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日常賛歌  作者: しろくろ
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第四十六話 春来協定

 働かざるもの、食うべからず。


 そんな言葉を思い出してしまったばっかりに、どうしようもない虚無感に苛まれることとなった。


 平日の昼間から笑っていいともをぼんやりと見ているこんな日々。終わらせなくてはならない、今すぐに。


 思い立ったら即行動だ。だれきった体に鞭を打つように立ち上がった彼、藤森秋隆は考えた。


 自分のこれからについて、恥ずかしいくらい真剣に考えた。で、やめた。答えは既に出ていたから。


「秋隆、買い物付き合って!」


「暇でしょ?無職だもんね」


「大丈夫、ハロワも寄ってあげるから」


「この年でニートじゃ格好つかないもんね」


「どうしたの秋隆?泣いてるの?」



 こんなやり取りがいったい何度繰り返されただろうか。うっかり男泣きの毎日である。


 姉妹に対する威信を取り戻すためにも、そして何より自分という人間のためにも、私は就職しなければならない。


「と、いうことで。何処か良い職場はありませんか?」


「はい?職場……ですか?」


 いきなりふっかけられたあまりにも切実な相談に、このアパートの主である遥人はすっとんきょうな声で答えた。


「はい。何分私はここに来て日が浅いので、人の縁も土地勘もありません」


 そこで是非とも、彼に助けてもらいたいのだ、と。


「なるほど。しかし、俺みたいなガキに助けを乞うなんて、なんだかかなり切羽詰まってますね」


 同情するようにそう言った遥人は、部屋の隅で姿を隠しつつこちらを伺っている姉妹を見た。


 真央さんと目が合った。可愛らしく微笑んでくれたので、微笑み返した。


 奈央さんと目が合った。すぐに逸らされて結構へこんだ。


「働かざるもの食うべからずですからね。早く仕事を見つけなくては」


 溜め池を漏らしつつ呟くように答えた秋隆。まぁ、理由が別のところにあるのはまるわかりだけど。


(奈央さんも真央さんも、秋隆さんをいじめすぎなんだよなぁ)


 よく見てみろよこれ。結構傷ついてるよ?なんか表情から切迫感がひしひしと伝わってくるよ?


「まぁとりあえず、ちょうどよかったですよ」


「は?」


 遥人の言葉に首を傾げた秋隆。ちょうどよかったとはいったい?


「いやね、ちょうど同じく仕事を探している人がいまして……」


 そして後日、遥人が日和に依頼したことにより二件の職場がリストアップされた。


 一件は秋隆に、そしてもう一件は……。




「………………。」


「………………………。」


 きっ、気まずい!気まず過ぎるっ!


