第三十六話 消えない光、照らす意味
『疾風の作戦〜やーさん』
浅黒い肌に金髪のリーゼント。マンガの世界ならばわりと存在している筋金入りのやーさん的風貌。
そこにサングラスまで付属してきてしまっているものだから、当然彼の横を通り過ぎる人々は腰を低くしてヘコヘコとするばかりだ。
桐原疾風。普段は上着とズボンの両ポケットから合わせて4台の携帯ゲーム機が出てくるはずの彼。
しかし今は、なんだかバタフライナイフ的なものが出てきそうな勢いだ。
彼の作戦は簡単。ただ、遥人に格好悪いところをさらけ出して貰えば良い。
そう、前方から歩いてくる奴の肩にどーんとぶつかってオラァと締ちまえばいいんだ。
ほら、どーん!
「おいおぃぃ、にいちゃんよぉ。どこ見て歩いてんだオラァ!」
「っとと!何だよおっさん。今のもうすでにタックルの類いだろ。肩ばぶつかりましたとかじゃないよね!?」
「あんだとゴラァ!もういっぺん言ってみろやワレェ!」
ほら、あれだ。世の中なめくさったクソガキに、不条理ってやつを教えてやるんだよ。うん。
「おじさーん!何でそんなイライラしてるのぉ!?見た目も恐いけど、何よりその雰囲気が恐いんですけどぉぉぉ!!」
まぁ当然のことであるが、普段ゲームをピコピコやってるだけの高校生である疾風が、格好を変えただけでそんな恐ろしい雰囲気を出せるわけがない。
彼は今、燃えていた。これ以上ないってくらいに、燃えていた。それはそう、まさに嫉妬の炎だろう。
俺は今日、このクリスマスという日に何をしている?そう考えると、自然に怒りが込み上げてくる。
あいつがこともあろうデーとなんぞを楽しんでいる中、俺は影からそれをただ見ているだけ。
なんて惨め。なんて残虐。なんて情けない。こんなことなら、家でゲームやってた方がまだ惨めじゃなかった。
こんな思いをするのもそう、全部あいつのせいだ。責任はとってもらわねばならない。
「おじさんが何でイラついてるかだぁ?見りゃあわかんだろうがよぉ!」
「いやわかりませんて。え?もしかして俺の顔が気に喰わなかったり?そりゃないですって」
どうでも良いがこの男、恐くないのだろうか?こんなにも理不尽につめよられても、少しも恐がる気配を見せない。
「よーし。じゃあおまえ、まず自分の隣を見てみろ」
えーと、隣……。言われた通りに隣を見ると、紫音さんと目が合った。しばらくじっと見つめ合う。
そのうちなんだか恥ずかしくなって目を逸らした俺は、おじさんの方に視線を戻した。
「見ましたけど……」
「じゃあ次は、俺の隣を見てみろぉ」
おじさんの隣。明らかに無関係な通行人たちが、次々と通り過ぎて行く。ただそれだけ。
「見ましたよ?」
「俺とおまえで何が違ったか、気づいたことを言ってみろぉ」
相変わらず意図の掴めない質問に、遥人はいい加減警戒するのをやめて気楽に答えた。
「おじさん、一人なんですね」
「正解だバカヤロォォォ!覚悟は出来てんなてめえぇぇぇ!」
「うおっ!?おじさん危ない危ない!ちょっ、それ結構マジで殴りかかってますよねえ!?」
なんらかのスイッチが入ってしまったのか、途端に殴りかかってきたおじさん。
避けるので精一杯の遥人だが、ふいにおじさんの目から水滴が溢れるのを目撃した。
「え、おじさん?何で泣いているんですか?ちょっ、流石にシャイニングウィザードは危ないですって!」
「うるせぇぇぇ!おまえなんか、おまえなんかぁぁぁ!」
数分後、どこかで見たことがある黒装束と金髪が彼を止めに入るまで、この暴走は続いたという。
「桐原さん。あなた、何しに行ったんですか?」
暴走を止める際に奈央と日和に思い切りぶん殴られた疾風。巨大なタンコブをつくり、申し訳なさそうに肩をすぼめている。
「遥人に格好悪いところを出させようと……」
「あんたただ、恨み言吐いてシャイニングウィザード仕掛けに行っただけでしょーが」
奈央の的確過ぎる突っ込みに返す言葉が見つからない疾風。心なしかリーゼントも先端が垂れ下がっているように見える。
「でもほら。あの間は織崎さんも一切関われなかったし。結構距離を遠ざけたことに……」
「「ならねえよ」」
