第十一話 一度心覗いたら
今日の昼食。ごはん、焼き魚、野菜炒め、味噌汁。
氷名御遥人、完食。魚の焼き具合に満足感多々あり。
織崎紫音、焼き魚を除き完食。久々のカレー以外の食事に満足感あり。何故か魚には一向に手をつけない。
「紫音さん。もしかして、魚嫌いですか」
原油価格の高騰などにより漁業が衰退してきた今日この頃。これ一匹捕るのにどれだけの苦労があるか知っての行動だろうか?
「いえ、骨取るのが面倒なので」
よしよし、今すぐ全国の漁業関係者に謝れ。つーか人に飯貰っておいて面倒故に残すのはどうなんだろう。
「面倒でも食べましょうよ。ただでさえレトルトカレーしか食べないで栄養不足なんですから」
その食生活を危惧して飯をご馳走したこっちの身にもなれってんだ。
「じゃあ、骨取ってください。そうしたら食べます」
そんな子供みたいなことを言った紫音さんには、恥ずかしさとかが微塵も感じられない。仮にも年上だというのにそれで大丈夫なのか、かなり疑問である。
「わかりましたよ。ちょっと待っててください」
そこで頼みをきいてしまうあたり、俺もそれで大丈夫なのかかなり疑問である。
「はい、取れました………よ?」
魚を受け取るしぐさを見せない紫音さんは、変わりに口を開けてみせた。
「えっと、紫音さん?まさか食べるのも面倒だから食べさせろ、なんてことじゃないですよね?」
無言のまま口を開き続ける紫音さん。どうやらやるしかないようだ。俗に言う『あーん』ってアレを。
左右前後を確認。よし、奈央真央姉妹はいない。雑念を捨てろ、覚悟を決めろ!………よし。
一口サイズに分けた魚を紫音さんの口元に運び、口の中へ……入らない。直前で紫音さんが口を閉じてしまったためである。
「あーん、って言ってくれないとダメです」
なんで極度の面倒くさがりやがそんなところにこだわる!?なんかもっと気にしなきゃいけないことがたくさんあるだろ!
しかし意外と意思の固い紫音さん、妥協する気は欠片もないようだ。どうやらやるしかない。羞恥心を捨てろ、心を無にしろ……よし!
「あ、あーん」
何も考えるな。相手は猫、猫だ。そうと思え、そうと信じろ気合いを入れろ!
口元に運んだ魚が……入った!
ぱくっ、もぐもぐもぐ。ゴクリ。
「………美味しいです」
ここまでやって不味いと言われたら俺はちゃぶ台返しをやるよ、間違いなく。
「よし、次行くぞ。あーん」
一回やったらもうあまり抵抗もない。ちゃっちゃと終わらせてしまおう。
ぱくっ、もぐもぐもぐ。ゴクリ。
ぱくっ、もぐもぐもぐ。ゴクリ。
うっ、これなかなか………。
ぱくっ、もぐもぐもぐ。ゴクリ。
うん、これは面白い。ペットにエサをやってるみたいだ。
「なにか失礼なこと思ってませんでした?」
「そんなことないですよ。さ、次行き」
「って、甘いわぁぁぁぁあ!!」
あれ、奈央さんだ。ヤバい、見られたか?
「甘っ!甘すぎます!なんかもうどこのバカップル?って感じに甘甘じゃないですかぁぁぁ
あ!!」
なにをそんなに取り乱してるのだろうか?まぁ確かに見られたのは恥ずかしいけど。
「てか今時バカップルと呼ばれる人種ですらあまりやりませんよそんなこと。恥ずかしくないんですか!?」
「いや、確かにそうなんだけど。意外と楽しいんだよ、これが。ほら奈央さん、あーん」
ぱくっ、もぐもぐもぐ。ゴクリ。
「あ、この魚美味しいですねぇって、違ぁぁぁぁう!!」
いやぁ、かなり完成度の高いノリツッコミだ。
「だいたい、なんで織崎さんがうちでごはん食べてるんですか!」
「さすがにレトルトカレーだけで一ヶ月すごそうとしてる人をスルーすることはできないだろ」
この人はマジでやるからなぁ。
「だったらエサだけ与えて家に帰せばいいじゃないですか。あーんなんてやる必要はさっぱり絶対どこにもありません!」
てか紫音さんを猫かなんかだと思ってるだろ?まったく、失礼な奴だ。
「それは遥人さんも同じじゃないですか。自分を棚にあげちゃいけませんよー」
げっ、心を読まれた?声の先には真央さん。いつにも増して不敵な笑顔である。
「ふふふー、遥人さん?」
「な、なんでしょうか?」
何がそんなに気に入らないのか、奈央さん以上の不機嫌オーラを放っている。
「織崎さんを餌付けして楽しいのはわかりますけどー、見てる方にすれば目の毒以外の何物でもないわけですよー」
真央さんの不機嫌オーラはストレスに変化して俺の胃のあたりを直に攻撃してくる。
つまり何が言いたいかと言えば、彼女が不機嫌であるということは俺の体調不良に直結するわけで、るわけで、要するに迷惑以外の何物でもないということである。
「原因は自分ですからね?」
「いやだから心を読まないで!プライバシーもクソもなくなっちゃうから!!」
「遥人さんのプライバシー?なんですかそれ。私は知りませんねー」
「優しく対応するフリをして『さーて、この女はいつおちるかなぁ』みたいなこと考えてるんですね」
「わー、奈央ちゃん。男って最低だね。死ねばいいのに」
「違うよ真央ちゃん。男がみな遥人さん程愚かじゃないの。死ねばいいのに」
「じゃあどうすればいいの?死ねばいいのに」
「どうすればいいですか?遥人さん。死ねばいいのに」
どうすればって言われてもなぁ。てか『死ねばいいのに』が口癖になってるし。
「えと、俺なんか悪いことしたかな?」
切実な疑問である。怒る理由がさっぱりわからない。
「なんか悪いことしたかな?だってさ。死ねばいいのに」
「自覚がないとか重症ですね。死ねばいいのに」
そのセリフ前にも聞いた気がする。それはともかく、切実な疑問を圧倒的な侮辱で返された俺は軽く泣きそうである。
「とりあえず織崎さん。魚を『ご自分で』食べて、さっさとお引き取りください」
「ちょっとこの後やらなきゃいけないことがあるのでー」
「……えっと、ご馳走様でした」
珍しく息がぴったりな二人に圧されて、紫音さんはそそくさと出て行った。逃げ足はやっ!