 実際に職場を見に行ってみたら?という遥人の言葉に納得し、“もう一人”とともに互いにリストアップされた場所に向かっていた秋隆。


 隣には、自分がアパートに入居してからまだ一度も口を聞いていない先住民。


 織崎紫音。最近常に求人情報誌を携えていた彼女が、日和から得た職場情報によりついに重い腰を上げたのだ。


 いつも通り無言無表情な紫音。無意志と無気力がなくなってようやく無のサイクルから抜け出した彼女だが、今の状態でも初対面の人からしたら関わり難いことこの上ない。


 そして、秋隆もそう思っている“初対面の人”の一人。仕事が見つかったというのに浮かない顔をしているのはそのせいだ。


 いったい、どうすれば良いんだ?隣を歩く少女を見遣り、秋隆は小さく溜め息を吐いた。


 同じアパートに住み、今回は共に職場に向かわねばならぬ相手。だからというわけではないが、当然仲良くやっていきたい相手ではある。


 今だって話しかけるなりなんなりして、距離を縮めれば良いのだが。しかし、どうもそれができない。


 まず何より、自分はこの少女のことを何も知らないのだ。だからこそ、この近寄り難さと距離感が大きい。


 彼女はいったい何者だ?見た目高校生くらいなのに学校に通う様子もなく、普段は九割方無表情。


 第一印象を言えば、彼女はまさしく“謎”である。わかっているのは名前と住所くらいのものか。


 ……いや。あと遥人君にだけはときどき微笑みかけていることとか、奈央様を玩具的な存在として妙に気に入っていることとか。


 一応知ってることはあるのだけど、それらの情報をまとめて彼女の人間像を想像したときに、やはりたどり着く所は同じ。


 謎。その一言を体現したかのような少女を横目に、秋隆は落ち着かない様子で歩き続けるのであった。


 一方の遥人たちは、呑気に優雅な午後のティータイムとしゃれこんでいた。卓を囲む三人が同時にティーカップを置くと、奈央が口を開いた。


「しかし、よくあの二人を一緒に行かせましたね」


 甚だ疑問であるという様子。真央の方もどこか不安そうにしている。ただ、遥人だけは笑っていた。


「なかなかいいコンビだと思うよ?特に紫音さんなんかは、学ぶことも多いんじゃないかな」


「確かに、互いにニートであるというのは同じだし。もしかしたらいいコンビ?」


 遥人の言葉が妙に説得力あるものだったせいか、真央は自分を納得させるように肯定の言葉を述べた。


 よく考えたらおまえらもニートみてえなもんじゃねぇか。最近よくそう思う遥人だが、敢えて口には出さない。


「でも、わざわざ関わり合うきっかけを作る必要なんて……何か狙いがあるとしか」


 流石に、奈央さんはきれる。暗に自分に向けられている思いを、驚くほど敏感に察知してみせるのだ。


「関わらせるさ。みんな、逃れようなく。どこか一つ途切れたら、輪は作れないからね」


 握った手は離してやらない。ただ、そう言っておきたかった。この、意地っ張りで自分をないがしろにしてしまう女の子に。


 釘を刺すようにそんなことを言われた奈央は、すぐに目を伏せた。そして、ぎゅっと拳を握った。


 自分の意志を、悲しすぎる覚悟を確かめるように。変えられぬ想いを抱いて。




「で、貴女はどちらに向かわれるのですか?」


 こちらは秋隆。意を決して話しかけた彼だが、無視されたらどうしようかと情けないことを考えていたり。


「私は……喫茶店のほうに」


 返答をもらえたことにほっとした。なかなか無難な答えであろう。彼女の場合は職場といってもバイトだ。ウェイトレスなんかはちょうど良いだろう。


「……本宮さんの方で紹介してくれてあるらしいんですけど」


 つくづく、便利な友人だな。まだ会ったことのない遥人君の友人、本宮日和というのは。


 ちゃっかり自分も紹介してもらってある。地元高校の警備員。遥人君の通う高校ということらしい。


「しかし、気になっていたのですが……学校なんかは通わなくてよろしいのですか?」


 なんとか会話ができそうだと判断した。今の空気が続くうちに疑問をぶつけておこうという算段である。


「私は……あっちで高校の過程は修了してきましたから。今さら日本の高校に通うのもあれかと」


 あっちってどっちだ。話の流れからすると、外国で高校を卒業したということだろう。


 飛び級?そうだとしたらこの少女、かなり優秀な人材なのかもしれない。


「貴方は……」


 ふと、彼女から何か問いかけて来た。言葉のキャッチボールが巧くいってるらしい。普通は当たり前のことなのに、相手が相手だけに嬉しいものだ。


