4月14日(月)痒いところに手が届くんです
あっという間に週末が終わりました。
なんてこったい。土曜日はともかく、日曜日なんて結局勉強してるじゃん。私って実はすっごく真面目な高校生なんじゃないだろうか。
「のどか、数学の予習してきたか?」
「もちろん!」
「おっ。マジで!? 見せて! 俺、当たりそうなんだ。あの先生、結構席順に当てるんだよ」
「……き、如月くん。そういうのは、ちゃんとやるべきだと思うの……」
真面目な茅乃ちゃんは、あまりいい顔をしなかったけど、まぁ……いいんじゃないかな。内部生の彼らには、まだまだ頼る気満々ですからね。キヒヒ。
「わりぃ! 昨日久しぶりに泳ぎに行ったらちょーっと熱くなっちまって……夜疲れて寝ちゃったんだよ!」
「いいよー。私も助けてもらうことがあるかもだし」
「……でも……」
「風斗、ランチおごるってさ!」
「是非見てくださいどうぞ! 茅乃ちゃん、私は構わないんだから大丈夫だよ!」
ランチは大事! ここのランチ高いんだから! いや、私の懐には直接的な被害はないんだけどね。でもなんとなくついつい値段見ちゃうんだよね。庶民の悲しい性ってやつですよ。
茅乃ちゃんはまだ渋ってたけど、ノートを見せるのは私なわけで、それ以上はなにも言わなかった。
「千石さんは、俺たちと一緒にランチするの嫌?」
「……そんなことは……ないです」
「コースにしよう! コースおごってもらおう茅乃ちゃん!」
「2人分!?」
はっはっは。それは当然だよ! このままだと、茅乃ちゃんが断ってたかもしれないからね? 結局、如月くんも「ちぇーっ」なんて言いながらも一番高いコースを予約してくれた。如月くんとは初めて一緒にご飯を食べるのは初めてだなぁ。丞くんとは親友同士みたいで、いつも一緒にいるから自然と話すようになったけど……。
「そういえば、なんでそんな疲れるまで泳いでたの?」
「いや、ジムのプール行ったら浬が練習中でさ。俺もジュニアの時は日本代表だったからコーチやトレーナーも知ってる人たちで。一緒に泳がせてもらったんだよ。やっぱすげーよ、あいつ」
ま、松丘くん! どうしよう。ドキドキしてきた。いや、ドキドキっていうかハラハラっていうか。そういえば、昨日全然綾さんの様子も、お兄ちゃんへの詮索もできてないじゃん! 何してたんだよ私! 勉強しかしてないよ!
「すごいって、お前だってついこの間までライバルとして認められるくらの実力だったじゃん」
「いや、もう全然ダメだわ。アイツ、食事管理も徹底しててさ。前より体つきも全然違う」
「……でも、彼は確か私と同じ寮生です。食事管理なんて、どうやってやってるのかしら……」
「専属の管理栄養士がメニュー作ってくれてるって言ってたぞ」
綾さんじゃん! それめっちゃ綾さんじゃん!
あわわわわ。なんで昨日ちゃんと観察しなかったんだろう!
「なんでも、学園にも話を通していて、学食と寮のシェフにも協力してもらってるらしい」
「じゃあ、普段の食事もその管理栄養士が考えたメニューを食ってるのか? 大変だな」
「でも本人にとっちゃ、もう普通のことみたいだぞ。練習終わって腹減ったからラーメン誘ったんだけど、断られた。なんか大変だなって思ったんだけど、アイツ自身は納得して取り組んでるし、なによりその人をすげー信頼してるみたいでさ」
あああああ綾さん!! 綾さんてば、松丘くんの日常にまで深く深く入り込んでいたんだね……どうしよう。もしかしてトレーナーの伯父さんよりも接することが多かったりして……。
「……のどかちゃん、どうしたの?」
「な、なんでもない……」
「じゃあのどか。ノート貸してくれ。授業午後だから、昼休みまで借りていいか?」
「うん。えーっと……次の授業はなんだっけ」
「……現国よ」
