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4月2日(水)がっつりメイクされました

 新しい髪型は、ママにはめちゃくちゃ不評だった。


「のどか! なぁに? そのモコモコ! 綿菓子みたいじゃないの!」


 うまいこと言いますね。なにかに似てると思ったんだけど、綿菓子か。


「ちょっと……。ママは都会的な感じにしてらっしゃいって言ったでしょ?」


 ええ、ええ。言われましたよ。

 なんせ前の私はくせ毛隠しでただ伸ばしただけの、もっさりクルクル頭だったからね。藤ノ塚の一員になるんだから、まずは見た目からってことだったんだよ。

 それが……美容室で見た雑誌の表紙に騙され綿菓子の完成だ。

 今思えば、雑誌の表紙モデルは確かに頬がふくっとした丸顔だったけど、顎が三角だった! あれは本当の丸顔じゃない! 丸顔っていうのは、丸顔っていうのは、下膨れとの境界線があいまいなことを言うんだよ!


「聞いてる? のどか」

「……うん……」


 パパは慰めるように「ハツラツとした感じでいいんじゃないかな?」って言ってくれたけど、やめてパパ……。私に溌剌さのかけらもないこと知ってるじゃない……。走ったら5割の確率でつまずくの知ってるじゃない……。

 だから髪だけでもスッキリと大人っぽくしたかったのになぁ……。

 

「触らないでくださいね」


 髪に伸ばそうとした手は、ぺいっと簡単に払われてしまった。


「……はい」


 私の頭は、ママが手配したヘアスタイリストさんの手にかかり、ふわっとしたトップがぺちょんと潰され、そこにウィッグがつけられようとしていた。

 おお。むき出しの肩にかかる髪の感触! 毛先がくるりと綺麗に巻かれている。これ人毛かなぁ。これだけの長さだと結構な年月伸ばしただろうに。おかげで別人に見える。

 おかしいな。髪が長かった時……つまり、昨日まではこれくらい長かったけれど、こんな風には見えなかった。さすがはプロだ。感心していると、ヘアスタイリストのお姉さんはママに挨拶をして部屋を出ていった。

 終わった? よかったー!


「あら、のどか。まだ駄目よ」

「えっ?」

「メイクがこれからよ。座りなさいな」

「……トイレ……」

「仕方ないわねぇ。早く行ってらっしゃい」


 なぜ! なぜこんなことに! 

 一時間後、私は鏡で見知らぬ少女と対面していた。

 コンプレックスだったいつも眠そうだと言われる目は、二重のつけまつげでくっきりぱっちり。2倍の大きさになったように見える。泣きながら抜かれて整えられた眉は、薄い茶色のペンで1本1本丁寧に描かれ目じりに向かって優しい弧を描き、微笑んでいるように見えた。でも、今の流行りはあまり細く整えずに自然な眉毛の流れを大事に全体ぼかすだけだと思うんだけどね! 抜くなんてひどいよ! 描くの苦手なんだから、返してほしい。だいたい、左右同じ太さで描けるってどういう技術? それを明日から私にやれって言うの? プロなら、一時の綺麗さだけじゃなくて、その後の手入れのしやすさまでフォローしてはくれませんかね!

 でもママは大満足のようだよ。


「まぁ! のどか! 素敵じゃない!」


 え? どこが? どこが? 目が重いし、汗でもかこうものならいったいどんな悲惨な目にあうのかと、今から怖くて仕方がないんだけど?


「のどか、どんな色が似あうのか、どこにポイントを置いたらいいのか、ちゃんとお聞きなさい。これからは自分でもできるようにならないとね」


 ポイントもなにも……どう考えても目でしょうよ。

 別人だよ。怖いよもう! 誰これ? ねえ、目がかゆくなったらどうしたらいいの? 崩れたら直せないよ!


「これからって……こんなしっかりメイク、そんなに機会ないと思うよ」

「そんなわけないじゃない! 藤ノ塚よ? お友達とのパーティーとか、そうそう、プロムだって! どんな素敵な人がのどかをエスコートしてくれるのかしらね?」


 おい! ここ日本だぞ! メイクアップアーティストのお兄さ……もとい、オネエさんもぽかんとしてるじゃないか!

