第三十三話 変わること、遠ざかること
こんにちは、遥人です。クリスマスです。待ち合わせです。
基本的に5分前行動を信条とする俺は、今日も今日とて例に洩れず5分前行動です。
紫音さんと約束した時間のきっちり5分前に駅に到着した俺は、早くも見馴れた緑髪の女性を発見した。
織崎紫音。完全無欠の引きこもりニートにして、俺が今日一日を共に過ごす相手である。
クリスマスということもあり賑わいを見せる駅のホーム。その喧騒とは多少の温度差を感じる隅っこの柱にもたれ掛かる紫音さん。
遠目に見ても一瞬で分かる美女の存在を確認すると、俺の心にちょっとした不安が生まれた。
「あの人と歩くんか、俺は……」
それは、一つの不安。このクリスマスという日に、あんな美人さんの横を歩く。それは、俺でいいのか?
いや、確かに中身はちょっとまずいんじゃないかってくらいダメな感じの人なんだけど。
みてくれが無駄に良いのは元より、今日の紫音さんには普段のダメ人間オーラとは全く対極の雰囲気があった。
その横を歩くことすら気負ってしまいそうな、そんな雰囲気。多分これは、以前の彼女が持っていたもの。
今の彼女とは似ても似つかない、高見を駆けるものが持つ雰囲気。そんなものが感じ取れてしまい、俺は近づくのを躊躇った。
そんなことをしているうちに、紫音さんは何者かと談笑を始めた。余計に近より難くなってしまった。
てか誰だよ、あのおっさん。なんか公園の滑り台の下に住んでそうなんですけど。
紫音さんとまったく逆の、汚い身なりをした中年男性。しかし、その男は何の気負いもなく紫音さんと談笑していた。
やがて男は、駅の隅の影が差している方に向かって誰かを呼んだ。するとその先にあったテントの中から……テント!?
おーい。おっさんの声に反応して、テントから仲間と思わしき汚ねーおっさんが出て来たんですけどぉ。
ちょっ、あれ知り合いなのっ!?あの引きこもりさんはいったいいつ、どうやって駅にテント張って暮らしてるおっさんと友達になったんだ!?
なんかすげぇ楽しそうに談笑してるんですけどぉぉぉぉ!とても入って行ける雰囲気じゃないよねぇ?
いやでも、さすがにそろそろ合流しないと、予定の電車が行っちゃうし……。
「あの、紫音さん?」
「あ、やっと来ましたね」
おっさんとの会話を遮って、紫音さんと合流した俺。それを見て何故か納得したように頷く二人のおっさん。
「えと、こんにちは?」
二人にじっと見つめられた俺は、耐えかねて曖昧な挨拶をした。すると二人のおっさんはニヤッとして、俺の耳元で呟いた。
「そうかいそうかい。君があの娘の彼氏かい」
「彼氏じゃないです。あとすみません、口臭がキツいんですが……」
俺の必死の訴えで一人は離れてくれたものの、もう一人のおっさんは馴れ馴れしく続けた。
「まぁ、そんなことはこの際どうでもいいんだがな」
どうでもいいんなら聞かないで。口臭いって。ちょっとまて、なに肩に手回してんの?どんだけフレンドリーなんだよ。
「彼女、随分と緊張してるみたいだからよ、おまえさんがしっかりリードしてやってくれよなっ」
「へっ?」
紫音さんも緊張してんの?何でだろ。てかおっさん、あんたいったい俺と何年来の付き合いですか?
「リードって言っても、俺もかなり緊張してるんですが」
「なんだ、彼女の横を歩く自信がないのか?」
ズバリ当てられたよ。え?マジで俺たち、前世からの付き合いとかですか?