口を揃えて疾風を否定する三人。だんだん、疾風もいたたまれなくなってきた。
「だって……あいつ…二人で……俺…一人で…ぐすっ」
「泣き言言うんじゃありません。男の子でしょう」
「真央ちゃん。慰めるならそのゴミを見るような目はやめてあげて」
ついに、残りは真央一人となった。どいつもこいつも腑抜けばかり。こうなれば私が頑張るしか……。
「厄日だな、今日は」
今日これまでの事を思いだし、遥人はしんどそうに呟いた。
「……そうですか?」
そうですかって紫音さん。もうこれ一目瞭然でしょう?今日、これまで何があった?
「最初はホームレス。次がスイカのティッシュ配りでその次が壺売り。極めつけにやーさんにからまれる厄日っぷりですよ?」
「……考えてみるとなかなかすごいですね。次あたり死ぬんじゃないですか?」
死ぬってさすがにそれは……。そう突っ込もうとして、やめた。油断するとなんかありそうだ。
「そういえば、紫音さん」
「はい?」
まぁいろいろと面倒事はあったものの、俺は結構今日という日を楽しめていることに気づいた。
それで心にある程度の余裕が生まれたんだろう。余裕があるときほど、人はいろいろ考えてしまうもので。
「戻りましたね。いつもみたいに」
俺の言葉に二三秒考える仕草を見せた紫音さん。首を傾げてじっとこちらをみている。
「……戻った?」
結局、理解することができなかった模様。自分のささやかな不安が気づかれていなかったことは素直に安心できる。
「朝の紫音さんはね、遠かったんです」
「……確かに、今は密着状態ですから。それに比べれば」
「違いますって。それを思い出させないでください。すげー恥ずかしいんですから」
相変わらず腕を組んで、いや。腕を抱きしめられて歩いている俺。これ、知り合いに見られてたら死ねるな。
「まぁ、見てるんですけどね」
日和が呟いたことを知るはずもなく。
「駅で紫音さんを発見したときね、なーんか近寄り難かったんです」
「そんなにホームレスさんが嫌ですか?」
そう聞かれて、俺は首をふった。確かに、あのおじさんたちの存在も原因だけど。
「……じゃあ、私がイヤですか?」
俺はまた首をふった。全力でふった。さっきからちょっとマイナス思考モードの紫音さんが、また悲しい顔をしたから。
「ただね、俺の知らない人に見えちゃったんだ。紫音さんが」
あなたの幸せを望み、あなたが変わることを後押しした自分。そんな自分が、今更言う言葉。
その言葉の意味をそっと受け止めて、紫音さんは答えた。俺の心配事を、一瞬で吹き飛ばす言葉を。
「あなたの知らない私?そんなの、存在しないのと一緒でしょう」
不思議な言い分だ。俺の知らないあなた。それでも確かに、自分の一部であるはずだろう。
「私のことが見えてるのは、あなただけなんです。だから、あなたの知らないモノになったら私は……」
消えて、しまうんです。言葉を選ぶようにして、静かに言った。認めたくないことのはずなのに。
「なら、俺が見てればずっと。消えないでいてくれるんでしょう?」
言葉は選ばない。伝えたいことを、直行速達でそのまま伝える。それがきっと、一番だから。
「消えません。あなたがいる限り、それは『未練』として残ってしまうから」
見つめてほしい人がいた。温かい目で、温かい言葉をかけてもらいたかった。
知ってしまった。誰にも見えてないのだと。そのうちに、誰に見て欲しいのかさえもわからなくなった。
消えてしまおうと思った。全ての人の意識から消えた私だから、全ての人の視界からも消えてしまおうと。
でも、消えられなかった。あなたがいた。あなたが見た。私を見た。私なんかを見た。
未練ができた。
消えて欲しいのに、消えてくれない光。その光に向き合えない自分がイヤで。
だから、変わりたい。この光と、その他のたくさんのまぶしさ。向き合いたい。その幸せを、素直に受け入れたい。
本当は、もっとたくさん見て欲しい人がいる。もっとたくさん、見てみたい人がいる。
もっと、未練が欲しい。私をがんじがらめにして、二度と離してくれないくらいの。たくさんの未練。
無い物ねだり。欲しいものづくし。私は、どうすればいい?どんなふうにしたら、変われるの?
