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日常賛歌  作者: しろくろ
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第五十六話 何事もやりすぎ注意

 それもまた、ある春の一時。スーパーの出口を肩を並べて通過した二人は、ゆるりゆらりと快晴の空の下を歩いていた。


 買い物袋をぶら下げた二人、遥人と紫音。三日に一度の習慣となっている食物の買い出しを済ませると、特に何を話すでもなく家路を歩いていた。


 信号待ち。ふと横目に見た紫音の姿に、軽く心を揺さぶられつつ前を向き直した遥人。


 徐々に暖かくなってきたということで選択されたであろう紫音の服装は、薄緑色のラフなワンピース。


 長く艶やかな彼女の緑髪と相まって映えるその姿は、遥人にも無条件で春の訪れを感じさせた。


 緑髪の彼女はこちらに目を遣ることもなく、買い物袋を両手でぶら下げながらひたすらに信号を見つめていた。


 何か話すべきか。そう考えた遥人だったが、すぐに考えを改めた。この無言こそが、心地よい関係だってある。


 ただ肩を並べて歩くだけで、繋がっていることを実感できる関係がある。そんなの、たいていは気づけないままだけど。


 気づけた者たちに、言葉はいらないのだと。そう示すかのように、二人はただ無言のまま歩みゆく。


 一歩一歩、その足音が刻むリズムこそ、自分たちの意志疎通の証であると。頭の中でそんなくだらない理論を展開している自分に半ば呆れながら、やがて遥人はたどり着くのだった。


 帰る場所。父親からの最後のプレゼントであるこのアパートに、名前はまだない。


 遥人自身がそのことを気にしていないことから、アパートが名前をいただくのは当分先のことなのかもしれない。


「じゃ、さようなら」


 そんな風に、軽々しく発した別れの言葉。いつも思うのだが、結局は同じ屋根の下にいるのにさようならってのは違和感がある。


 ただ、それでも別れ時くらいは一言二言ないと締まらないもので、いつもならこの後に紫音さんが『……さようなら』って感じで軽く手を振って別れることになる。


 ただ今日に限っては、その聞き慣れた綺麗な声がいつまでも聞こえて来なかった。


 不思議に思い、自宅のドアに手を掛けたと同時に振り返る。やはり、二階への階段を上る紫音さんの姿がない。


 その代わり、と言ってはなんだが……。


「紫音さん、何やってんですか?影踏み?」


 彼女が立っていたのは、振り返った俺の目の前。つまり、ドラクエみたいにずっと背後にくっついて来てたわけだ。


 俺がそう問いかけると、無表情だった紫音さんの顔が微かに強ばる。あれか。んな子供っぽいことしませんってか。


「……守護霊ごっこです」


 余計に子供っぽいわ。しかも皆で仲良くやる遊びから勝手に他人を巻き込んでやる陰湿な遊びになったじゃねぇか。


 俺の表情の変化から、今の返答がうけないと悟った紫音さん。一瞬考えた後、尚も無表情のまま答える。


「……違う。背後霊ごっこ」


「どう違うんですか、それ」


 確かに表情は一つも変わらなかったが、俺には確かに『これならどーだ』と言わんばかりの自信に満ち溢れた雰囲気が感じとれた。


「……気持ちの持ち方が違います」


「んな繊細な遊び聞いたことないです」


「そんな無意味な十数年」


「俺か?俺の人生のことを言ったのか?んなことで人の人生を無意味なもの扱いしないでください!」


 なんかもう、この人はぼそっと酷いことを言い過ぎだ。あんまりさりげなく言うものだから、時々気づかないままでいることさえある。


「じゃあ教えてくださいよ。気持ちの持ち方がどう違うんですか?」


 何で俺はこんなどうでも良いことを質問してるんだろう。半年放置した日めくりカレンダーくらいどうでもいいのに。


「守護霊はねばっこく、背後霊はさりげなく後をつけていきます」


「どっちもただのストーカーじゃねぇか!遊びだと思ってやってるぶんタチが悪いわ!」


 ああ、どうでもいいはずなのに。年末まで放置された風鈴くらいどうでもいいのに。とりあえず、この人は何でついてくるんだ?