「大丈夫だよ。あの娘、綺麗だしなんか高貴な感じだけど、どことなーく俺らと同じ臭いがすらぁ」
「失礼な。紫音さんはあんたらみたいに口臭体臭ドぎつくないわ」
どちらかといえばなんか甘い香りがするんだぞコノヤロー。
「その臭いじゃねぇんだけどなぁ。まぁ、頑張ってくれよ。じゃあな!」
それだけ言うとおっさんコンビは、颯爽と俺たちの前から姿を消した。いや、テントに帰っただけなんだけど。
「えと。お待たせ、紫音さん。行こうか」
無駄な時間を使ってしまったため、もう電車に乗り込まねばならない時間だ。
「……遅いです」
「え?」
先を行こうとする俺の服を掴んで、いやつまんで引き留めた紫音さん。甘い香りがした。
「遅いです。私の人生の大切な時間の一部を無駄にしました」
「あんたが普段意味もなく浪費している時間を捻出すればハノイの塔だって解けるわ」
「それは無理です。何億年かかると思ってるんですか」
「何億時間ヒッキーやってるつもりですか」
「………」
「って、バック痛い!ぶつけないでください痛い痛い!」
無言で攻撃を仕掛ける紫音さん。頬を膨らませてそっぽを向いてしまった。そんな仕草が可愛いくて、つい笑ってしまう。
「……まぁいいです。おかげさまで友達ができましたから」
友達ってえと、やっぱりあの『駅から徒歩二秒の好立地っていうかぶっちゃけ駅の中に住んでます』なおっさんたちのことか?
「やっぱりなんか、通じ合うものがあったんだ……」
「何か言いました?」
「いえ、何も……」
おっさんと言えば、さっきあの人は紫音さんが緊張してるって言ってたけど。
「何をボケッとしてるんですか?早く乗らないと行っちゃいますよ」
いや、あんたが止めたんだろ。乗車を促す紫音に突っ込みをいれつつ、全然緊張してねーじゃんなんて思った遥人だった。
「こちら日和、こちら日和。聞こえますか?どうぞ」
「おう、聞こえるぞ。しかし、随分便利だな。トランシーバーって。どうぞ」
「しーちゃんです!でも本当に凄いですね。盗聴までできるなんて」
遥人と紫音が和やかなやり取りをしている音声は、日和、疾風、真央によって盗聴されていた模様。
「いやですね、盗聴なんて人聞きの悪い。これはただ、私が偶然持っていた盗聴機が、偶然氷名御さんの服の襟の裏に張り付いてしまっただけですよ」
「あんたは往生際が悪いですよっ!偶然盗聴機ってどんな状況ですか!?明らかに悪意満点でしょうが!」
このメンバーを見て早々に自分の役割が突っ込みと抑制であると判断した奈央。貧乏くじだと知りつつ、しっかりと仕事をこなす。
「あ。いたんだ、奈央ちゃん。……ちっ」
「え……真央ちゃん?なんだか今舌打ちが聞こえた気がするんだけど。……いやいや真央ちゃんがあの可愛い可愛い真央ちゃんがそんな私に舌打ちなんてするわけないするわけない」
ただ、あまりにも脆すぎるため完璧に職務をまっとうするのは難しそうだ。
「そういえば、ちょっと不思議なことがあるんですけど」
トランシーバーを隔てた向こう側で呪文のように『そんなわけないそんなわけない』と連呼する姉を華麗に無視した真央。
盗聴行為の中で生まれたある疑問を、これまたトランシーバーを隔てた向こう側の日和と疾風に尋ねた。
「今日の遥人さん、妙に言うことがキツくないですか?いつも織崎さんには憎たらしいほど優しいのに」
疑問というか憎悪をぶつけられた二人は、瞬時にそれぞれの答えを導き出した。
「あいつが毒を吐くときは、相手に気を許したとき。または、照れ隠しかな」
そう答えたのは疾風。長年の付き合いから、彼の振る舞いにどんな意味があるのかだいたい想像はつくらしい。
疾風自身、自分に向かって吐かれる毒が気を許している証だと知っているため、普段は何を言われても別段気にならないのだ。
「気を許したときか、照れ隠し……。今回の場合はどちらでしょう?」
そう問われた疾風は、人混みの向こうにいる遥人を見て答えた。随分、幸せそうな顔である。憎たらしいやつめ。
