その5
「うおおおおおおおお」と、私は心の中で咆哮した。目当ての彼がよく聴く音楽グループの歌が見つからない。邦楽コーナーの全てを探したが、どこにも無い。もしやと思い、洋楽ゾーンに行くもやはり見つからなかった。
店内には最近流行りのよく分からないJポップが流れ、せかせかと動き回る人ごみがそれに協調して見える。もっとも私にとってその光景は、道路で合唱中に車が来て逃げ回るカエルのように見えた。
ふん切りがつかず三度目のJポップの棚を眺めていると、BGMが聴いた事のあるテンポの曲に変わった。それは間違いなく、彼の好きな『朝顔』とかいう曲だった。
私は暇そうに突っ立っていた店員に声をかけ、天を指差して「この曲のタイトル分かりますか?」と訊いた。内弁慶な私にしてみたらかなりの勇気が必要な事だったが、愛の為ならいくらでも我慢出来る事だ。恐るべし愛の力。
「あぁ、これね。なんてゆう曲だったかなぁ。タイトルとかグループは分かんないけど、確かなんかの映画のタイアップ曲だった筈ですよ。レジ前にある『今注目の一曲!』コーナーを見てみてください。多分あると思いますよ」
私は店員に一礼し、レジの方向へと歩き出した。鬱蒼とした店内に軽やかに流れる『朝顔』は、私の足取りも軽やかにしてみせた。
もうすぐ彼の好きな曲に出会える。そうしたら家に帰ってアイポッドに入れよう。そして彼がいる場所で漏れる程の音量でその音楽を聴こう。そしたら彼も気付いてくれる筈だ。もしかしたら話しかけてきてくれるかもしれない。「君もこの曲好きなんだ。俺も好きなんだよね」って。あぁ、待ち遠しい。
脳内にお花畑が開拓された私は、レジに近づくに連れ徐々に歩幅を広くした。レジカウンターの向かいには「今、注目の曲!」とプリントされた看板と共に、見世物市のように広げられたCD達が私を迎えた。私は三山さんの言葉を反芻し、『らびっとしがれっと』という名であろうバンドのCDを探す。
物盗りのように物色していると、朝顔の花と二匹のカタツムリが描かれた可愛らしいケースが目に付いた。「ラピッド・シガレット4thシングル『アサガオ』」これで間違いないだろう。
しかし残念な事に私が手に取ったケースは、既に何者かによって借りられていた。他に無いかと思い漁ってみるも、全て借りられている。どうやらかなりの人気作らしい。
がっくりと肩を落としたが、諦めきれなかった私はレンタルコーナーを離れ、二階のCDショップに向かった。
CDショップにはレンタルコーナー程の人はおらず、高校生やギターケースを背負った人がぽつぽつといるだけだった。痛々しい程にピアスを顔に刺し込んだ人もいる。
私は大気と同化してその人らの間を抜け、売上ランキングのコーナーに向かった。大気と同化する事は得意中の得意だ。この状態の私を見つけられる者などいないだろう。
ランキングコーナーの第4位の場所に『アサガオ』のCDはあった。レンタルと違っていくつも余っている。ゲンキンな物だ。私は他と比べて綺麗な物を一つ取り出し、レジカウンターへと向かった。
レジで会計を済ませて店を出る。少々予定は狂ったが、まぁ結果としては変わらない。これで私は彼の趣味の一つを手に入れたのだ。これは全恋する乙女にとっては小さな一歩だが、私にとっては大いなる飛躍だ。千二百円程の出費はちょっと痛かったが、そんな痛みなど胸のトキメキに比べたら痒い物である。
ルンルン気分で電車に乗り、家に帰って自分の部屋に入ると、私は喜びの余りベッドにダイブし、脇腹を猛烈に強打した。喜びと痛みで訳が分からなくなる中、手に持ったCDの袋を見ると、痛みは露と消えて喜びが勝利を掲げた。
袋からCDを取り出して丁寧にビニールを剥がすと、すぐさまCDをプレーヤーにセットした。
軽やかなギターの音色をバックに、優しくも力強い男性の歌声が聴こえてくる。私も昔はよく音楽を聴いていたが、今では最近の流行りの音楽にも疎い。
しかし不思議とこの曲は、私の心にぴったりと合致した。彼への気持ちがそうさせているのではなく、ただ純粋に私の感性とこの音楽は、凸と凹のようにぴったりとはまったのを感じた。
正直言って、歌詞は珍妙奇天烈摩訶不思議と言ってもいい程に曲がりくねっている。しかし不思議と意味が伝わる。歌詞というより詩そのものに近いかもしれない。それとも最近の楽曲はみんなこんな感じなのだろうか。
私はベッドの上で横になり、静かにその歌声に耳を傾けていた。音楽のリズムに合わせ、足をパタパタと上下させる。五分程経つと曲は終わり、違う曲が流れ始めた。
私は歌詞カードを開き、どんな曲なのか確かめようとした。すると歌詞カードの間から、ピンク色の薄い紙がポロリと零れ落ちた。
それは特に気にする程でも無いただの広告ビラだったが、私が注目したのは『アサガオ』の紹介文だった。驚くべき事にツタヤの店員が言っていたタイアップになった映画とは、私が今読んでいる小説、『朝顔のたね』の事だった。
もはやこれは運命と断言してもいいのではないか? 彼のよく聞く曲は、私が本屋で適当に選んだ小説だった。それから私は彼の耳元から微かに漏れる音を頼りに『アサガオ』のCDへと辿り着き、こうしてベッドの上で聴いている。
私は確信した。神は間違いなく私を応援している。私と三山さんをどうにかして結びつけようとしているのだ。ならば私はその気持ちに答えなければならない。人類として。女として。恋する乙女として。
私は流れている曲を中断し、『アサガオ』の曲をリピートした。そして鞄の中から『朝顔のたね』を取り出し、食い破る勢いで読み始めた。