第二十四話 背信と決意
「夏休みが始まって間もなく、こいつらはやってきたんだよ。ほんと、突然さ」
それはあの夏の日の出来事。俺はあのとき、どんな気持ちだったっけ?
「ふーん。突然女の子と同居生活か。で、そんときの心境は?」
俺の心中を察したかのようにピンポイントな質問である。
しかしその表情はにやけていて、明らかに的外れな答えを期待している。
「いやぁ、正直……めんどかったわ」
チラッと横目に奈央さんを見つつ、溜め息まじりで言ってやった。
「遥人さん!?」
俺の答えが意外だったのか、びっくりしている奈央さん。
「だって考えてみろよ。人がゆっくりしてる時にいきなりだぜ?お前ら帰れよって思うわさ」
「うぅ、じゃあ私たちは来ない方が良かったって言うんですか?」
それって結論じゃん。今言うことじゃないので無視。あぁちょっと、そんな悲しそうな顔すんな!
「まぁそんなわけで同居生活が始まったわけだが」
「いや、ちょっと待て」
「ん?」
続きを話そうとした俺を止めて、疾風は奈央さんに問いかけた。
「えっと、奈央ちゃん、でいいよね?」
やけに丁寧な話し方に違和感を覚えたが、よく考えたらこいつら自己紹介とかしてないっぽい。
「は、はい。大丈夫です」
そこでその切り返しはおかしくないか?無駄に緊張しすぎて二人ともらしくない。
いやそれよりも、疾風の疑問はいったい?
「あのさ、私『たち』って、誰か他にもいるの?」
「え?」
「いや、私たちは来ない方が…って言ってたじゃん」
こっ、細かっ!そこを気にしてきたよこいつ!
……あれ?そういえば、真央さんは?帰ってきてるはずじゃあ……。
疑問に思い奈央さんを見ると、目が合った。そしてアイコンタクト。
(真央さんは?)
(何言ってるんですか。遥人さんと一緒だったはずでしょう)
(帰ってきてないの!?)
(え?まさか……)
「ヤバい!」
「どどどどうしよう!?」
「は?どうしたんだ?」
「真央ちゃんがっ!」
「……迷子だ」
投げかけた質問にしっかりした答えが返ってこない疾風は、愕然とする二人を見て溜め息をついた。
「………誰だよ」
真央にとっての藤森秋隆という男は、第一に義に厚いというイメージだった。
実際にそのイメージは本人の性格と一致しており、秋隆は義に厚い。
そしてその義を貫く相手こそ、奈央と真央の両親であった。
秋隆は過去に死の淵をさまよった。その原因は不治の病だとかややこしいものではなく、至極単純であった。
空腹、疲労。帰るべき所も行くべき所もなくさまよっていた秋隆は、その時確かに死を覚悟した。
だがしかし、そんな彼に手を差し伸べる者がいた。それが姉妹の両親である。
秋隆は食だけでなく職と住までその両親から与えてもらった。
職とは即ち奈央と真央の世話役、執事のようなもの。
その職を住み込みという形でまっとうしたため、同時に住まで手に入ってしまった。
それは大き過ぎる恩。その恩を返すために、秋隆は生涯の全てを捧げることを決めた。
たとえそれが誰かを苦しめることだとしても、命令とあらば冷徹に遂行した。
だから。
「だからこそ、私はあなたに敵と判断されたわけだ」
ここはある喫茶店。向き合うように正面に座る真央に、秋隆は問いかけた。
「うん。秋隆は絶対に恩を仇で返すようなことはできないから、私たちの障害になるって思った」
真剣な表情で話す真央だが、そこに先ほどまでの警戒心はなかった。
「いいんですか?そんな私を信じてしまって」
ひとしきり自分に抱かれて泣きはらした真央は、すっかり落ち着いて私を受け入れた。
その後やってきた喫茶店でも、最早完全に心の整理ができたのか呑気にきんつばを注文した。
なぜ喫茶店にきんつばがあるのか果てしなく疑問ではあるが、私にはもっと気になる疑問があった。
「あなたの敵にはならないと言った私の言葉を、信じて良いんですか?」
その問いに、真央はテーブルに置かれたきんつばを見て笑顔になりつつ答えた。
「大丈夫だよ。秋隆は、嘘つかないもん」
あっさりと言い切ると、待ち兼ねたようにきんつばを食べ始めた。
嘘をつかない、か。確かに嘘をつくつもりはなかったのだが、そのように信頼されているのは嬉しいことだ。
きんつばを一口食べるたびに花が咲いたように笑顔になっている真央は、さらに言葉を続けた。
「私たちが家を出る時もね、なにも秋隆が信用できないから秘密にしてたわけじゃないんだよ?」
この言葉は秋隆にとって本当に意外なものだった。
彼が真央と『再開』することになったのは、姉妹が家出をしたからにほかならない。
秋隆が悔しかったのは、そのことを自分に一切相談してくれなかったこと。
考えてみればその家出は一家全体を敵にまわす行為であり、両親に雇われている自分を信用するはずかないことは明白だった。
「秋隆が私たちを大切にしてくれていることはわかってたの。だから、あえてなにも言わなかった」
大切にしてくれていることはわかっている?
姉妹と両親が対立したとき、一度たりとも味方してやれなかった私だぞ?
「秋隆は義理堅いからね。それを話したらなんとか味方しようとする。でも、雇い主を裏切ることもできない。だから苦しむ」
こんな私のことを、気遣ってくれた?だとしたら私は。
「秋隆、さっきはごめんなさい。でも、やっぱり私は秋隆を敵だなんて思いたくない」
「はい。ですから、敵にはなりません」
「違うの」
違う?言わんとすることがイマイチ理解できないでいる秋隆に、真央は意を決して言った。
「秋隆を苦しめるのはわかっている。でも、私はあなたに『味方』になってもらいたい」
「味方……ですか」
言われて後悔した。自分は結局ただ敵にはならないと言っただけだったのだ。
敵にはなはないけど、味方にもなってやれない。自分には恩人を裏切る勇気はない。
でも、あんなに自分を信じてくれているのだ。私はそれに、報いなければならないはずだ。
「いったい、なにをすればいいんでしょう?真央お嬢様」
その瞬間、真央の顔がにぱっと笑顔になった。私が二人の執事だったころのように、私がお嬢様と呼んだから。
「そんなに難しいことじゃないの。ただ、話を聞いてほしくて」
「どんな話ですか?」
「私が家を出てからの話。ね、いいでしょ?」
昔はよくわがままに付き合わされて苦労した記憶がある。
今みたいに『ね、いいでしょ?』と懇願されて断れた記憶が、私にはない。
「もちろんですよ。さぁ、話してみてください」
味方になってあげられなかった自分を、それでも信じてくれた彼女。
私は少しだけ、恩人に背く。とても楽しそうな彼女の話を、もっと聞いていたいのだ。
「あのね、遥人さんっていう人がいてね――――」
この笑顔を、もっと見ていたいのだ。彼女たちの幸せを願う、数少ない『味方』として。