ちゃんにより引き合わされた、同い年の可愛らしい女の子だ。
「あ、遥人くん。その段ボールはあっちの方に置いてください」
「あいよー」
その彼女を半ば押し付けられる形でアパートに迎え入れることになったのは、少し前の話。
かの狂信少女茜ちゃんによれば、俺にしてほしいのはただ彼女と仲良くしてあげることだけらしいけど。
そんなことは、同じアパートに住む以上はごく当たり前のことなわけで。そんな当たり前だけをしてれば良いってのは、ちょっと納得がいかない。
どうせならちゃんと彼女という人間のことを知っていきたいし、このアパートの住民の一員として溶け込ませてあげたい。
そう思う今日この頃だが、その道は結構厳しいんじゃないかと今からかなり心配だったりする。
「あ、タオルの人」
「タオルの人だー」
せっせと段ボールを運び込む俺を尻目に、彼女は引っ越しを覗きに来た姉妹に捕まり戸惑っている。
「ああぁあその、おはようございます!今日から本格的にお世話になります!」
最早新入社員みたいな緊張ぶりである。なんだか社長みたいな扱いを受けた姉妹が調子に乗るのが目に見えている。
「君が新入社員のタオルくんかね。とりあえずパン買って来いよ」
調子に乗りすぎだ!てか社長からクラスの不良みたいになってんぞ!?奈央さんあんたそんなキャラじゃないだろ。
「わ、わかりましたただいま!」
いや、行くなよ!小夜ちゃん君は二秒走っただけで虫の息になる人なんだから自重しとけ!
あんまり彼女を振り回し過ぎると危険なので、そろそろ注意しようかと迷う。
しかし、俺の介入なしで他の住民とコミュニケーションをとることも大切だ。今のうちに、多少無理を強いてでも練習させた方がいいのかもしれない。
可愛い子には旅をさせろってね。そんな風に親気取りになりつつ、三人のやり取りを静かに見守ることにした。
「駄目だよ奈央ちゃん、新人さんは大切にしなきゃ」
お、真央さんが正論言ってる!いつの間にか成長したんだな。どっちが姉だかわかったもんじゃない。
「罰としてパン買って来いよ」
いややっぱりそれかよ!矛先が奈央さんに向いてることが真央さんらしいっちゃらしいけど!どっちが姉だかわかんねぇ!
「うん……買ってくる」
お前も行くなよ!いつからそんなにも姉としてのプライドを失っちゃったんだ!?
「あ、そんな!私が行きますからどうぞ休んでいてください!」
「いいですよ。真央ちゃんのためなら私は何も苦じゃありませんから」
どんな譲り合い?どうでもいいけど暇なら手伝ってくんないかな?さっきからひたすら段ボール運んでんだぞ俺は。
「奈央さん、俺はチョココロネね」
「やかましい!遥人さんが行ってくればいいじゃないですか!」
俺にだけ激しく態度が違うよね?てかおまえ、さっきから俺が一人で働いてるのが見えないのか?
「遥人さん、私はあんパンが食べたいです」
そして真央さん。君実は買ってきてくれるなら誰だっていいだろ?それでも買ってきてあげたくなるから彼女は恐ろしい。
「あ、遥人くん。私はクロワッサンでお願いします」
小夜ちゃん、さっきまでの腰の低さはどうした!?変なタッグを組むなよ!女全員で組んで俺や秋隆さんを尻に敷くつもりだろ!
「いいから買って来いよ、奈央ちゃん」
そして真央さん、君はやっぱり最終的に奈央さんなんだね。これ、ある種の愛情表現と見るべきなのかな。
悲しそうにうなだれてとぼとぼとパン屋に向かった奈央さんを見て、愛情表現の歪んだ妹を持つと大変なんだなと実感した。
「さぁタオルさん。私と何か甘いものでも食べようよ」
一見無邪気に誘い出す真央さん。新入りと積極的に仲良くするのはとても良いことだけど、彼女の場合どんな思惑があるやら。
「あ、ごめんなさい。私今、引っ越し作業の途中なんです。遥人くんに一人でやらせてました」
やっと気づいたんですか?その間に俺が積み上げた疲労と悲しみと段ボールの数が君にわかるか?
