誤解
「おい、三条。ありゃいったい何なんだ?」
病院の正面玄関から外に出ると、数台の高級車が霧矢たちを取り囲むようにして止まっていた。疑問を口にした西村に霧矢が答える間もなく、黒服の男性が車から降りてきた。
(…病院で時間を潰し過ぎたか……くそ…)
苦々しい顔をしていると、黒服の男性が霧矢の方へ進み出て、威圧的な口調で告げる。
「お嬢様から、連絡は届いているはずです。我々にご同行願います」
「嫌だと言ったら、どうなります?」
霧矢は奥歯を噛みしめると、黒服に向かって一歩踏み出そうとした。しかし、黒服が霧矢の投げた問いに答える前に、傍にいたセイスが先に動いた。
「霧矢! ここは食い止めて!」
セイスは小柄な体格とは思えない力で西村を背負うと、病院の中に駆け戻っていく。そして、去り際にポケットからカードを取り出して車に投げつけた。
ドン! という大きな音があたりに響き、次の瞬間、衝撃で黒服はなぎ倒されて地面に叩きつけられる。また、高級車のフロントガラスにも大きなひびが入った。慌てふためく黒服をよそに、霧矢もセイスに続いて病院の中に戻った。
病院の人気のない廊下まで逃げ込むと、セイスは西村をソファーに座らせた。先程は、セイスも楽々西村を背負っていたように見えたが、やはり体力自体はあまりないらしい。彼女の息は上がっていて、壁に手をついて苦しそうにしている。
「…まさか…こんな…タイミングを…狙ってきたなんて……」
セイスは完全に予想外といった表情で、悪態をついていたが、霧矢としては、黒服に同情せざるを得なかった。
セイスは彼らのことを自分の身を狙う教団のエージェントか何かと考えたのだろうが、彼らは裏社会の人間でも何でもなく、単に片平家の使用人に過ぎない。彼らは、霧矢を東京まで連れてくることを命じられただけである。
「なあ、セイス…さっきの連中だけど……」
「霧矢に心当たりでもあるの?」
「……教団の戦闘員でも、裏社会の人間でも何でもないぞ。一般人だ」
セイスはしばらく瞬きしていたが、やがて頭をポリポリと掻き、ぽつりとつぶやいた。
「………やっちゃった」
西村は呆れ顔、霧矢はしかめ面になると、セイスは恥ずかしそうに舌を出した。
「…あれって、風華のカードか?」
「うん。いざというときの切り札のための一番強いやつ。衝撃波のカード」
「何でお前自身の術を使わないんだ? そっちの方が手っ取り早いんじゃねえの?」
問いを投げ掛けた西村に、セイスは真顔で答える。
「あの場所でそうしていたら、この病院の建物の基礎部分が壊れていただろうけど、龍太はそれでよかったの?」
「…勘弁してくれぇ…」
困惑を浮かべた西村の声に、セイスは満足そうな表情を浮かべると、彼女は霧矢の方へ向き直った。顔で聞きたいことがあると語っている。そして、霧矢も彼女が何を聞きたいのか理解していた。
「…連中は、おそらく京浜製薬のお嬢様の使用人だ。僕を探している」
うんざりした口調で言い放った霧矢に、西村は不愉快な表情を浮かべる。
「また、美香お嬢様のご機嫌を損ねるようなマネでもしたのか? それに俺を巻き込みやがって、少しは人の迷惑も考えやがれ!」
毒づく西村に霧矢は反論しようとしたが、思いとどまった。霧矢の脳裏に浮かんだ反論の内容は、西村に対して残酷すぎるものだったからだ。殴られた仕返しに、拳銃で頭を撃ち抜くレベルの反論であり、彼の古傷を抉ってしまうことにもなりかねない。
(…ここで中里の話題を持ち出すのは、フェアじゃないか……)
喉元まで出かかった言葉を飲み込むと、霧矢は首を回した。
これで、完全に予想外の形ではあるものの、霧矢は片平家に対して宣戦布告をしてしまったことになる。車を破壊したのは霧矢ではないが、先方は霧矢の仕業とみなすだろう。そうである以上、あちらも多少手荒な方法に訴えたとしても不思議ではない。
問題は、彼らが手荒な方法に訴えた場合、「彼ら」の身の安全が保証できないということだ。先程の霧矢でさえ見切ることのできた、あの衝撃波でなぎ倒されるレベルの相手ならば、霜華や風華、そして霧矢本人と戦った場合、簡単に倒されてしまうだろう。あくまで彼らは単なる礼儀作法に長けた使用人であり、ヤクザや殺し屋ではない。
仮に、先程の所業について素直に謝るにしても、どういう風に説明するかを考えると、非常に厄介だった。美香が彼らに魔族について話しているならまだしも、そうでなければ、もうどうしたらよいのかさっぱりわからない。
「ああ…もう……僕はどうしたらいいのやら……」
選択肢はいくつかあるが、どれもすべて茨の道だった。頭を抱えていると、セイスはとりあえず仕方がないと言う顔で、霧矢に問いかけてきた。
「…ところで、霧矢はこれからどうするの? 逃げる気なら、私と一緒に来た方がいいと思うけど。駅まででよかったら送るって、お母さんも言ってる」
病院の裏側の駐車場の方角を指さしながら、セイスはうなずく。西村はセイスに対して不愉快な表情を向けると、霧矢に向かって「疫病神」と毒づいた。
「…駅か……あんまり、よさそうじゃないな…どこに逃げるべきか…」
「…それとも、うちに来る? 数時間くらいならかくまってあげられるけど」
「セイス、何を考えているんだ! こんな女たらしのトラブルメーカーをうちに入れてみろ! 家がハチの巣にされてもおかしくないぞ!」
まくし立てる西村に、霧矢はついに何かが切れたのを感じた。次の瞬間、霧矢はホルスターに入っていた力砲を目にもとまらぬ速さで取り出し、彼の眉間に突きつけていた。
「……ご…ごめんなさい……俺が…悪かったです……」
銃口を突きつけられて急に卑屈になった彼の顔を見て、霧矢は呆れるとともに吹き出しそうになったが、彼を嘲笑するのも気が引けたため、無理矢理に抑え込んだ。ため息とともに力砲をしまい込むと、霧矢は西村に背を向けた。
「……僕は先に帰る。面倒事に巻き込んで済まなかったな」
簡単に手を振ると、霧矢は人気のない廊下を後にした。後ろからは、セイスが自身の契約主に怒鳴る声が聞こえてきていた。