 今、ママはセレブ高校生が主役のアメリカ学園ドラマに嵌っている。きっとママの頭の中で別人メイクの私の手を引く相手は、金髪碧眼の美青年に違いない。ドラマでは二番手的な立ち位置なんだけど、ママのお気に入りなんだよね。確か大企業のCEOの息子で名前はジェイソン。その名前で私が思い出すのはチェーンソーなんだけど。


「うまく瞬きできないよ」

「あらぁ。慣れよ、慣れ。でもほら、目がパッチリして目力が出たでしょお? 口紅は、アナタ色が白いからクッキリした色はやめた方がいいわ。奥様、お嬢様に似合いそうなおすすめのお化粧品がいくつかあるんですが……」

「まあ! 良かったわねのどか! 教えてくださる?」


 オネエさんの目がキラリと光った。メイク代以外に化粧品も売りつけようって作戦だな。

 でもそれは私もちょっと気になる。つけまはともかくリップの色が何色が似合うかって重要。肌の色や年代でも変わってくるものだし。

 結局、前のめりになって話を聞き、オネエさんが帰る頃には、ママは自分の分も含め諭吉様を14名出動させていた。そんな使い方して本当に大丈夫かな。いったい総帥って人はお祝い金をいくら包んでくれたんだろう。


 こうしてたっぷり2時間かけて準備したのは、これから出かけるためだ。

 そう。総帥の元に、ご挨拶に向かうのだ。

 それだけならこんな大げさな恰好にはならないんだけど、これには理由わけがある。実は、総帥のお宅でパーティーがあるのだそうだ。そこに私も招かれた。というか、むしろ私がメインで招かれた。

 よほどの地方在住者でない限り親族の殆どが藤ノ塚に通う一族は、毎年この時期に総帥のお屋敷で進学・進級のお祝いパーティーが開かれるんだそうだ。

 ママが浮足立つのも仕方がない。テレビドラマで見たあのセレブな世界に足を踏み入れるのだ。

 ただ……今日の集まりはだいたいが日本人だと思うんだけどね。ママの妄想ではアメリカンな世界が繰り広げられていそうでこわい。これは一言忠告しておくべきかな。


「こちらでございます」


 品の良さそうな着物姿の中年女性がやってきて、私たちを案内してくれたが、そうでもない限り会場にはたどり着けないんじゃないかと思うくらい、総帥のお屋敷は大きかった。

 総帥は、日本を代表する企業、たかむらグループのトップである。

 篁といえばその中心は建設会社で、大きなホテルや劇場、美術館をも手掛ける規模の大きい建築物が得意だ。だからといって、個人の邸宅にこの規模はないだろう……。こうして人の家で土足で歩くなんて初めてだ。でもそれは広間にたどり着いたら納得した。

 藤ノ塚学園の進学・進級パーティーという名前から、私の脳内では比較的規模の小さいものを予想していたんだけど、そこにいるのは100人以上はいるんじゃないかって人数だったから。

 は? こんなにいるの!? と、一瞬口をあんぐり開けてしまったんだけど、それもそうかもしれない。だって学園は幼稚園から大学院まである。それぞれの学年にグループ関係者の生徒が数人いるとしても、単純計算すると学園の生徒だけで50人ほどだ。その両親も参加しているんだから、軽く100人を超える計算だ。それなら土足も頷ける。帰りに靴を間違えて……なんてこともあるだろうし、そもそもおしゃれしてきてるのに足元がスリッパだなんて残念どころの話じゃない。ていうかこの人数分のスリッパなんてさすがに総帥の邸宅といえどもないだろうし……ああ、私の思考はどうしてこんなにも庶民なんだろう。しかも想像したスリッパは昔ながらのビニール製。所謂トイレスリッパってやつだよね。町の小さな医院にあったりするアレね。甲の部分に金字で『篁』とかプリントされてたり……ドレスにトイレスリッパペッタペタ……ぷぷ。あ、いかんいかん。