「なんか用があるんですか?憑依目的以外でお願いします」


「呪縛しに来ました」


「却下!」


 何で駄目なんですかとばかりに頬を膨らます紫音さん。とりあえず、可愛いから中に入れてあげることにした。


「……おじゃまします」


「ほんとにね……いやごめんなさい」


 軽く小突かれました。ただ、その動きがなんか可愛かったので、飲み物を出してあげようと思います。


「……奈央さん(と真央さん)は?」


「何で真央さんは括弧なんですか。仲良くしてくださいよ、もう」


 不仲の原因が自分にあることなど露知らずの遥人。冷たいココアを紫音に差し出しながら答えた。


「なんか、秋隆さんにくっついて学校見学に言ってるみたいですよ」


 秋隆さんは四月からの仕事に備えて打ち合わせに。姉妹がそれについて行ったのは、遥人は知らないある計画のためだけど。


 紫音はと言えば、姉妹の一つの覚悟に称賛を贈りつつ、秋隆のナイスアシストに感謝をしてみたり。


 こうやって遥人と二人きりにしてもらうことは、紫音からしたらとても有難いことなわけで。


 春先に結んだ秋隆との協定も、これからどんどん役にたっていくのだろう。そう考えると、何とも幸せな気分なのであった。


「で、何しに来たんですかあなたは」


 そこだけやけに粘り強い遥人。用がなければ来ちゃいけないのかと文句を言いたい紫音だが、今日はちゃんと用があるので問題はない。


「……奈央さんから聞きました。遥人さん、最近一切宿題をやっていないそうで」


「ぎくっ」


 あのヤロー、いらんこと言うんじゃねぇよ!俺は忘れようとしてたんだぞ、その存在を!


「いえ。正確には、序盤三日である教科以外を終わらせてから、ですね」


 今年の春休みは満喫するぞ!と意気込んで宿題を終わらせに向かった最初の三日。英語に生物……トントン拍子に宿題は片付いていった。


 しかしその勢いも、ある教科に差し掛かったことで完全に失ってしまった。誰にでも、あまりやる気のでない教科ってのはあるもんで。


 数学。彼が小学校時代、担任は極度の無気力野郎だった。その担任の専門が算数だと知って以来、どうもこの教科には気合いが入らないでいる。


 結果、授業中はほとんど夢の中。ときどき起きては急いで授業内容に追い付くという、危ない橋を渡り続けてきた。


 しかし、橋はすでに崩れ去っていたらしい。数学の課題に手をつけて見たものの、さっぱりわからないのだ。


「先生の話しも聞かず、短時間で得た付け焼き刃の知識です。そんなもの、時間が経てば忘れてしまって当然でしょう」


「うっ……何で俺の授業態度を知ってるんですか」


 確かに俺は寝てばかりだけど、ちゃんとたまに起きては教科書を見て授業について行ってたんだぞ!見てもないのに適当なことを言わないでもらいたい。


「本宮さんから聞きました」


 何でみんなして俺の醜態を紫音さんにリークしてんのさ?てか待て。本宮だってクラス違うのに何で知ってんだよ!?


「……そんな程度の学力では、二年になってから彼女らに笑われてしまいます」


「彼女ら?」


 繰り返し言うが、遥人は知らないある計画が進行中である。しかし、これはある意味そのための特訓。


「そうならないためにも、私が数学を教えに来たわけです」


「勘弁してくれ……」


 とは言ったものの、今のままでは宿題を終わらせることはできない。ここは恥を忍んででも、彼女に頼っておくべきなのかもしれない。


 なんてったって飛び級の実績を持つ彼女だ。教えを乞えば、案外すぐに上達してしまうかもしれない。


「仕方ない。お願いします、紫音さん」


「……はい。任せてください」


 妙にやる気を見せる彼女を横目に、軽くため息を吐く。頼り頼られる関係も良いものだが、何だか今はただ情けない気持ちだ。


 紫音としては、遥人と対等な立場で歩んでいくためにも、ここが腕の見せどころなわけで。


 そんな多様な思惑を抱えつつ、『織崎紫音の数学講習in氷名御家』は幕を開けたのであった。



「ではまず、わからないところを見せてください」


 いきなりだが、講師っぷりが思ったより板についている。普段のもっさりとした姿とは一線をかくす形である。


 とりあえず、これを見せて良いものか不安だ。こんなものもわからないのか、と激しく落胆される気がしてならない。


「ここ……なんですけど」


 恐る恐る、問題集のあるページを開く。覗きこんできた紫音さんの顔が、みるみるうちに青ざめていくのがわかる。


 あ、やっぱこれ、やばいな。気づいたときにはすでに遅く。


「……遥人さん。冗談はいいですから、早く本当のをお願いします」


 わからないという事実を否定された!?てかこれ、未知の世界を見る目だよ。知性の感じられない新生物を見る目だよ。


 そんな目で俺を見ないでくれぇぇぇ!わかんないんだって!マジでわかんないんだって!


