第十四話 少年と親友と学校の朝
開き直って生きてしまえば、きっともっとずっと、幸せになれたんだろうな。
俺は一度だけ、そんな風に後悔したことがある。そして、そうやって俺を後悔させた奴がいる。
だから多分、そいつはきっと、欠けがえのない存在なのだろう。
いや、多分だけどね。ほんとに、多分ね。
「結局さ、おかしいんだよな。私の彼女は画面の向こうに住んでます。なんてのはさ」
「うん、お前が言うな」
「そりゃな?可愛いよ、漫画やゲームの中の女の子たちは。都合の悪いことは全部無視だもん」
「お前が言うな」
「でもな、それは間違ってる!現実にないものを愛して、そこに何が生まれる?何も生まれないだろ!」
「だから、初恋の相手が画面の向こうの女の子だったお前が言うな。解れよ、お前はクズだ」
そこまで言って、昔同じ会話をした事がある気がした。この、恥ずかし過ぎて死にたくなる会話は……。
その疑念は、怒り狂った相手が放った拳を掌で受け止め、カウンターを腹に叩き込んだ瞬間に確信に変わった。
今、顔をしかめて膝から崩れ堕ちたのは、昔であれば自分だった。
しかし、俺にとってこの会話と展開は二度目。そのため、相手から拳が飛んで来ることが完全にわかっていたのだ。
「おい遥人……そのことは忘れろと……何度も言ったろうが……ゴハッ」
……なるほど、これは夢なんだな。きっと奴への不満が生み出した夢だ。そうに違いない。
ならば容赦はいらない。これがあのときと同じ会話なら、この後もう一発殴るチャンスがあったはずだ。
夢でも構わないさ。こんな爽快な夢なら、いっそ思い切り楽しんでしまおう。
俺は、あいつを殴る。
「てかもう、結局お前は何が言いたいんだ?」
あの時と同じ様に会話を進める。すると案の定、奴は立ち上がると、胸を張って言った。
「俺は気づいてしまったんだ。二次元は所詮二次元だし、アニメのヒロインみたいな女の子を現実世界で探そうとしたって、何処にも居やしないってな」
「なら、おまえはどうするんだ?本心を言えば、好みはギャルゲーのヒロインみたいな女の子なんだろ?」
自分で言って嫌になる。なんでこんな奴とつるんでるんだ、俺は。あぁ、昔も同じことを感じていたな。
良かった。俺は変わってない。そして残念だ、あいつも変わってない。変わる気すらもない。
「簡単なことさ。最初から二次元チックな娘はいないんだ。……なら、作りだせばいい。普通の女の子を捕まえて、自分の手で、自分の色に染め上げるのさ。そうすればやがて、どんな要求にも答えてくれる俺だけの女が出来上ぐえっ!!」
すみません、殴りました。それはもう思い切り殴りました。しかし、俺は確かに自分の成長を感じていたりする。
昔はあまりの気持ち悪さに『俺の手で』の辺りで反射的に殴っていた。それを今はここまで我慢できた。うん、俺は成長した。
ただ、早めに殴っておいた方がまだ正式に登場していない彼のイメージのためには良かったのかもしれない。
そして俺は、拳から伝わる心地よい感触を堪能しながら目を覚ました。てかこれ、やっぱり夢か。
少し、残念だよなぁ。
さてさて、目を覚ますと俺は……えと、なんか踏まれていた。
「……おいおい、奈央さん。俺にそういった類の趣味はないんですが」
「私だってそんな趣味はありませんよ。遥人さんがなかなか起きないから」
そう言いながらグリグリとかかとを捩じ込ませている。本当にそっちの趣味はないんだろうか?
