第四十三話 想いのカタチは人それぞれ(前)
おはようございます、遥人です。朝です、爽やかな爽やかな二月のある日の朝です。
学校に向かっている俺ですが、何だか若干足取りが重くなっています。俺らしくもない。
いつもの道をいつものペースで歩く自分。それはきっと、わかっているからだろう。
今日という日が自分にとって、何か変化のある日ではないということを。少しの希望すら抱かず、ただ諦めていた。
学校に到着したときには既に皆そわそわとしていて。年甲斐もなく夢を見る男がちらほらいたりして。
お菓子メーカーの謀略。誰かが今日という日を皮肉って言った言葉。それはある種の気休めだけど。
そう、人は今日という日をこう呼ぶ。バレンタインデー、と。
それは誰かにとっての特別で、俺にとっての当たり前。ある人は幸福な時間を過ごし、ある人は屈辱の日を過ごすのだ。
教室に入り辺りを見回す。あまりの変化に思わず頭を抱えながら、俺は疾風のもとに向かった。
「よう」
「よう。お前は今日も何ら変わらないんだな」
教室内の数人と俺を見比べてそう言った疾風。何だか安心したような、それでいて少し残念そうな表情だ。
「俺の場合、夢を見れるほどアテがないんでね。どう間違っても、チョコレートなんざ貰えんだろ」
「それでも夢を見るのが清純な男子高校生ってもんだがなぁ」
「おいおい、俺にもあれらと同じ愉快な生き物になれってか?」
愉快な生き物、もといクラスの女性関係希薄連盟の男子たち。彼らの姿には何とも微笑みを誘う必死さが漂っていた。
当日になって綺麗に髪をセットしてるやつとか、何だかクールな笑顔を振り撒いちゃってるやつとか。
思わず目を覆いたくなるような悲しい光景。逆にアテもないのに余裕綽々の俺がおかしいみたいだ。
「ってかアレ?お前ってこういうとき、一番気合い入れておめかししちゃうキャラだったよな?」
疾風を見る。いつもと何ら変わらないその容貌に、どこか安心したようなそれでいて不安なような。
「俺はほら、アテがあるからさ」
爽やかに微笑んでそう言った疾風。そういえばこの男、決してモテないわけじゃなかった。
「まさかお前、例の宗教狂いの女の子とっ……」
「そのまさかだよ。はっはっは、俺はお前とは違うんだよ遥人君」
自信満々にそう言い放った疾風。誰かこいつを刺してくれ。できるだけ鋭利な刃物で。
「おまっ、あの娘はヤバいって!確かに可愛いけれども……」
宗教狂いの女の子。もとい疾風の現彼女らしいその娘は、なんかこう、ヤバい。
前に会ったことがあるのだが、第一印象は普通に可愛いらしい女の子だった。私服がシスターの正装だったのが気になった程度。
「大丈夫だって。確かにちょっと信仰心が過大だけど、それ以外は普通の女の子で……」
普通の女の子は初対面の男に自分の信仰する宗教を聞いた挙げ句、自分と違う場合にはその場で背中に何か胡散臭い神様の刺青を入れることを強要したりはしないんだよ。
さすがに教会に連れてかれて縛られたときは焦ったからね。何かほら、目がマジだったからね。
「お前、背中見せてみろ」
「いや、俺も断るとこは断ったからな?背中に十字架とか、何かとんでもない業を背負ってるようにしか見えないからね?」
「その娘と付き合う時点でとんでもないものを背負ってると思うけどな」
まぁ、こいつの選んだことだし、こいつの選んだ不幸だからな。勝手にすればいい。
「てか、お前だって奈央ちゃんや真央ちゃんあたりから貰えるだろ?」
「お前は母親から貰ったチョコレートを数に入れるのか?」
確かに。だがしかし、それだと真央ちゃんあたりが限りなく報われない想いを抱いていることになってしまうわけだが。
