03 回数制限
ルシアの家はごく普通の一軒家だった。
そこで俺は椅子にかけさせてもらっていた。
動かすたびに痛む体をできるだけ動かさないようにしていると、ルシアが近くに来る。
そうして何やら俺の背中に手を当てる。
「きゅ、急にどうしたんだ?」
俺は唐突なボディタッチに少しだけ困惑した。
良からぬことを想像しかけたが、それは特別な意味を持つものではなく、彼女の能力の一つのようだ。
「ち、違います。勘違いしないでください。ただの治癒魔法です。別に気を許してるとかそういうわけじゃなくて、ちょっと辛そうだったから……」
ツンデレ風だがよく聞くとツンデレではない。ただただ本音を言っただけだろう。
ただ――
「治癒魔法?」
うっかりしていた。
ゲームの中といえば魔法は付き物だ。そしてこの世界がゲームに似ているのならば、魔法は存在していて不思議じゃなかったはずだ。
「治癒魔法、知らないんですか? 私も大げさなものまでは使えませんけど」
体を動かしてみると、痛みは残っているものの、さっきよりかは微かに動かしやすい。
気持ちの問題程度かもしれないが、これが治癒魔法の効果だとすれば大したものだ。
仮にこれが会得できれば、ボールペンの苦痛から逃れられるかもしれない。
「それって俺でも使える可能性ある?」
「たぶん正しく勉強すれば誰でもそれなりには使えると思います」
俺はウインドウを出して、『治癒魔法の会得』と書いた。
「何してるんですか?」
「いや、こっちの話」
人前でこれをやるのはやっぱりおかしいらしい。チンピラが言っていたように、神への祈りということにしておくべきかもしれない。
そして『認証完了。発動します。』の文字。
突如、俺の脳内に一つの魔法体系が構築される。それらを瞬時に理解すると、「念じる」という動作が俺の知っている中では一番近いものだと直感的に理解する。
俺は自分の体に手をあて、自身の回復を念じた。
少しの間念じていると、完全とは言い難いが体の痛みは相当和らいだ。
「こいつはすごいな」
「もう大丈夫なんですか?」
「ありがとう。ルシアのおかげだよ」
「それほどでもないですよ」
ルシアは嬉しそうにもじもじしている。
少し勘違いさせてしまっているかもしれないが、まあいいだろう。ルシアがいなければ治癒魔法に気づけなかったのは間違いない。
そうして小さな喜びに浸っていると、また突如として脳内にあったはずの魔法の感覚が消え去っていくのを感じ、同時にひどい気だるさが体を襲っていたことに気づく。
「どういうことだ?」
たしかに体は回復した。
しかし今度は、何もしたくないというひどい気だるさが体の内側から思考を支配する。
ルシアが俺の顔を覗き込む。
「大丈夫ですか? すごく疲れているみたいですけど、やっぱりベッドで休みますか?」
俺は力なく数回頷くと、別の部屋にあるベッドに案内され、そのまま寝てしまった。
○
いい匂いに釣られて目を覚ますと、窓の外はすっかり暗くなっていた。
気だるさは幾らかなくなり、体もある程度回復している。そのことを考えると半日ぶりの健康体といっていいだろう。
俺は立ち上がると、匂いに釣られるままに部屋のドアを開けた。
「おはよ……って時間でもないですね」
迎えてくれたのはルシアの笑顔だった。
今は料理をしている最中のようだ。
「食事?」
「はい。お口に合えばいいんですけど……」
「わざわざ悪いな」
「いいんです。今日助けてもらったお礼です」
「手伝おうか?」
「いえいえ、今日のお礼ですから、そこで待っててください」
ルシアはお道化たようにそう言った。
俺は食事を待つ間、椅子に座ってこれまでのことを振り返ることにした。
振り返るのはもちろんウインドウのことだ。
ウインドウにコードを入力すると副作用のようなものが毎回表れた。
走ったときは息が苦しくなって、目の前が真っ暗になった。
チンピラをのしたときには、全身が痛んだ。
治癒魔法を使ったときは、体の痛みはなかったが気だるさがひどかった。
そういえば、すでに治癒魔法のやり方を忘れている。このことも奇妙だ。
俺は改めてボールペンをノックする。
ウインドウを見つめながら、しばし思案する。
可能性として一番高いのは、得た能力に対して代償が支払われているということ。
ひょっとすると、能力を使わなければその代償を支払わずに済む可能性もある。
大した内容でなければ代償があったとしてもさほど問題はないだろうし、試してみる価値はあるかもしれない。
俺はさっそくウインドウに『料理の知識を得る』と書いた。
すると今度は、『発動回数制限により発動できません。』という文が流れた。
念のためにもう一度同じことをしてみたが、やはり同じ文が流れる。
まさかもう使えないのか?
幾らかの不安はあったが、ウインドウがきちんと表示されるあたり、何らかのタイミングで制限は解除されるものだろうと考えた。
日を跨げば戻るかもしれないし、後のことはまた明日にでも考えるとしよう。
ウインドウを閉じると、ちょうどルシアが料理を作り終えたところのようだった。
「あまり大したものは作れませんでしたけど……」
それでも美味しそうな料理が数種。テーブルの上に並べられている。
俺のために作ってくれたのであればこの上ない幸せとも思える。
「大したもんだよ。よくできてる」
「そんなに褒めないでください」
そこまで褒めたつもりはないのだが、ルシアは嬉しそうにしている。
彼女が嬉しそうにしていると何だかこちらまで嬉しくなってくる。彼女の笑顔にはそんな魅力がある。
そうして俺の異世界での一日目は終わりを迎えた。