「しかし奈央さん。スカート穿いて寝てる人を踏むってのは……わかる?」
「え?………き、きゃぁぁあっ!!」
きゃぁ、じゃねえよ。気づけってそれくらい。そうやって真っ赤になって恥ずかしがる姿は可愛いけど。
「男ってバカだからさ、そんな風にあからさまに下着とか見せられちゃうと、人によっては誘ってんのか?とか思っても不思議じゃないんだよね」
「うぅ……変態」
「誰が変態だ誰が。……でもまぁ、そんなこと言われると、寝ぼけてる俺は奈央さんを襲っちゃうかもしれないなぁ」
まぁそんな気は……ないけどね。ほんとにね。
「ば、バカなこと言ってないで早く起きてください!今日から学校でしょう?」
スカートを抑えて顔を深紅に染めながら、彼女は叫んだ。俺の忘れていたことを。時計を確認。どうやらまだ余裕はあるみたいだ。
しかし、昨日は寝るのが随分遅くなってしまったから、奈央さんが起こしてくれなかったら寝過ごしていたかもしれない。
「ありがとう、奈央さん。助かった」
「いや、別に助けるつもりはなかったんですけど」
相変わらずの素直じゃない返答に、いつもの日常が始まった気がした。
「おはよう、真央さん」
居間には朝から読書に更ける真央さんがいた。今日はやけに起きるのが早いように思う。
「おはようございます。今日から学校ですよね?」
「うん。だから夕方まで帰って来れないわ」
食パンとイチゴジャムを持って椅子に座ると、真央さんが隣に移動して来た。
「あのー……できるだけ早く帰って来てくださいね」
そんな寂しそうな瞳をされたら、断るわけにもいかない。てか、断れない。
「うん、できるだけ早く帰るよ」
「約束ですよー?」
そう言って俺の腕にしがみついて来た。昨日も感じた柔らかい感触が腕に。
なんだか、この娘は最近無意識に誘惑的な行動をすることが多くなってきた。
最初は狙ってやってるのかとも思ったが、彼女は思ってたよりずっと純真な女の子みたいなのだ。
その分、こういった行動はいちいち俺の理性が悲鳴を上げるのでちょっと困る。特に、暇さえあればくっついてくるのはやめてほしい。
いや、そりゃあ物凄く嬉しいのだけども、なんだか勘違いしてしまいそうなのだ。
こんなかわいい娘にそんなことをされ続けたら、俺だっていつか間違いを犯しかねない。
まぁ、奈央さんの方も朝からいいものを見せてくれたのだが。
……本当に、いつか間違いを犯しそうで怖い。
とにかく俺は、物凄い速度でパンにジャムを塗り、口に放り込む。一刻も早くこの誘惑地獄から抜け出さないと。
まぁ、結局その後も真央さんは、トイレと着替えを除いてずっとくっついていたのだが。
いつか壊れるな、俺。
「行ってきまーす!」
真央さんのもの悲しそうな視線から逃げる様に、俺は家を出た。
だって、目を合わせたら学校行けなくなるから。戻って頭撫でて一緒に本読み始めちゃうよ、絶対。
後ろから、寂しそうな声と嬉しそうな声でいってらっしゃいと聞こえた。
……おいおい奈央さん、その『嬉しそうな声』はなんだってんだよ。
そして学校。約一ヶ月ぶりの再会が多発する夏休み開け初日の朝である。
「おはよー、氷名御」
「久しぶりー」
「んー、久しぶり」
教室に入るなりかけられる無数の声に一つ一つ対応しつつ、今朝の夢に出てきた男のもとを目指す。
「おー、遥人!元気にしてたか?っておい、なんで握り拳をコキコキ鳴らしながら近づいて来るんだ!?」
ゴスッ、と気持ち良い音を発して俺の拳は奴の腹にめり込んだ。
「おはよう、桐原疾風。残念だよ、元気そうじゃねぇか」
「これが元気に見えるのか!?」
腹を抑えてうずくまる小麦色の肌の男、桐原疾風は苦しそうに言った。
「なんだ、腹が痛いのか?取り返しのつかない程に元気なことだけが取り柄のお前がいったいどうしたんだ?」
「てめぇがやったんだろーがぁぁぁあ!!」
叫びと共に繰り出される拳を掌で受けとめる。なおも繰り出される拳。
「まぁ確かに、やったのは俺だ。まだ感触も残ってるしな」
「なら死ねぇぇぇえ!!」
「イヤダ!」
高速で繰り出され続ける拳を受け止めつつ、断言した。しかし、夢も合わせて今日は既に三回も奴を殴ることができた。なんて素晴らしい日だろう。
「だいたい、なんでいきなり殴る?おはようとか久しぶりとかはないのかよ!」
おはようも久しぶりも、今朝のやけに現実的な夢のおかげで言うのに違和感があるんだよなぁ。
「まぁ、殴ったことについては今朝起きた時から決めてたから、仕方ないと思ってくれ」
「はぁ!?俺に殴られる要素ないだろ?」
確かに俺が殴った理由は過去の危険発言に対する制裁であって、今更理由になりはしない。
しかし、幸いこいつのクズっぷりは他人から恨みを買うことには一切困らないレベルなのである。
「殴る理由か。……なら、この夏休みお前は何人の女の子とお付き合いした?」
俺の質問に小麦色の肌の男は胸を張って答えた。いやいや、何がそんなに誇らしいのさお前は。
「四人だ!」
「潰れろ」
だいたい予想はしていたが、見事にそれを裏切らなかった。裏切ってほしい予想程当たるものだ。