まぁ、このアホにはわからないか。と、疾風がため息をついたことなど露知らずの遥人。
予想通りチョコレートのチの字もないまま放課後を迎えるのだった。
「じゃあ、俺は彼女と会う約束があるから」
疾風の台詞に一瞬にして教室が凍りついた。夢破れた男たちの心の傷をフォークで抉るかのような一言。
それでも幸せオーラを隠そうともしない疾風。とりあえず、格差社会ってものの極みを見た気がした。
「いちいち見せつけるなって。皆に殺されかねないぞマジで」
今だってほら。一人日本刀研いでるやついるし。そしてあっちのグループは……なるほど暗殺計画か。
「やめて欲しいよな。俺は皆と違って悲しむ人がいるんだから」
「うん、お前やっぱ死ね。あ、でもあの女の子は本当に危ないから、マジで死ぬなよ」
俺の直感がフル稼働で警鐘を鳴らしまくってるんだから、多分間違いなく危険なんだけど。
まぁ、いくらか傷ついても別にいっか。という結論に辿り着いたため、俺は早足で一人帰路についた。なんか、嫌な予感がしたから。
「ひーなーみーさん♪」
その音符マークを見た瞬間、予感が現実に変わった。振り向いた俺の前に立っていたのは本宮日和。
冬真っ盛りのこの日の寒ささえ、彼女の笑顔を見たときの背筋の冷たさは越えられない。
「な、何の用でしょうかゴメンナサイ許してください」
「何でいきなり謝るんですか。失礼ですね」
頬を膨らませる彼女。俺にとっての唯一のアテであるが、正直貰っても後が怖いのでカウントしないことにしている。
「で、何の用だよ。俺は早く帰って今日という日を思い出に変えてしまいたいんだが」
わかってはいたけど。諦めてはいたけど。それでもやっぱり、チョコレート貰えないのは悲しいよね。
俺の心境を知ってか知らずか、彼女はニヤリと笑った。いや、確実に俺の心境を理解したうえで、侮蔑の意を込めて笑ったのだろう。
「チョコレート、貰えなかったんですか?」
「俺が貰えたと思うか?」
ああもう、そうやってみんなみんな俺をバカにするんだな。ちくしょう、モテなくて何が悪いってんだ。
「いや、私としては遥人さんがモテなくてひと安心ですけどね」
そうですよねぇ。なんかもうこの女、俺をバカにするために生きてるようなもんだもんねぇ。
「では、そんな可哀想なあなたに質問です」
「質問?」
本当に嬉しそうに笑うね。そんなに俺が惨めな思いをすることが嬉しいのか。外道め。
俺がネガティブ全開で彼女に悪態をついていると、彼女は何だか妙な質問をし始めた。
「ここに二つのチョコレートがあります」
「一つが毒入りで一つが危ない薬入りだな?って痛い痛いゴメンナサイゴメンナサイ」
殴られました。
「まったく、私を何だと思ってるんですか」
「悪魔?」
「何で真顔で答えてるんですか。すり潰しますよ?」
せめて殴るとかにしてくれ。可愛げがあったもんじゃない。黙ってれば可愛いのに。
「で、一つは有名菓子職人の作ったウン万円はする売り物のチョコ。一つは私の手作りチョコです」
「片方に限っては安全が保証されてるわけだな」
「ちなみに、どっちが安全なんですか?」
「もちろん日和さんの作ったチョコでございます。だからその手を離してください」
同い年の女の子に胸ぐら掴まれて体を浮かされるなんて体験、きっと俺しかしてないよな。
「そこで質問です。あなたはこの何の感情もこもっていないけど見た目も味も最高なチョコと、私の見た目も味も普通だけど愛情たっぷりのチョコ。どちらが欲しいですか?」
「ああ、回りくど過ぎるけどチョコをくれに来たわけか」
