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4月3日(木)おじいちゃん家にいきました

 綿菓子と言われた髪が気にならないわけじゃない。

 でも、ワックスやらジェルやらで押さえつけるのは嫌いなんだ。クセなのか、ついつい手で触れちゃうし、なんだか重く感じる。CMで言ってる『するっと水に変化! ベタベタせず軽やかな仕上がり!』って本当? だいたい、水って氷か水蒸気になるだけで、元がワックスなのに水になるわけないと思うんだけど。ワックスをつけた髪に触れたその手でスマホなんかに触ると手触り変わっちゃうし、軽く感じるなんてもってのほか。使い方間違ってる? でも髪質や髪の量で使用量って変わると思うんだ。

 つまり、私は綿菓子頭を受け入れることにした。

 ああ、今日もさわやかな春の風にふわふわとそよぐ。エア感なんて出さずとも空気が入ってふんわり二割増し。

 でも今日はそれも少し気になる。その気持ちもあってか、私はいつも以上に髪を触ってしまっていた。


「のどか。着いたわよ」

「はーい」

「いい? お爺ちゃんは頼られるのが大好きだからね。お願いよ?」

「はいはーい」


 着いたのは、ママのお兄さんの家。つまりは伯父さんの家だ。

 実はママは地方出身ではない。正真正銘の都会出身のそこそこ裕福な家のお嬢さんだった。それがどうして地方の小さな会社を経営してる家にお嫁に……って感じなんだけど、これはお爺ちゃんが仕組んだことだ。

 どうやら、お爺ちゃんはそれなりに小さな野心のようなものを持っていたようなんだ。いずれは本陣近くへという思いから、度々こちらに来てはパパにお見合いをさせたのだ。結果的にはうまくいったからいいんだけど、パパはあまり話題にしたがらない。一度ママがこっそり教えてくれた。ママが35人目のお見合い相手だったって。

 お見合いが始まるまでは、ママは選ぶ側の人間だった。でも、実際好きになったのはママの方。裕福な生活を捨てて何かと不便な田舎にやって来た。最寄りのコンビニでさえ車で20分の田舎町は、1人1台の車社会。ママは結婚してから教習所に通った。そう考えると、ママはパパのためにたくましくなったんだなぁって思う。今じゃ運転はお手の物。ゴールド免許所の所持者だ。

 ママを溺愛していたご両親、つまり母方の祖父母の家は藤ノ塚学園の近くにある。おばあちゃんは私が幼い頃に亡くなってしまったんだけど、おじいちゃんは今も現役の社長さんだ。

 ママは駐車スペースに車を停めると、懐かしそうに『速水』と書かれた立派な表札を見つめた。

 速水家は、全国に展開しているスポーツジムを運営している。次期社長の伯父さんは、本社ビルの中のジム1号店を任されていて、そこでスポーツトレーナもしている。昔は水泳の日本代表にまでなった選手だったそうだ。……なのに私のこの運動音痴っぷりはなんだろう……。パパ似かな……あぁ、なんか悲しくなってきた。


「あら。正樹まさきくんの車もあるわね。今日はもう戻って来ているみたい」

「えっ? 本当?」

「あら、のどかったら嬉しそうな声」


 ママにからかわれたけど、そんなのはどうでもいい。

 従兄の正樹お兄ちゃんは、幼い頃からの私の憧れだ。カッコよくてスポーツマンで、しかも頭もいい。昔、夏休みや冬休みでママの実家に遊びに来た時から勉強も遊びも相手をしてくれた大好きなお兄ちゃんだ。でも、4年前に大学を卒業して社会人になってからはなかなか会えなくなってしまったんだよね。今日も晩御飯に招かれたのはいいんだけど、正樹お兄ちゃんは残業でいないかもしれないって言われてたんだ。いないと思ってたから、その分喜びも大きい。


