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4月5日(土)小さな秘密を手にしました

「くまのカフェ? そんなところがあるの?」

「そうそう。駅のね、向こう側に。線路挟んだだけでだいぶ雰囲気も違うの。なんていうか……古い商店街があるんだけど、寂れてるっていう感じじゃなくて、活気もあったし、下町っぽいっていうの?」

「へぇ……あの商店街、まだあったのね……」


 おっと。そうだった。時々忘れてしまいそうになるんだけど、そういえばママは元々この辺りの出身だった。

 実家は藤ノ塚学園がある丘の中腹にある一軒家なんだけど、今私達家族が住んでいるマンションは、篁グループ所有のマンションだ。学園までは大通りのバス停からバスに乗る必要があるくらいは離れているんだけど、それでもママにとってはこの辺りも覚えがあるんだろう。


「そうなの。大きな倉庫をカフェに改装しててね。でも席が沢山並んでるわけじゃなくって、ソファも離れて置いてて居心地いいんだ」

「へえ。オーナーのこだわりなのかしらね?」


 ママの言葉を聞いて私は思わず笑ってしまった。

 確かにそんなこだわりの空間だったんだけど、カフェがそうなった理由は全く違ってたんだ。昨日マスターのクマさんから聞いて、その可愛い理由に思わず笑っちゃった。

 思いだし笑いをしてる私を、ママは不思議そうに見ている。


「違うの。あのね、マスターがクマさんって言うんだけど、クマみたいに大きいのよ。それで、天井の低い狭い空間が苦手で、倉庫なんだって。席が離れてるのも、クマさんが歩けるようにだっていうの」

「そんな理由? クマみたいに大きいからクマさんなの?」

「違うよ。ええと……それもあるかもしれないけど、名前に熊がつくんだよ。ええとね、聞いたんだけど……なんだったかな。難しい名前だった。くまの……」

熊埜御堂くまのみどう?」

「そう! ママなんで知ってるの?」

「本当に!? その人……たぶん、ママの幼馴染だわ!」

「えー!」


 なんと! 世間って狭い! ママと同じ年ってことは、40歳か……。うん、見えなくもない。

 昨日は私にとっては素晴らしい日だった。

 巴さんは本当に私におごってくれて、しかも連絡先まで交換しちゃったんだ! それからお互いを「巴さん」「のどかちゃん」と呼び合う仲になったんですよ! さらに、よほど顔にでていたのか、あまりにもおいしそうに食べてるから……と、クマさんが新作スイーツの試食係にスカウトしてくれたんだよ! あっと。そうだ。それでお店の名刺をもらってきたんだった。


「お店の名刺もらってきたよ。ほら」

「どれどれ? まぁ! まーくん!」


 ま、まーくん……? まーくんって感じの風貌ではなかったけど……まあいいか。クマさんは本当にママの幼馴染だったみたいで、ママは嬉しそうに名刺を見つめている。名刺には『くまのカフェ オーナー熊埜御堂雅也』と書かれていた。


「あのね。それで……巴さんがお茶をごちそうしてくれたんだけど、クマさんにスイーツ試食係になってくれないかって言われたの。学生だから、一応親御さんに話して許可もらってって言われて」

「またあんたは……食い意地はったんじゃないでしょうね?」

「ち、違うよ! ただ、おいしそうに食べてるからって」

「まぁ、いいけど……そう、まーくんがカフェねー。そうだ、ママも行きたいわ。のどかが度々お邪魔するかもしれないし、ご挨拶に。ね?」

「え? まぁ……いいんじゃないかな」


 そんなこんなで、さっそくカフェに出かけることになった。明後日は入学式でその次の日からママも仕事を始める。お互いバタバタしてご挨拶が遅れる前にってことで。

 ママの言葉に、私は急いで部屋に戻って部屋着を脱ごうを手をかけたところで、PCにメールがきていることに気づいた。


「ん? メール?」


 誰だろう。そう思っても仕方のないことだ。だって、こっちには引っ越してきたばかり。ネットが開通したのだって数日前のことだ。

 もちろん、メアドも変わったしこれを機に使わないサイトのメルマガを停めることにも成功した。だからこのアドレスを知ってる人ってほとんどいないのに……。


「あ! あ!! 返信! 返信キタっ!」


 あわあわあわあわあわあわ。

 ハルさんから! ハルさんから返信キタっ!