「いいじゃないですか。そんなの遥人さんにやらせておけば」
良くないからね?真央さんはこれ、だんだん俺にも平気で真っ黒な牙を向けるようになってきてるよ。
やっぱりこの前の紫音さんとのあれのせいか?どこぞの姉と同じ扱いにはなりたくないので、ちゃんと機嫌をとっておくことにしよう。
「うん、俺がやっとくから食べて来なよ。せっかくだから仲良くしてくれ」
そんなきれいごとを抜かした俺は、まだまだ終わりそうにない段ボールの運送作業を再開した。
ただ、この言葉は言葉通りの意味で言ったのではない。根が純情な真央さんのことだ。こんな風に言われたならおそらく……。
「そんな、遥人さんばかりにそんな苦労はかけられません。私も手伝いますから、早く終わらせて三人でお茶しましょう」
ほら、この娘は純情ちゃんなんだって。姉以外の人間にはとても悪行を働くような娘じゃないんだよ。
そしてさりげなくだが、パンを買って帰ってきても奈央さんを無視する気まんまんであるのがわかる。
さも奈央さんの存在を忘れたかのように三人と言っているのだから始末が悪い。別にいいけどさ。
「そうだね。じゃあ早く片付けて、紫音さんとかも呼んでみんなでお茶を」
「あの人はいりません」
そう一刀両断した真央さん。おいおいおいおい、真央さんと紫音さんはほんとに、いつからこんなに仲が悪くなったんだよ。
「あの人より先に新入りさんをこっちの派閥に誘導するんです」
「派閥って何!?いつからこのアパートは真央さん派と紫音さん派に別れたんだよ!」
やばいよこれ、結構深刻な亀裂がはしってるみたいだよ二人の間に。どうでも良いが、俺はどっちの派閥なのかな?
「真央さん。そういう打算的なことやってると友達できないぞ」
喧嘩ばかりしている子供を説得するように、そんなことを言ってみる。その途端、手を握られた。
「できないならそれでもいいです。遥人さんがいますから」
「いや、小夜ちゃんの前でそういう恥ずかしい発言するのはやめてくれ」
二人きりのときならそんなに恥ずかしくないけど、回りに人がいるときはやめてくれ。恥ずかしくて死ぬから。
「わー……その、私お邪魔でしたか?」
そそくさと遠ざかりながらそんなことを言う小夜ちゃん。妙な気を遣わんでいいわ。
かれこれ数十分の間そんな会話を続けた俺たちは、ついに協力して段ボールを運び始めた。もっと早く始めてくれ頼むから。
「小夜ちゃんこれはどこー?」
クソ重い段ボールを抱えながら置場所を訪ねる。すると、小夜ちゃんがすぐに指示をくれる。
「それは右の角に置いてください。気をつけてくださいねそれ、割れ物ですから」
「割れ物?」
「神様のガラス像です」
消される!壊したら最後絶対にこの世から消されるだろこれ!怖いよ、こんなもん運ばせんなよ。
「タオルさんこれはー?」
あちらでプルプルと腕を振るわせながら重そうな段ボールを抱える真央さん。おいおい、あんまり無理しない方が。
「えと、あっちです。気をつけてください、それは」
「きゃっ!」
指示された方向に移動しようとして、他の段ボールにつまずく。スローモーションで荷物を叩きつけるように倒れていく。
それ、大切なものなんじゃ……まずいなこれ。
「それは、前のお父さんからもらった唯一のものなんで」
「真央さんふんばれェェェ!」
だからそんな大切なものを運ばせないでくれ!なんだよ前のお父さんって!茜ちゃんから際どい家庭事情聞いちゃってる分恐ろしいわ!
俺の叫びに素早く反応し、真央さんが何とか体勢を立て直す。いや、物理的に無理な状態だったけど、何故か立て直せた。
「な、何とか大丈夫です……中身は何なんですか?これ」
そうとう焦っていたのか、息を荒くしながら問いかける真央さん。それに反応して、小夜ちゃんが段ボールに歩み寄る。
「ああ良かった。私の大切な……」
ほっとしたように胸を撫で下ろし、ゆっくりと段ボールを開く彼女。真央さんがドキドキしながら中身が見えるのを待っている。
「メイド服」
「何でじゃボケェェェ!」
親父ぃぃ!前の親父いったい何やってんだそれ!娘に何させる気だよオイ!
「遥人さんこれ……わざわざ高校生くらいになってから着るようにサイズ設定してありますよ」
「あれ?そういえば変ですね。それをもらったのは何年も前なのに」
親父ぃぃ!何でそんな長いプランでプレゼント買ってんだ親父ぃぃ!自分の娘に何を求めてんだよ!