天性の女たらし、小麦色の肌の男、桐原疾風。その存在の迷惑なこと、彼の上を行く者はいない。
「前の三人と破局した原因は?」
「あっはっは、ちょっとゲームにはまっちゃってさ、彼女の存在を忘れてたんだよなぁ」
「うん、正直でいいね。お願い死んで」
できる限り綺麗な笑顔で言ってやった。ただし、目は笑っていない。
この男のたちの悪いことと言えば、それはどうしようもなく飽きっぽいことにある。
不思議と女の子にモテるこの男は、極度のゲーマーでありながら常に彼女を欲しがるのだ。
問題はそこから。こいつはいつも、ゲームにはまると彼女どころか友人さえないがしろにしてしまう悪癖がある。
それが原因で、いつもいつも彼女を作っては別れ作っては別れ……はい、もうおわかりでしょう。
要するに、こいつは極度に飽きっぽい最低野郎なのである。
何故こんな野郎ががそんなにモテるのか甚だ疑問であるが、まったくモテない俺が言うと僻みみたいなので止めておくが。
かっこいいのは名前くらいのもので、前述の通り性格は最悪なのになぁ。
いや、俺もこんなこと言える程素晴らしい人間じゃないけどね。
ゲームがしたけりゃ彼女を作るな、とも思うが、それは嫌ならしい。俺はそんなお前が嫌で仕方ないよ。
まぁ、その罰なのか知らないけど、奴の周りに寄ってくる女の子は端から奇人だったりする。
見てくれはいい娘ばかりなのだが、それを損なって有り余る変人たち。桐原疾風の女運は、本当に悪い。
「まぁ、類は友を呼ぶって言うしな」
「は?なんだよいきなり」
「いや、気にするなよ」
しかしこの場合、俺まで『類』の仲間入りしてしまうような。それだけは嫌だから、今のはなしで。
「で、おまえはどうなんだよ、親友」
「親友っていうな気持ち悪い。てか何が?」
「いやさ、ご両親が亡くなってそろそろ二ヶ月だろ?いいかげん慣れたか?」
俺を親友と呼ぶだけあって、こいつとは小学生の時からの仲だ。
うちの両親とも面識はあったし、両親がいなくなった俺をこいつなりに心配してくれていた。
でも俺は、そんな友人の好意を拒絶した。慰めの言葉が怖かった。
なんだよ。まるで俺が、可哀想な奴みたいじゃないか。そう思うと、素直に他人を頼ることさえ躊躇ってしまったのだ。
それからはしばらく、疾風は俺に気を遣って一人にしてくれた。だから実際こいつとこんな風に話したのも久しぶりだったりする。
夏休みにどこへも行かずに引き込もっていたのも、その辺りが主な原因だ。
「いや、慣れたというか、お前の言うほど錯乱しちゃいなかったと思うんだが」
「そうか?今はともかく、夏休み前までの一ヶ月は酷いもんだったぞ?むしろ、よくここまで落ち着いたなって思うわ」
どうやら、意外としっかり見ている様だ。強がってみても、実際俺は落ち込んでいた。
まぁ、今は慣れたとか言うより落ち込んでる暇がなくなっただけだが。
「それが、そうでもないんだ。せっかく慣れてきたと思ったら、また厄介なことになってな」
突然やって来た双子の姉妹に、アパートの住民までで増えて。
一人暮らしの寂しさなんて、夏休みが終わる頃には吹っ飛んでいた。
家族を失った悲しみも、随分和らいだ様に思う。あいつらのお蔭、なのかな。
……そうだな。こればかりは、あの姉妹のお蔭と言わざるをえない。
「厄介なこと?あぁ、例の美人な住民さんね」
……ん、今奴はなんて言った?聞き間違いか?
「アパートに一人棲み始めたんだろ?年上の美人さんが。えらく入れ込んでるらしいな、お前」
あぁなんだ、紫音さんのことか。
……いや待て、俺は最近あいつや他の人と関わってなかったんだぞ?いったい何処からそんな情報が漏れたんだ?
いや、考えてみれば、一人だけ……。
「なるほど、あいつか」
思い出した。紫音さんの情報を得るために、ある女に彼女のことを話した。
「そ。本宮が不満そうに教えてくれた」
そっか、と返事をして、時計を見た。そろそろ始業式が始まる時間だ。
「……あいつに借り作っちまったんだよなぁ。放課後は、あそこに行かないと」
紫音さんについての情報提供を頼んだ時から覚悟はしていたが、やはり自らあの女のところに行くのは気が引ける。
「まぁ頑張れよ。仕方ないだろ、惚れた女の情報を提供してもらったんだから」
「惚れた?誰が、誰に?」
「あれ?本宮のやつ、おまえがその人を気に入っちゃって、気を引くために情報を欲しがったんだって…」
あんの女!人の依頼内容をペチャクチャと喋りやがったあげく、ガセネタ流しやがるとはなんて奴だ!
「それは勘違いだ。その人の情報を提供してもらったのは事実だけども」
「なんだよ、つまんねーの。おまえのそういう話は全然聞かないから、妙に得した気分だったのに」
そう言いながらも、疾風はやっぱりなという顔をしていた。なんとなく、俺の本質を察してるせいかな。
しかし、月島姉妹のことはバレてないようだ。さすがに一緒に住んでるなんてことが知られたら、何を言われるかわからない。
二人の存在はできる限り隠蔽しよう。そう強く心に誓い、始業式のため体育館に向かうのであった。
そんな、学校の朝。