「……仕方ないですね。私がしっかり教えてあげますよ」


「申し訳ございません」


 あの紫音さんがあからさまにため息を吐いたからね。あの表情や仕草を意思表示の手段に使わない紫音さんが。


「……さて、始めましょうか」


「はい」


 ……………。あれ?始まんないんですけど。何で彼女はひたすら俺を見つめたまま何もしようとしないのだろうか。


「紫音さん?あの、指導してくれないんですか?」


「……ど…さい」


 何やら、ぽつりと呟いた様子いや、わからないからね?ぱどぅん?わんもあぷりーず。


「……指導するの、めんどくさい」


「おぃぃ!さっきまでと言ってることが違うんですけどっ!?」


「甘ったれないでください。何の報酬もなしに教えてもらえると思ったんですか?」


「言ったもん!教えてあげますよって言ったもん!」


「気のせいです」


 どうしちゃったんだよこの人は……。いやしかし、扱い難いのは今に始まったことじゃない。


 こういうときは、何かしてほしいことがあるのだ。彼女のめんどくさいとは、そういうときに使われる。


「どうしたら教えてくれるんですか?圧倒的な恥辱プレイ以外でお願いします」


「……そんなに、恥ずかしいことじゃありません」


 そうは言っているが、先に忠告しておかないと何をさせられるかわかったもんじゃない。


 ただ、どうやら今日はそんな類いのものではないらしいので一安心だ。


「……私に甘い言葉をかけてもらいます。一回につきワンポイントずつ、問題の解き方を教えます」


「ものすごい恥辱プレイの臭いがするんですが!?」


 この人なんもわかっとらんがな!何?甘い言葉って何?口説けってか、口説けってか!?


 しかもあんた、一回につきワンポイントってどんな低価格?それはもう、俺が問題を解くのが先か恥ずかしさで発狂するのが先かみたいな感じだろ今回の見所は!


「……ちなみに、台詞に気持ちがこもっていなかったりすると無効になります」


「どんだけ甘い言葉が欲しいの!?どんだけ愛情に飢えてんの!?」


「その気があるなら、アクションを加えてもいいです。むしろその方が好評でしょう」


「聞いてねぇ!そんなことは聞いてねぇ!俺にどこまで羞恥を叩き込む気ですかあんた!」


 あれ俺、数学を教わろうとしてるんだよね?間違っても女の子口説く練習してんじゃないよね?


 おい!すでに紫音さんが無表情の中にわかりやすいくらいのワクワク感を隠しながら待ってるんですけど!


 あんな楽しそうな無表情を見るのは始めてだ。これはもう、裏切ってはならない気がする。


 もう、覚悟を決めるしかない。そうしてふっ切れた途端、やけに頭が冷静になった。言の葉が脳内で次々に構築される。


「じゃあ、せめてなんかお題をお願いします」


「……お題、時計」


 時計を見てそう言った紫音さん。俺の頭はパソコンの起動音が鳴りそうな勢いで稼働中だ。


 時計時計、甘い言葉甘い言葉……よし行こう。


「時計の針ってさ、悲しいね。会えたと思えばすぐ別れて、また会えたのにすぐ別れて、そんなのの繰り返しだ」


「でも俺は、そんなの嫌だから。十二時ちょうど、時計を止めるよ。もう二度と動かなくても、君と重なっていれればいい」


 うん、なんだこの圧倒的な恥辱プレイ。こんなに顔が熱くなったのは始めてかもしれない。


 紫音さんも顔を真っ赤にしている。それは照れてるの?恥ずかしがってるの?


 それとも、俺が恥ずかし過ぎたから?これが一番高確率っぽいから嫌になるなほんと。


「……次、ライト」


「へ?あの、数学は?」


「いいから、ライト」


 俺は良くないよ?まったくもって良くないからねこれ。もしかして、そんなにさっきの言葉が気に入ったのか?