「しかもこれ、オーダー品ですね。親父さんの好みでアレンジされてます」
もうやだこの親父……。待て、良く見てみろよ?明らかに背中がばっくり空いてるんだけど。変態チックな思惑が見え見えなんだけど。
「まぁこれは、奈央ちゃんに着せるとして……」
何故?でもきっと、見る人が見れば喜ぶのかもしれない。俺にそっちの趣味はないからあれだけど。
「よし、次はあの段ボールだな」
気を取り直して作業を再開しようとしたのだが、どうも真央さんの様子がおかしい。たくさんの段ボールを見つめて目を輝かせている。
「これは?これは何が入ってるんですか?」
興味しんしんになっちゃったよ。あれは玩具屋さんに連れていってもらった子供の目だよ。
「えと、それはなんでしたっけね……」
そそくさと箱を開く小夜ちゃん。真央さんの楽しげな表情を見て、彼女も作業する気がなくなったらしい。
俺はといえば、特に興味も湧かないのでまたも一人で作業を再開することにした。ま、二人とが仲良くなってくれればいいや。
「これは……なんですか?」
開かれた箱の中身を見て、真央さんが不思議そうに問いかける。いったい何が入ってたのやら。
「わ、これ懐かしいなぁ。お母さんがプレゼントしてくれたものなんですよ」
「へー、お母さんは普通の人だったんですね。お人形ですし」
人形かぁ。確かに、いかがわしい服を寄越す下心丸見えの親子に比べたら普通すぎるくらい普通だな。
段ボールをせっせと運びながら、二人の声だけを聞いて状況を確認。どんな人形なのか想像してみたり。
「思い出すなぁ。これをくれた日のこと」
どこか遠くを見るようにそう話した彼女。お母さん、どんな人だったんだろう?
『お母さんお母さん!今日ね、学校でね!』
『まぁ小夜ったら。騒がないでちょうだい今忙しいんだから』
『え……うん』
『まったく小夜はいつもお母さんお母さんって。五月蝿くて仕方ないわ』
『ご、ごめんなさい』
『謝ることないの。お母さん忙しくてお話できないから、今日は代わりにあなたの話し相手を連れて来たのよ』
「と、こんな感じでプレゼントしてくれたのがこの人形なんですよ」
「それ、お母さんが話すのめんどくさかっただけじゃ」
黙っとけ!そこはもう黙っとけ!彼女なりに辛かった幼少時代を必死に美化して話してるんだから!
てかお母さん、いくらなんだって人形なんぞに押し付けなくても。会話なんてできないだろが。
「今日からこの子があなたのお友達よ、って。それからお母さんは口を聞いてくれなくなったけど」
ほらぁ!やっぱりこんなんじゃねえか!お母さん娘との会話をたかが人形に一任しやがったよ!
『ねえねえ。今日ね、学校でおもしろいことがあ』
『ファァァアアビィィィイイ!』
「ってそれ、ただのファービーだろうがぁぁぁ!!」
懐かしいなおい!お母さんある意味気遣いのできる人だよ!人形ってもちゃんと反応してくれるやつだもん!
『ねぇ聞いてるの?ファービー?』
『ファァァアアビィィィイイ!』
「こんな風にいつも話し相手になってくれて……」
「なってないよね?まったく話聞いてないよねそのファービー」
お母さぁぁん!あんたこれでいいのか?小さいころからファービーとしか触れ合えなかった子供とか可哀想だと思わないのか?
「そう、あのときからずっと、私の友達はこの子だけ。ね、ファービー」
重い!無駄に重いよ!なんだこの『人間不信の末にファービーにしか心を許せなくなった女の子』の図は。
「ファァァァビィィィィ!」
うるせえぇぇぇ!いつまでもてめぇの名前叫んでれば売れると思うなよ!ピカチュウと同じになれると思うなよ!
おまえよりもっとちゃんと教育されたファービーはな、ちゃんと日本語を話すことができるんだよ!
「すごいです!これ、声に反応してくれるんですね!」
真央さんが一昔前の旧型へんてこ人形に惚れちゃってるよ。あんなキラキラした目ができるのはファービーを友達だと思える年代の子だけだよ。
「まつげが妙に長いんですねー。わ、可愛いなぁ」
「あ、ちょっと真央ちゃん?そんな口の中に無理やり指をつっこんだら……」
そして、案の定というべきか。俺たちの見ている前で、ガギャって感じの嫌な音がしてファービーが大破したのだ。
「ファ……ファァァブルバベ……ファァァビィィィィ!」
へんてこまつげ人形の断末魔が辺り一帯に響き渡る。真央さんの手から、鉄屑と化したファービーがこぼれ落ちる。
いや、どうやったらそんな風に壊せるの?