あなたの笑顔に、素直に微笑み返したい。今の自分じゃ、その笑顔を向けられる資格がない。
だから、私は変わるから。どうかそれまで、私に存在する意味を与えて。
あなたが見てれば、私は消えない。だから、できればもっと。もっともっと、私を見ていて。
「俺の知らない紫音さんだって、紫音さんでしょう?それでも、ないのと同じだって言うなら」
彼の言葉。私に、私だけに向けられた言葉。それが嬉しくて、少しも聞き漏らすまいと耳を傾ける。
「俺が、全部見るから。俺が全部知るから。そうすれば、どんな自分も自分だって認められるでしょ?」
黙って頷いて、彼の腕から離れた。甘えてばかりではいけない。そう思い、しっかりと彼に向き合った。
目が合った。もう逸らさない。いつのまにか、私たちは静かな路地裏に立っていた。
彼の吐息が聞こえるくらいの静寂。自然と、彼が何かを言おうとしてるのがわかる。
耳を、すまして……。
「だから、お願いがあります。俺があなたを、ちゃんと知るために」
「悲しいときは泣いてください。うれしいときは笑ってください。辛いときには、叫んでください。寂しいときには、呼んでください」
言葉の意味。一つ一つ噛み締めて。あなたの想い、ぎゅっと抱きしめて。私はただ、頷いた。
「なら、今は。笑えば良いんですよね?」
そう言いながら、彼の胸に飛び込んだ。どこかのティッシュ配りさんのように、思いきり。
私は今、笑えているかな?
「なーなー。これは流石にさぁ、見ちゃまずかったんじゃないか?空気的に」
引き続き絶讚盗聴中の疾風が、二人のなんだか甘すぎる様子を見て言った。
「良いんですよ、別に。むしろ、私たちは覚えておかなくちゃなりません。氷名御さんが言った言葉を」
そう答えた日和が意味深な笑いをうかべたのを、奈央は見逃さなかった。覚えておかなくてはならない言葉。
悲しいときに笑っているのはどこのどいつだ、ばか。
そう奈央が呟いたことは、誰も知らない。
紫音に抱きつかれ困り気味の遥人は、ふいに前方に立ち尽くす小さな女の子を発見した。
「なあなあ、あれまさか、真央ちゃんじゃないか?」
その幼女を見て、疾風は言った。
「まさかぁ。真央ちゃんがこの空気の中、ろくな変装もせずに飛び込んで行くわけが……」
「でも、いつのまにかいなくなってますよ?本人」
遥人たちの前に現れた幼女。それは、どう見ても真央だった。
変装をしていないわけではない。一応奈央のカラーコンタクトを使い回している。
しかしそれ以外は服装が極端に子供用のもので、胸に大切そうにくまの人形を抱いているだけである。
正直、とても誤魔化しきれるとは思えない。ただ、実年齢よりも十くらい幼く見えてしまうようにはなっている。
「え?あれで変装のつもりなのか?」
滝のように冷や汗をかいている疾風。後ろで奈央が呑気に『幼真央』に見とれていることにも気づかない。
「いやぁ、あの幼児化具合はたいしたものですけど……って奈央さん!?フラッシュたくのはまずいですって!」
「可愛いなぁ。ふふふ、百冊目の表紙はこれで決まりね」
聞こえてねぇ。このカメラのカシャカシャ音、よく気づかれないな。
そしてこちらは遥人。幼真央を発見したのだが、アホなのかアホなのかでどうやら正体には気づいていないらしい。