 相変わらず無表情で感情は読み取れないが、とりあえず気難しい人間ではないらしい。


 紫音が密かに秋隆に対して同じように思っていたことは、まぁ知らなくて良いのだろう。


「貴方は、奈央さんや真央さんと親しいみたいですけど」


「はい。元々あの姉妹の実家で働いていたもので」


 当たり前のように答えた秋隆だが、紫音からすればそれは意外なことで。あの姉妹が経歴不祥であることは、紫音も知っている。


 そして、今も尚遥人が姉妹のことについて何も知らないことも。それは秋隆が話さないからでなく、彼がそれを知ろうとしないから。


 逃げ続けているんだ。向き合わなきゃならない姉妹の過去から。秋隆という全てを知る者と出会いながら尚、逃げ続けているのだ。


「偶然引っ越して来たら再開したんです。随分、楽しそうで」


 それでも今、みんなが幸せならば。このままで良いのかもしれない。いずれ答えは出るから。


 そのときが来たなら、逃れようなく、容赦なく。運命はやってくるから。


「……一つ、頼んで良いですか」


「頼み?」


 この人は姉妹と仲がいい。付き合いも長いみたいだし、気に入られているようだ。最近はこの人と姉妹がよく一緒に出かけている。


 それは、幸せな日々なのかもしれないけど。でも、忘れないで欲しい。


 彼のこと。私や姉妹を大切にしてくれる、あの彼のこと。忘れないで。


「取っちゃだめです。遥人さんから、彼女たちを取らないであげてください」


「……っ」


 秋隆が吹き出したのはその直後だった。


「ははっ!取らないで、とは。そう来ましたか」


 笑わずにはいられなかった。さっきまで無表情だった少女が、突然必死そうに懇願し始めたそのギャップが激しすぎて。


「……何がおかしいんですか」


 彼女は一度恥ずかしそうに俯いて、やがて赤く染まった頬を膨らませながら食い下がった。


「っ……いや、気にしないでくれ」


「そんな笑いを噛み殺しながら言われたら気になります」


 それもそうだと納得して、秋隆は答えた。


「ただ、愛されてるな、と思いまして。真央様といい貴女といい、本人は不本意でしょうが奈央様にも」


「私はっ、私は……まぁ、そうですけど」


 今さら隠すことでもないから、正直に答えた。姉妹と真っ向勝負、のぞむところだ。


「だから逆に、私に分けて欲しいくらいですよ。取らないでだなんて、とんでもない」


 確かに、今思うとお門違いかもしれない。第一、姉妹が取られて彼が寂しくなったなら、私がその穴を埋めれば良い。


「……やっぱり、取っちゃってください」


 秋隆はもう一度吹き出した。この娘、正直すぎる。顔を真っ赤にしながらもそんなことを頼んで来るとは、本当に愛されてるな、彼は。


「善処いたしますよ。そして、それとなく応援もさせていただきましょう」


「お、応援ですか?」


「ええ。貴女が彼を取ってしまえば、私も寂しくなることはありませんから」


 そう。それは差し詰め、共同戦線。利害関係の一致による連合が今、誕生しようとしていた。


すっと、綺麗な白い手が伸びた。


「織崎紫音です。よろしくお願いします……いろいろと」


 差し出された手を握った。契約成立。この握手がその証だろう。


「藤森秋隆です。元執事のプライドに賭けて、極力サポートしてみせましょう」

 力強い声。秋隆は何故か、自分のあるべき姿に戻れたような気分になった。


「では、私はこちらの道なので。健闘を祈ります」


 そういえばそれぞれ職場に向かうところだったのだ。私は学校へ、彼女は喫茶店へ。


「……そちらこそ、ニートと呼ばれないように」


「いや、それは本当にそうしなければなりますい」


 月島奈央に次いで、二人目の味方宣言。差し当たる敵は月島真央ただ一人。


 その真央直属のしもべを味方に着けた今、恋路は明るい。彼以外の人にも、珍しく自然に微笑みかけてしまう。


 バイト先。楽しいところだといい。仕事に慣れたら彼を招待しようか。


 恋する乙女の前には道が開けた。ずっと立ち止まっていた自分も、ようやく歩き始めた。


 こんなに生き生きとしている自分、何年ぶりだろう。きっとこれから毎日、楽しい日々が待っている。


 もうすぐ三月。彼は春休み。つまり、時間はたくさんある。


 春は、来ている。



 こんな一日。

 そんな日常。




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