第二十八話 新しい玩具の弄り方
昨日降った雪の影響か、気温は低く風は冷たい。
しかし、今私がいるのはお店の中。暖房が良く効いているため、厚着をしてきたのが少し仇となった形だ。
あ、忘れてた。こんにちは、奈央です。
どっかのバカに影響されたわけじゃないですが、やっぱり挨拶は大切ですからね。
さて、今私はある人と一緒に服屋さんに来てるわけです。
それは真央ちゃんでもなければ、遥人さんでもない。私にとって、極めて例外な人物。
「本当に……なんであなたとショッピングになんぞ来なきゃいけないんですか」
「……さぁ?きっと今日はそういう日なんですよ」
あまりにもテキトー極まりない返答をしたのはアパート二階の引きこもり、織崎紫音。
私は別段この人と仲良くはない、というよりあまり好きじゃないんだけど。
じゃあなんで今、二人で服屋さんに来てるのかといえば、それは今朝の出来事が原因。
「つまり、遥人さんとクリスマスにデートに行くから、そのときの服を選ぶのを手伝って欲しい、と」
「はい。あなたか妹さんなら毎日一緒にいるわけですし、服の好みもわかるんじゃないかと」
来客を知らせるチャイムにドアを開けた私の前にいたのがこの人。
用事があるのはなんと私達姉妹だったらしい。それも、デートの洋服決め。
もしかして、なめられてる?そんなこと真央ちゃんに言ったら挑発意外の何物でもない。
あまり認めたくないけど、真央ちゃんは遥人さんに少なからず好意をいだいている。
きっとクリスマスだって、遥人さんと一緒に過ごしたかっただろう。
そこに、あまり好きじゃない女の人からそんな依頼をされたら、気が滅入るだろう。
ならばこの頼み自体断ってしまえば良いのだが、それができない自分。
本当に意志薄弱過ぎて困る。こんなの、冷たくつっぱねてしまえば良いのに。
まぁ、結局それができなかったからここにいるんだけど。
それにしてもこの人、私に服選びを手伝ってもらう必要なんてないと思う。
今彼女が着ている服も、時々手にとって見ている服も、私よか全然センスが良いと思う。
それに、いくら遥人さんと一緒に住んでいるからといっても、正直服の好みなんてわからない。
しかし、仮にも頼みを受けたわけだから何か助言するべきだろう。
「あの、こんな服がいい、みたいなのありますか?」
一緒に話してみてわかったけど、この人との意志疎通ってすごくたいへん。
そもそも聞かれたことに答えることしかしないのだ。よく遥人さんはこの人とうまくやっていると思う。
「どんな服……ですか」
私の質問に考える姿勢を見せた彼女は、いたずらっぽい笑みを浮かべて答えた。
「……脱ぎやすい服」
「ぬっ!?なんでそんな服が良いんですかっ!?」
「だって……聖夜ですから、当然そういう流れに」
うわぁ、この人恥ずかし気もなく言ってのけましたよ。
「遥人さんに限ってそういう流れにはなりません!もぅ、真面目に考えてください!」
やだなぁ、絶対これ顔赤くなってるもん。仕方ないじゃない、恥ずかしいものは恥ずかしいんだから。
そんな私を見て楽しそうに笑う彼女。この人、こんなに笑う人だっけ?
自分が紫音が笑ってしまうくらい弄り甲斐のある性格だとは、奈央本人は全く気づいていない。
一方紫音からしてみれば、奈央は思ったよりずっと楽しい存在だった。
自分が普段からは考えられないくらい楽しめているのがわかる。
なんといってもそのリアクションが見ていて面白いのだ。
もっといろいろ仕掛けてみよう。そう思うと自然に笑いが込み上げてくる。
「彼の好みとか、わからないんですか?」
「正直わかりませんね。興味湧きませんし」
先ほどの動揺はすでに収まったのか、冷静というか素っ気なく答える彼女。
「……敵にそんな情報は売りませんか」
「敵って何ですかっ!?別に貴方が好かれようが嫌われようが、私には関係ないんですけど!」
納得したようにつぶやくと、案の定素早い切り返し。しかし、それだけで赤面してしまうのはどうなんだろう?
「そうですよね。問題は自分が好かれるかどうか」
「違っ、なんでそうなるんですかっ!」
なんて必死に否定するんだろう?それじゃ尚更弄りたくなってしまう。
だが、このとき奈央はあることに気づいた。これは、立場逆転のチャンスかもしれない。
「あれ?織崎さんさっき、敵って言いましたよね?」
つまりそれって、この人が遥人さんのことを特別視している証拠では?
