4月9日(水)女子友をつくりました
「おはよう」
元気よく挨拶をしながら教室に入ると、一瞬皆おしゃべりを止めてこちらを向く。
「――ごきげんよう」
「ごきげんよう。小鳥遊さん」
大体の子がこの学園独特の挨拶を返すと、すぐに目を逸らしてそれぞれの話の輪に戻っていく。
この学園に入学して気づいたのは、いくら外部入学生がいるって言っても、殆どは内部生で仲良しグループは既に存在してるってこと。それも、中等部からのっていうんじゃなくて、多くが幼稚部や小学部からっていうんだから、その歴史は長い。そんなところに入れるかっていうと、そんなに簡単じゃない。わかってはいたけど、私は入学2日目で痛感した。
ちなみに、仲間のはずの外部入学生も入学前に伝手があったんだろう。誰かしら知り合いがいるようだ。
(うーん……何人か、総帥のところのパーティーで見た顔はあるんだけどなぁ……)
だけど、向こうがのどかをのどかとして認識していないだろうな、と思って諦めた。あの時のアフター写真をママに撮られたけど、どう見ても別人だ。メイクってこわい。ほんと怖い。世の男子よ気を付けろ。
そんな感じで、まぁぶっちゃけ高校生活は出鼻をくじかれた状態だ。丞くんが面倒見のいい人で助かった。勿論、幼稚部からの内部生である彼は仲のよい友人たちがたくさんいるみたいだけど……でも、ここは利用させてもらう!
「丞くん、おはよう」
「お、のどか。おはよう」
丞くんは友人との話を中断してこちらを振り向き、八重歯をのぞかせて人懐っこい笑みを浮かべた。
丞くんとはだいぶ打ち解けた。お互いに名前で呼び合うほどには。――こっちが『くん』づけなのに対して、いきなり呼び捨てなのは、天然なのか……それとも実は結構軽かったりするのか……ちょっと気にかかるけど。
でも今、クラスには丞くんしか頼る相手がいないんだ。この手を離すわけにはいかない。私の、今後の高校生活のために!
とは言っても、このまま女子友を作らずに高校生活を続けるのは難しい。体育とか、移動教室とか、トイレとか、ランチとか! 可愛いお友達とキャッキャうふふとおしゃべりしながらやりたい! 昨日は学食アプリの使い方を教えてもらいながら丞くんと一緒にご飯を食べたけど、やっぱり女子友は欲しいのですよ!
ちゃんと狙いはつけてある。
先にも言った通り、既にグループができているわけなんだけども、そんな中でも1人の時間が多い子は何人かいるのだ。その中でも1人、ランチを1人で食べていた子がいる。
今も私の前の席で、静かに本を読んでいる女の子。綺麗な黒髪を後頭部の耳より少し下の位置でひとつに結んでいる。巴さんのようなサラサラと風になびく髪もいいけど、彼女のようにしっとりとまとまりのある艶やかな髪もいいなぁ。そう思っていたら、髪がひと房するりと華奢な肩を超えてうつむいた彼女の首筋を撫でた。すると、慣れた手つきで細い指で後ろに払う。あああ、触りたい! そのするんとした髪触りたいいいい! 私は細い天パなのでただでさえ手におえないんだ。短くしてから、肩で跳ね上がるのは避けられたけど、頭の上のもあもあした綿あめは押さえるのに毎朝苦労する。だからサラサラのストレートヘアや、彼女のような艶やかな髪って憧れるんだ。
彼女は徐々に教室に増えていくクラスメイトにチラリと視線を上げて小さな声で「ごきげんよう……」と挨拶するだけで、誰とも話をしなかった。彼女が遠慮がちに挨拶したことを、大体の人は気にもとめずに親しい友人の輪に加わっていく。彼女はそれを、時折本から顔を上げたままぼんやりと見つめていた。
そう、彼女は“ぼっち”なのだ! ランチも1人だったから間違いないと思う。
ランチといえば、この学園の学食は学食なんて軽々しく呼んじゃいけないんじゃないかと思うほどだった。
ちなみに、中央棟の1階には学食があって、なかなか本格的なランチコースが食べられる。そして2階にはカフェテラスがあり、サンドウィッチバスケットやパンケーキ、オムライスなどの軽食が食べられる。
学食のコースは日替わりで3種類。カフェメニューも固定とはいえ、飽きのこないくらいの種類がある。このメディアプレイヤーを手に入れてから学食予約アプリを確認すると、カフェメニューもざっと50種類はあるだろう。メニューページが10ページもあるんだから。あ、そういえば季節のメニューも学食とカフェそれぞれにあったな……。あ、思い出したらおなかが空いてきた。
それにしても中等部の方が授業時間が少し短いから、お昼休みの時間に少しはズレがあると言っても、相当な人数が一気に食事をするのに、そんなにたくさんのメニューで対応できるのか不思議だったんだ。それでこの予約アプリが必要なのかと思って何を食べようかと昨日の休み時間に触ってたら、丞くんに声をかけられたんだ。
「ランチ、誰かと食うのか?」
「ううん。私、まだこの学園で知り合いって九鬼姉弟しかいないもん」
「なら、一緒に食うか。メニュー決まったら教えて。あと、学籍番号も」
