急所
「え、霧矢が行きそうなところですか?」
「はい、上川さんなら何か心当たりがあるのではないかと……」
喫茶・毘沙門天の中では、店員と黒服の男が話していた。今時、黒ずくめの男というのは珍しく、客の全員が彼に注目していた。
「…そうですね……家にいないとなると…病院でしょうか…図書館に行くほど、本好きというわけではないし、一人で用もないのに永山まで行くほど行動力はないですし…」
「病院ですか?」
黒服は少し意外そうな表情で聞き返した。晴代は聞き込みに来た男を眺める。
「…彼の友達が入院してまして。それに、今日は退院日だから、多分……」
「なるほど……」
黒服は手帳にメモしていく。晴代は、明らかに相手が不審な挙動であるのに、むしろ非日常の珍しさに気分が高揚していた。目を輝かせて、尋ねる。
「それにしても、東京からわざわざ来られたなんてすごいですね。それも、お嬢様の命令で霧矢を連れてこいだなんて」
「私も、こんなことで派遣されるなんて思ってもいませんでしたよ」
黒服も苦笑いを浮かべる。晴代も笑っていたが、黒服は急に真顔に戻る。
「それと、もう一つお尋ねしてもよろしいでしょうか?」
「え? 別に、いいですけど。何ですか?」
「…もしも、霧矢さんがそのご友人のお見舞いに行ったのではなく、我々から逃げ出したとするなら、どこに潜伏すると思いますか?」
意外な質問に、晴代は少し考え込んだ。しかし、答えはすぐに出てきた。霧矢がいざというときに頼る相手と言えば、もはや一つに絞られている。
「……雨野先輩、うちの高校の生徒会長ですけど、霧矢がまず頼りそうな人と言えば、先輩以外にないですね。とっても頼れる人ですし、すごく強いんですよ」
「ほう、では、その人の家を教えていただけますか?」
晴代はレジに置いてあるメモ帳を破り取ると、適当に雨野家の地図を描く。やがて黒服は、描き終わった地図を受け取ると、礼を言って店を出て行った。
(…ふむふむ、何か面白そうなことになってきたなあ……)
鏡を見ると、ニヤニヤ笑いを浮かべている自分の姿が映り込んでいた。そんな自分の姿をしばらく眺めた後、晴代はエプロンを脱ぎ捨てた。
「ちょっと、出かけてくるね!」
脱ぎ捨てたエプロンの代わりにコートを羽織ると、晴代は店を出て雪道を歩き出す。五分ほど歩いたところに目的地があった。
店の戸を開けると、見慣れた顔の店員がいた。
「やっほー、霜華ちゃん。何やら、霧矢を巡って面倒なことになったみたいだね」
「あれ、晴代は何で知ってるの?」
カウンターから顔をあげた霜華は奇妙な表情を浮かべた。晴代はそばにあった丸椅子を引き寄せると、カウンター越しに霜華と向き合う。
「さっき、片平家の使用人と名乗る黒服の人がうちに来て、霧矢の行方について、心当たりはないかって聞いてきたのよ」
「それで晴代はなんて答えたの?」
気楽な口調の晴代に、霜華は困ったような顔で聞き返した。晴代は答える。
「西村君の病院にいるかもしれないって答えたよ。それか、雨野先輩の家かなって」
「霧君に逃げるように言った方がいいかなあ……確率は二分の一だし…」
霜華は心配そうに電話に手をかけたが、晴代はそれを手で制した。
「大丈夫だって。きっと、あの人たちは先に雨野先輩のところに行くから。そうしたら、多分、フルボッコにされるかもしれないよ?」
「……そんな荒っぽかったり、あるいは無礼な人なの? 会長さんが怒るレベルに」
晴代の冗談に、霜華は苦笑いで返した。雨野を怒らせるような真似をすれば、彼らも無事では済まないだろう。しかし、ああ見えて雨野は初対面の人間に対しては、基本的に親切ではある。相手が礼儀を守っていればの話だが。
「まあ、どうにでもなるって。それよりも、何が起こったのか、あたしよく知りたいな」
興味津々の晴代に対して、霜華は歯切れの悪い、蚊の鳴くような声で話し出した。
「…霧君を京浜製薬のお嬢様が探し回っているらしくて……その…霧君は嫌がってるみたいだから……逃げるのをサポートしてると言うか…その……」
「なるほど、なるほど……つまり、一言で言うと『霧矢を取られたくない』と」
晴代のニヤニヤ顔に、霜華はショックを受けたようにカウンターに突っ伏した。顔は真っ赤になっており、体が小刻みに震えている。
(あっちゃあ…あたし、ちょっとストレートに言い過ぎたかなあ……)