「両方……かな。割合的には、照れ隠し7の気を許したの3って感じだけど」
それでも、疾風は驚いていた。遥人が『3』まで気を許したということが、どれだけ希少なことか知っているから。
一見、人見知りもせずに誰とでも楽しそうにしている遥人の奥の奥の部分。それを少しだけ垣間見た瞬間だった。
「でも、それだけじゃないみたいですよ」
疾風の答えに納得して頷いた真央にそう言ったのは日和。
「それだけじゃない、ですか?」
「はい。きっと氷名御さんも、踏み込もうとしてるんですね。ちょうど良いです」
「え?」
結局、真央にはその言葉の意味はわからなかった。わかっていたのは、遥人の狙いを最初から知っていた日和だけである。
「あ、二人とも電車に乗りますよ!」
いつの間にか復活を遂げていた奈央が叫んだ。それを聞いて一斉に動き出す者たち。
「あ、その前に」
遥人たちを追って電車に乗ろうとした矢先、日和はあることを思い出し駅の隅のテントに向かった。
「テントのおじさーん。私です、出て来てください」
日和の声に反応して、テントの中から先程のおっさんコンビが姿を表した。
「ちゃんとアドバイスしてくれたみたいですね。ありがとうございます」
ぺこっと頭を下げた日和。それを見てテントのおっさんたちも頭を下げる。
「いやいや、日和さんから頼まれたら断れませんって」
「そうですよ。またいつでも頼んでくださいな。私ら暇なんで」
「ありがとうございます!今度、差し入れしますね♪では、私は行きます」
「おう、頑張ってくださいな」
二人のおっさんに手を振りつつ電車に向かう日和。その様子を遠目に見ていた真央が目を輝かせていたのは、また別の話。
緊張、してるのか?
二人並んで電車に揺られる遥人と紫音。いつものように無表情な紫音を横目に、遥人は考えていた。
緊張してるって言ったって、とてもそんな風にはみえない。むしろ、いつもよりリラックスしてないだろうか。
おっさんとは友達になるし、いつもより口数も多い気がする。何より、今日は微妙に雰囲気が違う。
高くて貴い。美しく麗しい。いつもの怠け者であり惰性で生きてますってような雰囲気は微塵も感じられない。
彼女は、変わってきている。少しずつ少しずつ、あの頃の元の自分のように。変わってきている。
それを戻ってきていると言わないのは、そんな彼女の変化が微妙ながら元の自分とは違う方向に向かっているものだから。
彼女は空で、脱け殻だった。本当ならばただ、その脱け殻に元の自分を入れ直せば良い。
だけど、脱け殻は自我を持った。
全てを捨てて、ただ消え行くのを待つはずの脱け殻は、何かを感じた。誰かに出会った。何かを思い出した。何かを知った。
だからきっと、彼女は今誰もしらない新たな自分を掴もうとしている。いつもとは違う彼女。それはきっと、これからの彼女なのだ。
それが少し、少しだけ悲しかった。自分の知らない誰かへと変貌することは、今まで築いてきたものを全て、消してしまいそうで。
変わることは、遠ざかること。ならば、変わることで幸せに向かう彼女の幸せを願うことは、自分から遠ざかることを望むことと同じだ。
だけどそれでも、それは貴女にとって幸せなことだから。だから俺は、祝福しよう、背中を押そう。悲しくても辛くても、笑顔でいよう。
これは、そのためのクリスマス。貴女が変わる、俺の知らない誰かに変わるための。俺なんか、必要なくなるための、クリスマス。
今日という日が終わったとき、きっと貴女は変わる。そのために、俺は……。
あれ?なんか脱線して行ってないか?結局、彼女は緊張してるのかどうなのか。
いや、そもそもそれを考えることに意味があるのか?緊張してるからなんだっていうんだ。
考えるのは、やめよう。今日はきっと、別れの日になるから。最後に一度だけ、俺の知ってる貴女のままで。
最高の時間を過ごせたら、後悔しなくて済むんじゃないかと。後悔しなくて済むんだと、言い聞かせるのであった。