現国かぁ。そういえば、阿久津先生、やっぱり学園の教師の中でもかなり人気が集中してる有名な先生らしい。お兄ちゃんの卒業アルバムで見た写真では、穏やかな笑みを浮かべた落ち着いた雰囲気の人っていう印象だけで、特別カッコいいとか、美形とかは感じなかったんだけど……。
予鈴が鳴ると、ラウンジにいた生徒はそれぞれの教室に向かった。
でも、おじいちゃん先生のサブとして教室にやって来たのは、いつもの女の先生じゃなかったんだよ。
そこに立っていたのは、噂の阿久津先生だった。阿久津先生の登場に、一部の女子は嬉しそうに声を上げる。
お兄ちゃんの卒業アルバムの印象そのままに、落ち着いた雰囲気。違う点といえば、少し伸びた髪を無造作に後ろで結んでいることと、少年さは失われ、成熟に入ろうとしている男性の魅力が加わったことだろうか。
同年代のガサツな男の子が苦手な子には、阿久津先生のような包容力を感じさせる年上の男の人って素敵に見えるんだろうなぁ。ただ、確かに顔立ちは整ってるんだけど、私が言うのもなんなんだけど、特別美しさを感じるでもない。う~ん……学園の人気者って、今まで見た、学園のアイドル達が生徒会長に和沙さん、そして浬くんっていう見た目が派手で目立つタイプだったからかな? なんか意外……。勿論、とても素敵だと思うんだけど……う~ん? というのも、この学園ってなかなかのイケメン・美女揃いなんだよね。不思議に思って丞くんに聞いてみたんだけど、出てきた答えは「やっぱ見た目って大事じゃん」という、身もふたもない答えだった。なんだよ! 結局は顔かよ! と不満だったんだけど、それにはちゃんと理由があるらしい。人間性も能力も大事だけど、それらは見た目には分からない。よく、性格って顔に出るって言うけど、それをキチンと見極められる人間って、そうそういないんじゃないかな? そうなると、やっぱり人間って第一印象って大事だってことらしい。 ぐぬぬ……反論できません!
この学園はいずれは人の上に立つ指導者になる人たちが殆どだ。仕事の付き合いも広く、人前に出ることも多い。そのため、幼い頃から歯の矯正だったり、ニキビ治療なんかもしっかりおこなうんだそうだ。セレブって大変だねぇ……私、歯並びだけは綺麗で良かった。ちなみに、如月くんは昔、歯の矯正をしていたんだって。そして学園のアイドル、生徒会長や和沙さん、松丘くんは天然であのクオリティらしいよ。スゴイネー。
そんな人たちが通っている学園だから、正直阿久津先生ってその中では“普通の”好青年なわけだ。だから、一部の女子生徒がそんなにも夢中になるのがわからない。なにが、そうさせるんだろう? 私は阿久津先生本人を目の前にしても、それが不思議だったわけだ。――彼が声を発するまでは。
「サブの坂巻先生が体調不良のため、今日は僕がサブに入ります。阿久津峻です。みなさん、よろしくお願いします」
少し低い、包み込むようなあたたかく柔らかい声。静かで落ち着いた口調なのに、その存在感は圧倒的で、言葉としてしっかりと体に響く。
(うわ、すごいいい声……!)
うっかり聞き惚れてしまった。みんなに挨拶をした阿久津先生は、にっこりとほほ笑むと一礼して、教室の後方に移動した。それを視線で追う女子生徒が何人もいる。私もついつい見てしまい、おじいちゃん先生の咳払いでハッと気づいて姿勢を戻した。
私、特に声フェチとかじゃないんだけどな……。それなのに、なんかドキドキするんですけど! 明らかに、声を発してからの先生を素敵に思ってしまってる私って、なんて現金なんだろう。
「では、授業を始めます」
あああああ、私ってば筆記用具もまだ用意できてないよ。
おじいちゃん先生は、普段は動きも話すのもゆっくりなのに、授業は進めるのが早いんだよ。しかも小さな声でボソボソを話すから、集中してなきゃいけないのに!
