第十三話 夏の思い出と線香花火(後)
夏休み最終日、俺と双子は三人で遊びに行くことになった。
「さて、どこ行こうか?まだ九時にもなってないし結構遠くへも――」
「「海!」」
俺の言葉を遮った二人は、既に玄関で靴を履いているところだった。二人とも満面の笑みを浮かべ、せわしく手足を動かしている。
いや、どんだけ楽しみなんだよ?いつの間にか服装もお出掛けモードだし。
「別に海でもいいけど、おまえら水着とかあるのか?」
この時期に海に行くってことはまぁ海水浴がしたいんだろうし。いや、もしかして釣りか?
しかし二人は、俺の質問を愚問であるとばかりに揃って袋を掲げ挙げた。
「もしかしてそれ……水着袋か?」
「そうですよ。しかも揃いなんです」
嬉々として中身をみせつけた。何故そんなにも誇らしげなのか、心底疑問である。
「って……そんなの着るのか?」
袋から出てきたのはどちらも露出度大の通称『ビキニ』。こいつらがそんなの着て真夏の海水浴場を歩いたら、ある意味『釣り』になってしまうだろう。
何が釣れるのかといえば、要するに飢えた男達である。こいつらみてくれは無駄に良いからなぁ。
「海なんて初めてですからねぇ。楽しみですぅ」
人が頭抱えて悩んでいる中、なんとも嬉しそうであった。てか、海が初めてとはまた珍しい。
しかし、俺も初めて行った時は随分はしゃいだ記憶がある。行く前から楽しみでずっと頭にゴーグルを着けていたっけ。
なんだか限りなく不安ではあるが、俺達は海へと出発するのであった。
海水浴場に着いたとき、いつの間にか二人は水着に着替えてあった。さっきから時間軸の合わない行動ばかりする二人のテンションは異常に高い。
どれ程高いかといえば、懲役四十年の刑期を終えて晴れて釈放された人間のそれを軽く凌駕せんばかりである。
「はー、四十年ぶりのシャバの空気は美味いねぇ」
よりも
「ほら、海だよ真央ちゃん!」
「青いですねぇ」
の方が激しい状態はなかなかないだろう。
しかし、浜辺を歩くこと五秒。二人は大盛況の海水浴場のお客の視線を一手に集めてしまった。
その視線(男限定)に不安になったが、さすがにこんなガキに声までかけてくる奴はいないだろうと開き直った。
「ちょっとキミ、僕と浜辺を歩かない?」
「焼きそば奢るよ?」
繰り返そう。開き直った。そう、開き直ったのに。
確かに二人はかわいいんだろうけど、まだ十五だぞ?このロリコンども、と思っていると、いきなり両腕に重みがかかった。
声をかけられてビビった二人が、何故か俺の腕にしがみついてきたためである。その行動が効いたのか、ナンパ男達は去って行った。
「さて、そろそろ離れようか?」
いまだしがみついたままの二人に語りかける。
「別にこのまま歩いても大丈夫ですよねぇ?」
いや、大丈夫じゃないよ?周りの視線だとか両腕が感じとった柔らかい感触だとかもう、俺はいっぱいいっぱいなんだよ?
「いや、離れようよ……」
「「………」」
そんな物欲しげな上目遣いで俺をみるなぁぁぁあ!両手に花ってかダブルパンチっていうか、とりあえず俺はそろそろ限定だから!!
「すみません、離れてください。そろそろ理性とかが限定です」
俺の気持ちが伝わったらしく、二人は残念そうに俺から離れた。
「ちっ、ヘタレが」
「おいおい、ボソッとなに言ってくれてんだ?奈央さん」
「いえ、こんなに人がいたら楽しめないなぁって」
なんで誤魔化してるのに的を射たこと言ってんだろう、この子は。
「確かに、これじゃあ遥人さんと思い切り遊べないですねぇ」
「そうだな、これじゃ真央さんと思い切り遊べないなぁ」
「でしょ?これじゃあ真央ちゃんと思い切り遊べません」
いつもの様にある種攻撃的な会話の末、人がいない浜辺に移ることにした。探せば意外とあるもので、少し歩いたところに誰もいない浜辺があった。もちろん海水浴場ではないが、こちらのほうが楽しめるだろう。
水着を持ってきてない俺は波打ち際ではしゃぐ二人を眺めていた。ビキニの上からTシャツを着て、水かけっこなんかしている。
二人とも子供みたいな顔して笑っていた。まあ子供といえば子供だけど。いつもはなかなか見られない、本当に楽しげな笑顔。
この光景を他の奴らに見せるのも癪だな。ふとそんなことを思って、移動して正解だったのだと思った。一言でいえば、とてもキレイな光景だった。
「遥人さんも遊びましょうよぉ」
「このくらいなら水着なくても大丈夫ですよ」
このままずっと、時間が止まってくれてもいい。そんなことを思いながら。いや、感慨に更けるより、今は楽しむ時だ。
「あー、今行く」
そして、自らもその綺麗な光景の中に溶け込んで行くのであった。