「管理人さん。その、お大事に」
去り際になんだか不吉な言葉を残して行くのはやめて欲しい。
「「ハッ、泥棒猫が」」
二人揃って嫌なこと言うなよ。
「因みに真央さん。やらなきゃいけないことって?」
嫌な予感しまくりだが、勇気を持って問いかける。
「さぁ、どうしましょう。奈央ちゃんはどう思いますか?」
「そうですねぇ。なんかラブラブオーラ出されてかなり不愉快でしたからね」
そんなオーラ出した覚えはないんだが。
「遥人さんがまさかこんなたらしヤローだったとはねー」
「ちょっと綺麗な女が来た途端これですからね」
「だから別にそんなんじゃないんだって」
ここいらで反撃しないと誤解が解けなくなりそうだ。そう思い、真意を伝えることにした。
「ただあの人がちょっとほっとけなかっただけだよ」
それは率直な気持ち。彼女に対してどこか危うさを感じたのだ。ほっといたら消えてしまいそうな、そんな危うさ。
「私は……あの人嫌いです」
「嫌い?」
「なんだか見ていてイライラしますよね、あの人」
なんとなくわかってはいたが、二人は紫音さんを随分嫌っている。まぁ理由がわからなくもない。
俺が二人のことで知っている数少ないことの一つ。
どんな事情かしらないが、二人は以前普通の生活ができなかった。だから今の普通な生活の一秒一秒を本当に大切にしている。
「紫音さんはまるで脱け殻の様に、もはや存在も危うい様な生き方をしている。それが、二人は許せないんだろ?」
核心を突く一言だっただろう。二人は顔をしかめた。
「……だって、あの人は普通に幸せに生きられるはずなのに」
「あの人はまるで、生きることに意味を感じてないみたいに見えるから」
だから、嫌い。言い換えればそう、単に見ていて不愉快なのだろう。でも、
「でもな、人間あそこまで堕ちるには反動がないとまず無理だ」
「反動?」
「そう、反動。最初から無気力な人は、しかしあそこまでは堕ちない。あそこまで堕ちるのは、どんな人だと思う?」
そんな、抽象的な問いかけ。それでも二人は、真剣に言葉の意味を理解しようとしていた。
「……逆に気力に満ちた人、ですか?」
うん、話の方向をわかってくれてるらしい。俺は黙って頷いた。
「そう。あそこまで堕ちるのは、気力に満ち、努力を続けた人間だ」
そう言い切った俺に対し、奈央さんだけが納得できずに首を傾げていた。
「そんな人が、どうしてあんな風になるんですか?」
考えればわかることだ。自分が気力に満ちてるとき、その気力が一気に消えてなくなるのはどんなときだ?
「積み重ねた努力も何も、完全に否定されたら。誰にも見てもらえなかったら?」
「……え?」
おそらく奈央さんにはまったく縁のない話しでもない。それを本人もよくわかっているはずだけど。
「つまり、紫音さんは今そういった状態なんだ。どれだけの努力かは、その経歴が物語っている」
あの輝かしいばかりの経歴、それは彼女の努力の具現であるはずなのだ。
「あれを、まるごと否定された?」
「うん。ある筋の情報では、確かに裏付けが取れちゃってんだよね。これが。」
あまりに気になって、悪いとは思いつつある人に調べてもらったのだ。それが、彼女がやって来た直後。
「ここまで知ってて、見逃せるわけないだろう。だから俺は、さ」
だから俺は、あの人を見続ける。そう決めたのだ。
「……ここまで知って、ですか」
ちゃんと筋の通った説明をしたはず。なのにまだ、二人はどこか納得のいかない様子だった。
「それでも、やっぱりあの人を認めることはできませんよ」
ま、それもそうだよな。なんて、自分を納得させてみたり。
「……認めなくてもいい。ただ、それだけ解っててくれれば」
その後、奈央さんは自分の中でなんとか納得した様だった。しかし、真央さんはどこか納得のいかない様子だった。
真夜中の奈央の部屋に、真央はやって来た。
なんとなく来るのはわかっていた。真央ちゃんの不安も、なんとなく。
織崎さんの事実に、迷いもなく踏み込んだ彼。
一度心を覗いたら、隠した痛みを知ってしまったら、見逃せやしないくせに。
相手も自分も、傷を負うのを知ってたくせに。
躊躇わず踏み込んだ彼。
私達に対して、傷つけない、傷つかない変わりに距離をとった彼。
踏み込んで来てはくれない彼。
ただ、それだけの違い。
ただ、それだけの不安。
ただ、それだけの話。
だけど、いつかこの不安は決定的なものになるかもしれない。この日々が『終わり』を迎える、のときに。
こんな一日
それすらも、日常