『はじめまして。情報ありがとうございます。あのカフェは常連のつもりでしたが、そのメニューは初めて聞きました。今度食べてみます』


 わー! わー! ハルさんだ! ハルさんだ!

 昨日のクマさんのカフェの件、昨晩のうちにさっそくブログ主さんに報告しなきゃって思ったんだ。その『ハルの食べ歩きブログ』は、その名の通りブログ主ハルさんの食べ歩きの日々を綴ったブログなんだけど、一風変わってるのは有名どころやチェーン店は載せないんだ。オーナー自らが毎日店に出て、一店舗でじっくり腰を落ち着けてやってるお店の食べ歩きをしている。そして、お店の名前は出さない。お店の一部の写真とメニューの名前と写真が載っていて、それに対する愛が綴られている。そして、問い合わせが相次いだため、コメント欄も閉鎖してしまった。小さなお店ではメニューの名前だけで検索に引っかからないんだよね。それで手っ取り早く問い合わせる人が増えたんだと思う。でもハルさんいわく、自分の主観が入っているため、食べ歩きの参考にはならないということなんだ。

 それでもメールフォームからメッセージを送ることができるようになっている。昨日、私はここからメッセージを送信した。メッセージへの返信は100%ではない、とあったから期待してなかったんだけど、なんと数時間後には返信がきたよ! それは簡単な文章だったけど、食べることが大好きでブログのファンだったからすごく嬉しかったんだよ!


「のどか? まだなの?」

「い、今行く!」


 そうだ、ママが待ってるんだった!

 ハルさんへの返信はまた帰って来てからということで、まずはカフェにご挨拶に行かなければ!


「歩いて行くの? 珍しい」

「車で行ったら途中の街並みが見れないじゃない。あの商店街が残ってるだなんて、それなら歩いて楽しみたいじゃない」


 ママの顔が若返ってる気がする。あの商店街を知ってることといい、ママは今の家があるこの街にも馴染みがあるようだ。

 現に、歩きながらもママはおしゃべりが止まらない。あのお店は小さい頃よく行ったとか、あのビルの3階でピアノを習っていたとか。へえー、ママってばピアノ習ってたんだ。その3階には、今は学習塾の看板がかけられていた。変わった部分も多いんだろうな。ママの表情が時々寂しそうになる。


「あら、本当だわ。商店街がまだある! ここのコロッケおいしいのよ。あらやだ。お団子屋さんもやってる!」

「お団子? ほんとだ。私お団子ってコンビニのしか食べたことないや」

「そうだった? 今度食べてみなさいな。ここのは買いに来たときに、その場で炭火で軽く焼いてから甘いみたらしをつけてくれるのよ。トロリとした甘いみたらしと団子の香ばしさがたまらなくおいしいの」


 それはチェックしなくちゃ! よし、インプットした!


「で、この商店街を抜けると熊埜御堂道場があるのよ」

「道場?」

「そう。まーくんの家は柔道教室だったの。中学までは学校が一緒でね。お父様にその強さと性格の良さを見込まれて、唯一許してくれた男友達がまーくんだったのよねー」


 ママは無意識だろうけど、お爺ちゃんのことを「お父様」って言った。ママ、本当にお姫様のように育ったんだな。それに……クマさん、それ友達としてじゃなく、ほぼボディーガードのような役割だったんじゃないのかな……かわいそうに。まぁ、ママは友達だと言い切ってるからいいのかな。


「ここだよ」

「あら、本当。くまのカフェって書いてるわ。いいわねぇ」


 特徴的な大きなドアも、きっとクマさん仕様だな。

 それを引いて中に入ると、私達に気づいたクマさんがこちらを向き、驚いたように目を見開いた……気がする。なんせ、クマさん目が小さくてわかり辛いんだよね……けど、少し白いものが混ざる無精ひげを蓄えた口をぽかんと開けているから、きっとそうなんだろうと思う。


「み、みーちゃん……」


 おっと。美樹みきだからみーちゃんですか! クマさんも単純なニックネームにしたな。


「久しぶりね。まーくん。この子、うちの娘なのよ」

「えっ……そうかぁ。だから、ちょっと印象に残ったのかな」


 どうやら私が目に留まったのは食べっぷりだけではなかったようだ。

 ちょっとホッとした。だって、これから恋だのを期待しちゃうお年頃なわけですよ! 青春真っ盛りなんですよ! 食べっぷりだけで印象に残るのって、なんだか複雑なんですよ! でも、試食係はやりますよ。やる気満々ですよ!