水をかけて、かけられて。そんな繰り返しが何故かすごく楽しくて。途中で二人に集中攻撃されたり、奈央さんとちょっとマジなバトルが始まったり。
退屈なんて、知らないみたいに。
時間すらも、忘れた様に。ひとしきり遊んで日が暮れかけた頃、俺は少し二人の元を離れた。戻って来た時にはちょうど日が落ちていた。
気温も徐々に下がってきたので、二人に着替えてくるように言った。そして、秘密兵器を出した。
「わ、花火ですか!?」
「さっきいなくなったのはこれを買いに行ってたんですねぇ」
相変わらず着替えは妙に早いようだ。ろうそくを立てて、火を点けた。
「さぁて、たくさん買ってきたから思い切りやれよ。」
「「はーい」」
夏は遊んだ後にトリとして花火をすることがよくある。
これはなかなか良い計らいだろうと思う。楽しい時間がキレイな光となって『思い出』に変わるのだ。切り取った時間と、一瞬の光。それこそ夏の風物詩だろう。
二人は疲れも見せずに遊んでいた。今この瞬間に限っては、世界中で一番楽しんでるんじゃないかってくらい。私は今しか知らないといわんばかりに。
俺も、もっと楽しもうかな。明日なんか気にしないで。そうしたら、彼女らのようになれるかな。今この瞬間を全力で生きれるかな。
花火の最後に、私は線香花火に火を点けた。綺麗な火の玉が光を放った。
「奈央ちゃん」
まだ火の点いていない線香花火をもった真央ちゃんが近づいてきた。しばらく無言で線香花火を眺めた。花火の光を浴びた真央ちゃんはやっぱりかわいかった。
やかて光が心もとないものとなった。花火が終わりに近づいたようだ。あとは徐々に光を失って、やがて地面に堕ちるだけだ。そう思うと、なんだか不安になった。
隣の真央ちゃんも、悲しげな顔をした。きっと同じことを考えたんだろう。
「ねぇ、奈央ちゃん」
「なぁに?」
何を言うのか、なんとなくわかっていた。それに私が答えられないことも。
「私たちが花火だったら……今どの辺りだろう?」
それからはしばしの静寂。今にも堕ちてしまいそうな線香花火のパチパチという音が響いていた。
私たちが花火だったら……きっと今が、一番輝いているんだろう。こんな日々が少し続いて、やがて終わる。激しい光が終わり、やがて落ちる。線香花火と一緒。あとは光を失い堕ちるのを待つだけだ。
いや、もしかしたら明日にでも終わるかもしれない。線香花火が途中で落ちてしまうことがある様に。
そんなことを考えていると、線香花火はついに終わりの時を迎えようとしていた。
光を失い、落ちる――
結局、落ちることはなかった。いつの間にか隣に来ていたたバカのせいで。線香花火が落ちる瞬間、もう一つの線香花火がくっつけられた。
まだ激しく光を放っている、遥人の持つ線香花火だ。二つの花火はくっついて、再び大きな光を放ち出した。
「何やってるんですか」
「いや、奈央さんの落ちそうだったから」
なんでもない事だという様な、そんな返答だった。だから、バカなんだ。この男は。
「堕ちそうな光に手を出したら、自分の光まで堕ちてしまうことだってあるんですよ?」
今にも消えそうな声だった。隣では真央さんが、じっと花火を眺めていた。
「まだ、火が点いたばかりだよ」
「は?」
「これからもっと輝いて、いつまでも続くよ」
奈央さんは驚いたように黙りこんだ。そうしているうちに、今度こそ花火が落ちようとしていた。
でも、落ちなかった。真央さんが、俺がしたのと同じように自分の花火とくっつけたから。
「楽しかったな」
「……はい、とても」
奈央さんはしっかり言い切った。
真央さんは、あの行動が答えなんだろう。俺を見てにっこりと笑ってくれた。
そして、その光を目に焼き付けた俺達は帰路についた。
家に帰ったのは八時ちょっと前。着いてすぐ、姉妹は仲良く二人でお風呂に入った。
俺はというと、夏休み最後の用事を果たすため、ある場所に向かった。
真央ちゃんと一緒にお風呂という何年ぶりかの大イベントを満喫した私は、この家の主が不在であることに気づいた。
明日から学校だというのに、いったいどこをほつき歩いているんだか。真央ちゃんはお風呂から出た直後に眠りについてしまった。
かわいい寝顔をカメラに収めて、しばらく頬をつついたりして遊んでいた。ふと、後ろからため息が聞こえた。どうやら主が帰って来たようだ。
「ほんと好きだねぇ」
呆れたような口調とは裏腹に、温かい目をしていた。
「当たり前でしょう。世界で一番大切な私の妹ですから」
そう、当たり前。だからこれだけは揺るがない。
「そういうもんか」
「そういうもんです」