 もう仕方ない、ライトライト……っと。


「君と出逢えたこと、まるで夢を見てるみたいだ。変だね、俺はあの日から、一睡もできてないのに」


「君が眩し過ぎて、さ」


 もう殺してくれよォォォ!!俺が死ねばいいんだろ?もう疲れたよパトラッシュ……。


「……遥人さん、私もうダメです」


「俺の方がダメだと思うよ間違いなく。もうこれ、お嫁にいけないレベルの恥辱プレイだもん」


 てかこれ効いてんの!?紫音さんその鳥肌はなんですか?そんなに感動したんですかそれとも、そんなに俺が気持ち悪かったんですか?


 どうせ後者だろうがコノヤロー。もういいだろ、もういいだろこれ。こんなに俺をいじめて何が楽しいんだよ!


「……遥人さん。あなたは主人公なんですよ?主人公っていうのは、よく考えたらものすごく恥ずかしいこと言ってるのに、逆にそれが絵になっちゃうような、そんな存在でなくてはなりません」


「今度は主人公講習?数学をやれよォォォ!」


 こんな恥ずかしい思いをする数学聞いたことないわ!おまえこれ数学じゃねぇよ。公開処刑だよ、あらゆる意味で。


「……そんなに、嫌ですか?」


 そんな悲しそうな上目遣いで見るなパトラッシュぅぅ!パトラッシュが上目遣いで誘惑してくるよぉ!


 これ死ねないよ。メロ死ねないよこれ。パトラッシュが逝かせてくれそうにないもんこれ!


「いやその、嫌なんじゃなくてただ恥ずかしいだけで」


「……恥ずかしいだけなら、いいじゃないですか。もっと、聞きたいです」


 く、くそがぁぁぁ!そんな可愛くお願いしないでくれよ頼むから!もうこれ以上あんなクサい言葉吐きたくねぇよ。


「わかったよォォ。やりますよやればいいんでしょう?だからその抱き締めたくなる表情はヤメテ」


 俺弱っ!しかし、どうせ逃げられやしないんだ。だったらいっそ、もっと吹っ切れてやる。


「お題は?」


「……桜」


 まだ咲いてもいない桜に想いを馳せているのか、窓から見える桜の木を眺めながら言った。


 桜、だな?


「桜、まだ咲かないね。でも俺は、別に楽しみでもないんだ」


 すかさず、アクションを加える俺。紫音さんの顔に手を当てると、同じ目線で見つめる。


「だって、もっと綺麗なものが側にあるから。散らないで、ずっと」


 その瞬間、彼女の顔は真っ赤に染まった。その熱が、頬に触れていた手から俺に伝わってくる。


「あ……う……その」


 何か言おうと必死になっているが、それが空回りする形となり余計に恥ずかしさが増す。


 最早、この場において一番恥ずかしがっているのは彼女だろう。さすがに本当にアクションを加えてくるとは思わなかったらしい。


 攻撃は終わらない。彼女の頬に触れていた手をそっと離すと、俺は努めて甘い声で問いかけた。


「次で最後です。お題を」


 本気で女の子一人口説き落とすつもりで、優しく笑って見せた。いや、やってるのは所詮俺だからアレだけど。


 しかし、今の紫音さんには俺程度でも充分だったらしい。


「……お題は……私」


 それでも、最後の最後でひとつの意地を見せた彼女。だけど、そのお題はちょっと簡単過ぎて。


 考える間もなく。つまり、彼女が心の準備をする間もなく。何より先に、体が動いた。


 ふわっと、彼女の体を包み込む。強く、それでいて優しく、しっかりとその体を抱き締めて。そして。


「大好き」


 その刹那、いきなり部屋のドアが開く。俺は紫音さんを抱き締めたまま、唖然としてそちらを見ていた。


「遥人さーーん!あははっ、足音聞こえなかったでしょう?バレないようにそーっと帰って来たんだよね、真央ちゃ……え?」


 衝撃の瞬間。硬直する一同。ただそこに、ひとつの黒き炎が燃え上がったという。


「遥人さん?何を、してるんですか?」


「ちょっと待って真央さんこれには訳が」


「もういいです。奈央ちゃん、その男を軍法会議に」


「はっ、承知いたしました」


 笑顔の姉妹。黒き炎をたぎらせる妹。そそくさと逃げ出した紫音さんに目を遣ることはなく、ただひたすらに俺を睨み付けている。


「あはは、遥人さん?」


「今夜は、寝かせませんよっ♪」


 その夜、氷名御家には鳴り止まぬ断末魔が響いたという。



 こんな一日

 そんな日常




なんつーもん書いてんだ俺は……。これ、誰が一番恥ずかしいって作者です。

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