その12
あかんあかんあかんやばいやばいマジでやばい。死ぬ。今度こそ死ぬ。
C棟の入口にある喫煙所で浜田さんと話している時に、彼女は現れた。目があった瞬間に俺の身体は臨戦態勢に入り、咄嗟に浜田さんの手を引いてC棟へと逃げていった。
浜田さんは三山の彼女である。小奇麗な服を纏い、どんなに薄汚れた人間でも真摯に対応する心身ともに洗練された人だ。
要するに三山とは逆の人間だ。共通点が何一つ無い。
三山からのバイト代を受け取ろうと大学に来たが、彼は授業を受講していて時間が取れなかった。仕方なく煙草でも吹かして時間を潰そうとしたところに、彼女は現れた。さほど面識も無かったので当たり障りの無い会話をしている時に、問題の彼女が現れたのだ。
その時の彼女の顔が未だに頭から離れない。あの瞳を俺は知っている。あれは裏切られた者の瞳だ。何度か昼のドラマで見た事がある。くりくりした目玉の奥から発せられる怨恨の声と無慈悲な狂気に、俺は身震いをした。
思わず浜田さんの手を取り、俺はC棟へと逃げた。痛い痛いと呟く彼女には申し訳なかったが、あの場に彼女がいたら何をされていたか分かったものじゃない。彼女は友人の恋人であり、友人とは三山であり、三山とは金なのだ。その為にも俺は、何としても彼女を庇護する必要があった。
適当な空き教室に逃げ込み、浜田さんを席に座らせて窓を覗く。そっと廊下の方に目をやり、鬼の形相を浮かべた者がいないか目を見張る。しかし目に映るのはいつもと変わらないぐうだら学生共で、彼女がやってくる気配は無かった。
窓から離れて、浜田さんの向かいの席に座る。右腕をふるふると振りながら、浜田さんは口を開いた。
「どうしたの急に?」
シトラスミントの息と共に、彼女は言った。俺は一回深呼吸をすると、自分がどのような気を持ち、どのような目に合っているかを事細かに多少脚色して話した。
浜田さんは三山とは違い、うんうんと頷きながら真摯に聞いてくれた。こんな立派な女性が三山と付き合っているなんて、神はどのような配分を行っているのだろう。
「それは災難ね。でも迷惑かけられてないならいいんじゃない?」
「三山にも同じ事言われました。でも気分悪いです」
「それはあのアホに聞くのが間違いよ。あいつもストーカーみたいなもんだったしね」
「え、マジで?」
「マジよ。あいつは追うタイプじゃなくて待ち伏せするタイプだったけど」
思わぬ三山の過去に戦慄したが、翌々考えればそこまで思わない訳でもないなと納得した。今までいかに気持悪い行動を起こしていたとしても、彼と俺の関係は今後変わらないだろう。
「しかし逃げるのはまずかったわね。いやホント最低」
「何でです?」
「嫌なのは分かるけど話そうともせずに逃げるなんて酷くない? 嫌ならさっさと嫌って言えばいいでしょ。解決法になってないじゃない。どうすんの、彼女が『あなたを殺して私も死ぬ!』とか言ってきたら。私まで殺されちゃうじゃない」
脳内に広がる血みどろな光景と彼女の叩きつけるような言葉に、思わず「むう」と音を零した。しかし俺は気を持ち直す。
「じゃあ俺にどうしろと?」
「簡単じゃない。さっきのを謝った後、迷惑してるので俺に近づかないでください。はいこれでおしまい」
「そんな上げて下げるような真似、俺には出来ませんよ」
「でも、彼女に迷惑してるんじゃないの?」
彼女の言葉にどきりとするが、持ち直して答える。
「俺はあくまでクリーンに離れたいだけです」
「クリーンって何? そんな曖昧なものじゃあそのままね。ストーカーは止まらない」
「というか俺が謝るのは確定事項なんですか?」
「当たり前よ。志村君、女を舐めてんじゃない?」
「そんな気は毛頭無いですよ」
自分の気持ちとは裏腹に洗練された浜田さんの言葉を聞くと、自分が最低な人間に思えて思いもしなかった彼女への謝罪に納得してしまいそうになる。
俺にとって彼女とはどんな存在か。言うまでも無い、ストーカーだ。犯罪者だ。しかしだからといって先程の自分の行動は正しく、自分の求める「クリーンな離れ方」だったのだろうか?
「悩んでる暇があったら謝ってきなさいな。そう時間も経ってないし、まだ校内にはいるでしょ」
「しかし俺も三山のアホを待ってますし」
「アホのお金なら私が立て替えるわ。三千円ね、それで詫びのジュースでも買いなさい」
浜田さんは財布からお金を取り出すと、にやついた笑みを浮かべて俺に渡した。俺はそれを受け取ると、戸惑いながらも教室を出た。あの場を離れて十分と経ってない。ならば彼女まだ近くにいるだろう。
走りながら俺は考えた。まさかこんな展開が待っているとは、一体神は何を考えているのだろうか。追いかけ回されたストーカー被害者の俺が、彼女を追いかける事になろうとは。




