4月1日(火)素敵な先輩に出会いました
「後ろ、いかがですかぁ」
メイクの派手なお姉さんが鏡越しに、つけまつげを重ねた目を合わせて聞いてきた。
こういうやり取りはあまり得意じゃない。
何も言わずにいると、お姉さんは慣れたように合わせ鏡でだいぶスッキリとした後頭部を見せてくれた。
うわっ。思ったより短い。どうりで首元がスースーすると思った。
『丸顔タイプにはスッキリショート!』とデカデカと書かれた雑誌をじとりと眺めても、失った髪が戻ってくるわけじゃない。
「お客様はぁ、元々色が明るくて毛質が細いクセ毛なんでぇ、襟足スッキリさせてトップにふわっとボリュームもたせた髪型がお似合いですよぉ」
私が何も言わないからか、お姉さんが笑顔を張り付けて説明を始めた。鏡越しに合ったその目が「自分の毛質わからずにイメージ通りじゃないなんて言わないよね!?」と言っているようで、私はへらっと笑うしかなかった。
「わ、わぁ本当。すごくスッキリしましたぁ」
スッキリはしたけど、丸顔目立つよ! この春から高校生なのに、なんだか幼くなってるよ! そう思いつつも口には出せないので心の中で悪態をついていると、鏡の中のお姉さんがやっと笑った。
今まで笑顔は張り付いてたけど、目は笑ってなかったよ! こわいよ!
「はーい。じゃあ、お疲れさまでしたぁ」
なんか声色まで変わってませんかね? 帰りに担当者名刺と会員カード渡されたけど、次も来るかはわからないよ! なんせ都会には美容院がたくさんあるからね! 私には選ぶ権利があるよ! そんなところは田舎とは大違いだなぁ。
首に感じる4月の風にすらさわやかさを感じるよ。これがこの前まで住んでた県だったら北風に凍えてるところだね。
……でもまぁ、名刺とカードは捨てないでおいてやろう。この髪型が私にもし幸運を運んできてくれたら、きっと必要になるだろうから。
風が気持ちいい。冷たく感じないのもだけど、風で乱れた髪が顔にかかったりしないから。視界がいつまでもスコーンと明るい。それだけでなんだか前向きになれるから不思議だ。髪型ひとつでこんなにも気持ちが変わるなんて思ってもみなかった。
そんなことを考えながら美容院で預けていたバッグからスマホを取り出すと、ママから不在着信があった。それも3件も。それもそうだろう。今日は来週から通う学園の外部入学生の説明会がある。私は慌ててママに連絡を入れると、指示通りにタクシーを止めた。
「運転手さん。藤ノ塚学園までお願いします!」
時間にはまだ余裕があったけれど、心は逸る。それはきっと3度も電話をかけてきたママも同じだろうな。
なにせ藤ノ塚学園というのは、憧れの学園ランキングで常にトップ3をキープしている学園だ。
都会の中でありながら、小高い丘の上に建つ学園はその名の通り周囲に沢山の藤棚があり、季節になると薄紫色や少しピンクがかった藤の花が咲き乱れる自然に囲まれた学園だ。
伝統はあるが、生徒の自立心を養うため行事は生徒会や部活の部長会を中心におこなうという生徒主導の自由な校風が学生には人気だ。
父兄には立地や伝統、進学率の高さや教育内容の充実、そして著名人・有名人の卒業生も多いのが人気らしい。
一年前までは別世界の話だった。だけど今、私はそこに向かってる。
「藤ノ塚の生徒かい?」
「はい。来週からですけど」
「そう。いいねぇ。うちも娘が行きたがったんだけど、ここはレベルもお金も高くてねぇ」
「私もまさか通うことになるとは思いませんでした」
素直にそう言うと、運転手さんは笑った。
いやいや。本当だから。
うちは曾お爺ちゃんの代から今まで、大企業の下請けのそのまた下請け会社を経営していて生まれも育ちも地方だったんだ。その大企業と我が家が一応遠縁にあたるため、我が家もその地域ではそこそこ裕福なのは知ってたけど、家族で年に一度海外旅行に行くのが自慢だった程度。とてもじゃないけど、都会の有名私立校に通うとか、考えられるレベルじゃなかった。それが去年お爺ちゃんが亡くなった時からガラリと変わった。
お葬式で初めて会った親会社グループの総帥って人がパパと長話してたなって思ったら、こんな展開になってたんだ。
総帥って人は、地方で小さな会社をコツコツ真面目に仕事していたウチを高く評価してくれてたらしい。そこで、人事異動が発令されて、パパは本社近くの別の会社を任されることになった。