 それにしてもアウェー感半端ない。負けられない試合だとしても逃げ出したいくらいのアウェー感だ。すみません、勝ち点はいりませんから、帰っていいですか。

 だけどその気配を悟ったのか、ママにがっちり腕を掴まれ、私は笑顔を張り付けたまま大人しく従うしかなかった。

 アウェーだと思っていたのは、私だけだったようだ。一足先に新会社で働いていたパパは顔なじみを見つけると挨拶を交わす。そこに少しでも出遅れそうになると、ママが背中をつねるので私も必死だ。中には、パパの部下にあたる人もいるようで、ホッとした。家ではのんびり穏やかなパパでも、外ではしっかりと社長をしているらしい。

 会場はホテルの宴会場のような豪華さで、花で綺麗に飾られた中央の大きなテーブルにたくさん料理が並んでおり、壁際にテーブルとイスがある所謂立食パーティー形式だった。ライトアップされたステージ近くにはカウンターがあり、グラスを乗せたトレーをお揃いのタキシードを着た男性が持ってスタンバイしている。すると、司会者の挨拶と共に一斉に動き出し、参加者にグラスを配り始めた。わー! すごい! 歩いてる人にもぶつからずに素早くすり抜けてる!


「お嬢様はなにをお飲みになりますか?」

「えっ……ええと……」

「娘にはオレンジジュースをくださる?」

「どうぞ」


 あー、びっくりした。ちゃんと好みを聞いて配ってるんだ? すごいなぁ。本当はコーラが好きなんだけど、こういう場ではオレンジジュースが無難なんだろうか……。まぁいいや。喉乾いてたし……。


「のどか、まだ飲んじゃだめよ」

「え? どうして?」


 グラスを持ち上げようとしたところで、小声でママからストップがかかった。


「今から総帥のご挨拶があるから。その後で乾杯の合図があるのよ」

「そ、そうなの? わかった」


 チラリと周りを見てみると、皆グラスには口をつけずにステージを見ている。その中には小さな子供たちもいた。幼稚園の子だっているのに、じっと待っている。偉いなぁ。

 でもずっと大人たちと一緒にこの場にいるのは辛いだろうね。それもあってか、ご挨拶が終わると、総帥は幼稚園の子たちからお祝いの言葉をかけるらしい。それが終わると、小学部。幼稚園や小学部の子たちは、その後別室に用意されているプレイルームに行って遊んでてもいいことになっているそうだ。

 そして総帥からのお声掛けは中等部、高等部と続く。ここまでくると、毎年祝いの会に出席していて慣れている子も多い。そのためか、顔なじみを見つけては楽しそうに談笑している姿が多く見受けられた。

 いいなぁ……。私のように今年初めて参加の子って中高生ではいるんだろうか……悪目立ちしないようにそっと辺りを伺うと、何人かは緊張した面持ちで両親と話している子がいた。どうやらいるみたいだ。ホッとすると同時に、私の目には笑顔がステキな美形の姿が飛び込んできた。

 まだ少し少年ぽさを残している線の細いその少年は整った顔に柔らかな笑顔を浮かべて数人の少年少女と談笑していた。そのグループは7人……いや、新たに派手なドレスを着た少女が加わって8人となったが、彼のオーラは他を圧倒していた。彼より一際体格のよい男の子も、ずいぶんと個性的なドレスを着て身振り手振りが大きな少女も、彼の前ではまるで目立たない。

 グループの誰かがおかしなことを言ったのか、その輪から一際楽し気な笑い声が上がった。だが、その少年はそれに対しても穏やかな笑みを崩さない。不思議な少年……誰とも親しいようで、誰も親しくないみたい。


「のどか。のどか! 総帥がこっちにいらっしゃるわよ」

「えっ? あ、はい」


 慌ててママに意識を向けると、一人の老人がこちらに向かってくるところだった。間もなく90歳だというのにしっかりとした足取りのその老人は、皺だらけの顔に一層皺を寄せて微笑んでみせた。


「おお、のどかちゃん。今日はまた……着飾ったもんじゃの」


 ですよね! 自分でも「誰?」って思いましたもん!