急いでペンケースを開けると、その勢いで中身を床にぶちまけてしまった。
「あっ」
急いで身を屈め、手を伸ばすと、背後から伸びた大きな手が、先にペンを拾い上げた。
「大丈夫ですか?」
「っ!! は、はい」
すぐ近くで阿久津先生に問いかけられ、心臓が飛び跳ねる。
「これで全部ですか?」
「はい……え、えっと……」
シャーペンと、ボールペンと定規とカラーの4色ペンと……先生は背後に立ってまま少し身を屈め、私が確認するのを見ている。あんまり近くで見ないで欲しい……その声は反則ですってば! ええと……ええと……消しゴム……。私が愛用しているペンタイプの消しゴムが見当たらない。その代わり、見慣れない高そうなネイビーの万年筆があった。あ、これはお兄ちゃんが使ってる万年筆だ。間違ってペンケースに入れちゃったのかな……。
「何か、足りませんか?」
「消しゴムが……」
「消しゴム……おかしいですね。見当たりませんが……」
阿久津先生が、しゃがみこんで探してくれたけど、他に落し物はなかったようだ。これは……消しゴムと万年筆を間違えた可能性が高いかな……。
「あの……それはもしかして……」
「あ、もしかしたら、忘れたかもしれません。すみません、ありがとうございます」
拾ってくれたことにお礼を言うと、私は椅子に座りなおした。
授業は既に始まっている。数人、こちらの様子を気にしている子はいるようだけれど、殆どの生徒は授業に集中していた。
すると、机の上にトン、と淡いピンク色の物が置かれた。
「差し上げます。消しゴムがないのでは、困るでしょう」
私が使っているのと同じ、ペンタイプのノック式の消しゴムだった。ただ、そのデザインは私の物より凝っていて、クラシカルデザインの鍵がデザインされたペンホルダーが可愛らしい。
「え、でも……」
「気にしないでください。さ、授業はどんどん進んでいますよ。ノートを出してくださいね」
「わわっ。ありがとうございます」
私はもう一度お礼を言うと、慌ててノートを取り出した。
あ~あ、万年筆の代わりに消しゴム置いていかれて、お兄ちゃん困ってるだろうな。もしかしたら、探してるかもしれないな……。後でメッセージ送っとこう。
どうしてか、先生はしばらく私の机のそばに立っていた。
ちゃんと授業についていけるか心配されてるんだろうか……もう一度お礼を言い、机の上に散乱した文房具をペンケースにしまって黒板の文字を書きだすと、先生はやっとそばから離れた。
(やっと行った……。なにあの声……破壊力ありすぎだって!)
ホッとしたのもつかの間、サブの先生は授業中、教室内を歩き回るわけで。時折近くにやって来ては、ノートを覗き込み漢字の書き間違いなどを指摘された。
中には、自ら手を上げて呼び、質問する生徒もいる。坂巻先生の時は見なかった光景だった。
「やっと終わった~」
「お前、阿久津に何したんだよ」
「え~、何もしてないよ。消しゴム忘れちゃって、そしたらくれたの」
如月くんったら失礼なことを言ってくれる。まるで私がなにかしでかしたみたいじゃないか。
「ふぅん。それだけ? にしては、やけにのどかを気にしてたみたいだけどな」
「丞くんまで……ほら、これくれただけだって」
阿久津先生にもらったペンタイプの消しゴムを差し出すと、丞くんは少し驚いたようだった。
「……これ、イヴプロの新作シリーズじゃん」
「なにその頭痛に効きそうな名前」
「イブプロフェンじゃねえ!」
この前から思ってたんだけど、どうやら如月くんはツッコミ担当らしい。
「イヴ・プロジェクトの略だ。知らねーの? 10代から20代女子には大人気なんだぞ」
「知らないよー。茅乃ちゃんは知ってる?」
「え? えっと……私も、知らないわ」
「へえ。そうなんだ。この学園にもファンは多いよ。イヴってクリエイターが1人で始めたんだけどね。元々自サイトで童話の世界観を現代風にアレンジして、楽曲やCGアニメーション、イラストを公開してるだけだったんだけど、モコモコ動画が人気に火がついてさ。今は作品関連のグッズなんかも展開してるんだよ。これはその最新でアリスシリーズだね。色味とかさ、デザインがちょっと大人っぽくて人気なんだよね」
へえ~。知らなかった……。そんな人気グッズの新シリーズだったなんて!
「そーゆーの知ってるあたり、さすが阿久津だよなーっ」
如月くんが感心したように言う。
そんな阿久津先生は、教室のドア付近で数人の女子生徒に呼び止められていた。
「雰囲気が変わったと思ったら、髪型を変えたんですね」
「えっ。あ、そうなんです。髪をアップにしてみました」
「とてもよく似合っていますよ。そのヘアアクセサリーも素敵ですね。どちらのですか?」
「さすが阿久津先生! これはメリモッコです。特注で作らせたんですよ」
「ええ。とても素敵です。さすが、ご自分に似合うものをよく知っておいでなのですね。それに、鍋谷さんはおでこのラインも綺麗ですね」
少しの変化にもすぐに気づいて褒められる。しかも、持っているアクセサリーも褒めるなんて、センスがいいって意味でもあるでしょ? 女の子は二重に嬉しいよね。あ~、こりゃモテるわ……。