それはもう、田舎の小さな我が家には大事件だった。私は無難に地元の女子高に通いたいと思っていたんだけど、パパ大好きなママの口からは単身赴任という言葉は出なかった。こうなったら一家全員で引っ越しだ! そうこぶしを握ってママが宣言したあの日、学校から探しなおさなくてはいけなくなった我が家に、総帥の秘書さんが「一族のお子様方はみなさん、藤ノ塚をお出になっていますよ」の囁き、そっとカタログを置いていった。
これは「勿論、こちらのお嬢さんもそうですよね? 入れますよね?」という意味だ。ママは焦った。ぽかんと口を開けている私の口を閉じさせ、「そうに違いない! 試されているのだ! これは挑戦状だ! のどか、やるのだ! 殺られる前に、殺るのだ!」と命令を下した。この時期、ママは海外の時代劇に嵌っていた。ちょっと含まれる怪しい部分はヤンキー映画に違いない。パパに隠れて、特撮ヒーロー物出身の若手イケメン俳優にママが熱を上げ、彼が出演している映画やドラマを隠れて見ているのを私は知っている。
そして私は、悲しいかなまだまだ自分ひとりではなにもできない身。毎日真面目に働いてきたことがこうして評価され、やっとその頑張りが日の目を見ようとしている両親に恥などかかせられない。私は「御意」と答えるしかなかった。
こうして猛勉強の末、無事藤ノ塚学園に合格した私、小鳥遊のどかは先月地元の私立中学を卒業すると、家族でこの街に引っ越してきた。
藤ノ宮学園は大学も人気で、大学進学のために中等部や高等部からぐんと外部入学生が増える。特に高等部からの外部入学が多く、全体の約1割が外部入学の中等部に比べ、高等部は3割ほどになる。今日はその外部入学生のための説明会がおこなわれるのだ。
校舎の一部を使っておこなわれるそれは、制服をはじめ、学園指定の靴やかばん、選択授業に使う用具などを扱うお店も様々なサイズやデザインのものを持ってやってくる。その場でサイズ合わせを行い購入手続きをすると、後日自宅に送られてくるというシステムだ。お店がわざわざ学園に商品を持ってやってくるなんて初めて聞いた! これにはママも張り切っている。うちにそんなお金あったかな……という心配もしたけど、なんと総帥が合格のお祝い金をくださったのだそうだ。これはもう総帥様様だ。
制服や体操着の上に羽織るカーディガンやパーカーなんかはデザインも色も選べると聞いたし、楽しみだ。どんなのにしようかな。引っ越し来た日に、街で藤ノ塚のワッペンがついた淡いピンクのカーディガン来てる綺麗な女の子見たんだよね。中学生っぽかったけど、あんなのいいなぁ。
そんなことを考えていると、タクシーは坂を上り、大きな門が見えて来た。
「わぁ! 立派な門!」
でもおかしい。人が誰もいない。こんな急な坂道、車で来る人だって沢山いると思ったのに、車も一台もない。
「門の前まで行くかい?」
「いえ、ここで大丈夫です。ありがとうございます」
ピッとICカードをかざしてタクシーを降りた私は、辺りを見渡した。
周囲は静まり返っている。時間はまだ大丈夫なのに、ママの姿もない。これは一体どういうことだろう。不安になって小走りで門に近づくと、意外な文字が目に入った。
『藤ノ塚学園 中等部』
中等部! えっ! おじさん私が小学校卒業したてだと思ったのか!? これはあれか……髪を切りすぎて丸顔が強調されたからか? うわぁ……ショックだ。
中等部と高等部は門の位置が逆だ。
学園は数字の8の形になっていて、円の交わる箇所には学食やカフェテラス、選択授業に使用する特別教室など中等部と高等部が共同で使用する施設がある。そこを挟んでそれぞれの教室が存在するのだ。作りはほぼ一緒。人数が多い分高等部の方が少し大きいが、私がいるのは目的地の真逆の中等部だった。
「ど、どうしよう!?」
慌てて振り返ってもタクシーは既にいない。くそぅ、素早いな。こんな人気のない場所では商売にならないってか。
どう考えても中から移動した方がいいだろうな……でも、どう行ったら目的の場所に行けるんだろう。私は途方に暮れた。
「どうしたの? 新入生かしら?」
「はいっ!」
こんな時に話しかけられたら飛びつくよね。そうだよね。この人に助けてもらわなきゃ時間に間に合わないもんね!