 昔話に花を咲かせるふたりのところに、小柄で化粧っ気のない女性が出てきた。薄くそばかすが散った明るい笑顔が印象的な女性だ。


「あ、みーちゃん。コイツ、俺の嫁さん。由香」

「初めまして。由香です」

「まぁ! まーくんが結婚? こんなに可愛い子と! いつの間に!」


 ちょこんと頭を下げた姿は、私から見ても可愛い!

 身長なんてクマさんの肩にも満たないくらいじゃないか?

 急に注目を浴びて、由香さんは照れたように笑った。それもまた可愛い!


「お料理は私が担当してるんです。お嬢さんには突然試食係をお願いしてすみません。でも、あまりにもおいしそうに食べてくれて、感想も参考になったんですよ」

「あら! そうなの? ……のどか、あなたやっぱり食い意地はったのね?」

「お、おいしいものをおいしいって言っただけだもの!」

「まったく……まぁ、でも昔馴染みのまーくんのところなら安心だわ。でも、おふたりでこの大きなお店やってるのは大変でしょう? のどかが邪魔にならないかしら?」

「いや、バイトの子もいるから大丈夫。由香の妹の千香ちゃんも手伝ってくれてるし、他にも数人いるよ」

「そう」


 すると、厨房から一人の女性がトレーを持って現れた。

 トレーには、昨日私が食べた米粉パンケーキサンドのフルーツ盛り合わせが乗っている。

 思わずその行方を目で追っていると、奥まった席に一人で座っている男の子の元に運ばれた。

 帽子を目深に被り、背筋をピンと伸ばして静かにカップを口に運んでいた男の子が、運ばれてきたお皿を前にして一気にテンションが上がるのがわかった。

 なんせ昨日の私もそんな感じだったもんねー。

 にんまりと口角が上がり、取り出したデジカメで様々な角度から撮影している。ふふふ、可愛いな。わかる。わかるよ、その気持ち!


「のどか、どうする?」

「え? な、なに?」

「もう。なにボーっとしてるのよ。せっかくだから、コーヒーをごちそうしてくださるって。ドーナツもどうかって言ってくれてるわよ?」

「和三盆ドーナツ!?」

「わぁ! よくご存じなのね。じゃあ、是非どうぞ!」

「あらあら……ごめんなさいね」


 もちろんいただきますよ! 昨日は食べ損ねたしね。その代りにあのパンケーキサンドに出会えたんだけど……。

 そういえば、さっきの男の子はおいしそうに食べているかな。ちょっと気になるけど、案内された席からは大きな観葉植物の陰になって男の子の様子は見えなかった。残念。


 でも、夜になって驚くべき事実が分かった。

 私はハルさんに今日は和三盆ドーナツが食べれたと報告がてらメールを返信し、そしてハルさんのブログに飛んだ。するとなんと、ハルさんは例の米粉パンケーキサンドフルーツ盛り合わせの画像をアップしていたのだ。


「え? あれっ? ……これ、私!?」


 しかも、一緒にアップされている店内の画像の隅に私が映りこんでいるではないか!

 顔の部分はスタンプで見えないように加工をしてくれているけど、この服は今日着て行った服だ。間違いない。それに、私の周りにはクマさんも由香さんも、そしてママもいる!

 ということは……あの男の子だ。帽子を被った男の子。あれがハルさんなんだ! そうかぁー。ハルさん、男の子だったんだ。なんとなく雰囲気からして、同年代っぽかったな。ちょっと年上……大学生くらいかもしれない。でも田舎にいたころからよく見ていたブログ主さんのちょっとした秘密がわかって、少し嬉しかった。でも店名も明かさずコメント欄も閉じてるハルさん。もしもわざと性別も年代もわからないようテンプレートをシンプルなものにし、そのように文章も書いてるなら、ハルさんを見ました! なんて言われたくないだろう。私は小さな秘密を胸にそっと仕舞いこみ、パソコンの電源を落とした。


 


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