「あら? お隣……変わったのね」

「え? そうだった?」


 ママは蔦の這う高い塀の向こうに少し見えるえんじ色の屋根を寂しそうに眺めていた。

 正直私は正樹お兄ちゃんの家のお隣が誰だったのかもよく覚えていない。でも、結婚するまでここにずっと住んでいたママにしてみたら馴染みの深いものだったんだろう。

 言われてみれば、門扉につけられた表札は塀に比べると新しく感じる。そこには『大和』と書かれていた。――私は以前の住人の名前も憶えていないけど。


「いらっしゃい。なかなか入ってこないから迎えに来たよ」

「お兄ちゃん!」

「やあ、のどか。久しぶりだね。髪切ったの? 春らしくていいね」


 あ。今きゅーんときた。お兄ちゃん罪な男だわ。言い方がちょっと軽いけど。顔が勝手にニヤニヤしちゃうじゃん。


「そ、そうかな。ちょっと切りすぎちゃった」

「そんなことないよ。かわいいって」


 マジですかー! やっぱり言い方がちょっと軽いけど、それでも嬉しい! またあの美容室に行きます! 行きますとも! 行かせていただきます! 名刺もカードもまだ捨ててないよ!

 中に入ると、お爺ちゃんと伯父さん、おばさんが勢ぞろいだった。それになにより、すごくいい匂いがする! 2階のダイニングに向かう足取りがついつい軽くなっちゃう。

 速水家のおばさん、綾さんのお仕事はお料理教室の先生だ。しかも、本社ビルの中でやっている。元々管理栄養士だった綾さんと元スポーツ選手だった伯父さんとは職場結婚のようなものだ。そして昨今の野菜ソムリエだのといった資格ブームで、アスリートフードマイスターなんかも注目されるようになり、綾さんの教室も大人気なんだとか。

 男は胃袋を掴めってか? それを言っちゃあ身もふたもない感じもするけど、実際そんな考えの人が多いらしい。いや、世の中そんなに甘くないし、スポーツで食べられる人ってそんなにいないよ? ボール投げて160億稼ぐ人なんて稀だからね? 私は断然公務員狙いの方が後々安泰だと思うんだけど、それは夢がないんだろうか……。

 そんな現実的なことを思ってはいても、綾さんのお料理は美味しい。さっきからついつい視線がテーブルの上にいっちゃう。まだお爺ちゃんへの挨拶も済ませてないっていうのにね。


「のどか、よく来たね。藤ノ塚に通うことになって私もうれしいよ」


 お爺ちゃんはこう言ってるけど、実はママは藤ノ塚卒業生ではない。お爺ちゃんはママを愛するがゆえに、女子高しか認めなかったんだって。家の近くに名門藤ノ塚があるのに、ママはお爺ちゃん専属の運転手さんに毎日少し離れた女子高まで送ってもらっていたらしい。だから、総帥の秘書さんに藤ノ塚の名前を出されたとき、ママにはちょっとした意地もあったんだと思う。もっとも、実際勉強して試験うける苦行を強いられたのは私ですけどね!

 なので、お爺ちゃんも私がこちらに引っ越してくると知って、てっきりママが卒業した女子高を受けると思っていたらしい。それなのに藤ノ塚だと知って、とても残念がっていたと言っていた。だからちょっと拗ねてるお爺ちゃんに、孫らしく甘えるようにってミッションを受けたんだけど……大人って面倒くさいね。甘えろってどうしたらいいんだろう。