遥人さんは真央ちゃんの頭を撫でると、ふいに真剣な表情で私に問いかけた。
「やっぱりさ、聞いちゃいけないかな?奈央さんたちのこと」
あまりにも唐突な質問だった。だから、いやきっと本当の理由は違うけど、答えられなかった。
「……奈央さん」
「………え?」
「水着、似合ってたよ」
そんなことを言って、お風呂に入ってしまった。まるで、何事もなかったかのように、笑って。傷ついたくせに、辛いくせに、笑って。
私はただ、その悲しい笑顔から目をそむけることしかできなかった。
はぁ。かなり本格的なため息をついてしまった。何故、奈央さんにあんな質問をしてしまったのか。
下手に踏み込めば、傷つけるだけなのに。
何かを変えようとした。今は幸せなのに。
何も変えられなかった。そんな覚悟はないから。
でも、嫌だというなら踏み込むつもりはない。傷つけたくはないから。シャワーで全部洗い流して、またこんな日々を紡いで行こう。いつまでも、どこまでも。
きっと、いつか全部わかるときがくるから。
きっと、いつか今日のように笑顔で過ごせる日がくるから。
そんな日を信じて。そんな日を夢見て。
〜おまけ〜
織崎紫音の一日(後)
いつの間にか高校野球に見入ってしまった私は、試合終了のサイレンと同時に大きく背伸びした。
とても見応えのある試合だった。ただ、残念なことにそれを見ても私は変われそうにない。
いや、私は変わろうとなどしていただろうか?
していないはずだ。私はあの時膝を折って以来、立ち上がる気はなかった。誰にも見えてないのなら、努力も結果も才能も意味はないから。
そう、誰にも見えてないのなら。そう考えて、あの人の顔が浮かんでしまった。同時に、インターホンが鳴った。
玄関から顔を出したのは、他ならぬあの人。
「何しに来たんですか?管理人さん」
最近勝手に頭に浮かんでは私を苦しめる張本人。優しい笑顔の彼。
「いや、花火でもしようと思って」
手には線香花火だけがいくつも握られていた。面倒ではあるけど、ちょうど聞きたいことがあるので承諾した。
しかし、線香花火しか持って来ないのはどうなんだろう。
「いやさ、これ以外全部使われちゃって」
残り物持って来るのもどうなんだろう。
「そこはまぁ気にしない方向でお願いします」
別に気にはしないけど…
「なんで言いたいことわかるんですか?」
「いや、なんてぇか……顔に書いてある、みたいな」
そんな不満げな顔をしていたのだろうか?ちょっと心外である。
「はい、持って」
線香花火を一本渡し、火を点ける。二人で並んで座りながら花火を眺める。必然的にしばらく沈黙がおとずれる。破ったのは私だった。
「……聞いてもいいですか?」
闇に溶かすような、そんな声で切り出した。
「どーぞ」
別段驚いたわけでもなく、くるのがわかっていたかのような返事だった。それと同時に二本目の花火を渡し、火を点けた。
「どうして……あなたは私なんかに良くしてくれるんですか?」
ずっと思っていた。理由が見当たらないから、逆に少し怖くもあった。
「理由……必要ですか?」
彼は本気でそんなことを問うた。何故か腹が立った。
「当たり前でしょう。無償の好意なんて、そんなものこの世にありません」
だから私は努力したんだ。それでも結局足りなかったわけだが。
「そう思うのは別に構いませんけどね。」
そう思うも何も、そうなのだから仕方がない。
「まぁ、強いて言うなら、ただのおせっかいですよ」
返って来たのは、また意外な答えだった。
「おせっかい?」
「はい、なんかほっとけなかった。それだけです」
「……そんなの、納得できません」
「しなくていいよ。それに、実際ちょっと迷惑気味でしょう?」
「え?」
「良くしてもらっても、逆にそれが苦しいでしょう?」
いったいこの人はなんなんなだろう?私が苦しいのをわかっていて良くしてくれている?
それはもはや優しさでも何でもない。むしろ嫌がらせですらある。
「本気でほっとけって言うなら、仕方ないからやめますけど」
いつの間にか全て終わった花火を始末しながら、彼は言った。
「……明日から学校ですよね?」
「はい?いや、そうですけど」
「買い物は、また誘ってくださいね。……その、楽しみにしてますから」
それだけ言って、振り返らずに部屋に戻った。多分彼は意外そうな顔をしてるだろう。だが、一番意外なのは私だったりする。なんであんな答えを出したのか。
考えてはいけない気がして、ベッドにつっぷした。それから、次の買い物に来ていく服なんかを考えていた。
そして、ここに一人。
こんなおせっかいにも意味はあるんだな、と。そんなことを思いながら部屋に戻る少年がいたとさ。
こんな一日。
そんな日常。