「あ、あらあら。この子ったら張り切ってしまって」


 なすりつけられた!? ママ! なんてことを! こんなの全然私の趣味じゃないのに!

 パパ! 笑ってないでここは家長としてフォローしてくれませんかね!


「覚えておきなさい。派手に装うのは、弱者がすること。声高に話すのは、小者がすること。自分を大きく見せる最も簡単な方法だからじゃ」

「は、はぁ……そ、そうですよね! わかります!」


 最初はなにごとかと思ったけど、ここは乗っておくことにした。

 私をここまで着飾らせたママは、「おほほほ」なんて笑いながらももじもじしている。総帥の言葉がグサグサと刺さっているに違いない。

 いたたまれないんだな? いたたまれないんだな? ママ!

 てことは、ここは同意したら次はこのウィッグやら二重つけまやらの苦行から逃れることができるってわけでしょう?

 なら私は元気よく良い返事をしようじゃないの!

 すると、総帥は満足げに頷いた。


「うちの曾孫も、今高等部におる。のどかちゃんの一つ上じゃな。仲良くしてやっておくれ」

「え? そうなんですか?」


 総帥が指差した先にいたのは、先ほどの美少年だった。


和沙かずさといってな。うちの三男だ。男ばかり。むさくるしくて敵わん」


 いや……全然むさくるしさは感じませんけど? むしろ癒しを感じますけどね。遠目に見ても、女の子のようにつるつるすべすべの肌の持ち主とお見受けしましたが。

 そうか……彼は総帥の曾孫だったか。どうりで周りには人が多いわけだ。今では大人たちも彼を取り囲んでいる。その中にいて、こちらを睨む視線に出会った。先ほどの派手なドレスの女の子だ。ああそうか。御曹司も気になるが、総帥の動きも気になる。そして、総帥がこちらを指差しながら話してるあの女は何だってことですね。わかりやすい。

 うーん、総帥。仲良くは無理そうかな。だって彼は沢山の人に囲まれて輪の中心にいる。きっとこれ以上取り巻きなんて必要ないと思うよ。だからあのテーブルに乗ってるおいしそうな料理に手をつけていいかな? なんかね、メロンの上にハムが乗ってるんだよね! いったいあれは何なんだろうと気になってしかたがない。総帥が案内したい人がいると言ってパパを連れて離れたのをきっかけに、私はママを引っ張って料理に向かった。


「ねえ! ママ、これ何? なんでハムが乗ってるの?」

「え? これは生ハムよ。言っとくけど、ウケ狙いでもなんでもないわよ。生ハムメロンってれっきとしたお料理なんだから!」


 料理!? これが料理? ただ生ハムがペロンと乗ってるんだけど?


「……おいしいの?」

「そうねぇ。ママはあまり好んで食べないわね」

「ふぅん……」


 それでも私は好奇心に負けて、ひとつを口に放り込んだ。

 !! お、おいしい! メロンの爽やかなジューシーさに生ハムの塩気がたまらん! なんだこれ! たまらん!

 口いっぱいに頬張ってニヤニヤしていると、ママが慌てだした。


「ちょっと、のどか! あんた一口で食べたの!? そんなに頬張ってリスじゃあるまいし!」

「ふぁれほみへな……」

「その状態で喋らないでちょうだい!」


 じゃあ話しかけないでよ……。生ハムがうまく切れなかったんだから、いけそうだなーと思って一口で食べたんだけど、誰も見てないって。大丈夫大丈夫。


「和沙さんがこっち見てるわよ!」

「え?」


 言われた方に目をやると、彼はもう目を逸らしていた。

 やだーママったら自意識過剰だってば。たまたま視線を巡らした先にかすったって程度でしょ。気にしない気にしない。だいたい、見られるようなことしてないって。だからもうひとつちょうだい。う、ウマー。

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