6月9日(月)引き金を引いたのは……私ですか?
お昼休みが近づくにつれて、胃のあたりがキリキリと痛む気がする。
休み時間、ラウンジのソファでお腹をかかえて体を丸めていると、風斗くんがなんとものんきな顔をして近づいてきた。
「なんだよ、のどか。腹減ってんのか?」
違うわボケ!
この女子の繊細な心をわからないなんて、なんてヤツだ!
「またまた~。そんなこと言って。今日は何にする? もう注文すんの決めたのか? えっと、限定ランチボックスは……」
アイタタタ。胃が痛いよう。
ランチボックスの話とか本当やめて! ランチボックスとなると、アレでしょ。図書館のラウンジに持って行ってランチでしょ。そしたらさ、もれなくあの悪魔がいるじゃないか!
ううう……昨日のことを考えると、今あの悪魔には会いたくないんだよ!
昨日、よし乃さんからの手紙を大事そうに懐に入れ総帥が帰った後、天使の笑顔を貼りつけた和沙さんを見た時、私はもう「ヒィィィ!」と悲鳴をあげそうだったよ……。
ええ、彼は終始天使のようでしたよ。
でも目の奥は怖かったし、所々言葉に棘があったように感じましたけどね。
私の父親の会社が、篁グループの子会社で、進学祝賀会で総帥と会っていると知ると、知り合いであることは納得してくれたけど、まぁ……だからって総帥が誰かと一対一で会うなんて、そうそうないんだろうね。かなり色々探られた。
探るもなにも、本当に何もないっつーの。
ただ……よし乃さんのことは、篁家ではタブーなようなんだよね。
一部の発言力のある親戚筋では、よし乃さんはまだ『篁の顔に泥を塗った』存在なんだって。
よし乃さんの駆け落ちを、直接知る人物が総帥だけとなった今だから、総帥自身もやっと動けたみたいなんだ。
まぁ……ぶっちゃけ、地元では会社も成功して、そこそこいい生活ができていたので、今更出てきてくれなくても……って感じなんだけど、総帥曰く「死んでも死にきれない」って問題だったらしい。
パパも、総帥の突然の申し出に驚いたみたいなんだけど、パパはパパで、おじいちゃんから「いずれは篁に受け入れられたい」という思いを聞いてたらしく、今回のお引越しとなったわけだ。
いずれは正式に、篁の親類として迎えたいって言われたらしいんだけど、これって結局、総帥の独断なわけ。
総帥は確固たる地位を築いているわけだけど、これだけ大きなグループになると、俺が篁のトップになってやんよっていう野心のある人たちもいるんだそうだ。
総帥は勿論、必ず守ると言ってくれた。でも、今実際に篁グループを動かしているのは、総帥の下の世代。和沙さんのおじい様やお父様なんだよね。その座を奪おうと、虎視眈々と狙っている輩はいるのだ。
――コワッ! 怖いね~。セレブって怖い!
でもなにより、今の本家のアキレス腱が、わが家ってことが怖い。
だからね、本家の和沙さんにも、よし乃さんとわが家の関係をまだ言うわけにはいかないんだよ。
あ~。なんで和沙さん連れて来てたかな~、総帥ってば!
今日は図書館のラウンジに行きたくないよ~!
「あの……のどかちゃん、大丈夫……?」
「あ~、茅乃ちゃん。うん、大丈夫~」
「ほんとに? 保健室行った方がいいんじゃないか?」
いや、それはそれで拓真先輩に襲いかかろうとしてた保険医の宮下さんを思い出してしまうから、なんかヤダ。
いっそ早退でもするか~?とも考えるけど、結局それってその場しのぎにしかならない。
う~ん、どうしたものか……。
すると、空気を読まない私のおなかはグゥ~と盛大になった。
「ホラ、やっぱお前腹減ってんじゃん」
ぐぬぬぬぬ。なんでこんな時もおなかが空くかな!
「ほら、どうする? ワオ、レストランのメニューも豊富なんだね」
「そうだよ。……そういえば、最近はずっとお弁当だったから、マイケルは学食行ったことないんだな。――どう? 久しぶりに学食にしようか?」
少し緊張した面持ちで、丞くんが提案する。
その言葉を聞いて、茅乃ちゃんは明らかに戸惑っていた。
茅乃ちゃんと諏訪生徒会長の繋がりって、お昼休みだけなんだよね。
それを知っていて提案した丞くんの心の中には、少しの嫉妬が含まれていただろう。
でも、この時の私は全然頭が回らなくて、丞くんの提案に思わず飛びついてしまったんだ。
「それ! それ、いいね! そうしようよ。マイケルも、もっと学園知れるし!」
「……う、うん……。そうね……」
「ワー、いいね。それじゃあ僕、このスキヤキ定食にしたいな!」
メニューの多さにテンションが上がったマイケルの言葉が、茅乃ちゃんの声を掻き消す。そんなマイケルのはしゃぐ姿を見て、茅乃ちゃんも少し困ったように微笑んだ。
よっしゃ! これで、和沙さんと顔を合わせなくて済む!
