第十九話 本日、紫音注意報
雨の日アメノヒ。晴天暗転曇り空。傘なし帰路なし手段なし。
まだまだ止みそうにない雨に溜め息を漏らした遥人は、学校の玄関でなすすべなく立ち尽くしていた。
「雨、かぁ」
今朝の晴天具合と天気予報の『今日は快晴注意報発令です』という言葉を信じきっていた自分には、まったく想定外も甚だしいところである。
だいたい快晴注意報ってなんだよ。何に注意すれば良いんだよ。
快晴の日は何か良くないことが起こるっていうアレか?
あんなふざけた天気予報を信じた自分を恨みつつ、傘なしでどうやって帰れば良いのか模索中である。
選択肢として、雨に濡れて帰るのも良いかなぁとは思う。
昔からそういった行動をとっても風邪をひいたこともない。
なんとかは風邪をひかないというのが真実でないことを願うばかりではあるのだが。
しかしここで数ヶ月前にびしょ濡れになって帰宅した時のことを思い出す。
帰宅と同時に出迎えてくれた真央さん。びしょ濡れの俺を見つめるととっても失礼なことを言い出した。
「奈央ちゃん奈央ちゃん、なんかびしょ濡れの捨て猫が玄関に」
「なんか汚いね。適当に追い出しといて」
「はーい」
はーい、じゃねぇよぉぉぉぉ!人を捨て猫扱いかコノヤロー!
しかも汚いってなんだよせめて餌の一つくらいくれてやれよ!
「こういうのは一度餌を与えると厄介なんですよぉ」
「餌が欲しいなら鳴いてみてくださいよ、ニャーって」
「さっさと中に入れろぉぉぉぉ!!」
よし、とりあえず傘だ。またあの屈辱を味わうわけにはいかない。
人間としての尊厳を完全に無視したあの姉妹の遊具となるのは御免被る。
「あー、どうしようかなぁ。疾風の傘でもパクってくかなぁ」
しかしなんでみんなしっかり傘を持ってきているんだろう?
朝はあんなに天気良かったし、天気予報だってあんなだったのに。
いやしかし、八方塞がりもいいところである。完全にお手上げだ。
しかし、このまま雨が止むのを待つしかないと諦めかけた俺の目の前に彼女は現れた。
およそ生命の危機にぶち当たった時と俺の呼び掛け以外では外に出ないはずの彼女。
その彼女は、面倒くさがりで無気力な性格を感じさせない整った身なりで俺の前に立った。右手に一本の傘をさして。
「し、しおんさん?」
織崎紫音。ある事情により無気力人間と化した、もと天才の彼女。
「どうしてここにってかよく外に出ましたね」
「迎えに来たんです。傘、持って行かなかったみたいだから」
迎えに?本当にそんな理由なのだろうか。彼女が俺の為に自ら外に出た?
「あぁ、ありがとうございます。えっと、どういう風の吹きまわしですかね?」
「ただの気分ですよ」
あなたは気分で外に出るようなアウトドアな人じゃないでしょーが。
「行きましょう」
「あ、はい。あれ?俺の分の傘はどこに……」
「? 傘はこれ一本ですけど……」
いやいや、待て。落ち着け俺。まさかこれは相合傘を狙っての行動かとかそんな考えが紫音さんにあるわけない。
多分傘を二本も持ってくるのが面倒だったんだ。いや、そうに違いないそれしかあり得ない……。
「あの、紫音さん。傘、俺が持ちましょうか?」
「いえ、結構です」
結局俺は、何も言えず混乱したまま紫音さんと同じ傘に入った。
肩が触れ合うほど近い距離と雨の匂いをかき消す甘い匂いは、それはもう俺を緊張させた。
いったいどこからこんな良い匂いを発しているのだろう。香水でも使っているのだろうか。
互いに雨に濡れないように出来る限り密着しているのでその匂いがよくわかる。
しかし相合傘……ものすごく恥ずかしい。いや、単に意識しなければ良いのだけど、純真な高校生である(と思う)俺はどうも意識してしまう。
そこで俺は何か別のことを考えて気を逸らそうとしているわけだ。
えーと、何か別のこと別のこと。例えば……。
そこでずっと無言だった紫音さんが突如俺の思考を乱し始めた。
「相合傘ですね」
「……そーですね」
せっかく考えないよいにしてたのになぁ。つーか紫音さんもわかってたんだ。
「なんだかこうしてると、カップルみたいですね」
「そうです……ね!?」
できるだけ淡白な反応を心がけた俺だが、まるで本物のカップルよろしく腕を組んできた紫音さんに動揺してしまいそれどころではない。
「紫音さん、できれば腕を離して頂きたいんですが……」
そうしてもらわないと、これを見た人も自分もなにか勘違いしてしまいそうである。
「………」
ちょっ、なんですかその無言の抵抗は!?そんな両手でしがみついたら……何かあたってるんですって!