「お爺ちゃん、ありがとう。えーっと……藤ノ塚学園はすごく素敵で入学が待ち遠しいんだけどね、まだまだこの街のことはわからないから戸惑うこともあるんだ……」


 こ、こんなもんか? こんなんでいいか? ちょっと不安だったんだけど、お爺ちゃんは嬉しそうに微笑んで目じりの皺を深くした。

 ほっ。どうやらミッションクリアしたらしい。


「そうかそうか。なに、困ったことがあったらウチを頼りなさい。な? ああ、入学祝いも用意しなくちゃな。のどかは何色が好きだい?」

「色……? うーん……淡いグリーンかな……でも、どうして?」

「いやいや。こういうものはサプライズだろう」


 ニヤリと笑ったお爺ちゃんだけど……サプライズなら、好きな色を聞くのってどうなんだろう。色を選べる物ってことでしょう? 確実に食べ物や動物ではないね。

 でもお爺ちゃんはこの話題は終わりとばかりに今度はママと話している。その目は優しく細められていた。いくつになっても可愛いわが子ってことなんだろうな。



「お父様。お隣、三宅さんじゃなくなってしまったのね」

「ああ。三宅さんな、病院の院長を引退されてこれからは自然に囲まれた場所で過ごしたいと言って引っ越したんだ。大和やまとさんが越してきたのは去年だったかな」

「そう……なんだか寂しいわね。大和さんてどういう方?」

「ご夫婦そろって作家でね。少し変わっているが、楽しいご家族だよ」

「ミステリー作家なのよね。以前お隣の庭から遺骨だの殺人だの物騒な言葉が聞こえてきてね。びっくりしたのよね」


 おばさんが笑いながら言うけど、確かにそれは勘弁して欲しいかも。

 でも、お隣は蔦の這う古い洋館……そこに住む変人のミステリー作家。うん、なんか似合う。そう妄想していた私に、聞きなれた言葉が飛び込んでその考えは中断された。


「そういえば、大和さんちの息子さん藤ノ塚の生徒よ」

「まぁ。そうなの?」

「ね? たっくんそうよね?」

「そうだね。今度2年だから、のどかの一個上だな」

「へえ……」

「あら。噂をすれば……」


 おばさんが指差し、窓から下を見ると、背の高い男の子が両手に荷物を持って玄関の階段を上っていた。

 黒い髪はサラサラで、明るい日の光に天使の輪が輝いている。なんたるキューティクル! 羨ましい! 淡い色合いのくるくる頭の私には手の届かない艶感! 男に負けたなんて……。

 すると、その念が伝わってしまったのか男の子はふとこちらを見上げた。考えていた内容が内容だけに、私は思わず正樹お兄ちゃんの陰に隠れてしまった。

 お兄ちゃんの後ろからこっそり覗いてみると、男の子はスッキリとした面立ちの綺麗な顔をしていた。スッと通った鼻筋。その上の切れ長の目にメガネを乗せておりそれが彼の冷たい印象を際立たせている。でも、男の子はこちらに気づき薄い唇を少し上げて軽く頭を下げると、冷たかった印象がガラリと変わった。

 うわ、この人、綺麗!

 口角を軽く上げただけなのに、その笑顔はすごく綺麗で私の心に強く残った。


「あらあら。ずいぶん買い込んだわね」

「ああ、本当だ」


 おばさんたちはおかしそうに話している。

 再び玄関に向かった男の子は、両手の大きな袋を持ち直して器用に扉を開けた。

 その袋から見えたのは、大根、お肉のパック。もう片方は牛乳に卵、そして食パン。ああ、もう。パンが牛乳パックでちょっと潰れちゃってるよ。もったいない。


「たっくんはね、書き物に夢中になったら食事もとろうとしないご両親の代りに時々お料理してるのよ」

「そうそう。それに時々おふくろに料理を習いに来てるんだ」

「へえ。綾さんのお料理教室に?」

「ううん。お料理教室は週3日だけだから。それ以外の日は家にいるからそんな時にたまにね。それに教室もよほどのことがなければ夜はやってないのよ」

「あら、いいわねぇ」


 ……嫌な予感がする。すごく、嫌な予感がする。


「うちののどかにも教えてもらえない? この子ったら不器用で。ジャガイモの皮むきなんて、むきおわったら半分の大きさになってるのよ!」

「あら! いいわよ。もちろん! うちは学園からも近いし、学校帰りにいらっしゃいな」

「は、はい」


 悔しい! ママはこれを狙っていたに違いない。

 ママもパパの手伝いをすることになっている。結婚前、秘書をしていたママはその資格を活かして社会復帰するのだ。

 今日、速水家に来たのは、私を速水家に馴染ませるためだ。それとお爺ちゃんに会わせるため。二人とも仕事を始めるとどうしても私のサポートができなくなる。そこで、何かあった時に頼れる存在として、速水のお爺ちゃんと伯父さんに私のことを頼んでいたんだ。

 けど、お料理を習うことになるなんて! 正樹お兄ちゃんに会う機会が増える! と単純に喜んでいた過去の自分に忠告したい!

 たっくんめ! たっくんさえ現れなければ、この話題を避けられたかもしれないのに! 私は心の中で悪態をついて目の前のから揚げにかぶりついた。おばさんのから揚げは絶品なんだ。あらかじめお肉を生姜ダレに漬けておいていて、揚げたあとに酸味のある醤油ダレをかけて食べる。最初はカラッと揚げたから揚げに、タレをかけるなんてもったいないって思ってたんだけど、これが癖になる味でね。今日も楽しみにしてたんだ。あー、相変わらずウマー!

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