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床に倒れた女の人は、気を失っているのかピクリとも動かない。
すぐに助け起こすべきだろうが、私もその場から動くことが出来ないでいる。
「親父!それはやりすぎだって!追っ払うだけでいいよ!」
圧倒的な光の強さに、目を焼かれそうだ。
目を庇いながら叫ぶ私。
指の隙間から垣間見る光景に、身震いを禁じ得ない。
荒魂は既に輪郭を留めていない。
葵の手の中で、無数のひびが入りボロボロと表面が剥がれ落ち始めていた。
荒魂、荒ぶる魂は誰もが持つ魂の一面。
荒魂、和魂、奇魂、幸魂の四魂が人の魂を構成する。
「魂」
曖昧な存在だ。
それを信じる者、信じない者、それを目に出来る者、出来ない者。
様々な立場があり、立ち位置により捉え方は変わる。
更に、その存在に人間が後付けで名付けただけなので、言い方は様々。
ただ、私の一族は見鬼の能力を持つ者が多く、あれらを「荒魂」と呼ぶ。
それは負の感情に食い荒らされた魂。
憎い、惜しい、妬ましい、そこから端を発する怒りが溢れ出し、暴れだす。
四魂の均衡が崩れた時、往々にして荒魂の比重が増し他の三魂を飲み込むのだ。
平たく言えば怨霊、怨念のたぐいか。
あの女の人が荒魂に呼応した為、憑依されたと思われる。
でも、もう葵が荒魂を彼女から引きずり出したから、きっと大丈夫。
荒魂に引きずられる事は、もう無いだろう。
けど、あの荒魂は…
「やめろって言ってるだろこのボケ!消えちゃうでしょ!知ってるでしょ!」
思わず繰り出した上段回し蹴りは、あっさり葵に弾かれる。
が、荒魂を持つ手はそのままに、空いた片手だけで私の蹴りを止めるだなんて、可愛くない。雪美が見たらまた騒ぎ立てるに違いない。
そして、平素には決して見せない鋭い視線が私に突き刺さる。
「佐也子を狙って来たんだ。イタズラする悪い子には御仕置きが必要。」
やめろやめれやめてっ!
そこで笑わないでよっ!
心底楽しそうな葵君、あんたドS認定!分かってた事ですが再認定ですよ、怖いよっ!
大体佐也子さん目当てと言いながら、私が追いまくられていたのよー!
「仕方がないだろ、佐也子と蒼子の気配はよく似ているからな。」
良夜の奴、ペロッと言うな。
あんなのと同じだなんて、気色悪いわっ!
いや、そんな事よりも荒魂が…消える。
魂の消滅。
何度も何度も生まれ変わり、死に変わり時の流れを旅する魂達。その長い旅が強制終了させられる。過去も未来も何もかもが終わるのだ。
ダメダメダメっ!
そんなのやっていい事じゃない。御仕置きのレベルを超えてるよ!
「葵君、蒼の言うとおり。それ以上はだめよ。」
嫋やかな声が耳朶をくすぐる。
この声は…
「佐也子…、起きていいのか。」
しっとりとした質感の艶やかな黒髪を耳にかけながら、微笑みを浮べ歩み寄る佐也子さん。
目鼻立ちがはっきりした顔は、すっぴんぐらいが丁度良い。
佐也子さんは、顔の配置は幼顔だが、フルメイクを施せばどこぞの女王様に変身出来るに違いない。手には蝋燭と鞭、そしてハードなボンテージ姿がデフォな女王様…似合そうで怖い。
しかし、ストンとしたシルエットの綿ワンピースでさえ、自己主張激しい胸元を抑えきれずにいる。
推定E65。
…羨ましくなんてない…やい…グスッ!
私はまだ成長過程なのです!きっと…多分。
佐也子さんはその白く華奢な腕を葵に向かい伸ばすと、駄々を捏ねる子供に言い聞かせるように語りかける。
「やりすぎちゃダメよ。可哀想に、ボロボロになっちゃってるわ。…貸しなさい。」
佐也子さんの言葉には一も二もなく素直に従う親父。さすが姉さん女房、親父の扱いも上手い…というか、親父が佐也子さんに絶対服従なだけなんだよな。
佐也子さんの手の中でゆらゆらと頼りなげな青白い光を放つ荒魂、それでも尚荒ぶる気配は鎮まらない。
「随分と活きのいい荒魂ね。美味しそう、ふふふっ」
美味しそう…って!