ふふふ。昨日の様子からして、みんなの前でどう和沙さんが振る舞うのか、すっごく怖かったんだよね。こっちもこっちで、話しすぎないように気を使わなきゃいけないし。でもこのお昼休みだけ切り抜けたら、学園生活は楽しいわけさ!
あ~。胃からス~ッと痛みが引いていく。
さっきまでジクジクと痛んでいたのが、まるで嘘のようだ。
「それいいね、マイケル! 私もスキヤキ定食にしようかな!」
「なんだよ。のどか、やっぱ腹減ってただけじゃん」
「うるさいな~。そんな単純な話じゃないっってば。茅乃ちゃんはどうする? そういえば、学食は本当に久しぶりだよね」
「出来立て運んでくれるの? すごいサービスだね! カヤ、カフェテラスも美味しいんでしょう? もっと色々試してみようよ。ほら、季節限定のコースだって。これもいいなぁ、本格フレンチじゃん」
「えっ……」
マイケルはカフェテラスのメニューも見だしてしまった。
思った以上にランチメニューが豊富なことが相当嬉しかったようで、学食やカフェテラスをもっと利用したいと言い出した。
それには茅乃ちゃんも、返事に窮してしまう。
すると、丞くんが追い打ちをかけた。
「ダメ、かな? こんなにマイケルも喜んでるし、茅乃ちゃんものどかも、まだそんなに学食利用してないじゃない。それに……夏休み前、生徒会は仕事が立て込むんだ。会長たちも、ゆっくりお昼休みを過ごせないかもしれない。あまり、邪魔しちゃ悪いよ」
「そう……。そうね……」
「ねえ、茅乃ちゃんは何にする?」
「……えっと……。私、このウニのクリームソースパスタにしようかしら……」
「お。女子っぽ~い。さすが、千石はのどかとは違うな」
む。風斗くん、うるさいよ!
* * *
ギリギリの時間帯に5人で申し込んだわりには、ちゃんとテーブルも確保できて、久しぶりの学食ランチはとても楽しく過ごすことができた。
思った通り、お昼休みさえ終わると、教室のフロアが違うため、和沙さんたち2年生と顔を合わせることはない。
マイケルの発言からして、しばらく学食やカフェテラスでのランチが続くと思うし、このままうまく避けることができたらいいんだけどな。
ふひひひ。
帰宅後も上機嫌で過ごし、ママから少し気味悪がられたけど、そんなのは全然気にならない。
部屋でさっさと宿題を澄ましてしまおうと、机に座った時、突然ブブブブ……とスマホが震えた。
「あれ? 茅乃ちゃん。電話なんて珍しいね。どうしたの?」
「あの……のどかちゃん。私……のどかちゃんにしか話せる人が思いつかなくて……」
なにかあったんだろうか。
茅乃ちゃんがゆっくりと話し出す。
いつも話し方はゆっくりだけど、今日はそこに色々な感情が混ざっているように感じられた。
「どうしたの? なにか寮で困ったことがあった?」
「え? ……寮……? いいえ。違うの……。実は、諏訪生徒会長から電話があって……」
なんと。
会長ったら、いつの間に茅乃ちゃんの電話番号をゲットしてたんだ! 私は聞かれてませんけど? いや、全然いいけど!
「それで? なにか言われたの?」
「ええと……さっきまで、会っていたの」
「え!」
「それで、その……お付き合いを、申し込まれて……」
「ええええええ!」
やること早いとは思ってたけど、ほ、ほんとに早いな!
ええええええ……。別に会長のことは異性として意識してないけど、それでもなんというか、ちょっとショック。なんていうか……皆に置いて行かれる寂しさみたいな、そんな感じ。
「それで?」
「あの……お受けしたの」
「えっ!」
マジでか! 丞くんはいいお友達でって、断られていたよね? う~ん……茅乃ちゃんの、会長と丞くん、ふたりに対する態度にそんなに違いは感じられなかったんだけどな……。
「ごめんね。ちょっと意外だっただけ。えっと、ホラ。丞くんにはいいお友達でっていうお返事したじゃない?」
「そう……よね。そうなの……。でも私……気づいたら『お願いします』って、そう……答えていて……」
おおぅ……マジか~。
「お友達になって……学園の中で、会えなかったの、今日が初めて……なの。それで……お友達になったつもりだけど、つながりはランチしかなかったんだなって……気づいて」
「う、うん」
「雨音さんも……そう感じたらしいの……。だから、もっと特別な存在になりたいって……私、すごく嬉しくて……。寂しいなって感じていた理由が、一緒だったのが、すごく嬉しくて……。それで……すぐにお返事したの」
うんうん……? いつの間にか、呼び名も変わってる!
「のどかちゃんの……おかげだと、思うの……」
「えっ? どうして?」
「あの……今日、学食に誘ってくれなかったら……きっとまだ、雨音さんとはお友達のままだったと、思うから……」
私!? きっかけ私なの!?
あちゃ~。丞くん、ゴメン。どうやら丞くんの失恋、決定したようです。