「そもそもおかしいですよね。買い物すら面倒がる織崎さんが、クリスマスにデートだなんて」
さんざん弄られて後手に回っていた奈央だが、ここでついに反撃の狼煙を上げた。
「極めつけに服の新調まで。織崎さん、そんなに遥人さんのこと気に入っちゃったんですか?」
ニヤリと笑って言い放った奈央。その目はすでに、勝利を確信していた。
そして、その問いに紫音は顔を真っ赤に……するはずだった。奈央の思惑通りならば。
だが、紫音はいつもと変わらない無表情で言ってのけた。
「ええ、私は好きですよ。彼のこと」
一瞬、奈央の中で時が止まった。そして、その言葉を理解した途端にまたもや赤面してしまった。
「えっ、いやその……本気ですか?」
戸惑いを隠せない奈央。当然である。奈央には予想すら到底できないことだったから。
自分の気持ちを素直に表現すること。自分の本当の気持ちを知ること。
そのどちらも、今の奈央にはできないことだったから。だから、予想なんてできるわけがない。
「もちろん、本気ですよ。わかりませんでした?」
さも当たり前のように答える紫音。だが、実はこれ本音ではない。
紫音が遥人に抱いている気持ち。それはまだ彼女にとって理解不能な状態である。
だけど、わかっていることもある。それは、彼という存在が自分に必要であるということ。
彼と一緒にいたいと思う自分。彼に好感を持ってもらいたいと思える自分。
その気持ちは徐々に徐々に、私を変えていく。あのころの自分に、戻ろうとしている。
期待して。そう言った私は、期待から逃げてきた私とは明らかに違う。
きっと、彼は私を変えてくれる。私はきっと、彼のことを……。
「ですから、私とあなたは敵同士です」
しかし、彼女を弄るためとはいえ自分は言ってしまったのだ。
好きだって。言ってしまったのだ。
「だからぁ、私は遥人さんなんかなんとも思っていません!」
最早動揺は収まる気配なし。顔を真っ赤に染めて怒る彼女は、見る人が見れば可愛いんだろう。
彼女が敵ならば、それはかなりの強敵ではないだろうか?
「織崎さんが遥人さんを好きだって言うなら、どうぞご勝手に!むしろ応援してあげますよ」
半ばやけくそ気味に言った奈央だが、その場合大事な妹の気持ちはどうなるのか。
そこまで気が回らないくらい、今の奈央は動揺していた。
「……応援してくれる?」
「はい、だから敵じゃありません」
別に奈央は紫音と仲良くする必要はなかったはずなのだが、何故か『敵』というフレーズは嫌だった。
「……そうですか。なら、味方ですね」
「うっ、味方……ですか」
本来なら、彼女の味方など全面的に拒否するのに。そうしなかったのは、敵になれば勘違いされるからなのか。
または、奈央の持っていた紫音のイメージを完全に崩した、その笑顔のせいか。
織崎紫音というのは、面倒くさがりやだけど、よく笑う。それが、奈央が持った新たなイメージ。
多分今の姿は、遥人に言わせれば別人なのだけど。
そして紫音本人は、ちょっとかつてないくらい素直に楽しんでいた。
奈央の方が素直じゃないぶん、逆に今の自分はストレートだった。
ちょうど、新しい玩具を見つけた子供みたいに。それはもう嬉しそうな。
「……味方なら、ちゃんとアドバイスしてくれますよね?」
「わかりましたよ。私にできる範囲で協力します」
まだまだ手は緩めない。いつもはなにもかも面倒なのに、こればかりは何故か楽しくて仕方ない。
「……じゃあせめて、好きな色くらいは」
そんなことを聞いてしまって、自分は彼のことを全然知らないんだと気づく。
最近の自分は、彼のことに関してなら自然と気力が湧いてくる。
ならもっと、積極的に近づくべきかもしれない。ちょうど今みたいに。
「好きな色……ですか」
そんなことを聞いたことはなかったか。奈央は記憶を辿った。
「あ、そういえば。前に遥人さんが『桃色の髪とか結構好きなんだよね。現実的にはありえないはずなんだけど』って」
そんなことを思い出して、自分でも気づかないくらいに頬が緩む桃色の髪の少女。
「……で、そう言われて嬉しかったと」
「えへ、ちょっと得した気分ですよね……って、そうじゃなくて!」
ダメだ。面白すぎる。しかし、髪の色ではあまり服とは関係なさそうだ。
「……ノロケ話は置いておいて、いい加減真面目に考えますか」
「ノロケ話じゃありません!」
そんなことを言われてから、遥人に髪をとかしてもらったりしてしまったわけだけど。
それを拒みもせず受け入れてしまったわけだけど。
ダメだ。これ以上は知られたら負けな気がする。
そう思った奈央は、割と必死に服選びを手伝い、一刻も早く紫音から離れようとするのだった。
その夜。アパート一階にて。
「随分気に入られたみたいだね、奈央さん」
「うぅ、私の扱いってこんなんばっかですよ…」
なんだか疲れきっている奈央を見ても、遥人は幸せそうに笑っていた。
紫音さんが変わろうとしている。そして、奈央さんを受け入れた。
大丈夫。積み重ねて来た日々は、ちゃんと彼女の中に何かを残してる。
「いつか俺も、そんなふうに笑いあえたらな」
ただ、たった一日で紫音さんに気に入られてしまった奈央が、心を開いてしまった奈央が。
ちょっとだけ羨ましかった。
こんな一日。
そんな日常。