「えっと、お嬢ちゃん。どうしたのかな?」
恥ずかしそうに紫音と離れると、じっとこちらを見つめる幼女に向かって話しかけた。
「…おかあ……さん…が……」
お母さん?そう聞き返そうとしゃがみこみ目線を合わせた遥人だが、そこには涙で潤んだ瞳があった。
「お母さんが…くすっ……みつからないの……」
絞り出すように言った言葉をしっかり聞き取った遥人は、ついに溢れ出した涙を指で拭い頭を撫でた。
「ほーらよしよし。泣くなー。お母さんなら俺たちが探してやるからさぁ」
慣れた手つきであやす遥人を見て、俺たち?私もですか?と呟いた紫音。
どうやらもっとくっついていたかったらしく、先程とは一変して不機嫌。
「ほんとー!?お兄ちゃんたち、一緒に探してくれるの?」
「うん。だから、泣いちゃダメだよ」
なんとも微笑ましい光景。泣き止んで笑顔を見せる幼女と、ものすごく幸せそうな笑顔の遥人。
……え?ロリコン?そう紫音が呟いたのだが、当の本人には聞こえなかったらしい。
「すっげぇぇぇ!バカだ、あいつバカだ!まったく気づいてないよ、あの程度の変装で!」
「遥人さんもバカですけど、織崎さんだって普通は気づくでしょう」
奈央と疾風が散々バカにしているのを知らない遥人だが、この場合はバカにされて当然だろう。
「うまくいくものですねー。氷名御さんも、あんなに簡単に探すって言っちゃって良いんですかね?」
紫音の疑問も当然。勝手に母親探しの手伝いを了承した遥人に、紫音も明らかに不機嫌になっている。
「いや、それも真央ちゃんがうまくやったな」
疾風はといえば、遥人をこれでもかってくらいバカにしつつ、真央には感心しきりだ。
「あいつな、子供大好きなんだよ。それこそ、困ってるの見たらデートほっぽりだして助けちゃうくらいに」
そういった事情が相まって、真央の作戦はジャストフィットで二人の距離を遠ざけている。
先程から、遥人が真央につきっきりで紫音が途方にくれている。真央がほくそ笑んでいるのが見えるようだ。
「あのね、お母さんはね、これからコンサートがある会場にいるの」
そう幼真央が言ったのを聞いて、すぐ隣を歩く遥人がほっとしたように答えた。
「なんだ、居場所はわかってるんだね」
「うん。でも、会場がどこにあるのかわからないの……」
いったいどんな状況でこの子が迷子になったのか。少し離れたところで話を聞いていた紫音は、疑問に思わずにはいられなかった。
「……あの、管理人さ」
言いかけて、紫音の口が止まった。あの幼女が、キッと鋭い目付きでこちらを睨んでいたから。
いったいなんなんだろうか、あの幼女は。こちらを目で牽制してくるとは、ただ者じゃない。
幼女を見て考える紫音。すると、幼女は紫音に見せつけるかのように遥人に抱きついてみせた。
「だっこー。だっこー」
「はいはい。歩き疲れちゃったのかな?」
また、優しく頭を撫でた遥人。ひょいっと幼女を持ち上げてだっこする。
そしてだっこされ後ろを向いた幼女と目が合った紫音。幼女がニヤリと笑ってみせたのを見て、顔を強ばらせるのであった。
「なぁ、あの子はいったい何歳児の設定なんだ?」
あまりにも幼すぎる仕草と対応に、疾風が呟いた。その言葉に答えるものはおらず、独り言のように響いては消えていった。