困った感丸出しで振り返ったその先には、スラリと背の高い綺麗な女の人が立っていた。
黒く艶やかな長い髪が風になびき美しい顔にかかる。でも、以前の私のような鬱陶しいかかり方じゃなくて、まるでシャンプーのCMみたいな。彼女はそれを指ですっと払ってなおも聞いてきた。
「中等部の新入生? 説明会は終わったのではなかったのかしら?」
そうか! だから門が開いていたんだ! 扱うお店もきっと一緒だろうから、同じ時間に始めるより時間をずらした方が効率的だものね。それに、兄弟で中等部と高等部それぞれの説明会がある家族だってあるだろうし。
すると、目の前の女性も同じことを思ったらしく「高等部の説明会が終わるのを待つなら、中央棟のカフェテラスが開放されているわよ?」と言った。
「違うんです! 私、高等部の説明会に来たんですが、間違ってこちら側に来てしまって……!」
「あら、大変。向こうへの行き方はわかるかしら?」
強く首を振ると、なんとその綺麗な女の人は案内を買って出てくれた。
優しい! 綺麗なうえに優しいなんて、なんて素敵な人だ! 高等部の制服を着ているし、先輩かな?
「ありがとうございます! 私、小鳥遊のどかと言います。ええと、あの……」
「のどかさんね。藤ノ塚学園にようこそ。私は高等部2年の九鬼巴よ」
ママとの待ち合わせの時間がせまっててだいぶ焦ってたんだけど、先輩に会えて本当に良かった! でも、わざわざ中等部まで来てたってことは用事があったんじゃないかな……案内のためにまた高等部に戻ってもらうのはなんだか悪い。
「九鬼先輩……! ありがとうございます! 時間に間に合うか心配だったんです。でも、案内してもらってもいいんですか? 先輩もなにか用事があって中等部にいたんじゃ……」
「いいのよ。単なるネタ探しだから」
「は? ネタ?」
「ええ……なにもなかったけれど……」
そうして先輩はふうっとため息をつき、悲しそうな顔をした。その愁いを帯びた表情さえ美しい。
だから思わず私は声に出していた。
「私にもなにかお手伝いできますか?」
「え?」
「あ、今日はあの……説明会があるので無理なんですけど、もし入学後でもお手伝いできるなら……」
「あなたが? 私の手伝いをしてくれるの?」
「はい! というのも、実は私他県からの入学で……学園には全く知り合いも友達もいなくて……」
すると先輩が嬉しそうに微笑んで私に手を差し出した。
「ありがとう。私、実は高等部で新聞部の部長をしているの。今日もそれで学園に来ていたのよ。あなたが入部してくれたら嬉しいわ」
私は先輩の手を両手で握りしめた。
本当は一人で心細かった。しかも、説明会初日から逆の中等部に来ちゃうし……。それが、嬉しい出会いに繋がったんだもの。
先輩の細くて綺麗な手をしっかり握りしめてぶんぶん振りながら私は心に誓った。入学したら私、九鬼先輩についていきます!! 先輩の手となり、足となりましょう!