その20
比較文化論の授業に、彼女は初めて現れなかった。授業はのびのびと進み、俺が音楽に逃げる事も変な視線を当てられる事も無かった。
授業終了後も彼女の姿は無く、俺は妙な不安に駆られた。もしや彼女はこの授業を捨てる気だろうか。ただ俺に会わないが為に。
C棟の階段で別れて以来、彼女とは会っていない。というか見てもいない。環境学部の方には顔を出しているかもしれないが、用も無く行く事も無かった。
この件を浜田さんにメールで伝えたら、浜田さんは一言、「くたばれ」とメールしてきた。全くもってその通りだと思う。
昼食を食べようと食堂に行くと、懐かしくも見覚えのある顔があった。それは髪を黒色に戻した三山だった。アホな顔をしかめ、深刻そうに悩んでいる。しかしその顔が余計にアホに見えた。
「よぉ三山」俺は話しかけた。
「志村か……」
「なんでそんな元気ないんだ?」
「お前も元気なさそうじゃん」
「まあなあ……」
三山は空のコップをコロコロと回し、何かを思い出してはため息をついている。俺は一旦席を離れ、券売機で日替わり定食を購入した。食券をおばちゃんに渡し、再度席に着く。
「ちょっと前に浜田さんとメールしたよ。思えばあれが初めてのメールだったな」
「やらないぞ」
「いらねえよ。彼女からの初めてのメール、何だったと思う?『くたばれ』だぜ」
三山は不思議そうな顔を浮かべた。いつものように笑われるかと思っていたが、そうではなかった。
「お前もか」
「え、どういう意味だ?」
「俺も昨日言われたよ」
「喧嘩でもしたのか?」
「彼女じゃねえよ。さくちゃんに言われた」
さくちゃんとは桜田さんの事だ。
「何やらかしたんだお前?」
「なんもしてねえよ。いきなりお昼に呼び出されて、『彼女もすっきりしたいみたい。悪いけど、もう彼女に会わないであげるかな?』って感じの事言われたんだよ。それで『え、ごめん誰の事?』って言ったら、彼女めっちゃキレてさ。『信じらんない、いっぺん死んでこい!』って言われた」
「俺よりも酷いな」
「理由が訊きたくてさっきも会いに行ったのに、またキレられた。今度は『にへん死んでこい』だぜ?」
「てか誰だよその人。浜田さんか?」
「いや違った。でも聞くの怖かったぜ―、あの子が俺と別れたいなんて考えてたら、俺泣いちゃうよ。ほんと」
「相変わらず気持ち悪いな」
御膳を持ったおばちゃんが現れ、俺の前に置くとそのまま去っていった。今日の日替わり定食は鯵のフライだ。同じ魚ならば、安い焼き魚定食にしとくべきだったと俺は後悔した。
「あーもう気になるわ」
頭を掻きながら三山は言った。
「本当に身に覚えないのか? 振った女とか」
「俺は一途って言っただろ。それに振ろうが振ろまいが、俺は女の子に纏わりついたりなんかしねえよ」
思わず「浜田さんのストーカーしてたじゃねえか」と言おうとしたが、言ったら逆上されかねないのでやめた。
ちみちみとキャベツを摘まんでいると、爽快な音楽が流れてきた。爽快だと思ったのは、よく聴けばそれが俺の好きな『朝顔』の楽曲だったからだ。
それが流れると同時に、三山は携帯電話を取り出した。どうやらこいつの電話の着信音らしい。
「なんだかんだ言ってハマってんじゃん」
「まあな。ちょっと待ってろ」
三山は食堂を出て、外にあるベンチに向かった。ここからではよく見えないが、何か申し訳なさそうに愛想笑いをしているのが見えた。数分経ってから三山は帰ってきた。
「わりぃわりぃ。解決したわ」
そう言う三山の顔は、酷く気味の悪い笑顔だった。
「桜田さんからだったんか?」
「ああ、誤解だったみたいだわ。さくちゃんも謝ってくれたよ」
「そうなん? まあよかったじゃん」
その後俺と三山は他愛の無い話を繰り返し、俺が食べ終えると同時に食堂を出た。一服しようと煙草を探していたら、意を決するように三山は言った。
「なあ志村、明日飯でも食わんか?」