笑う佐也子さんは…身の毛がよだつほど綺麗だった。人外の美しさ、生きた者とは思えない…その姿。
ゆらゆら震える青白い光を口元に寄せると、吸い込まれるように佐也子さんの中に消えた。
喉の奥で小さく笑うあの人が、私の母親だとは…思いたくない。
「ねっとりとした舌触り、こっくりした何ともいえない甘さと、僅かに混じる苦味…極上品だわね。凄く凄く、恨んで憎んで苦しんで…死んだのよ、この子。」
満足げに笑う佐也子。
怖い…怖すぎる!
なんでそれを知っても笑えるんだろう。荒魂にまでなった可哀想な女の子なんだよ。辛くて、苦しくて…最期の瞬間まで身も心も苦しみ抜いた筈だよ。
それなのに…
「…荒魂は…どうなっちゃうの?」
ふわりと甘い香りが漂う。
佐也子さんが小首を傾げれば、肩口からサラサラと絹糸の様な黒髪が流れ落ちた。濡れた唇が艶めき、匂い立つ様な「女」がそこにいる。
「葵君、私疲れちゃった。お風呂入って寝るね、おやすみ。」
私の問いなど聞こえなかった様に、パントリーを通り抜けて行く佐也子さん。
。
代わりに葵の指示がとぶ。
いつもこういう場面では、葵がやんわりとでも確実に佐也子さんと私の間に割って入る。
「蒼、救急車呼んで。この子気絶してるだけだけだと思うけど、一応大事を取った方がいい。」
「分かった。」
携帯で救急車を呼び、状況を簡潔に伝える。直ぐに来てくれるだろう。
「…親父、『入れ替え』って何?入れ替えのあとだから、荒魂が引き寄せられるってどういう意味?佐也子さんは何をしてるの⁈」
葵はグッタリと床に倒れていた女の人を軽々抱き上げ、ベンチに寝かせた。
立ち上がり真っ直ぐに私を見る葵は、高校生の娘がいるなんて思えないほど若く見える。でもただ若い訳じゃない、その老成したような目を見れば葵がしてきた苦労も透けて見える気がする。同年代より遥かに上回る経験値がそうさせるんだろう。
大きな手が、私の頭をポンポンと撫でた。
「また今度教えてやるよ。お前ももう十七だしなぁ。」
笑った葵の目元に小さな皺を見つけた。
葵が佐也子さんに骨抜きにされたのもうなづけた。
強くて、美しくて、気まぐれで、残酷な女。
でも、私は…怖い…。
佐也子さんに優しく微笑まれる度に、冷たく絡みつく何かを感じる。何かって言うのは、言葉にし得ない感覚の話でしかないけど、これは間違ってないはず。
私が感じている、佐也子さんへの恐怖。
「良夜、私があんなのに似てるだなんて冗談よね、じゃなかったら取り消して!」
「そんな事言ってもなぁ。間違いなく佐也子がお前を産んだんだからな。親に子が似るのは普通だろう。」
あああったまくるーーー!
良夜のしれっとした言い方がまたムカつく!大体なんで良夜がその頃の事を知ってるわけ
あぁそうだよね、昔から、それこそ私が物心ついた頃にはあんたもうその顔だったもんね。
余分な事を言えば確実藪蛇だわ。
きっとオムツも替えてやったとか、いらん黒歴史を披露して来るに違いない…くっそう!爺やには勝てないのかっ!
「人を年寄り扱いするんじゃないよ。」
顔に書いてあるってか。分かり易すぎるキャラですみませんね。人生に厚みがありませんで。
神がかった神秘的な美しい顔でニッコリ微笑む良夜は、人間ではない。
神凪の家に昔から仕える…まあ、妖怪みたいなもんか。
これを雪美が知ったら…きっと桃色ラバーズの世界が歓喜に震え、目眩く耽美な真性の愛の世界に誘い、あまつさえそのピンクの住人表を手渡しに来るだろう。
その想像の恐ろしさに打ち震えた私は口をつぐんだ。
いかな人外であっても、BLを体現するには抵抗はあるに違いない。だって葵と今日の可愛かったお客様とか普通に話してたもん、彼の審美眼はノーマルですよ。ついでに今は希少なお嬢様系な女の子大好きだし。
良夜め、武士の情けじゃ。正体はバラさないでいてやろう