「え? うん……ええっと……Bコースにしようかな」
学食のBコースは、パスタコース。勿論パスタは好きだけど、私がこれに決めたのは前菜に生ハムが使われているから! 総帥の家のパーティーで生ハムを食べて以来、私は生ハムの虜だ。生ハムに思いをはせていたその間に丞くんは自分の端末を操作し、「ランチ予約できたよ」と言った。
学籍番号が何に必要だったのかを知ったのは、お昼休み。
コースを選んだ私は、丞くんの友達と中央棟の1階に向かった。ちなみに学食もカフェテリアも、改札のような機械が入口の両端と中央に3台置かれている。違うのは通り抜けできないような仕切り、あれがないくらいかな。一体なんのためにこんな物が必要なんだろうかと思いながら、丞くんに着いて行ったわけだ。で、高等部側の中庭に面した窓際の席に座ると、すぐに料理が運ばれてきた。
なんと、入口で来店――この場合来店って言葉が当てはまるのか分からないけど、とにかく私が来たってことが厨房で分かるようになっていて、待つこともなく料理が運ばれてきたってわけ。なんて至れり尽くせりだよ! 学籍番号はこのために必要だったんだね。そして友人とランチを一緒にする時は、代表者が友人の分とまとめて予約をすることで同席が可能。席は飛行機の座席指定のように、空席から選べるシステムになっているらしい。この座席指定のシステムで、「今日は学食が混んでるからカフェにするか~ってことも可能。これは予約を完了した時点で、代表者の端末で座席番号が分かるから来店が分かったらすぐに料理が運べるというわけだ。
その時、たまたま隣の席にいたのが、同じクラスの女の子だった。
私の前の席の大人しそうな女の子。千石茅乃ちゃん。彼女が1人でBコースランチを食べていたんだ。
これは、今日のランチに彼女を誘えというフラグだ! そう思ったわけです。今は丞くんに頼りまくるだけど、さすがにずっとは悪いなぁと思うわけで。
「のどか、今日はランチどうする? カフェの方行くか?」
「丞くん。今日はね、私女の子を誘ってみるよ」
「え? お前、同学年に友達いんの?」
「これから作るんだよ」
丞くんは私の視線から、誰を誘おうとしてる人か分かったみたいだ。面倒見のいい丞くんのことだ。もしかしたら、千石さんがぼっちだということも気づいてたかもしれない。
「千石さん。お昼一緒に食べない?」
「えっ?」
「のどか……それストレートすぎ……」
丞くんの呆れたような声が聞こえてきた。
驚いたように振り返った千石さんは、紺色の細縁メガネの奥で目を瞬かせている。
「私、小鳥遊のどかっていうんだけど」
「……はい、知ってます……」
「今年からこの学園に通ってるんだけど、女の子の友達がいなくて。千石さんさえよければ、友達になりたいんだけどとりあえずお昼一緒にどうかな?」
「お前……さっきからなんかナンパみたいな口調だぞ……」
失礼な。ナンパなんて今までしたことないよ!
「ダメかな? もしかして、もう他の子と約束とかしちゃってる?」
「ううん。……ええと、じゃあ、お願いします」
よし! 第一段階クリア!
「私、今日はロコモコプレートが食べたい気分!」
「えっ……」
「あー……つまり、カフェに行きたいらしい。のどか、お前な……ちゃんと順序立てて話せよ」
ごめんなさい。昨日の夜からロコモコプレートが気になっていて……。
千石さんは驚いていたけど、カフェ行きを同意してくれた。
人見知りらしく、なかなか敬語が抜けなかったけど、積極的に話しかけていたらランチが終わる頃にはかなり打ち解けた。
茅乃ちゃんは、ご両親がインド洋に小さな島を所有していて、この春までずっとそちらにいたらしい。そこは小さな島で、島全体がリゾート地となっていて、公共施設以外はリゾート会社の関係者しかいないというような小さなコミュニティ。将来のために、高校からは日本の学校でとご両親の願いもあり、茅乃ちゃんだけこちらに来たのだとか。
「えー、1人だと色々困らない?」
「そうでもないわ。寮だから生活は不便じゃないし」
「え? 寮生なの?」
「そうなの」
この学園には、通学に困難な生徒のための寮もある。藤ノ塚の学園が所有するこの小高い丘の中腹に道を挟んで男子寮と女子寮が分かれているのだ。
寮とは言っても、よく話に聞く2人部屋3人部屋という部屋ではなく、1人一部屋。小さなキッチンとバストイレ付きという寮だ。キッチンだってついてはいるけど、食事が自炊なわけではない。ちゃーんとカロリー計算された食事が用意される。
寮生活って少し興味があったんだけど、まさかこんなに早く寮生と出会えるとは!
「えっと……あの……小鳥遊さん……あの、のどかちゃんは、自宅組なの?」
「そうなの。バスで通える距離なんだ。大きな家じゃなくってマンションなんだけど、良ければ今度遊びに来て!」
「えっ? あの、いいの?」
「勿論だよ! 私も寮に遊びに行ってもいい?」
茅乃ちゃんははにかみながら「うん。是非」と言った。
わ~、嬉しい~! やっぱり女子友は必要だよね!