相変わらず感情とかの表現方法がねじ曲がっている気がするけど、まぁ有難い話である。
「じゃあ、喜んで手作りチョコを貰うとしようかな」
日和の綺麗な手から小さな小包をひょこっと頂くと、すぐに封を開けた。お腹空いてるんだよね。
「ちなみに、私は実は料理がへたくそで、見た目も味も最悪ですよ?それでもですか?」
急に不安そうにそう聞いてきた日和。俺が迷わず手作りを選んだのが予想外だったのか、随分驚いた様子だ。
「それでも、だよ」
答えながら開いた小包。中には美味しそうなホワイトチョコレートが入っていた。ありきたりなハートマークがなんだか恥ずかしい。
俺はそのチョコを摘まむと口に放り込んだ。そしてゆっくりと味わって食べる。それを日和は不安そうに見つめていた。
「うう……どうですか?」
普段からは想像もできない弱々しい姿にちょっと胸の鼓動が速くなったりしたけれど、できるだけ悟られないように答えた。
「見た目も味も最悪……って言ってたけど。美味しいじゃん。そんなに自分の腕を過小評価しなくてもさ」
それを聞いた日和は安心したようにいつもの笑顔を取り戻した。また少し、鼓動が速くなった。
「ありがとうございます。よく選んでくれましたね。見た目も味も最悪だって言ったのに」
「関係ないよ」
「……どうしてですか?」
美味しいチョコレートは欲しいけど、それよりもっと欲しいものがあったから。そう正直に言えば、きっと喜んでくれたんだろうけど。
残念ながらひねくれ者で恥ずかしがりやな俺は、本当のことを言えなかった。彼女が何を期待してるかくらいわかってはいたけど。
「どうせあんたのことだ。ホワイトデーは三倍返しだろ?ウン十万の三倍返しなんてとてもできないけど、気持ちの三倍返しなら誤魔化しがきくからね」
「……それ、最低じゃありません?」
「かもね」
半分冗談っぽく言った言葉だけど、彼女は一瞬本気で泣きそうな顔をした。でも、すぐにいたずらっぽい顔に変わった。
自分の本心を誤魔化した。俺みたいに。
「誤魔化しなんて許しませんよ」
「どう許さないのさ?」
「ちゃんと、カタチのあるお返しをさせます」
「カタチって」
彼女は少し考えて、やがて名案を思いついたらしく微笑んだ。なんか、バックに花が咲きそうだ。
「ホワイトデーの予定は空けてもらいます。で、私と一緒に過ごすこと!」
「んなことでいいの?」
「え?OKなんですか?」
なんで自分で強要しておいて意外そうなんだこの女は。まぁ、普段の俺なら絶対嫌がるしね。
でも、今の俺は。さっきの悲し気な顔と、嬉しそうな顔を見てしまった俺は。それを嫌だとは思わなかった。
「たまにはそんな日があってもいいだろ」
「本当ですかっ!?約束ですからね!」
「はいはい、まだ一ヶ月後だけどね」
何なんだこの喜びようは。嬉しいのは普通、チョコを貰った俺の方だろうが。
なんだか、彼女に対しての印象が変わってしまいそうなほど。本当に可愛いらしい笑顔だった。
「じゃ、俺は帰るぞ」
「あっ、一緒に帰りましょうよ!」
「嫌だっ!恥ずかしい!」
「素直ですね。でも大丈夫です。私と氷名御さんの関係に恥ずかしいことなんて何一つありません」
「あるよ!恥ずかしいことだらけだよっ!?」
「さあ、れっつごーです!」
でも、本当に。
たまにくらいこんな日も、悪くないかなって。
そんなことを思いながら、姉妹の待つアパートに帰るのであった。
「えっ、何?宗教上の都合でチョコレートは渡せないっ!?そんなバカな!」
何処か遠くで悲痛な叫びをあげる少年がいたことは、本当に本当にただの蛇足。
……あれ?前後編式にする気はなかったのに。とりあえず、珍しく学校組中心の前編でしたとさ。