「あ、あぁ……またやっちゃった……」
また!?またってなんだ前科持ちだったのか!?と叫びたくなる遥人は、残念ながらかつてのトランシーバーの運命を知らない。
「わ、私の唯一のお友達が……」
鉄屑を見つめ悲しそうにうなだれる小夜ちゃん。さすがの真央さんも申し訳なさそうに目をふせている。
「あの……ごめんなさい」
空気がものすごく重くなっております。俺はもう知ったこっちゃありません。段ボール重いです。
「気に、しないでください。この子はもう、天寿をまっとうしたんですよ」
個人的には、あの何故か腹のたつ声を聞かなくて済むのだと思うとほっとするような。
ただ、彼女にとってはそれがたとえファービーであっても、思い出の品だったのだ。確かに、可哀想だ。
仕方ないな。こういうときこそ、管理人の腕の店どころだろう。結局一人で全ての段ボールを運び終えた俺は、二人の元に歩み寄る。
「友達を失ったんなら、また作るしかないだろ。ほら、お茶しに行こうや」
肩を叩いてそう促した俺を見て、二人の沈んだ顔が少しだけ明かりを取り戻す。そして、ちょうどそこに奈央さんが到着した。
「みんなのパン、買ってきましたよー!って、どうしたんですか二人とも」
何だかんだ言いながら、俺のチョココロネも買ってきてくれてある。どうせ間違って買ってきたとか誤魔化すんだろうけど。
「ほら、パンも帰って来たことだし、お茶だお茶。中に入ろうぜ?」
「パンが帰って来たってなんですか!私の存在はどうでも良いってんですか!」
「そうだね、パンも帰って来たし。タオルさん……いや小夜さん。三人でお茶しましょう」
「はい。……三人?」
その瞬間、奈央さんが何かを悟って顔を青くする。ニヤリと笑った真央さんと、それを見てため息を吐く俺。
小夜ちゃんだけが状況を飲み込めず首を傾げていたが、それでも楽しげに笑っていた。
そして、ティータイム。三人でテーブルに座った俺たちは、お茶の入ったカップを交わし合う。
「じゃ、小夜ちゃんの入居を祝いまして。乾杯っ」
「「乾杯!」」
一口だけお茶を飲むと、買ってきてもらったチョココロネにかじりつく。そんな、優雅なティータイム。
「奈央ちゃん、お茶おかわり」
「はい……ただいま」
ただ、一人だけテーブルから追いやられた真央さんがお茶汲み係りを任命されている。
「何で私だけこんな仕打ちなんですかっ?パン買ってきてあげたのに」
悲しげに俯く彼女。ちょっと可哀想じゃね?と思って真央さんの方を見ると、それはもう楽しそうな笑顔が見える。
「だって、メイドだもん。奈央ちゃんは」
「……確かに、メイドだな」
小夜ちゃんの親父さんのプレゼントであるメイド服を着せられた奈央さんは、主人に仕えるメイドの如くひたすらこき使われていた。
うーん、親父さんの趣味も、なかなか悪くないのかもしれない……ってそうじゃなくて!
「あ、その、可愛いし似合ってると思いますけど……」
「気を使わなくていいんですよ、小夜さん。私なんていつもこんな扱いですから」
なおも申し訳ない気持ちでいっぱいな小夜ちゃんだが、俺や真央さんがあまりにもきにしてないため徐々に気にならなくなってきた様子。
「優雅ですねー」
「ですねー」
ついには奈央さんの存在を忘れたかのようにくつろぎ始めた。奈央さんのすすり泣きが聞こえる。
「終わったら引っ越し作業再開だからな」
「「はーい」」
「私はもう、段ボールになりたい」
意気揚々の二人と、良くわからんネガティブ発言をしている奈央さん。みんな、仲良くやれそうじゃないか。
友達を失ったんなら、また作るしかない。だから、こんな時間をいつまでも続けよう。
人生で一番楽しい日々。それは俺たちみんなからのプレゼント。みんながみんなに渡しあっている、そんなプレゼント。
だから安心して。ここはきっと、楽しいところだから。
「奈央さん、おかわり」
「私も」
「では、私もお願いします」
「はいはい、わかりましたよ。やればいいんでしょーー!」
ここは、そんなアパート。
こんな一日
そんな日常
久々にだらだらーっと書いた気がする。そんな一話。