てかあれぇ!?なんか急に雨粒が全身に……って。
「紫音さん、傘傘!なんで手放してんですか!」
どうりで両手でしがみつけたわけだ。この人、わけのわからん意地で傘を手放しやがった。
「……ダメ、離れたくない」
や、やめてえええ!甘い匂いと柔らかい感触に加えてそのセリフは、もう凶器だから!
慌てて空いている片手で傘を拾った俺は、今時いなそうなバカップルみたいに見える状態で再び歩き出した。
「……あったかい」
俺は恥ずかしくて体中沸騰気味ですよー。この人はいったいどんな意図でこんな行動をとっているのやら。
しかし、結局びしょ濡れになってしまったわけだが、問題は紫音さんだ。
全身びしょ濡れの紫音さんは、なんかこう……エロい。
こういうヨコシマなことを考えるのは失礼なのだが、柔らかいものが腕にあたりっぱなしの俺にはちょっと刺激が強すぎる。
ほんと、俺がけだもの野郎だったらこの状況は即アウトだ。理性とかすっ飛んじゃうだろう。
我慢我慢で我がアパートについた俺は、多少強引に紫音さんを引き剥がした。無表情が心なしか寂しそうに見えなくもない。
しかし、このまま中に入ってもまた捨て猫扱いが関の山である。どうしたものか。
「……管理人さん」
そういえば紫音さんにはそう呼ばれていたっけ。
「お茶……淹れて行ってください」
普通そこは『お茶淹れますよ』じゃないだろうか。本当に、よくこの人が迎えに来てくれたもんだ。
「わかりましたよ。迎えのお礼もありますし、ついでにお茶してきましょう」
正直に言えば、服が乾くまで時間を潰すためなのだが。
「紫音さん、お茶、淹れましたよ」
「……ありがとうございます」
「あれ、まだ着替えてなかったんですか?」
早く着替えないと風邪をひいてしまう。紫音さんはバカではないみたいだし。
「服がはり付いてなかなか脱げなくて……」
うっ、なんか嫌な予感が。何故か紫音さんは服のそでをこちらに向けている。
まるで脱がせろと言わんばかりの状態で、無表情のまま静止している。
「………」
「……お願いします」
脱がせろってか!?さすがにそれは面倒とかそういう問題じゃないだろ!?
再び両者沈黙。そして……
だきっ。
倒れる様に俺に抱きついてきた紫音さん。よく見れば顔は赤く額は熱い。
「おいおい、さっそく風邪かよ」
無表情なままなのでわかりにくいが、わかってしまえば結構苦しそうである。
「布団敷いておきますから、早く着替えてお茶飲んで待っててください」
「……着替え」
「それはご自分でお願いします。いやマジで」
そう答えて逃げる様に寝室に向かうのであった。
「やっと寝たか」
一時間後、ようやく眠りについた紫音さんを見て一息ついた。
さすがにあんなに早く風邪ひくわけがない。きっと体調が悪いのを堪えて迎えに来てくれたのだろう。
きっと、少しずつ、心が通い始めたらしい。その事実は、なんだかとても嬉しくて。
「ありがとうございます。風邪、早く治してくださいよ」
そう言って紫音さんの部屋を後にするのであった。
こんな一日
そんな日常。